聖夜に、きみを想う・・・ (2)





「ここに、いたのか・・・」
 その声に、イザークはようやく瞑想から覚めたように意識を戻した。
 意外だった。
 レセプション会場では、言葉を交わすことはおろか・・・目を合わすことさえなかった。
 相手の方が、意識して故意に避けているのではないかと内心ひそかに疑っていた。
 いろいろな思いに疲れて・・・それでこっそりと会場を出て、誰もいないレストルームへ逃げ込んだ。
 それが・・・
 よりにもよって、今・・・こんなときに、この声を聞くとは・・・。
「・・・アスラン・・・おまえか」
 振り返りもせず、呟くように言葉を返す。
 その口調には多少皮肉もこもっていただろうか。
 そんなイザークの心の内が見えたのかどうか・・・アスランは黙ってさりげなく彼の横へ体を寄せた。
 フォーマルスーツに身を包んだその姿は、普段よりずっと大人びて見える。
 何となく、並ぶと居心地が悪かった。
 しかしイザークは視線を前方に据えたまま、敢えて知らない振りを続けた。
 アスランの瞳が優しくイザークを見た。
「・・・どうしたんだ。こんなところで・・・」
「・・・いや、別に・・・」
 イザークの返事は素っ気なかった。
 ほんのりと雪の粉を纏いつかせた銀色の髪は、夜闇の中でうっすらと淡い輝きを放ち、少女のような美しい容貌をさらにくっきりと浮き立たせる。
 シャツの薄い生地の間から透ける肌の色の白さもあいまって、妙に艶かしい。
 アスランは、ひととき見惚れずにはいられなかった。
 ――何て・・・美しいのか、こいつは・・・。
 しまいこんだはずの思いが、再び溢れ出してくるかのようだった。
 速まる胸の鼓動を敢えて抑えながら、彼は何でもないように口を開いた。
「プラント育ちの俺たちには、地球の外気はきついぞ。特に今のこんな季節は・・・風邪を引かないうちに、中へ入った方がいい」
「・・・ああ、わかっている。おまえこそ、こんなところをうろついていて、いいのか?おまえがいなければ、オーブの姫君が不安がるだろう・・・」
 イザークはそう言うと、初めてアスランを見た。
 青い瞳が何だか妙に儚げに揺れている。
 アスランは戸惑いを覚えた。
「・・・どう・・・した・・・?」
 イザークの顔を覗き込むように体を近づける。
 何か・・・不思議な匂いがする。
 ほんのりと朱に染まった頬。
 透き通った青い瞳の奥には・・・どこかこの世のものならぬ不思議な光が瞬いているかのようだ。
(なんだろう・・・これは・・・?)
 なぜかはわからないが・・・
 感じる。
 何者かが、触れた跡・・・。
 誰・・・だ・・・?

「どうしたんだよ・・・イザーク・・・?」
 彼は再び問いかけた。
「何でもないって・・・」
 イザークは居心地悪そうに顔をふいとそむけた。
 しかしそのぎこちない動作が余計にアスランの不審感を高めた。
 彼はイザークの冷えた肩を掴んだ。
 掴んだ瞬間、ぴくりと肩が震えるのがわかった。
「よせ・・・」
 イザークはアスランの手を振り払った。
「本当に、何でもないんだ・・・」
 声に力がこもっていない。
 いつものイザークではないのは誰の目にも明らかだった。
「嘘言うなよ。何でもないって顔じゃない」
 アスランはやや声を高めた。
 その瞬間、微風が流れ、雪片がさあっとひときわ激しく舞い散った。
 白い雪粉に持ち上げられるように、銀糸の髪がふわりと舞い上がる。
 イザークは顔にぱらぱらと舞い落ちた髪を指で軽く払うと、相手に背を向けようとした。
 その姿はどこか儚く、雪夜の光景の中に溶け込んでいきそうな錯覚に捉えられ、思わずアスランは声を上げた。
「・・・イザーク・・・!」
 
彼はイザークの手を掴み、逃げようとする相手の体を強引に引き寄せた。
 急に抱き寄せられたイザークは驚き、抵抗の素振りを見せた。
「・・・よせって、こんなところで・・・!!人に見られる・・・!!」
 ここは公のレストルームだ。いつ、誰が入ってきてもおかしくない。
 しかもここはオーブ官邸ではないか・・・。
 こんなところで・・・!!
 イザークは困惑した表情でアスランを睨みつけた。
 しかし、そんなイザークの視線を受けてもアスランはいっこうに動じる様子を見せなかった。
 
平然とした微笑を浮かべると、
「大丈夫だ。さっき、ドアはロックしてきたから」
 事もなげに言うアスランに、イザークは目を剥いた。
「・・・そっ・・・それじゃあ、余計に怪しまれるだろうがっ・・・!!」
 ・・・ったく、いつものことながら、用意周到というか、無節操というか・・・。
 彼はアスランの腕の中でもがくのを諦めると、呆れたように吐息を吐いた。
「・・・貴様、ほんとに何を考えている・・・?」
「何って・・・?」
 問い返すアスランの微笑は僅かに憂いを帯びていた。
(俺の考えていること・・・か)
 そんなことは、きまっている。
 
