Blue Rain (30)











 「……………っ――………!」
 一瞬凍りついたディアッカの表情を見て、相手の目がおかしそうに歪んだ。
「――くっ……くくく……!」
 笑いを堪えかねたように、小鼻が蠢き、スティング・オークレーは忽ち声を上げて笑い出した。
「……あっははは……!おい、何びびってんだよ。やっぱ、笑えるな、おまえ……!」
 押さえ込まれていた力が緩み、不快な笑い声と共に、スティングの上半身が遠のいていくのを、茫然と眺めていたディアッカは、ようやく我に返ると麻痺していた体を動かした。
 のろのろと起き上がりながら、ベッドの端に座り込んで、まだにやにやとこちらを見つめている相手を、軽く睨みつける。
(……誰が、びびってなんか――……)
 しかし、反撃の声は、すぐには出なかった。
 正直なところ、まだ心臓の鼓動が激しい。
 からかわれただけなのだ、とわかっていながらも、先程自分が感じた恐怖は、まだ生々しく心臓を鷲掴んだままだ。
 自分が思っていた以上に、奴から受けた体験がトラウマとして残っていることを思い知らされた気がした。
 相手への怒りよりも、そんな自分の弱さに反吐が出る思いだった。
「……てめーにむかついてんのも、虐めたいってのも、マジだけどな。大佐がいる限り、手は出せね―ってことくらい、わかってる。安心しな」
「…………………」
 相変わらず、黙ったままでいるディアッカを尻目に、相手はさっさと立ち上がった。
「――ま、アスラン・ザラのことについては、また後でゆっくり話そうぜ」
 再び相手の口に上った旧友の名に、ぞくりと背筋が冷えた。
 体を押さえつけられた時より、切迫した感覚だった。
「……それは、どういう――」
「今は、いいさ。後で、って言ったろ」
 離れて行く相手の背中を、なすすべもなく見送るしかなかった。
「じゃあな」
 ドアが閉まる。
 室内に静けさが、戻った。
「……く、そ……っ……!」
 握りこぶしが、軽くシーツを叩いた。
 吐く息が、妙に熱を帯びていることに気付き、誰も見ていないのに、かっと頬が火照る。
「……何なんだよ、俺は……!」
 ――あんな奴に、いいようにされて……。
 情けない。
 先程の自分の組み伏せられた姿を思い出し、心底恥ずかしくなった。
「――駄目だな、俺……」
 そう呟いた時、再び扉の開く音がした。
 スティングが戻ってきたのかと思い、彼ははっと身構えた。
 が、扉から入って来た人の姿を見た途端、肩の力が抜けた。
「……………」
 咄嗟に、声が出なかった。
 フラガの射るような視線に耐えきれず、自ずと目を背けていた。
「――どうした?」
 相手の口調がやけに厳しく感じるのは、やはり先程のやりとりが、思った以上に自分にとってダメージとなっている証拠だった。
「……別に」
 表情を緩めようとしても、あまり効果がないことは相手の様子から明白だった。
(……くそっ……)
 気付かれる、と思った。
 しかし、フラガは何も言わず、ベッドの端に腰を下ろした。
 背中を向けているため、顔は見えない。
 わざと、だろうか。
 見慣れている筈のその背中に、少し違和感を感じた。
(……疲れている……?)
