LOST MEMORY
「母上・・・父上は、どんな人だったのですか?」
幼いイザークのあどけない一言に、エザリア・ジュールは言葉を詰まらせた。
その質問に答えることは、彼女にとっては簡単なことではなかったのだ。
胸に渦巻く複雑な思い。
遠い過去の記憶。
そのひとつひとつの記憶の断片――それは、彼女にとっては、思い出したいようでいて、しかしその反面、そのまま埋めておいてしまいたいとも思えるような、甘いほろ苦さを伴うものでもあった。
そして、忘れていたはずの胸の奥の疼き・・・。
エザリアは、我知らず唇を噛みしめていた。
その目線が一瞬遠くをさまよう。
「――あなたの父上は・・・そう、とても立派な方だったわ」
その言葉が、母の口からこぼれた途端、それが偽りであることをイザークは瞬時に悟った。
そして、母の苦渋に満ちた、その哀しい瞳も。
自分が、母を深く傷つけてしまったのだということも。
そのとき、イザークは、二度と母にその問いを繰り返さないと、固く心に誓ったのだった。
・・・そして、あれから月日は流れた。
イザーク・ジュールはザフトの選ばれたエリートパイロットとして、赤い軍服に身を包み、今、ここにいる。
アカデミーでは常に、アスラン・ザラと首位の座を争うほどの優秀な成績を収めていた。
ザフトの赤。自信に満ち溢れ、光り輝くその姿は、母にとっても誇りであっただろう。
母はずっと強く、美しかった。
彼が母の脆さを一瞬垣間見たように思ったのは、幼い頃、何気なく禁じられた質問を発した、あのときだけだった。
――だが・・・と、イザークは時に思わずにおれない。
父親のことである。
どんな人物だったのか。
彼が知らない両親の過去。
死んだ者のことを今さら言っても・・・とは、思わないでもないが、それでも、彼は知りたいのだ。
父のことを聞かれたとき、母はなぜあのように取り乱す様子を見せたのか。
母にとって、父とはどんな存在だったのか。
写真一枚残っていない。父のことを知るすべはない。
「・・・ちっ、あの、狸オヤジが!」
部屋に入ってきたディアッカが、突然毒づく声が聞こえた。
「――なんだ、ディアッカ。また、父上から何か言われたのか」
イザークが何気なく聞くと、ディアッカは肩をすくめて振り返った。
「ああ、いつものことだがな。あのくそオヤジ、俺のクレジットを停止しやがった」
吐き捨てるように言うディアッカを、イザークは呆れたように見返した。
「どうせまた、使いすぎたんだろうが。・・・だいたいおまえは遊びすぎだ。父上を責められないぞ。自業自得だろう!」
「そう、冷たく言うなよ。親父がケチってるだけだってーの!」
ディアッカは鼻を鳴らした。
「あ〜あ、参ったなあ。俺の財布はこれで空っぽだ!まったく・・・あとは家のクレジットを当てにしてたってのに・・・その点、おまえはいいよなあ。あの母上様なら、おまえがどんなわがまま言ったって、聞いて下さるだろうしな。・・・羨ましい限りだよ」
それを聞いた瞬間、イザークの顔がふっと翳った。
ディアッカはおや、と目を見開いた。
「あれ、どうしたんだ。おまえ、何か変だな・・・また、アスランと何かあったのか・・・っと、違うな。それなら、もっと暴れてるはず・・・か――」
「・・・いや、何でもない」
イザークは軽く目を閉じた。
不審そうに見るディアッカの視線をわざと避けるかのように。
「・・・俺には、父上っていうのがどんなものか、わからないからな。――おまえが、少し羨ましい」
イザークはそう言うと、寝台の上に軽く身を投げ出した。
「イザーク・・・」
ディアッカは、そんなイザークをしばらく見やっていたが、やがてふっと大きく息を吐いた。
「ばーか、何言ってんだか。いつだって、あんなオヤジ、譲ってやるぜ。ただし、返品は受け付けないからな!」
そう言いながら、彼は寝台まで歩み寄り、イザークのすぐ枕元にどかりと腰を下ろした。
体がほんの少し触れ合う。その体のぬくもりが、ほんのりと伝わってくる。
そんなディアッカの背中を見つめながら、イザークはなぜか心が少し楽になっていくのを感じた。
――父上の背も、こんな感じなんだろうか・・・
イザークはふと思い、そんな自分の馬鹿げた思考に思わず唇を緩めた。
しかし、彼は同時にまた、ディアッカの存在を、いつもより大切なものだと感じ始めている自分にも気付いていたのだった。
(Fin)
|