Call Your Name











 CLASH!
 コクピットが衝撃に揺れた。
 閃光が弾け、スクリーンは一瞬真っ白になった。
 YOU ARE LOST
 YOU ARE LOST
 YOU ARE LOST...
 フラッシュ文字が嫌味のように何度もせわしなく閃く。
「……く、っそおおおっ!」
 八つ当たりのように操縦桿を拳で叩いた瞬間、扉が開き、おかしそうに覗き込む金髪の男と目が合った。
「――おいおい、機械に当たるなよ」
「……べ、別に当たってなんか……」
「――じゃあ、早いとこそこから出てくれ。後がつかえてる」
 そう言われてフラガの背後を見ると、よお、と手を振るサイ・アーガイルの姿が見えた。
「――少佐と対戦したんだって。無謀だなあ、おまえ」
 擦れ違いざま、サイはくすりと笑った。
「うるせーよ」
 むすっと唇をへの字に曲げながら、ディアッカはサイの肩を押した。それがサイの癪に障ったのだろう。
「――コーディネイターだから、ナチュラルなんかに負けるわけないとか?」
 よろめきながらも、すかさず意地悪げな言葉を投げたサイに、ディアッカの顔色が僅かに変わる。
「……何だと、てめ――」
「ほらほら、そんなとこで油売ってないで、早くこっち来い!」
 危ういところで背後から腕を掴まれ、乱暴に引っ張られたお陰で、それ以上のやり取りはしなくてすんだ。
 サイも悪気があったわけではないだろうが、何と言っても自分たちは仲間になってからまだ日が浅い。
 つい数日前まで、自分はこの艦の牢獄に繋がれている身だったのだ。
 こんな風に普通に口を聞いている方がむしろ不思議なくらいなのだと、改めて自分自身に言い聞かせる。
(よく考えりゃ、俺ってかなり面の皮厚いよなあ……)
 彼らにしてみれば、複雑な思いは消せない筈だ。
 いや、自分にしてもそれはそうなのだが、本来物事をそう深く考え込まない性分のせいか、こういう状況に追い込まれた場合、あっさりと順応してしまう。
(……まあ、なるようにしかならねえっていうか……)
 頭を掻きながら、そういうところが自分の思慮のなさであり、他人への配慮のなさゆえにトラブルを生む要因となっているのだということを、この艦に乗ってから十分思い知らされることになった。
 ――『自重』……か。
 そんな言葉とは無縁に生きてきたディアッカも、さすがにこの数日来で急変した自分の境遇から、旧来の考えを修正せざるを得なくなった。
「――何考えてる?」
 ぽん、と頭を小突かれて、痛っ、と傍らの男を睨み上げる。
「いつまでもぼおっとしてんなよ」
 相手はそう言い捨てると、さっさと前を過ぎていった。
 我に返ると、慌てて前を行く背中を追う。
「――うるせーんだよ。……それに気安く触んなって言ってんだろうが、オッサン!」
 意趣晴らしのように、『オッサン』という言葉にことさら毒を込めて言い放つと、相手は思った通りに困った顔をして振り返った。
「……おい、だからその『オッサン』ってのはやめろ、って言ってるだろ。俺はまだ――」
「28……?だっけ?――立派なオッサンだろ。コーディネイターだろうがナチュラルだろうが関係なしに、さ」
「……ったく、生意気な坊主だなあ。何でおまえみたいなの、拾っちまったんだか――」
 やれやれと肩を竦める相手の背中越しに、ディアッカは依然として険悪な視線を向けた。
「あんただって、馬鹿にしてんだろ?そうやって――」
「ん?」
「――その『坊主』、ってさ……いい加減やめて欲しいんだよね」
 瞬くフラガに、ディアッカはぎこちなく俯いた。
「……あんたが、それやめるなら、俺もあんたのこと、『オッサン』って言わねーよ……って、おいっ!何笑ってんだよっ!」
 言い終わるか終わらないかのうちに、ぷっ、と傍らで噴き出す音がした。声を上げて笑っている男を見て、ディアッカは茫然となった。
「――いや、悪い。……けど、おまえもそういうこと気にしてたのか、って思ってさ」
 ぽすっと頭に触れる手を払う暇もなかった。
「……何か親近感、湧いちゃったなあー」
 くすくす笑いを洩らしながら、何度も頭を叩かれる。
「ちょ――あんた、いい加減にしろって――」
 ふざけすぎだ、と言おうとした時、すっと手は離れた。
 タイミングを逃した唇は茫然と半開きのまま、言葉を失った。
 いつの間にか、相手も自分も立ち止まっていた。
 改まって向かい合うと、何だか照れ臭くなり、目を合わせていられなくなった。
「なっ、何――」
「……や、その、いい加減、さ――」
 意外なことに相手もどこか照れ臭げに目を逸らしていた。
「――名前で、ちゃんと呼び合うっての……しない、か?」
「え――……」
「……いや、だから、オッサン、とか、坊主、とか。やだろ、お互いに――さ」
「あ……や、そりゃ、まあ……――」
 なぜ、気づまりな空気になるのかわからず、ディアッカは困惑したまま俯いた。
 ――名前。
 そう言われても、いざ呼ぼうとすると、何と呼べばよいのかわからない。
 えっと……ムウ・ラ・フラガ少佐……ってのが、この人の名前だったよな?