 そう思うと、自分のことより、急に相手の様子が気になった。
「……フラガ……」
「――ん?」
 呼びかける声に、我に返ったように振り向いた顔は、やはりいつもより疲労の色が見える。
「……何か、あったのか」
 落ち着かない気持ちになりながら、問いかける。
 フラガの目が細まった。
「――何かあったのは、おまえの方だろう?」
「……え――」
 ぎょっとして、思わず口ごもると、フラガは容赦なく続けた。
「――すぐ顔に出るのは、おまえの悪い癖だな。……ガキじゃねえんだから、いい加減少しは感情をコントロールすることを覚えろ。相手に付け入られる原因(もと)になる。ここじゃあ、特にな」
「……説教するんなら、帰れよ」
 拗ねたように顔を背けるディアッカを見て、フラガは表情を和らげた。
「――まあ、そう拗ねるなって」
「拗ねてなんかねーよ」
「そうか?」
 いつの間にか、顔が近付く。
 熱い息が感じられるほど近く――
「……からかいに来たわけじゃない」
 唇が触れる。
 するりと、舌が入った。
 待ち望んでいたかのように、あっさりと受け容れる自分があさましい気もしたが、くちづけが深まるにつれ、そんなことを考える余裕もなくなった。
「……ん……ぅ……――」
 そのまま、ベッドに押し倒された。
「……っ――フ、ラガっ……あッ――!」
 相手の『本気』を感じて、ディアッカは困惑した。
「ちょ――マジかよ、こんなとこで……っ――」
「……ドアはロックしたから、誰も入って来ない。安心しろ」
「や、でも――」
 ディアッカの視線の動きをフラガは目で軽く制した。
「……ここには、監視カメラはついてない。だから見られてもいない。気にするな」
「……いや、だからって、さ……」
 それでもやや躊躇するディアッカの唇を、フラガの指が軽く押した。
「――いいから、黙れ」
「ん……っ――……」
 後は再び舌で封じ込められ、それ以上抗うことができなくなった。
 深く、熱いくちづけに、一瞬で平常心を吹き飛ばされた。
(…………っ…………!――)
 下半身が疼く。
 我ながら呆れかえるほど、正直でストレートな反応だった。
 相手もそんな風に感じているだろうか。
 そんな風に思いながら、唇が離れた瞬間、フラガの様子をそっと窺う。
 しかし、相手の真剣で余裕のないほどの熱のこもった瞳と目が合うと、ディアッカの思考は思わず途切れた。
「……ど……したんだ、よ……」
「……………何が?」
 熱い吐息が頬を焼くようだった。
「――何が、って……」
「――ただ、おまえが欲しい、ってだけじゃ、駄目なのか?」
 フラガは熱の滾る瞳を瞬きもせず振り向けてくる。
 そこには、彼の言う通り、ただ純真な『欲望』だけが感じられた。
「……それ以外に、何か理由が必要か?」
 重ねて問われると、答えようもなく、ディアッカはただ微かに首を横に振った。
「…………俺も、あんたが欲しい………」
「なら、問題ねえな」
 くすりと笑う声に、思わずディアッカの唇も綻ぶ。
「……何笑ってんの……」
「何も――」
 触れる指が、熱い。
 張り詰めた自分のものに触れられるだけで、達ってしまいそうになった。
「……あ……っ……――!」
 押し殺そうとしても、どうしても喉の奥から声が漏れてしまう。
「――溜まってんだろ。出しちまえ」
「…………って……ちょ――……」
 フラガの手の動きに合わせて、下半身に刺戟が走る。
「……や、め――……」
 言葉とは反対に程なく達してしまったディアッカに、フラガはからかうような笑みを見せた。
「……早かったな」
「――!」
 かっと羞恥に頬が熱くなり、ディアッカは恨めしげに相手を見た。
「……く、そ――……っ……」
「そんなこと我慢しなくていいだろう。男なら誰でも同じだ」
「――や、そういうことじゃなくて……さ――」
 ぎこちなく視線を逸らすディアッカの体が軽く持ち上げられた。
「…………あ――……」
 あられもない格好になり、反射的に抵抗を試みるが、緩く唇を重ねられ、力が抜けた。
「――……悪い。おまえの顔見てたら、俺ももう限界――きちまった……」
 耳元でやるせなく囁かれると、拒むこともできなかった。
「……んなこと、いちいち――言わなくても、いい――って……――ッ……」
 後はもう、言葉を吐き出す余裕はなくなった。
 ずぷり、と指先で軽く広げられると、きたるべき刺戟に備えて全身が蠕動する。
 余程余裕がないのか、いつもより性急に入ってくる。
「あ……ッ……ちょ――……!」
 貫かれた衝撃に、息を飲む。
 痛みが快感に変わるまで、長くはかからなかった。
