呪 焔
(27)
岩陰から姿を現したイザークの周りを、銃を構えた男たちが遠巻きに取り囲む。
「――止まれ」
真正面に佇む男が、警告を発した。
にもかかわらず、イザークは歩みを止めない。
挑むような瞳が、男を射た。男がちっと舌打ちする。
同時に鋭い射撃音が空を裂く。
イザークの足元に銃弾が当たり、小さな火花を散らせた。イザークの足がようやく動きを止める。
続く連射が、彼の足元ぎりぎりの地面を抉った。
彼の体は、その場に縫いつけられたかのように、動かない。動けないのだ。
「……ッ!」
岩陰で様子を見守っていたキラが思わず飛び出そうとするのを、アスランが片腕を回して押し止める。
「……アスランっ、でも――」
「――大丈夫だ。奴らはわざと外している」
低く囁かれたアスランの強張った声音からは、彼自身が内心の動揺を必死で押さえ込んでいる気配が感じられた。
「イザークにも、それがわかっている筈だ……」
(なぜなら、奴らはできるだけ彼を無傷で手に入れようとしているからだ)
そう理解しながら、キラは冷たい汗が滲むのを感じた。
だからといって、単純に安堵できるような状況ではない。
むしろ死よりも恐ろしいものが、その先に待っているのかもしれないからだ。
じり、と包囲が狭まる。
それを見ながらアスランは、そっと腰を浮かした。
彼らが背中を見せたとき……そのときが、チャンスだ。
彼の瞳は、僅かな動きも見逃すまいと、食い入るように目の前の光景に注がれていた。
(アスラン……)
キラは、ぎゅっと拳を握り締めた。
自分にも、しなければならないことがある。
それが、わかりすぎるくらいにわかっていた。
遅れをとりたくない、と思った。
彼は息を詰めて、その瞬間を待った。
が――
最初に、どちらが動いたのか、それすらわからなかった。
気が付けば、イザークの体が宙を舞っていた。
輪が、崩れる。
敵の懐に飛び込んだイザークの持つ手に光るナイフの先端が、一瞬で相手の喉を裂く。
ぱああっ、と鮮血が飛び散るのが見えた。
悲鳴を上げる暇もなく、血飛沫と共に、男の体が地に沈んだ。
僅か数秒にも足らぬ出来事だった。
キラは唖然と、目の前の光景を眺めているだけだった。
(な……――)
あまりの速さに、目がついていけなかった。
――何、だ……今、の……?
何が起こったのかは、倒れている敵の姿を見ればわかる。
ただ……それを受け容れる心が、追いつかないのだ。
しかしそれはどうやら、他の男たちにとっても同じだったようだ。
怯んだように、忽ち彼らの足の動きが覚束なくなる。
異様な緊迫感が、キラのいる所まで伝わってきた。
数の上では優位を保っている筈なのに、一瞬で彼らはその圧力を失ったのだ。
イザークの振るった刃の一閃によって。いとも簡単に、彼らの攻撃態勢は崩された。恐らくは、その戦意さえも。
キラは呆気に取られたまま、成り行きを見守っていた。
体が、強張る。
さっきまで、イザークの身を案じて、いつでも飛び込んで行こうと身構えていた自分が嘘のようだった。
あまりにも血生臭い殺戮の光景が、彼の胸を悪くさせた。
戦場では、ごく当たり前の風景なのだろう。
だが、彼は兵士では、ない。
兵士としての訓練を受けたことすら、ないのだ。
動けるようになっても、まだ膝頭が震えた。
(イザーク……)
彼は、兵士なのだ。ザフトの、兵士、なのだ。自分とは、違う。何度も頭の中で繰り返してきた事実。
わかっているのだ。そんなことは、わかっていることなのに……。
「おまえは、出て行かなくていい」
横から、肩を軽く押さえられた。
アスランの瞳が、宥めるようにキラを見つめていた。
その刹那、彼は胸を締め付けられるような痛みを伴う切なさを感じた。
アスランには、わかっている。
ぼくが、今感じているこの気持ちを……。彼は全て理解してくれているのだ。
(――アスラン……)
――変わって、いない。
キラは、泣きそうな目で、相手を見返した。
彼は、自分が知っているアスランと、同じだ。
月の幼年学校で、共に学び、遊び、互いの家を行き来していた、あの頃の彼と……。
何も、変わっては、いない……。
なのに、ぼくらは……。
飛び出して行くアスランの背中を見送りながら、キラは唇を噛んだ。
背後の気配に驚いた男が振り返ると同時に、鮮やかな手刀が男の体を薙ぎ、銃が蹴落とされる。銃が地に触れる直前に、アスランの手がそれを攫い取った。
「………――――………っ………!」
気付いた男たちが発砲しようとする。
