Where Could We Grow This Feeling?
「今まで何してた?」
宿に入るなり、縞猫から声をかけられた。
どきりとして、振り向く。
珍しくバルドがカウンターに座ってじろりとこちらを見つめていた。
ライと二匹で組んで旅に出るようになってもう2年もの月日が経とうとしている。
いつも藍閃へ戻ってきたとき投宿するのは、この宿だった。
バルドとの気安さから、宿、というより殆ど家のような感覚に近くなっている。
普段は施錠されるまで、夜はカウンターには誰もいない。
無用心な宿だが、それがバルドのスタンスだ。もう馴れていたし、これまで特にトラブルもなかったので、気にはならなかった。
逆に、カウンターにこうして宿主が座っていると、驚いてしまう。
「何、って……いつもとおんなじだろ。トキノんち」
どことなく、咎めるような響きを感じて、不本意そうに相手を見返した。
(そりゃ、いつもよりちょっとは……)
確かに少し長居した、という自覚はある。
今日は何だかいろいろと話に花が咲いて、止まらなくなった。
だから、少し、時間を忘れた。
気が付くと、とうに日が沈みかけていた。
夕飯を、と誘われて、じゃあ、と一緒に食卓を囲んだ。
トキノはいつもよりよく話した。好奇心も旺盛で、こちらの話にも細かくいろいろな質問をした。それが結構当を得た質問で、コノエまでなるほど、と気付かされることが多かった。
無口なライといる時とは随分違う時間が流れた。
それに……。
後ろにこっそりと隠し持っていたものを意識して、コノエは少し落ち着かない気持ちになった。
――何だか少し、今日は変な感じだった。
最初店の中に入ったとき、花冠を貰った。
そして……。
何だかおかしな気分になって……ほんの少しだけ――トキノの唇に触ってしまった。
あのときの微妙な間合いを思い出すと、未だにかっと頬が熱くなる。
(俺、何をしたんだ……)
あのとき……。
どうして、あんなこと……。
一瞬のことだった。
それだけ、だった。
少しだけ、沈黙が流れた後……振り返ったトキノはまるで何もなかったかのように、明るく声をかけてくれた。
そして、それきり……後はごく普通に時は過ぎた。
そのうち、本当に何もなかったのではないかとさえ思ってしまうくらい、二匹は自然に会話を交わし、楽しい時間を過ごした。
最後には泊まっていかないか、とまで言われたが、さすがにそれはやんわりと断った。
本当は泊まって夜明かし語り合いたいような気もしたのだが、宿で待っているであろうライのことを思うと、気が咎めた。しかも宿を出るとき、ライは体調が良くなさそうに見えた。それも気になっていた。
そう思いながらも、今日はもう帰る、と答えたとき、友の顔が微笑みながらも、どことなく残念そうな表情を浮かべているのを見ると、自分も少し寂しい気分になった。
そして、トキノは少し俯きながら、帰り際のコノエの手にそっとこの花冠を押しつけた。
戸惑いながら花冠を見つめるコノエに、
『ずっと持ってなくていいから』
トキノは、小さな声でそう言った。
『……宿にいる間だけでも、部屋に置いてくれたら、嬉しい』
戸惑ったように花冠を手にしたコノエに、トキノは慌てて頭に載せなくてもいいからね、と付け足した。
『いい匂い、するから』
にっこり微笑みかけるトキノの顔を見て、コノエは何となく気が咎めた。
なぜ、そんな気持ちになるのか、わからないまま、コノエは花冠を持ち帰った。
そうして宿に帰ってきた今、バルドの複雑そうな顔を見ると、急に不安になった。
「え、まさか――ライ、どうかした?」
「ん……いや、そういうわけじゃないんだが……」
忽ちバルドの口調が曖昧になった。
「具合、少しは良くなったかな?」
「ん、そうだな……ずっと寝込んでたみたいだが、さっき、スープを持っていった」
「あ、じゃあ、少しは食べられるようになったんだ」
コノエはほっと息を吐いた。
「今朝、出かけるときは、何も食べたくない、って言ってたけど」
