The Snow Tale 「…………………?」 もぞもぞと身じろぎしながら、違和感に気付いた。 まさぐる手が何も掴めない。 「……………おいっ?」 慌てて起き上がると、隣りはもぬけの殻だった。 カーテン越しに差し込む陽光の眩しさに、思わず目を細める。 「……寒……」 室内の温度の低さに、裸身が震え、ベッドから足を下ろしながら、ガウンを手に取った。 窓際まで寄ると、カーテンを開ける。 「……お――」 目に飛び込んできた光景に、小さく息を飲む。 「……寒いはずだな……」 部屋の中でさえ、吐く息が白い。 外は一面銀世界だった。 夜の間に、すっかり降り積もってしまったようだ。 雪はもう止んだようだが、周囲一帯は新雪ですっぽりと覆い尽くされていた。かなり、深い。 車も雪で原形をとどめていない。これでは、外へ出るにも骨が折れそうだ。 「雪掻きしなきゃなんねーかな……」 面倒臭いな、と頭を掻きながら、おやと目を凝らした。 白く降り積もった雪の中に窪みができている。 玄関扉の前から続く人の足跡……。 「おいおい、マジかよ!」 フラガは顔色を変えて、部屋を飛び出した。 「馬鹿か、おまえ!」 雪の中で大の字に寝そべっていた体に手を伸ばし、引き上げながら、フラガは呆れた声を上げた。 「凍死したいのかよ!」 「……冷てーな……」 白い息を吐きながら、ディアッカはゆっくりと体を起こした。 「……見た目より、かてーし……」 「当たり前だ!外気温考えろ。溶けなきゃ、固まるだろ。凍ってんだよ。シャーベット。冷凍庫の中にいるのとおんなじだ。冷凍庫ん中で寝っ転んでる馬鹿がいるか、普通。――全く何考えてんだ、おまえは」 ディアッカの体は氷のように冷え切っていた。シャツの上に薄いジャケットを羽織っただけだ。無理もない。 「……しかも、何だ。この薄着は!……本当に、馬鹿か。おまえ――!」 「馬鹿馬鹿言うなよ。それに、近いんだから大声出すなって。耳痛ーし……」 むすっと口を尖らせるディアッカを見て、フラガは溜め息を吐いた。 「……馬鹿だから馬鹿と言ってるんだよ。――ほら、中入るぞ!そのまんまじゃ、風邪引いちまう。こんなとこで寝込まれちゃ、俺も面倒だからな」 「馬鹿にすんなよ。これでも軍人だぜ。毎日鍛えてんだよ。それにナチュラルの柔な体と一緒にすんな。ちょっとくらい寒いとこにいたくらいで風邪なんか引くかよ」 「――ここは、地球なんだよ。人間の体に合わせて管理された気象条件なんてもんはねーんだ。調整された環境の中で育ってきたおまえらには、わかんねーだろうがな。雑菌もうようよはびこってるだろうし……甘く見てりゃあ、痛い目見るぞ!」 ほら、と腕を引かれて、渋々ディアッカは従った。 「……わかったよ。中入るから、手放せよ」 緩んだ手を振り払うと、フラガもそれ以上構おうとはしなかった。 「……朝飯、まだだろ。何かあったかいもんでも――」 ざくざくと雪を踏みしめながら、扉口に戻ろうとするその背中に突如衝撃を感じた。 「――――……!」 不意打ちに、体がよろめく。 振り向くと、続けざまに雪玉が飛んでくる。 何とかかわしたつもりが、避けきれず、そのうち一発が左顔面にヒットした。 小さいながら、飛距離もあって、かなり衝撃があった。 「……って――!」 「……ははっ、当たりっ!」 笑い声が響き渡った。 弾けた雪の粉が水滴となって首筋から伝い、体の中に入ってくる。 「…………………っ……!」 肌が竦み上がるほど、冷たい。 と同時に、してやられた腹立たしさに、かっと気持ちが高揚した。 「……こんの、クソ坊主……っ……!」 むきになるのも大人げないような気がしたが、このままやられっ放しでいるのも、癪に障った。 そういえば、少年の頃、こんな風に雪玉を投げ合ったことがあるな、と微かな記憶が甦った途端、思わず雪を掻き集めていた。 「……舐めんじゃねーよっ!」 雪玉で、応酬する。 しばらくは、雪の上で二人は子供のように走り回っていた。 どちらからともなく、息が上がり始めた頃には、既に半時間ほどが経過していただろうか。 