それより先に、彼の指はトリガーを引いていた。
銃弾が、男たちとイザークの間を引き裂く。
虚を突かれた男たちの中に素早くアスランは飛び込んでいった。
それと呼応するように、イザークも目の前の男に襲いかかった。
自分より遥かに体躯の大きな男を、何の苦もなく薙ぎ払う。男の手から零れ落ちた銃をすかさず足で遠くへ蹴転がすと、武器を失った男の体に組みついた。
激しい格闘は、そう長くは続かなかった。
圧倒的な技量と力。それは、訓練された軍人の力以上に、それ以前の本質的な能力差を感じさせるものだった。
冷たい鋼の刃が男の体を貫いた瞬間、青ざめた男の、イザークを見つめる目が、信じられぬように大きく見開かれた。
そこには、未知の生き物に遭遇したかのような、驚きと恐怖の色がありありと見てとれた。
「……っ……化け物が……っ……!」
男の唇から洩れた最後の苦悶の呻きの中には、ひそかな呪いの呟きが混じっていた。
イザークの冷たい瞳が怨嗟に満ちた男の顔を一瞥した。
その面に一瞬皮肉な笑みが浮かんだ。
「――化け物、か……」
だが、その化け物を生み出したのは、人間自身だ。
自分たちの持てる力以上の力を求めて。
尽きることのない欲望をさらに助長させた結果、人間は神の摂理をも敢えて無視し……。
そうして生み出された俺たちは、彼らの理想とする、完璧な存在となったのか。
完璧なる肉体と知能。
遺伝子操作の結果。
選ばれて生まれてきた、俺たちが……。
万能の、コーディネイターが……。
その『化け物』を、生み出したのは、貴様らだろう。
なのに、今度はそれを羨望し、排除しようとする。
わけのわからない怒りが湧き起こる。
……俺たちは、完全な存在では、ない。
遺伝子を弄ったくらいで、人間の愚かさは、消えない。
それがわかるから、苛立つ。
それがわからない。わかろうともしない奴らに、どうしようもない憤りを感じる。
返り血を浴びながら、イザークは僅かの間にそんな思いを巡らせていた。
手が血でぬめる。血の匂いが鼻を衝く。
気分が、悪い。それでも、止めようとは思わなかった。
いつの間にか、殺すことに、慣れてしまった。
軍人なのだから、仕方がない。そして自分は戦場に、いる。
戦争は、終わっては、いない。今、この瞬間も……。
「……ク、ソ……ッ……!」
動物のような唸りを上げながら、イザークはナイフを振りかざした。
何人の命を奪っても、気が済まない。
そんな凶暴な嵐が吹き荒れる。
それは、これまで感じたことのないような、荒々しい獣のような感情だった。
頭の中が真っ白になる。
ただ、目の前にいる敵に向かった。
銃を持つ手が震え、相手がパニックに陥っている様子を眺めながら、それる銃弾をかいくぐって、ざくりと肉を切る。喉笛を裂く。
アカデミーで習った通りだ。
相手を人と思うな。
動く肉塊と思え。
ただ、息の根を止めろ。
殺せ。殺せ。殺せ……!
「……イ、ザーク……?」
アスランは、愕然と佇んでいた。
自分が手を出すまでもない。
イザークは、あっという間に敵を全て葬っていた。
最後の一人も、既に事切れている。
だが……
イザークの様子がおかしいことに、彼は気付いていた。
顔を上げたその表情は、すっかり色を失っている。
「イザーク!」
呼びかける声に反応を示した相手に、一瞬ほっとしたのも束の間。こちらに視線を向けた、その虚ろな瞳に映るものを見て、アスランは息を飲んだ。
――何も、ない。
青い瞳は、何も映してはいなかった。
あたかも生きたまま、屍と化してしまったかのように。
ただ、その中で唯一目を引くもの。
返り血を浴び、呆然と色を失った顔の真ん中を走る、例の赤黒い傷跡だけが、毒々しいほどに息づいている。
(どうした……?)
「イザーク、もう――」
――もう、終わったんだ。
アスランは、言いかけた言葉を飲み込んだ。
相手の手が、ゆっくりと動く。
ナイフの切っ先が閃いた。
何をする気なのか。
その、微妙に緩慢な動きと、無機質な表情のアンバランスさに、アスランは戸惑いを覚えた。
だが、恐ろしく嫌な予感がする。
「……イ……」
声が喉の奥で途切れた。
足が、凍りついたように動かなかった。
止めないと。
頭の中で、何かが強く警告を発する。
――よ、せ……
イザークの手が、上がる。
刃の向きが、変わった。
先端が、額に軽く触れた。
撫でられた傷口から、じわりと赤い雫が滲み出る。
――やめろ。
アスランは、喉の奥で声を振り絞っていた。
――イザーク……イザーク……イザーク……――っ……!