 幾度かの抽挿の後、深いところまで突き立てられると、たまらず甘い声が零れた。
「……っ――く、そ……もう、俺――……」
 目の前で火花が散るようだった。
 相手が中で達してしまうと同時に、自分も熱を吐き出しているのがわかった。
「……あ――………………は――……」
 捻じった左足に一瞬鋭い痛みが走ったが、そんなことを気にするよりも他に意識が集中する。
 腰から下が痺れ、まるで自分のものではないかのようだった。ずるずると相手のものが出て行くと同時にがっくりと力が抜け、一ミリも動けない状態だった。
 ディアッカの感覚では、そこから時間が経ったようには感じられなかった。
 しかし、次に瞼を開くと、すぐ目の前に気遣わしげなフラガの顔があり、少し驚いた。
「――すまん。大丈夫か」
 頷くディアッカを見て、フラガが、ほっと緊張を解くのがわかった。
「……気を失ったのか、と思った。――呼びかけても反応がなかったからな」
「――意識、飛んでたのかな。わかんね」
 ディアッカは、罰が悪そうに目を逸らした。
「……途中から、自制がきかなくなった。おまえに負担をかけるつもりはなかったんだが……結局は無理をさせてしまったのかもしれない。――足は、大丈夫か」
 フラガに触れられた途端、鈍い痛みが走り、思わずディアッカは顔を顰めた。
「……痛むのか。――最後の方、かなり無理な姿勢だったからな」
「いいよ。俺だって、歯止めがきかなくなったのは、同じだったんだからさ」
「……ったく、いいざまだな」
 自嘲するかのように、フラガは額に手を当てて呟いた。
 傍らにどさりと腰を落とすと、ベッドが揺らいだ。
「――どうしたんだよ。らしくねー。……気にすんなよ。たかが、セックスだろ。今までだってさんざんやってきたことじゃん。今さら驚くことでもねーだろ」
「……おまえとだけさ、こうなっちまうのは」
 フラガは不意に首を回してこちらを見た。
 笑っているのか、哀しんでいるのかわからないような、奇妙な表情が浮かんでいた。
「――女とだって、こうはならない」
 フラガの手が、ディアッカの肩をそっと抱く。
 背後から密着してくる体の生温い体温が、ディアッカを再び包み込む。
「全く――困った」
 唇が、耳元で囁くと、熱い吐息が触れた。
「……何が、だよ」
「――たかがセックスに、こんなに夢中になっちまうってことが、だよ」
「――は……?」
 あまりに素直な告白に、ディアッカは一瞬返す言葉を失った。
 しかし、実のところそんな相手の言葉が嬉しくもあった。
「……今さら、何こっぱずかしいこと言ってんだよ」
「おまえを失うことが、何よりも怖い……情けないよな」
 そのまま、全身を包み込むように、そっと、そして強く抱き締められた。
 ――俺も、同じだよ。
 そう、言いたかった。
 しかし、声は出なかった。
 なぜか――不思議に思ったが、零れ落ちていく滴を感じ、自分がいつの間にか泣いていることに気付いた。
 ――情けねーのは、俺の方なのに……。
 フラガを追ってここまで来たのは、自分だ。
 フラガへの思いを、断ち切ることができなかったのは、他ならぬ自分の方だ。
 こうなったのは、全て自分のエゴだ。
 フラガは、悪くない。
 何も、悪くない。
 自分がいなければ、恐らく――彼はさっさと死を選ぶことができたのだろう。
 そして、こんな風に罪悪感に駆られたり、悩んだり苦しむこともなかったのだろう。
 全部――結局は自分のせいなのだ。
 フラガの枷になっていることを自覚しながら、それでも彼から離れることができない。
 失うことを恐れているのは、自分も同じだ。
 たぶん、フラガが思っている以上に――
 なのに、全て自分が悪いように言うフラガが、あまりにもやるせなくて、ディアッカはただ声もなく泣いていた。
「……どうした?」
 指先が軽く頬を撫で、伝い落ちていく水滴を拭った。
「……足が、痛むのか?」
「……そんなんじゃ、ねー……」
 やっとのことでそれだけ答えると、何となく気恥ずかしさから目を閉じた。
 フラガは、それ以上追及しようとはしなかった。
 気持ちの良い疲労感に包まれながら、ゆっくりと意識が沈んでいくまで、フラガの腕はずっと彼を抱いたままだった。


                                     to be continued...
                                        (2015/08/11)

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