「うん、まあ、少しは、な……」
バルドはぎこちなく笑った。何となく、歯切れが悪い。
そんな相手の様子に違和感を感じて、コノエは少し眉を顰めた。
「何か、あったのか?」
「うん……いや……」
バルドは困ったように頭を掻く。
「その……」
「何だよ」
「……ええっと、実はその……アサト、が……」
「アサト?」
コノエの顔が明るくなる。
「アサト、来てるのか?」
「ん……まあ、そう、なんだが……」
バルドの口調はいつまでも歯切れが悪い。
(弱ったな……)
彼は少し迷っていた。
コノエが部屋に戻る前に、一度様子を見に行った方がいいものかどうか。
まさか、また交わっているなんてことはないだろうが。
「うーん……ちょっと、俺にもよくわからないんだが」
「さっきから、何言ってんだよ。わからないのはこっちの方だ」
コノエは少し苛立ちを見せた。
「じゃあ、俺は部屋に戻るから」
「あっ!ちょ、ちょっと待った!」
慌ててカウンターから外へ出てきたバルドは、階段を上りかけたコノエの肩を掴んだ。
「何だよ」
コノエは背後から制止したバルドに不審気な顔を向けた。
「ああっ、その……!――は、腹、減ってないか?」
「いや。トキノんちで、食ってきたから」
「そっ、そうか。――実は今夜の夕食で作ったスープが余っててな。これが俺の最近編み出した特製スープで結構美味いんだ。ちょっと味見してかないか?」
大きな声で捲し立てたバルドを前にして、コノエは呆れたように目を丸くした。
「……あっ、ああ、すまん。別に嫌ならいいんだけどな。決して無理にとは言わないが――」
コノエは不思議そうに瞬いた。
「――う、ん……」
「本当に腹いっぱいなら、いいんだ。いや、ちょっとだけ、どうかな、と思っただけで、な……うん……」
バルドは次第にきまり悪そうにもごもごと口の中で呟いた。
「……それはいいんだけど、先に肩、放してくれないか」
コノエに言われて、バルドはああ、そうか、と初めて気付いたように、慌てて掴んでいた肩を離した。思いがけず力いっぱい掴んでいたようで、離した後もコノエの肩口には、くっきりと掴んだ跡が残っていた。
「……スープは貰ってもいいけど……」
コノエは軽く首を傾げると、しげしげと相手を見た。
「――何か、おかしくないか?何でさっきからそんなに焦ってんだよ?」
「ん?……そんな風に見えるか?」
バルドはとぼけた。
それへコノエは鋭い視線を投げる。
「――で、アサトはどこ?」
「………………」
バルドはうん、と言ったきりすぐには答えようとはしなかった。
「……今夜、ここに泊まってくんだろ?」
「ああ。……けど、まだ外出てるんじゃないかな。おまえがいないと聞いたら、飛び出してったから」
戻ってるかどうかは知らん、とバルドはうそぶいた。
コノエはじっとそんな相手の顔色を窺っていたが、やがてくるりと踵を返した。
「あ、おい……?」
今度はバルドの手に掴まらないように、素早く数段階段を駆け上がってから振り向いた。
「とにかく、一度部屋に戻る。後でスープ貰いに行くから、あっためといてくれよ!」
止める間もなく、二階の廊下へ消えていく後ろ姿を見送りながら、バルドは困ったように頭を掻いた。
「あーあ……もう、知らねーぞ、俺は……」
部屋の前に立ったとき、なぜかすぐに入ることができなかった。
コノエは一瞬立ち止まり、耳を扉のすぐ傍まで近づけた。
なぜ自分がこんなことをしているのか、自分でもわからぬまま、自然に部屋の中の様子を窺っていた。
部屋の中からは何の物音も聞こえてこない。
ほっと少し息を緩める。
「……ライ……」
扉を開けるとき、指先が少し震えるのがわかった。
(何でこんなに緊張してるんだよ)
コノエは軽く息を吐くと、こつんと自分の頭を叩いた。
馬鹿馬鹿しい。
自分たちの部屋に入るのに、何でこんなに固くなっているのか、と不思議に思う。
――ライ……。
部屋の中から、花の香がうっすらと漂う。
(あれ……?)