 ――イザーク・・・
 
 考えないようにしてきたこと・・・。
 忘れようとしてきたこと・・・。
 しかし、やはり・・・
(自分でもわかっている。これがどんなに愚かしいことであるかということが・・・)
 いつまでも、こんな関係を続けてはいられない。
 お互いのためにも・・・。
 
第一、今の自分には・・・新たに守らねばならないと思える人ができてしまったのだ・・・。
 自分自身・・・既に整理したはずだ・・・。
 ・・・なのに・・・。
 今、こいつを見た瞬間・・・また、俺はこんなに動揺している。
 こんなにも・・・
 
胸が疼く。
(・・・なぜ・・・?)
 
イザークを見つめるアスランの瞳が翳った。
「・・・おまえの・・・こと・・・」
 彼はただ一言、そう言った。
(・・・このまま・・・おまえを、こうして・・・)
 
「・・・おまえを、抱いていたい」
 
 気付いたときには、そんな台詞が飛び出していた。
 
・・・それはごく自然に湧き上がった思いだった。
 
自分でも驚くくらい、正直に唇が動いていた。
「・・・アス・・・ラン・・・?」
 イザークは一瞬息を呑んだ。
(・・・なんで・・・)
 ――何で、そんなことを言う・・・?
 困惑と焦燥が忽ち胸を覆う。
 
・・・訳の分からぬ憤りが込み上げてきた。
「・・・なっ・・・何を馬鹿なこと言ってる・・・?」
 イザークはアスランに怒ったような目を向けた。
「・・・貴様には、もう――・・・」
 言いかけて、突然イザークは言葉を途切らせた。
 それを最後まで口に出して言うことが、何となく苦しくて・・・。
 もう、既に納得したはずのことなのに・・・。
(貴様にはもう・・・俺より他に、大切な人間がいるのだろうが・・・)
 いつか自分で・・・そう言っただろうが・・・!
 ――俺よりも、ずっと・・・
(・・・好きになった人が・・・いる・・・)
 イザークの胸はずきりと痛んだ。
 おまえは、残酷な奴だ。いつだって・・・
 ――俺よりも、大切に思う人がいる・・・
 そう、はっきりとおまえは言ったじゃないか。
 
なのに・・・今、また・・・!
 
『俺を抱いていたい』・・・だと?
 
・・・そんなこと・・・今さら、言うな。言うなよ・・・馬鹿野郎・・・ッ・・・!!
 相手を見返す瞳が僅かに震えている。
「・・・放せよ、アスラン・・・」
 イザークはそう言うと、アスランの胸を押し、相手から身を離そうとした。
(おまえに、こんな風に抱かれていたくない・・・)
「・・・やめておけ。・・・抱くのは女だけにしておけよ。おまえの大事なあの――・・・」
 その瞬間、アスランの翡翠の瞳が怒ったようにイザークの前に迫った。
 離れようとしていたイザークの体は一層強く抱き締められた。
 まるで、両の腕でその体を二つに折ってしまおうとしているかのように、物凄い力で締め上げられ、イザークは思わず呻いた。
「・・・あっ・・・ううっ・・・アス・・・ラ・・・ン・・・ッ・・・?!」
 非難を込めた瞳でアスランを見ようとしたとき、さらに相手の重量が自分の方に一気にのしかかってくるのがわかった。
 思わずよろめいたイザークの体はそのまま強く手すりに押しつけられた。
(・・・あっ・・・)
 何か言うより早く、眼前に相手の顔が迫り・・・
 イザークの唇を強引に奪っていく。
(・・・く・・・っ・・・)
 唇を離そうとしても無駄で、相手の舌が歯列をこじ開け、無理矢理口腔内に侵入してくる。
 勢いづいた舌先は、逃げようとするイザークの舌をすかさず捉え、さらに容赦なく口内を隈なく犯していった。
「・・・はッ・・・あ・・・ッ・・・!」
 