「イザーク・ジュールっ!」
叫ぶもうひとつの声が、アスランの耳朶を打った。
目の前で、ふたつの影が重なり、もつれ合うように倒れていくのが見えた。
地面に倒れたイザークの体の上に乗りかかっていたのはキラだ。
「ぼくを見て!イザーク!」
キラの菫色の瞳がイザークを真上から見据える。
感情が抜け落ちた青い瞳が、ひくりと震えた。
驚いたように、瞳孔が開く。
「……う……あ……………あっ……!」
「ストライクは、ここにいる……!」
きみに、この傷をつけた……
きみが、討つべき、敵は……!
ここに――
キラは、自分の胸に手を押し当てた。
「ストライクは、ぼくだ……!」
ぼく自身の意思が、あの機体を動かし、きみの大切な人を奪い、そしてきみに、この傷を……
きみが憎まなければならないのはストライクであり、このぼく自身だ……!
「……スト、ライ、ク……?」
「……ああ、そうだよ、イザーク。――ストライク、だ!」
イザークの手が、ナイフを握ったまま、滑るように宙を動く。
瞳が、ゆっくりと見開かれた。
青い、抜けるように青い、空の色が戻ってくる。
キラは、眩しそうに目を細めた。
綺麗な、色。
空と海を映す、色。
好きな、色だった。
この人が……
キラは、目を閉じた。
溢れるような、思いが自分の心を満たす。
イザークと、アスランと、自分……。
もっと、違う出会いが、あった筈だ。
もっと、違う……
例えば、普通にどこかの町で出会っていれば、ぼくはこの人に今のような思いを抱くことがあったのだろうか。
でも、それは少し違うような気がした。
恐らく、出会うこともなく、すれ違ったことにすら気付きももしないまま、終わってしまっていたかもしれない。
ぼくたちは、今、出会うべくして出会い……別れるべくして、別れる。
それが、ぼくたちの運命というのなら……。
ぼくは、それを受け入れる。
この人になら……
このまま、終わりにしてしまっても、構わない。
そんな気にさえ、なっていた。
――冷たい刃が、ざくりと肉を切る。
痛みが、走った。
歯を喰いしばる。
こんな、痛み……。
たいしたことは、ない。
これ、くらい……。
――やってくる筈の終わりは、こなかった。
「……目を、開けろ」
明瞭な声が、響く。
声につられて、瞳を開いた。
不機嫌そうな顔が睨みつけている。
「――どけ。重い」
慌てて膝を上げて起き上がろうとした。
途端に左腕に鋭い痛みが走り、彼は呻いた。
崩れ落ちそうになった体を下から支えられた。
顔が接近する。
綺麗な顔が、むっつりとした顰めっ面を見せた。
「重いと言っているだろう」
「……う、ん。ごめん……」
そう謝ったとき、背後から別の手で、体を引き上げられた。
振り向くと、そこにいたのはアスランだった。
「……いらん」
続けて差し伸ばされたアスランの手を拒み、イザークは一人で立ち上がった。
キラの方へ顔を向けると、いきなりその左腕を取る。
痛みで顔を顰めるキラを気にする様子もなく、イザークはその腕を自分の方へ引き寄せた。
彼はしばらくの間、己自身のつけた、その血の滴る傷口を黙って凝視していた。
その手が不意に動いたかと思うと、おもむろに傷に触れた。
キラは、一瞬痛みも忘れたように、驚いた目でそれを見守った。
指先が、みるみる血に染まる。
それも厭わぬように、彼は何度も傷口を撫でた。
痛めつけようという触れ方では、ない。
傷を癒そうとしているわけでもない。
ただそっと、撫でるように、優しく触れる。
まるで、何か大切なものを、いとおしむかのように。
痛みを感じながらも、それを見つめているうちに、キラの心は次第に鎮まっていった。
彼は何をしているのだろう。
自分に、何を言おうとしているのだろう……。
やがて、イザークの唇から、微かな吐息が洩れた。
「……この傷は、俺がつけた傷だ……」
瞳が、上がる。青い瞳が、キラを見つめる。
生の輝きに満ちた、輝くような青い瞳が……。
「――忘れるなよ」
腕を軽く引かれた。
「……この傷を……この痛みを、忘れるな。キラ・ヤマト……」
突き放すように、相手の手が離れていく。
相手の体が、遠ざかる。
イザークの瞳は、まだキラを見つめたままだった。
二人の間を引き裂くように、ちょうど沖からやってくるボートのモーター音が伝わってきた。
はっと、彼らは波の向こうを見た。
一隻の小型艇が波間を突き抜けてくる。
乗っているのは……フラガと、ザフトの二人だ。
「大丈夫だったか?」
最初に崖からよじ登ってきたのは、フラガだった。
「何か想像以上に大変なことになってるな……」