コノエはふと首を傾げて、手元に視線を落とした。
手に持っている花冠からのものではなくて。
この匂いは何だろう?
部屋全体を包むような、どことなく甘やかな香り。
朝部屋を出たときには、こんな香はなかった筈なのに。
廊下の薄明かりにうっすらと照らし出される室内の様子に目を凝らしながら、ゆっくりと足を踏み入れる。
――かさ。
足が何かを踏んだ。
おや、と足元を見ると、黄色い花びらが見えた。
よく見れば、床一面に乾いた花びらが舞い散っている。
(何だよ、これ……)
ますます不審を募らせながら、そっと歩を進めた。
片側の寝台の上に盛り上がる影。
長い銀の毛が闇に白く滲む。
ライ、だ。
その姿を認めると、コノエは安堵の息を吐いた。
壁に背を向けて横になったまま、動かない。
ただ寝台からはらりと落ちた白い毛の先が静かに揺れている。
何でそんなに端までぎりぎりに体を寄せて横たわっているのか、と思って揺れる毛の先を見たとき、コノエはぎょっと目を見開いた。
毛先を弄る褐色の指。
寝台の下の黒い塊に気付いた途端、
「……あ……っ……!」
思わず飛び出した驚きの声に、黒い影がもそりと動いた。
「……コノ、エ……」
ライのものではない、声が答えた。
コノエはびくん、と耳を突き立てた。
黒い塊がそろりと起き上がる。
「アサト……?」
半年振りに見る黒猫の姿を前に、久し振りだな、とか元気だったか、などというおざなりの言葉は一切浮かんでこなかった。
「……おま、え――?……」
今この瞬間、相手がここにいるという、ただその事実だけが、コノエの心に波紋を投げかけた。
「………………」
きょとん、と見つめるアサトの目には何の他意もないように見える。
――俺を、待っていたのか。
そう問いかけたいのに、なぜか声が出なかった。
目の奥に、一瞬前に見たばかりのアサトの指先が映る。
銀色の毛先をそろそろと弄っていた。
ただそれだけのことなのに……。
「……な、何で、そんなとこにいるんだよ」
低く囁くように問いかけた。
ライは、気付いていないのか、ぴくりとも動かない。
よく耳をそばだてると、すうすうと安定した呼吸音が聞こえる。
こんなに深い眠りを貪っているライを見るのは初めてのような気がして、コノエは不思議な気分に駆られた。
これまでどんな状況下であれ、常に全神経を張りつめ、ほんの微かな物音にでもすぐに反応するほど用心深かったライが、自分が入ってきたことにさえ気付かぬほど、今こんなにも無防備に眠り込んでいるなどとは、コノエにはとても信じられないことだった。
「ライ……」
コノエが声をかけると、アサトがその前に塞がるように体を傾けてきた。
「何だよ」
ライに触れようとした手を軽く阻まれ、コノエはむっとした顔でアサトを見た。
「――起こさない方が、いい」
アサトは真面目な顔で、忠告した。
「ずっと、具合が悪いと言っていたから」
「……………」
押し返された手が、脇にだらりと垂れる。
コノエはアサトを軽く睨んだ。
「……だから、なん、で……」
言いかけると、忽ち言葉に詰まった。
(……何でおまえが、そんなこと俺に言うんだよ……)
よく考えると、わけがわからない。
アサトが、ライの傍にいる。
(あれ……ライとアサトって、こんな風だったっけ……?)
