HUMILIATION (2)





「言っとくけど、俺、ザフトの赤着てたんだよ、一応」
 
ディアッカはいつもの皮肉な口調でそう言うと、挑むような目でムウを見た。
 
しかし実のところ、彼の心はかなり動揺していた。
 
何か調子が狂う。
 
いつもの自分ではないような・・・そんなもう一人の自分。
 
そう、まるで・・・幼い子供にかえったような自分の存在を感じずにはおれない。
(こんな俺は・・・俺じゃない!)
 ディアッカは少し俯き、唇を噛んだ。
(これじゃ、ほんと、ただのガキじゃないか・・・)
 
いつもの悠然とした、あの余裕たっぷりで自信に満ちたディアッカ・エルスマンは、どこへいったのか。
 
大声でわめいたり、叫んだりしたい衝動を必死で抑える自分は、もはや感情の抑制が全くできなくなってしまっている。
 
どうにもならない状況の中で、無理にやせ我慢しているかのような・・・そんな自分。
 
ザフトでのディアッカ・エルスマンは、こんな風に相手のちょっとした言葉に過敏に反応したりするような――しかも子供のように焦ったりむきになったりする――断じてそんなタイプではなかったはずだ。
(情けねえな、俺・・・!)
 ディアッカは自己嫌悪した。
 ――こんなのは、俺らしくない・・・!
 そう思うと、そのぶつけようのない憤りで余計にかっと全身が熱くなる。
 そんな気持ちの高揚によって、さらに感情の抑制が困難になってしまうのだが。

 ・・・全く、悪循環だ。
 ディアッカは舌打ちした。
 
なぜこんなに興奮しているのか自分でもわからず、ディアッカはただそんな自分の中の憤懣の全てを相手にぶつけるかのごとく、目の前の男を猛然と睨みつけた。
「・・・ナチュラルとコーディネイターとの差を見せてやるよ、オッサン!」
 言うが早いが、彼は寝台から飛び下り、いきなりムウの顔面に拳を叩き込んだ。
 よけもせずそれを受けたムウはその衝撃に吹っ飛び、傍らの壁に思いきり体をぶつけた。
「なるほど・・・さすが、ザフトのエリートさんだ。坊やにしては、いいパンチだ。・・・きくねえ、なかなか・・・」
 ムウは赤くなった頬を撫でながら、ゆっくりと立ち上がる。
「うるせえ!・・・いつまでも、くっちゃべってんじゃねえよ・・・!」
 ディアッカはムウの台詞を遮るかのように怒鳴りつけると、さらに拳を繰り出した。
(一気に、勝負をつけてやる!)
 ディアッカの中のそんな燃えたぎる思いをよそに、冷静なムウの掌が彼の繰り出そうとした拳を今度はいともたやすく受け止めた。
「お・・・っと!・・・そう、何発も顔に入れてもらっちゃ具合が悪いんでね。なんせ、これから査問会も待ってることだし」
 ふざけたように軽口をたたく。
 ディアッカは、自らの拳が軽々と阻まれたことに衝撃を受けた。
 固い岩にぶつかったかのような、その何ともいえない感触。自ら繰り出した力の反動が一気に自分の方へ跳ね返ってくる。
「・・・この・・・!」
 目を上げたディアッカは、しかし、その瞬間、相手の表情の中に宿るただならぬ気配を感じ取り、思わず息を呑んだ。
 何だろう。・・・相手から感じるこの威圧感・・・。
「・・・ルール、決めよう。顔はなし。・・・全部ボディーブローってことで・・・いいよな?」
 という言葉が終わらぬうちに、目の前の男の顔から笑みが消え、精悍な兵士の鋭い表情へと変化するのを、ディアッカは呆気にとられたように眺めていた。
 そして同時に――
 彼の腹部にムウの拳が入った。
「・・・・・!」
 ディアッカはそのあまりに強い衝撃に、声も出せぬまま、その場に崩折れた。
 何とか立ち上がろうとしたが、そこへ有無を言わせず次の一撃が襲い、彼はその衝撃で、壁に体を思いきり叩きつけられた。
 さっきのムウとちょうど逆の状況になった。
「くっ・・・そおおーっ・・・!」
 ディアッカは、何とか身を起こし、体勢を立て直そうとする。
 しかし、体がすぐには言うことをきかない。
 それほど、ムウから食らった拳の威力は強烈だった。
(・・・馬鹿な・・・!)
 たかだか一、二発で相手からノックダウンされるなど・・・
 ディアッカにも、さすがに意地があり、それなりのプライドもあった。
 
彼は今・・・恐らく今までの彼からすると、信じられないくらいに必死にその意地やプライドに縋りついていた。
(負けてたまるか・・・!)
 
