業 火 (6) ・・・熱い・・・。 あまりの熱と体を圧迫する空気に、息も絶え絶えになりながら、イザークはただ胸の内で呻いていた。 (・・・ここは・・・熱すぎる・・・) 燃えさかる焔に、まさしく身を焼かれているようだ。 その永遠の業苦とも思えるような苦痛の時・・・ 地獄―― とは、このようなところをいうのだろうか・・・。 (地獄の焔に焼かれても構わない・・・) そう思ったはずだった。 なのに・・・いざその炎の中に身を投げ込んでみると、まだ怖ろしさに身を震わせている己がいる。 勢いを上げる火炎が目の前でひときわ大きく渦を巻く。 くらくらと目が眩むようだった。 熱い火箸で心臓を抉り出されようとしているかのように・・・ 胸が痛み、呼吸が乱れた。 息が・・・できない。 これは・・・幻覚・・・か・・・? 幻・・・覚・・・? 『・・・おかあさん・・・!』 不意に小さな少女の声が頭の奥でこだました。 『・・・おかあさん、怖いよお・・・!!』 『・・・大丈夫よ。お母さんが抱っこしていてあげるから・・・』 大丈夫だから・・・ お母さんといれば、怖くないよ。 目を閉じて・・・楽しいこと、考えるの。 地球に帰ったら、何をしよう・・・。 ね、お父さんやお友だちはどうしてるかな・・・? また、みんなで暮らせたらいいね。 大丈夫、何も怖くないよ。 お母さんが、こうしてずっと・・・ 赤い光が炸裂する。 轟く爆音。 恐怖と苦痛が一瞬、交差し・・・ そして―― 全ての思考はぷつりと途絶えた。 イザークはいつしか自分が涙を流していることに気付いた。 (・・・俺は・・・何で・・・泣いている・・・?) 彼は愕然と目を瞠った。 この哀しみは・・・ この苦痛は・・・ どこから、くるのか・・・? さっきの・・・あの幻は・・・ あれは、何だったのか・・・。 なぜ、こんなに苦しい・・・。 涙が・・・止まらない。 (・・・なぜだ・・・?) 何のために・・・何が哀しくて俺は泣いている・・・? (俺は・・・何をした・・・?) ・・・答えを知るのが、怖いような気がした。 シャトルを貫くビームの赤い閃光。 『・・・やめろおおおおおお―――ッ・・・・!!』 頭の中を駆け抜けていった、あの血を吐くような誰かの叫び。 (まさ・・・か・・・?) あの自分が撃ち落としたシャトル・・・あれが・・・? 『お母さん、怖いよ・・・!!』 人々の錯乱した叫び。悲鳴。 ――あの幻覚は・・・? 嫌な想像・・・恐ろしい思考に、全身ががくがくと震え出す。 (しっかりしろ・・・!) 彼は自分自身を叱咤した。 それでも、震えはなぜかおさまらなかった。 (・・・どうか、している・・・) しかし・・・ 『・・・−ク・・・イザーク・・・聞こえてるのか?!』 そのとき、ふと彼は、通信回線からディアッカの声が何度も自分の名を呼んでいることに気付いた。 『降下速度が速すぎるぞ!早く調整しろ!!』 (・・・ディアッカ・・・!!) その声を聞いた瞬間・・・彼は縋るように、ただその名を胸の内で叫んでいた。 (・・・ディアッカ・・・ディアッカ・・・おまえ、どこにいる・・・?!) 助けを求めるには、あまりに遠い・・・。 この狭いコクピットの中で・・・募る恐怖のみが彼を支配していた。 「・・・あ・・・っ・・・」 唇を開こうとするものの、喉の奥が掠れて何一つ音声らしいものが出てこない。 その唇の先さえも、微かに震えを帯びている。 「・・・・・・・・」 愕然と目を瞠った。 ・・・何か・・・おかしい・・・。 ――目の前の映像が、揺れた。 非現実的な空間の中にいる自分・・・。 まるで・・・夢の波間を漂っているような、浮遊感・・・。 ・・・これは・・・なんだろう・・・。 ・・・これは・・・現実・・・か・・・? 俺は・・・今・・・何をしている・・・? そのとき・・・ ――突然真紅の焔が大きく炸裂した。 目の前で急速に勢いを強める焔の、そのあまりの激しさに彼は思わず呼吸を止めた。 容赦なく迫りくる焔の舌に呑み込まれていく恐怖・・・ (・・・また・・・だ・・・!) 肌が実際に感じているのか・・・それとも脳内の幻覚なのか・・・。 熱気がじわじわと体を侵蝕していく。 パイロットスーツの中で上昇していく体温・・・。 (――熱い・・・ッ・・・!) イザークは呻いた。 (これは・・・幻覚だ!) 必死で意識を正常に戻そうと試みながらも、目の前の焔は消えるどころかますます激しさを増し、その化け物のような大きな舌で彼の体を絡め取ろうとする。 ・・・焔・・・。 これは・・・地獄の業火の色だ・・・ そう思うと身が竦んだ。 何ものかが、自分を罰しようとしている・・・ 地獄の火炎の中に、呪詛の叫びが交じり合う。 ・・・人殺し・・・ ・・・地獄に、堕ちるがいい・・・ ・・・血で染まったその手を己の血で償え・・・ (やめろ・・・っ・・・!!) イザークは歯を食いしばった。 目に見えない何ものかを睨みつけるかのように、青い瞳がぎらぎらと燃え上がる。 ――まだだ・・・! いつかは、地獄にでも何でも落ちてやる・・・。 そうだ・・・俺は、そんなもの、恐れやしない・・・! だが・・・っ・・・!! (俺は、まだおまえたちの元へはいけない・・・) 地獄の亡者ども・・・。 そう、まだだ・・・。 俺にはまだ、しなければならないことが・・・。 しなければならないこと・・・? ――それは、何なのか。 ストライクを討つ・・・。 それだけか・・・? それとも、他に・・・? 『イザーク――ッ・・・!!』 ディアッカが叫んでいた。 危ないところで、イザークはハッと我に返った。 落下している。 堕ちて・・・ 衝撃が、デュエルを襲い・・・イザークは一瞬何が起こったのか理解できなかった。 スクリーンの向こう・・・すぐ傍に、バスターの姿があった。 バスターが庇うように、落下するデュエルを抱えていた。 (・・・ディアッカ・・・?!) ディアッカが・・・ 一瞬の安堵感・・・しかし同時に、 「――バッ・・・馬鹿か、貴様ッ・・・!・・・俺と一緒に心中する気かッ・・・!! 彼の口からはいつもの怒鳴り声が飛び出していた。 『・・・馬鹿はどっちだよ!世話の焼ける・・・』 すかさず言い返すディアッカの声が、孤独な胸に沁みいるようだった。 泣きたいような、笑いたいような・・・不思議な感覚が胸を包んだ。 運が・・・いいのか、悪いのか・・・。 地獄の業火を潜り抜けて・・・ ・・・俺は、それでも、まだ・・・生きている・・・。 地獄の焔に焼かれて、そして・・・それでも、自分は生き残ったのだ。 生き残った・・・。 生きる・・・。 業を背負って生きることの本当の苦しみが・・・まだこれから、目の前に待ち受けていることに彼自身、気付いていたのかどうか・・・。 大気圏を抜けて・・・目の前に広がる地球の原風景。 それは生まれて初めて見る・・・ この大気も、光も、水も・・・つくりものでは、ない。 イザークは、目を細めた。 生きている者の目に映る、その鮮やかな母なる自然の色・・・。 地球の青が、やけに眩しかった。
(Fin) |