 名前……って、ファースト・ネーム、か?
 ムウ?
 フラガ……?
 いや、つまりみんなが呼んでいるように呼べばいいだけじゃないか。
「えっと……それじゃあ、――フラガ……少佐」
「フラガ、でいいよ」
 顔を上げると、相手は困ったように笑っていた。
「いや、さ。今まで『オッサン』なんて呼ばれてたのが、『少佐』、とか急に言われても、な。第一、おまえにしたら連合の階級なんか関係ねーだろ」
 純粋で、何の他意も感じさせないこの微笑みが、何となく小面憎い気がした。
「関係なくねーよ。一応今、俺、こっち(連合)側にいるわけだし……第一、俺があんたのこと、そんな風に呼んでたら、他の奴らがどう思うか――」
「……人のことを平気で『オッサン』呼ばわりしておいて、今さらそんなこと言うか?おかしな奴だな」
「『オッサン』とそれは違うんだよ!」
 ディアッカは、自分でも驚くほど声を上げていることに気付き、ぎくりとした。
「あ、俺、別に……」
「――やっぱ、苛立ってんだ」
 心の中を見透かしたような視線に、射竦められる。
「苛立ってなんか……」
「無理すんなよ。――そういうのは、見ててわかるもんだし、第一坊主くらいの年頃で隠すようなもんでもない」
 やはり、最初から全て見透かされていた。
 まさか、シミュレーションに誘ったのも何か意図があってのことだったのか。
 最初から、自分の心の内を見て取って……こんな風に話す瞬間を狙っていたのだろうか。
 何のために?
 何でそうお節介なんだよ。
 考えれば考える程、相手にとって自分がいかに無分別で野放図な子供に映っているのかがわかり、無性に頬が熱くなった。
(何だよ、これ……)
 こんな感覚は初めてだった。
 腹が立つ、というより悔しい。
 相手と同等の立ち位置で話せていない。それが悔しい。
(俺って、そんなにガキなわけか……?)
 確かに、自分は少し不安定になっていた。
 投降して捕虜になって、解放されたにも関わらず、自国を裏切り、敵艦内に残って共闘の道を選んだ……。
 いきなり異文化、未知の世界に放り出された者の苦悩と懊悩が僅か十七年の自分の人生を大きく変えようとしている……。故郷も家族も友人も全てこれまで培ってきた地盤を、自分の手で崩壊させてしまったのだ。精神的にかなりきつい。けれど、もう後戻りはできない。仕方がないことだと覚悟していた。自分が決意した道なのだから、どんなことがあってももはや前へ進むしかないのだ、と――。
 しかし、今、この艦の中で、彼らとどんなに同化しようとしてもできない溝が、確かにあることも現実だ。
 越えられない溝。
 ナチュラルとコーディネイター……いや、単にそんなことではない。
 これまで彼らが暮らしてきた世界観の違い、だ。
 時々とても息苦しく感じることがある。
 なぜ、彼らが見ていて自分には見えないものがあり、その逆もあり得るのか。
 そんな全ての彼の懊悩を……
 この男はいとも容易く見透かしたように笑って大丈夫だと請け合おうとする。
(……何、なんだよ……ッ……!)