これまで、こんなに近くに互いの身を置いたことすらなかった筈なのに。
この二匹が近くにいるときは、大概睨み合っているか、言い争いや喧嘩をしているときかくらいで、時には実際に剣を引き抜いて戦う場面すら見てきた。
そんな二匹がどうして今……。
不思議だった。
どこかが、おかしい。
そして、この自分の中の落ち着かない気持ちは、何だ。
今こうしてアサトの顔を見ていると、なぜか無性に苛立ちが募った。
「――アサト……っ!」
不意に声を荒げると、黒い耳がびくんと震えた。
それを見て、今相手がどんな顔をしているのか察しがつくだけに、わざとそれを見ないように目を逸らした。
「……何のつもりか知らないけど、ライは俺の『つがい』だから……」
我ながら険のある口調になっているなと思った。
こんなに嫌味な言い方をアサトにするのは、初めてだったかもしれない。
コノエは、相手に対して思いがけず意地悪になっている自分自身に気付いて、少し驚いた。
「ライのことは、俺がよく知っている。おまえに言われなくっても……」
「……………」
アサトの返答は、なかった。
気まずい間があく。
コノエは顔を背けたまま、相変わらずアサトの顔を見ようとはしなかった。
見れば、きっと自分の気が挫けてしまうだろうということがわかっていたからだ。
アサトのあのしょんぼりとうなだれた、悲しそうな顔を見るのが嫌だった。これまでも、コノエが何か強く叱ったり、厳しい意見を口にするとき、アサトはいつもそういう顔をした。
でも今は自分の私情が絡んでいるだけに、余計嫌な気分になった。
「……悪いけど――出て行ってくれないか」
少し気が咎めながらも、コノエは冷たく言い放った。
「……ライのことは、俺が見てるから……。俺たち、つがいなんだ。今さら言われなくたって、おまえにもそれくらい――わかるよな?」
『つがい』という言葉を何度も繰り返し強調する。
そう言いながら、何で自分はこんなに剥きになっているのだろう、と思った。
よく考えれば、今までアサトが見つめているのはいつも自分、だった。
こんな風に彼の視線がライに向くことなど、なかった筈だ。
だから、アサトが寄ってくる度にいつも不機嫌そうな顔をしていたのはライの方であって……。
ライの髪を弄っていたアサトの指先。
何だったんだろう、あれは……。
これまでの二匹の関係からすると、想像もつかないような親しげな動作。まるで、つがいの猫同士がするかのような……。
――『つがい』か……。
心の中で呟く。
そうして、ふとその言葉に込められた意味を考えてみた。
二匹の猫を繋ぐ言葉。
確かに、強い力を感じる。
だが、実際にはそれにどれだけの効力があるのか。
ライと自分の関係。
絶対に揺らぐことはないと思っていた。共にいて、互いを求め合って……それが当たり前だと思って何の疑問も抱かなかった。
今……まさか急にこんなどろどろとした感情が渦巻くなんて。
(しかもどうして、アサトに……?)
アサトとライがそんな風になるなんて、ある筈もないことではないか。
なのに、どうしてこんなに気になって、苛々して、挙句の果てにアサトに八つ当たりしているのか。
コノエはそんな自分自身に驚き、戸惑った。
しかし自分も……。
唇にそっと触れてみる。
花冠を持つ手が僅かに震えた。
トキノと合わせた唇が、まだほんのりと熱を帯びているようだ。
もやもやとした感情が渦巻く。
「……コノエ、か」
不意に呼びかけられて、どきんと心臓が跳ねた。
囁くような声だったが、はっきりと耳に届いた。
寝台の上に起き上がる白い体。
「帰ってたのか」
ライがゆっくりと体を持ち上げて、驚いたようにコノエとアサトを見つめている。
「――どうした」
ライは困ったように、二匹を交互に見た。
起き抜けで少しぼんやりしているようだった。頬が少し赤い。そしてそのいつもは鋭く睨みつけてくる精悍な顔が妙に和らぎ、どことなく艶を帯びているようにさえ見えて、コノエはどきりとした。
――こんな、ライの顔……。
(一体どうしたんだろう……)
コノエは戸惑いを感じた。
何とはなしに、今まで見たことのない表情(かお)に見える。
気のせい、だろうか。
そう……朝から具合が悪かったのだ。顔色も悪かった。
その、せいか。
ふと、ライの視線の先を見て、さらにコノエの不安は高まった。
(アサト……)
アサトと、ライの視線が合う。
アサトを見て……
(嘘だろう?)