彼は辺りの様子に肩を竦めてみせたが、キラの血だらけの腕を見て、忽ち真剣な顔になった。
「おい坊主、どうした。それは――」
言いながら腕を取り、傷口を調べるが、深手ではないとみて、彼はいったんほっと息を吐いた。それでも素早く切れた上着の袖口をそのまま裂いて取り敢えず急場凌ぎにそのまま傷口ごと縛りつけた。
「おまえらが、やったのか、これは」
フラガは次にアスランとイザークに目をやると、岩場に散乱している死体を顎でしゃくった。
「――さって、どう説明するかな。これを」
返事を待たずに、フラガは大きな溜め息を吐いた。
「……ま、どうにかするしかしゃあねえな。……仕方がない。おまえらは、早く行け。お仲間が下のボートの中で待ってる」
「――いいのか。俺たちは……」
アスランの手がじり、と背後で動いた。
「俺たちは、おまえらが誰か、知らない。知らないもんを、どうにもしようがねえだろうが。第一俺たちだって、ここの人間じゃない。ただ、通りすがりに妙な事件に巻き込まれた、ってだけでな……」
フラガは僅かに唇の端を緩めた。
「後はオーブの治安局で何とか調べてもらうしかないよね。俺たちには、関係ないことだから。――だからさ、そんなもんぶっ放そうって思わなくても大丈夫だぜ。信じろよ。でなきゃ、第一きみらの仲間を連れて来たりしないでしょうが?」
フラガの目が、アスランの背後に回った手を面白そうに見やる。
アスランの手の動きが、止まった。
「……わかった」
鋭い瞳は、それでもなお警戒を解く様子もなく、挑むようにフラガを見返す。
「――あなたを、信じよう」
「アスラン、イザーク!早く……!」
声に振り返ると、崖から這い上がってきたニコルがこちらに向かって手を振るのが、見えた。
「……ほら、早くしろ。でなきゃ、オーブの治安局がやってくる。――一応通報しといたからな。奴らに捕まっちまえば、そっから後はもうさすがに俺たちだって面倒見きれんぜ」
アスランがイザークの肩を押して、行こうとしたとき、不意にキラが、飛び出した。
「――イザーク!」
イザークはいったん足を止めたが、振り返ろうとはしなかった。
「……まだ、何かあるのか」
「――もう、一度……」
キラは逡巡しながらも、振り絞るように声を出した。
「……もう、一度……ぼくらは、会えるのか、な……」
「……今度会うときは、戦場だろうな」
イザークの声は、落ち着いていた。
戦場。
それがモビルスーツで戦うという意思表示であることは明らかだった。
「――俺は、貴様を必ず倒す。そのときが、俺たちが次に会うときだ。……キラ・ヤマト」
――そのときまで……
俺は、この傷を、消さない。
イザークは、己の傷跡に指を立てると、彼に背を向けたまま、仄かに微笑んだ。
( #23. Cursed Fire ... Fin )
・・・お、終わりました。ようやく・・・。長い間お読み下さった方々、どうもありがとうございました。呆れるべきことに、今見たらこの23章は書き始めてから何と2年以上の歳月が流れ去ってておりました。(愕然)
その割りに何かこんな最後で・・・す、すみません。orz いろいろとおかしな点や何やかや矛盾点等は・・・どうぞ目を瞑ってやって下さいませ。(苦笑)あんまり長く続けるもんじゃないな。途中で何度も読み返さなきゃならなくなったりと・・・。作者自身も途中で何度も霧の中に迷い込んでしまったという・・・。(汗)
でも、このキラとイザークの物語は、ずっと、ずっと、ずーっと、書きたくて仕方がない話だったので、ずいぶん紆余曲折はしたものの、結果的には書きたいことは全て書き尽くせたかな、と自分の中ではちょっとした満足感があります。 自己満足で完結してしまってすみません。でも、キラもイザークも、アスランもね・・・。種っ子たちは、ほんとにいつまでも愛しい奴らなんですよね。
この後も本編沿いにいくと、まだ続くはず・・・なんですが、書き続けるかどうかは、未定です。(笑) 書くとしたら、たぶんニコル絡みになるか・・・。それとも・・・どうでしょう・・・???
んではでは、取り敢えず、ここまでお読み頂いた方々に感謝を!!・・・ご感想等あればトップの拍手かメールでお送り下さればとても嬉しいです!^^(もちろんコメなしでもOKです♪今後の励みとさせて頂きます)
・・・本当に皆様、どうも、ありがとうございました!!(*´∇`) 2009/03/29
M.Lemon 拝
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