「……くそっ……おっさんのくせに、しつっけえー……」 はあはあと息を切らしながら、先に雪の中に倒れ込んだのは、ディアッカの方だった。 「……もう、やめだ、やめっ!ついてけねー……」 「なーに、言ってやがんだ。始めたのは、てめーの方だろうが……っ!」 その前に仁王立ちすると、フラガは悠然と笑った。 やはり息は上がっているが、体力的にはまだ余裕がありげだった。 「……てか、大人げなくね?……雪ん玉投げられたら、『何だ、こらッ』ってさ。あの時点で普通笑って終わりだろ?それをさ、何でここまでマジんなってんの?信じらんねー!」 「……たとえ雪玉であろうが何であろうがな。売られた喧嘩は買う、って奴でね。何とでも言え。――ってことで、今回は俺の勝ち、でいいのかな」 「……まあ、あんたがそんなに『勝ち』ってのにこだわってんなら、譲ってやってもいいけど?」 そう言いながら、起き上がりざまに、隠し持っていた雪の玉を投げつける。 蹴り上げられた地面の雪が、ぱあっと舞い上がり、再び雪まみれになりながら、ディアッカは相手に向かって掴めるだけの雪を掴んでは、投げつけ始めた。 「――なーんて、言うと思ってたかよ?」 「……この――野郎……っ!」 ちっと舌打ちしながら、それでも相手の突然の猛攻に圧されて、フラガはたまらず後退した。 「……勝つのは、俺に決まってんだろーがっ!」 勢いづいたディアッカが、掬い上げた雪を投げつけながらフラガの上にのしかかった。 どさっと、二人同時に雪の上に倒れ込む。 「――参ったかよ、どーだ!」 雪の中にぐいぐいと押し込み、埋れていく相手の体を勝ち誇ったように見下ろす。 「………んー……参った……あ……っ……」 うーんと伸びたように弱々しく負けを認めると、フラガは目を閉じた。 頭が横にかくりと落ちる。 そのまま急に動かなくなった相手を見て、ディアッカは不安げに声をかけた。 「……おい、フラガ?」 応答のない相手の頬を掌でぱちぱちと叩く。 「おい、冗談やめろって!――どうしたんだよ?」 まさか―― 顔を近付けたディアッカの前で、相手の目がぱちりと開いた。 「……………!」 不意に驚いたディアッカの体がいつの間にか伸ばされた相手の腕の中にすっぽりと納まっている。 身動き一つできぬほど密着した体勢だった。 「おっ、おい、あんた、何――……っ……ん――!」 文句を言おうとした唇が、強制的に塞がれる。 冷たい空気の中で、絡まる舌が、妙に熱い。吐息だけで溶けそうだった。 「……っ――……冷てーな……」 唇を離すと、鼻と鼻を突き合わせたまま、フラガはそう言って笑った。 「……あ、あんたなあ……っ……!」 頬を紅潮させたディアッカが、噛みつくように抗議の声を上げる。 「……ふざけんのも、いい加減に――っ!」 「――本気で心配したろ?……ったく、すぐに引っかかるな、おまえ」 悪戯っぽい笑みを浮かべたまま、そう返すフラガをディアッカは悔しげに見た。 「……心配させて、そんなに楽しいかよ」 「騙し打ちは、お互い様かな、と思ってな」 フラガはそう言うと、白い歯を見せた。 「……言ったろ。やられたら、やり返すのが、俺のポリシー」 「あんたのは、俺とは違うだろ。――ずるいぞ、こういうのは……」 「……けど、まんざらでもねーと思ってるだろ?」 さらりと頬を撫でる指先を払いのけると、ディアッカは体を離そうとした。 しかし、相手の力は緩まない。 「――離せよ」 「……今いい感じなんだから、もうちっと、じっとしてろ」 「あんたはいいかもしんねーけど、俺は嫌だ」 「何で?――雪ん中、好きなんだろ?」 「はあ?誰がそんなこと言ったよ!」 「じゃあ、何で朝から雪ん中で寝てた?」 「………………」 口を閉ざしたまま、むすっと横を向くディアッカを見て、フラガは軽く溜め息を吐いた。 「わっかんねー奴だなあ……ったく……」 「……どうでもいいだろ。――寒いから、離せって」 「寒くねーだろ。こうやって、くっついてるんだからさ」 「……あんたと二人で凍死するのは、ごめんだよ」 「俺は、別にいいけどね」 どこまでも楽しげなフラガを、ディアッカは軽く睨みつけた。 「俺は、やなんだよ!」 