コノエは目を瞠った。
アサトに、微笑みかけるライの顔。
これまでに見たこともないような感情の疎通。
信じられない。
何で、この二匹が……?
アサトと、ライが……。
まるで、お互いを許容しているかのように……さも親しげに。
――こんなのは、変だ。
コノエは、戸惑いと共になぜかどうしようもない焦燥と苛立ちを感じた。
(出て行け、この馬鹿猫)
いつものように倣岸不遜な一言を投げつけてくれればよいのに、とすら思った。
そうすれば、こんなに不安にならずに済むのに……。
「……ライ……っ!」
コノエは急に寝台の上に乗りかかると、ライの体に両腕を回した。
花冠が手から離れ、ライの背後のシーツの上にぱさりと落ちた。
(あ……)
鮮やかなオレンジ色の髪が目の前をよぎった。
一瞬だけ……映像が通り過ぎると共に、コノエは敢えて花冠を心の外へ追いやった。
ちく、と微かに胸が痛む。
その痛みを揉み消すように、柔らかな銀の毛を引き寄せ、耳を軽く舐めた。
ふわ、と甘い香りがした。
(……………?)
髪の毛の間やシャツの間から、ほんのりと匂う。
いつもライからはこんな香はしない。
そう思ったとき、相手の腕が背中を軽く撫でるのがわかった。
優しく、そっと撫でる指先が、ライのものであってないかのようだった。
「……おかしな奴だな」
低く呟くライの声が、急にかけがえのないもののように思えた。
(ライ……)
ごろごろと喉が鳴る。
この腕を放したく、ない。
切ないくらいの、胸の疼き。
ほんのりと熱の残る体を少し強く抱き締めた。
「……ごめ、ん……」
初めて、白猫を放っておいたことを後悔した。
熱を帯びた肌に甘く、切なく漂う……これは、誰かのつけた残り香だ。
誰か、他の猫がこの肌に触れた跡(しるし)だ。
自分が離れていたほんの僅かな合間に、何があったのか。
この美しい白い猫を自分から攫っていこうとしたのは、誰だ。
考えているうちに、止められぬほどの激しい感情が溢れ出し、そんな自分がだんだん怖くなった。
(何が、あった……?)
そう聞きたいのに、実際に声を出して問う勇気がない。
わかっているのに。
この、匂い。
鼻をくすぐる甘い香り。
いつもならこれは自分が好む香だ。しかしそれが今はひどく忌まわしく心をかき乱す。
空を舞う色とりどりの小さな花びらが目の前に見えるような気がした。
空間を満たす香が、何かを物語る。
しかしコノエはそれに耳を傾けるのを頑なに拒んだ。
(知りたくない)
何も……。
――何も知りたくない。
嫌だ、嫌だ、嫌だ……。
狂ったように、胸の内で叫んでいた。
(何も、見たくない……)
くるくる舞う花びらが、空に溶けて見えなくなる。
ほんのりと、匂いだけが鼻腔を掠める。
それも次第に薄らぎ、しまいに何もわからなくなった。
そしてようやくコノエは息を吐いた。
ライの胸に縋るようにしがみついた。
相手の唇に己の唇を押し当て、キスをねだる。
「……しよう」
目を僅かに見開くライに、コノエがそっと囁いた。囁きながら、既にくちづけを促していた。
背後で音もなく、気配が去る。
黒い猫は結局一音も発さぬまま、いつの間にか消えるように部屋から姿を消していた。
だが、コノエにはもうそんなことはどうでもよいことだった。
(Fin)
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