ディアッカは気力で相手に食らいついていこうとするが、拳は虚しく空を切り、代わりに相手からの容赦のない攻撃を手ひどく食らうばかりだった。
 最初に、どうやって自分の拳を相手の頬にぶつけることができたのか、今ではとても信じられない。
 と、そんな風に感じられるほど――
 ・・・力の差は歴然としていた。
 ディアッカは、驚きを禁じ得なかった。
(・・・な・・・ん・・・なんだよ・・・これ・・・!)
 彼は信じられない思いで、目の前の男を愕然と見つめていた。
 憤りはとうに通り越し・・・ただ、どうにもできない歯痒さと悔しさだけが募る。
 惨め・・・だった。
 
こんなに、自分の非力さを思い知らされたのは、初めてだったかもしれない。
 
アカデミーでは、トップに躍り出ることはなかったが、それなりに教官や同期の連中とも渡り合っているという自信や、いざとなったら相手には負けぬという矜持もそれなりに持っていた。
 
全力で勝負する・・・?
 
馬鹿馬鹿しい。
 戦争ゴッコに行くのに、味方うちで一番も二番もあるかよ。

 
戦場に行きゃ、どうせ殺るか殺られるかなんだ。
 
行く前から、こんなに力出し切ってちゃ、本番でとてももたねーぜ。
 
今は、適当に手を抜いて、適当に負けてやって・・・。
 
自分に勝った相手が自慢げな笑顔を浮かべるのを、陰で思いっきり馬鹿にして笑ってやっていたものだ。
 
・・・自分のスタンスは、そんなものだったし、それで今まで何の問題もなく切り抜けてきたのだった。
 
こんな――
 
こんなに一方的な力関係の前に、全くなすすべもなく屈するしかないような状況など・・・これまでの彼にとっては想像だにできぬことであった。
 
自分がこんなに自尊心の強い人間とは思いもしなかったが・・・。
 
今のディアッカは、屈辱に塗れていた。
 
イザークが、悔しがっていたあの心境が・・・今なら何となく理解できるような気さえしていた。
(・・・ナチュラルなんかに・・・!)
 ディアッカは、霞む視界の中でなおも果敢にムウを睨みつけた。
「畜生・・・舐めんなよっ!」
(・・・そうだ。この俺が、ナチュラルなんかに・・・!)
(しかも、こんなオッサンなんかにやられちまうなんて・・・そんなカッコ悪いこと・・・!)
 彼は痛む体を無理に引きずりながら、なおかつムウに向かっていく。
「・・・へえ・・・なかなか根性あるじゃない!」
 ムウは目を細めてそんなディアッカを見た。
 彼の振り上げた腕をがっしりと掴む。
「・・・でも、そろそろこの辺でやめといた方がいいかな。これ以上続けたら、ほんとに俺が捕虜を虐待してるみたいになっちゃうし」
 
ムウはそう言うと、困ったようにディアッカを見た。
 
その目がきらりと鋭い光を放つ。
「・・・それじゃ悪いけど、決めさせてもらうよ」
 ムウの強烈な一撃がディアッカの鳩尾に入ると、彼の頭の中は一瞬真っ白になり、手足から急速に力が抜け落ちていった。
 
彼は呻き声すら上げずにそのまま床に倒れ込んだ。
 
 
「・・・ほら、大丈夫か!」
 
――逞しい腕が彼の体をゆっくりと引き上げようとしたとき、彼の意識は霞んで朦朧としていた。
 
彼は何か言おうとして、途端にむせた。
 口の中に溜まった血唾が吐き出され、顎から下へ伝い落ちていく。
「・・・ちっくしょおおお・・・っ・・・!」
 ディアッカは腕で口の辺を拭うと、ムウの腕を力いっぱい振り払った。
 相手に背を向けて、その場にうずくまる。
 ムウは肩をすくめると、そんなディアッカを黙って見守っていた。
 ディアッカは、痛む体を自らの両腕できつく抱きかかえると、堅く目を瞑った。
 悔しさと屈辱にまみれ、震える体を必死で抑えながら、彼は顔を上げることさえできなかった。
 ・・・体の震えが止まらない。
 不覚にも、閉じた目から涙がこぼれた。
(・・・くそっ、くそっ、くそっ・・・!)
 ディアッカは、歯を喰いしばって、何度も何度も胸の内でそう繰り返した。
(・・・俺・・・何で、泣いてんだ?・・・)
 ふと、彼は思った。
 そう思う間も、止めようもなく、次から次へと涙が頬を伝い落ちていく。
 辛くて、悲しくて・・・悔しくて・・・。
 でも、一体、何に対する悔しさだったのか。
 ――考えると、わからなくなってくる。
 あの少女に襲われてから・・・どこか自分自身に対するもやもやした気持ちが、ずっと彼の中で燻っていて・・・どうにもしようがないくらい、彼を苦しめていた。
 くそっ・・・俺は・・・俺は・・・!
 ザフトの赤を着ているなど、所詮大したことではなかった。
 そんなことは頭ではとうにわかっていた。
 それでも、実際には、彼はやはり妙なプライドに縛られていた。
 ・・・コーディネイターか。
 それが何だっていうんだ。
 現にナチュラルに痛めつけられて、こんな風に惨めな姿を曝している自分がいる。
(・・・馬鹿で役立たずなナチュラルの彼氏でも・・・死んだか?)
 自分の声が突然頭の奥からこだました。
 彼は激しく頭を振った。
(・・・馬鹿で役立たずなのは、俺の方か・・・)
 ディアッカの顔に、皮肉な笑みが浮かんだ。
「・・・ナチュラルなんかにやられて、カッコ悪い・・・か」
 ムウが屈み込み、ディアッカの体にそっと触れた。
「あんまりくだらないこと、考えるなよ。おまえはおまえ。俺は俺。・・・俺もおまえもナチュラルやコーディネイターという前に、一人の人間なんだぜ。・・・この戦争だってそうだ。ただの人間同士のくだらん争いだ。そんなこと、おまえにだってわかってるはずだろうが」
 ディアッカは、目を開いた。
(・・・うるさい!)
 