「じゃあ、理由、言ってみな。なら、離してやる」 「……だから……――」 ディアッカは、いったん口を噤んだが、やがて諦めたように小さく息を吐いた。 「……理由なんて、ねーよ……」 困ったように呟く。 「……ただ、見てるうちに、何となく――さ……」 「何となく――何?」 「――あんたには、当たり前のことかもしれないけど……こういうの、俺にとっては――何か、違うんだよ……」 ――地球に来て、気付いた。 プラントでは、見ることのなかった光景。 吹きすさぶ砂塵の嵐や、焼けるような太陽の熱い日差し。海流の変化や、潮の満ち引き。雨に濡れながら小走りに歩いたり、雲ひとつない青い空を仰ぐ時の心地良さ。 小さなことから大きなことまで、すべて……一つ一つのことが、新鮮に見えた。 管理された人工の世界でつくりだされたものではない。 地球という生命体の中で、これまで気の遠くなるような長い年月を経て繰り返されてきたであろう、この荒々しくも、美しい自然の事象が、自分を妙に引きつけてやまないのだ。 「……プラントじゃあ、雪は降らないのかよ?」 「――そうじゃねーけど、所詮、つくりものだからさ」 もどかしそうに、ディアッカは額に落ちた髪をかき上げた。 「だから、さ……見てたら、ちょっと自分の手で、触ってみたくなったんだ」 「これに、か?」 フラガはそう言うと、傍らの雪を片手で一掬いディアッカの頬にぱらぱらと降りかけた。 「ちょっ……冷てーだろがっ!」 「当たり前だ。――けど、こうやって触れてみたかったんだろ?で、どうだ。それで、満足したのか?」 「ん、まあ……」 きまり悪げに視線を落とすディアッカを見つめる瞳が、やわらぐ。 「――全く、ガキだな。おまえ……」 「悪かったな、ガキで」 「――雪見て興奮するのは、ガキか犬くらいだな」 寒さで赤くなった頬を、フラガの両の掌がすっぽりと包み込んだ。 「……だから、冷てえって……」 「おまえに付き合わされたおかげで、こうなったんだ。責任取れよ」 「俺のせいじゃねーだろ。あんたが勝手に……」 はあっ、と息を吐くディアッカの唇に、わざとらしくフラガの唇が触れた。 「――何……」 相手は何も言わず、ただ唇が啄ばむようなくちづけを求めてくる。 軽い熱に侵されたように、その瞬間、ディアッカは茫然と相手を凝視した。 「……ちょっ――……」 「――喋るな」 間近から降りかかる熱い吐息に、心臓が撥ねる。 抗議の声を上げることすら、できないくらい――。 激しい心臓の鼓動に圧され、気が遠くなりそうになる。 「……もうしばらく、このままでいよう」 唇が、触れ合う。 再び―― 熱い舌が入り込んでくる。 全身を、寒さとは違う震えが走った。 「…………っ……――……!」 先程より、深い。 蕩けるような、長い、長いくちづけを交わす。 誰も見ているものはいない。 この白い世界に、ただ二人だけ。 このまま、雪の中に溶けて、消えてしまってもいい。 ――そんな風にすら、思える瞬間。 「……………………」 空気が、さらに冷え込んだ気がした。 ふわり。 視野の隅に、くるくると舞う白い花びらが映る。 (………………?) 唇が離れ、ようやく体が自由になった。 崩れ落ちるように、フラガの隣りに転がった。 仰向けに空を仰ぐと―― 「――あ……」 はらはらと白い粉が舞い落ちてくる。 「……また、降ってきたな……」 降ってきた雪が滴となって溶け落ちる。 鼻の頭に落ちた粉を振り払う。しかし、払っても次から次とひっきりなしに降ってくる。 寒い。 急速に体温が低下したかのようで、体が小刻みに震え出した。 「ははっ、ほんと、マジ寒……」 フラガが鼻をすすりながら、起き上がる。 「――ほら、起きろよ」 伸ばされた手を、自然に取った。 ゆっくりと立ち上がると、ますます寒さが身に沁みた。 「……だめだ。ほんと、寒えー……」 「ほんとに二人で凍死するとこだったな」 笑いながら腕を引っ張られる。 「……誰のせいだよっ……!」 「――お互い様」 さらりと切り返すフラガを睨みながらも、その手を離すことはなかった。 --- End (2015/01/06) |