 苛立ちを感じながらも、否定できないのは、否定すればこの男の前で尚更自分の負けを認めてしまうことになることがわかっているからだ。
 固く拳を握りしめたまま、黙り込んでしまったディアッカの前で、年上の男は長い溜め息を吐いた。
「……確かに俺を名前で呼んじまうと、違うよなあ……」
 そう言うと、フラガは存外真面目な顔で考え込む素振りを見せた。
「……そりゃあ、オッサン、って言ってる方が楽だよな」
 名前を呼ぶ、と言うことは、それだけ内に入り込んでくるということだ。周囲の目も、意識も当然厳しくなる。ディアッカがこだわっている部分をさらりと指摘する。
「――……って、バーカ。くだらねえとこにこだわってるんじゃねーよ」
 不意に間近から声が降ってきたかと思うと、ひょいと覗き込んできた青い瞳と至近距離で視線が重なる。
 逃れられない程距離を詰められて、一瞬慌てるが既にどうしようもなかった。
 臆しそうになりながらも、必死で堪えた。
 不思議なことに、次第に目を合わせていることが辛くなくなった。
「――逃げるな」
 男の吐く息が、熱い。
 反駁する隙もなかった。
 男の眼が、それを許さなかった。
「……逃げるところなんてないし、逃げる必要もない」
 厳しいが、どこか温もりを感じさせる眼差しに、不思議な懐かしさすら覚えた。
「俺たちと一緒に戦うことを選んだのは、おまえ自身だろう。なら、何も恥じることはない。堂々としてりゃあいい」
「……わ、かってるよ。そんな、ことは……あんたなんかに、言われなくたって――」
 苦し紛れに答えると、フラガは不意に目力を緩めた。
 真剣な顔が崩れ、いつもの笑顔が戻る。
「そうか、ならいい」
 あっ、と思う間もなく、体が離れていく。
 元の立ち位置に戻った時、
「――あっ、いたいた!フラガ少佐――何やってんです!艦長がずっと前から少佐のこと、探して――」
 艦橋のクルーが向こう端から声をかけてきた。
「――おおっ!わかった。今行く!」
 大きく手を振って応えると、フラガはディアッカの頭を軽く叩いた。
「……じゃあ、また後でな。――ディアッカ」
「あっ、ああ――……」
 また子供みたいに――と腹を立てるより先に、彼が自分の名をごく自然に呼んだことに、ディアッカはどぎまぎしてしまった。
 ――名前、か。
 くだらないことのようで、案外重い。
 なぜなら、自分の名を口にされた、ただそれだけのことで、こんなにも胸が熱く、動揺してしまう。
「……フ……――フラガっ!」
 思わず去ってゆく背中に叫んでいた。
 口にした瞬間、かっと燃えるように頬が熱くなるのを感じた。
 満足とも後悔ともつかぬ気持ち。
 しかし口に出したものは取り消せない。
 相手がぴく、と反応し、こちらに顔を向けるが、そこから続く言葉が出てこない。
 何と言えばいい。
 ただ名前を呼んでみたかっただけ、などとはとても言えるものではない。
 相手の顔を見た瞬間、『フラガ』より『ムウ』と呼べばもう少し自然だったかな、と思ったりもして、またそんなことにこだわっている自分に半ば呆れもした。
 自分の気持ちのこの何とも語り得ぬ複雑さを、相手は本当にわかっているのだろうか。
「………………………」
 戸惑ったまま、その場を動かない自分の姿はさぞや奇妙に映っていたことだろう。
 しかし、相手はにやりと白い歯を見せると、全て了承したかのように、軽く頷いた。
そして彼はそのまま、何でもないように、再び背を向けて動き出した。
 遠ざかる背中を見つめながら、いつかこの男と対等に話せるような時が自分にもやってくるだろうか、などとディアッカはぼんやりと考えていた。

                                                FIN
                                        (2013/02/22)

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