そう、口に出して怒鳴ろうとしたが、なぜか喉の奥で言葉が詰まった。
 不思議なくらいに、ムウの言葉が素直に胸の中に入ってくる。
 一瞬の間を置いた後――
「・・・うるせーよ・・・オッサン」
 彼は、驚くほど静かな口調でそう呟いた。
 ムウは口元を綻ばせた。
 
しかし、同時に彼は少し唇を尖らせた。
「・・・おまえなあ・・・俺は『オッサン』じゃないって言ってるだろ」
「・・・フラガ少佐!あなた・・・そこで一体何をしてるんですか!」
 そのとき、どやどやと数人の人影が独房の外に姿を見せた。
 先頭に立ち、目を怒らせながら檻の外から中を覗き込んだのは、マリュー・ラミアスだった。「おーやおや、艦長さん。何でまた、こんなところに・・・?」
 ムウがおどけたように言うと、マリューはきっと彼を睨みつけた。
「ふざけないで、質問に答えなさい。ムウ・ラ・フラガ少佐!こっちで何か変な音が聞こえるってみんなが慌ててるようだから、いっしょに来てみたら・・・まさかあなたがここにいるなんて・・・!あなた、まさか、捕虜を・・・?」
 マリューは心配そうに、ムウの傍らの床にうずくまっているディアッカの姿に目を注いだ。
(・・・ムウ・ラ・フラガ・・・?)
 ディアッカは、その言葉に敏感に反応した。
(・・・って・・・聞いたことのある名だ・・・月面での戦線で名を上げたっていう・・・連合軍の・・・凄腕の・・・パイロット・・・)
(・・・何てったけか・・・確か・・・そう・・・エンデュミオン・・・)
(――エンデュミオンの鷹・・・!)
 ディアッカは目を見開いて、ムウ・ラ・フラガを見上げた。
 ――ウソだろう?!まさか・・・
(・・・この、オッサンが、あの・・・?!)
「・・・ちょ、ちょっと待ってよ。誤解しないで。俺は何も捕虜をどうかしてたわけじゃなくて、たださ・・・」
 ムウは慌てて弁解しようとした。
 しかし、マリューがそんな彼をじろりと睨むと、彼は少したじろいで言葉を途切らせた。

「そうかしら。その子、何だかひどくぐったりしているようだけど・・・?」
 マリューが厳しく追求した。
 いや、それは・・・とムウが答えようとする前に、
「・・・俺が暴れたんで、オッサンが俺を殴ったんだ。それで、いいだろ!」
 ディアッカが振り向いて、ぶっきらぼうにそう言い放った。
 ムウは驚いてディアッカを見た。
 むすっとした様子ではあるが、さっきまでの敵意や憎しみに満ちたあの険しい眼が、今はどことなく和らいでいるのがわかった。
 彼はふっと目を細めた。
 ディアッカなりに、庇ってくれようとしているのか。
(・・・かわいーとこも、あるじゃないか)
「ハハッ・・・ま、大まかにいやあ、そんなとこ・・・かな」
 ムウはばつが悪そうに笑った。
 彼の顔には、悪戯をして叱られるのを待っている少年のような、そんな表情が浮かんでいた。
 マリューはそんな二人を不思議そうに眺めると、やがてふと溜め息をついた。
 何か、あったらしいが・・・しかし、今の二人の様子を見ると、深刻な問題にせねばならないことでもなさそうだ。
 フラガの子供っぽい、軽はずみな行動には、もう少しお説教をしたくなるところだが・・・。
「ま、いいわ。とにかく、早くこちらに来てちょうだい。もうすぐ査問会が始まるわよ」
 独房から出る前に、ムウは軽くディアッカにウインクしてみせた。
「・・・今度くるときは、女の話でもしてやるよ」
 彼は茶目っ気たっぷりな瞳で、そう囁いた。

「いらねーよ。もう、あんたには来てもらいたくねえ!」
 ディアッカはむすっとした顔でそう言ったが、瞳はどことなく明るさを取り戻していた。
(・・・ムウ・ラ・フラガ・・・エンデュミオンの鷹・・・か。どうりで、強いはずだ・・・)
 ディアッカは独りごちた。
 それにしても――
(――変な奴・・・!)
 なぜか、ふっと笑いがこぼれた。
(・・・ほんと、もう来るなよ・・・オッサン)

                                           (FIN)

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