ようやく唇を解放されると、イザークの喉から濡れた喘ぎ声が洩れた。
 アスランの舌がそのまま首筋を降り、鎖骨を通って胸の下へおりていく。
 肌を吸い上げるように舐め上げながら過ぎていくその舌先の動きがイザークの五感を悩ましく刺戟した。
 相手の舌が動くたびに、合わせて喉の奥から洩れ出るその艶めいた嬌声をどうしても止めることができない。
「・・・相変わらず、感じやすいんだ・・・」
 一瞬相手の肌から唇を離すと、アスランはイザークを見上げてふっと笑みをこぼした。
(全然・・・変わってない・・・)
 懐かしい匂い。
 少女のように、震える体。喘ぐ吐息。
 胸を突き上げてくるような、この熱い思い。
「・・・バッ・・・バカッ・・・アスラン・・・いい加減に・・・ッ・・・!」
 イザークの声は動揺して大きく上ずっていた。
 ――ふざけるのは、やめろ・・・!
 いつのまにかシャツのボタンが外され、胸が大きくはだけられていた。
 夜の冷気が上気した肌にひんやりと触れていく。
「・・・やめろったら・・・バカ・・・!」
 顔を真っ赤にしながら、イザークは最後の力を込めて怒鳴った。
 しかし、アスランの体を振り放すだけの力は、湧いてこない。
 魔力にかかったように・・・体は相手の手の下にしっかりと捉えられて、寸分たりとも動こうとはしなかった。
 ただ、自らの喉から洩れる喘ぎだけが、イザークの意識を現実に引き止めていた。
「・・・そんなにバカ、バカ言うなよ」
 アスランは苦笑した。
「きっ、貴様がこんなことをするから・・・ッ・・・んんッ・・・!」
なおも言い立てようとするイザークの口をアスランがいきなり塞いで黙らせた。
 荒っぽい、情熱を込めた長いキスが続いた。
 イザークの頬が紅潮し、瞳が次第に潤んでいく。
 
――ごめん、イザーク。俺・・・今夜は、変だ。
 
どんどん自制がきかなくなっていく自分を、いけないと感じながら・・・それでもとめどなく高ぶるこの不思議な感情は既に止めることができなくなっていた。
 
今夜だけ・・・。
 
ほんの僅かなこのひとときを――
 イザーク・・・
 
(・・・おまえを、こうして抱いていたい・・・)
 
 唇を離したとき・・・
 イザークは目を閉じて、ただぐったりとアスランの腕の中に凭れかかっていた。
「イザーク・・・俺・・・」
 アスランはのろのろと口を開いた。
 言い出したものの・・・その先が続かなかった。
 どう言っても、下手な言い訳にしか聞こえないだろう。
「・・・さっきも・・・」
 そのとき、イザークがふと口を開いた。
 彼は瞳を閉じたまま、呟くように続けた。
「・・・キスをした・・・」
 唐突な言葉に、アスランは僅かに瞠目した。
 ――何だ・・・?
 
・・・何のことを言ってる・・・?
 
わけがわからない。
「・・・あいつと・・・」
 ――誰と・・・?
 あいつ・・・?
 
しかし、その瞬間――
(・・・あいつと・・・)
 その声音。・・・僅かに覗く感情の閃き。
 
――突然、答えがわかった。
「・・・そう・・・か・・・」
 彼は息を吐いた。
「・・・聖夜に・・・戻ってきたんだ・・・」
「・・・そうか・・・」
 静かに呟いたイザークに、アスランは同じ答えを繰り返しただけだった。
(そうか・・・)
 他に何も言うべき言葉を見出せなかった。
 ――だから、おまえ・・・あんな瞳(め)をしていたのか・・・。
 彼はイザークの頬をそっと撫でた。
 体が、微かに震えているのがわかった。
 泣きたいのか・・・。
 それとも、嬉しくて震えているのか・・・?
 まだ、おまえはそんなにも、あいつを思って・・・
(そんな風に・・・まだ、あいつのことを・・・)
 それは羨望にも似た思いだっただろうか。
 諦めたはず・・・忘れたはずの思いがこんなにも激しく胸をかき乱す。
 今夜はやはり、おかしいようだ。
 アスランの唇が、苦い笑みをこぼす。
(聖夜(holy night)・・・)
 奇跡の起こる夜・・・か。
 まさか・・・本当に、この夜――何かの魔力が働いているとでもいうのだろうか。
 ――なら、俺のせいじゃない。
 この夜が、俺をそうさせているのだ・・・。
 構うものか。
 構いやしない。
 今夜は特別なんだ。
 今夜だけは・・・
 そんなアスランの心の呟きが聞こえたかのように・・・
 ――イザークの瞳が不意に開いた。
 青い氷の色を映す、澄んだ瞳・・・。
 どこまでも透明な青・・・。
「イザーク・・・」
 好きだ・・・。
 どうにもならない。
 ・・・思いが、溢れた。
「・・・今夜だけ・・・抱いていいか・・・?」
 イザーク・・・おまえを、この手の中に・・・。
 イザークはアスランの瞳から視線を離さなかった。
 ――アスラン・・・。
 不思議な夜だった。
 ミゲルのくちづけが、予兆だったのか・・・。
 こうなることが、何となくわかっていたような気がする。
 今夜・・・
 明日になれば、魔法は消える。
 何もかも・・・
 この舞い散る雪のひとひらのように・・・跡形もなく、消えてしまうだろう・・・。
 ――今夜だけ・・・か。
 溜め息が、洩れた。
 自分が求めているもの・・・。
 思いは、止められない。
 きっと・・・明日が来ても、この思いは消えないだろう。
 それでも、構わない。
(アスラン・・・)
 今、どうしても・・・目の前にいるこの彼を突き放すことができなかった。
「・・・好きに、しろ・・・」
 イザークの答えは短く、微かな囁きとなって、舞い落ちる白い雪とともに夜闇に溶けていった。 
                                          (Fin)

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