傍にいて・・・ 「・・・イザーク・・・?」 その声に、イザーク・ジュールはハッと目覚めると、その秀麗な面を上げた。 (・・・俺は・・・今・・・?) まだぼんやりと視界が定まらない。 (・・・そうか・・・俺・・・部屋に戻って・・・) ソファーに背を預けたまま、いつの間にか眠り込んでいたようだ。 そして、目の前には声をかけた当人――緑の制服に身を包んだ見慣れた友の姿があった。 返事がなくてもお構いなしで、どうせいつもの調子でずかずか入ってきたのだろう。 「なんだ?ディアッカ・・・」 金髪に褐色の肌。アメジストを思わせる、澄んだ紫色の瞳。 その色のコントラストがあまりにも印象的で・・・ 彼もまた、イザークとは別の意味で、昔から実によく目立つ存在だった。 (・・・ほんとは俺よりずっと切れるくせに・・・) なぜか、彼はいつも自分の力を100パーセント出そうとはしない。 幼年学校でも、アカデミーでも・・・いつもそうだった。 彼は、いつも『部外者』の立場を保ち続けていた。 他者とは距離を置いた場所から、物事を他人事のように面白げに眺めているばかりだ。 自分は、決して『当事者』になろうとはしない。つまり・・・本気を出さないのだ。 こんな調子で、アカデミーで10位以内に入れたのが不思議なくらいだ。 しかし、彼とシミュレーションで手を合わせてきた感触を思い出すと、イザークはやや複雑な気分になる。 ディアッカ・エルスマンは・・・決してたやすく倒せる相手ではなかった。 確かに最終的に、勝利を得るのはこちらだ。 しかし―― そこに至るまでの過程が・・・ (・・・ディアッカは、しぶといな・・・) いつか、アスランが吐息をつきながら、洩らしたことがある。 その一言に、イザークは相手が自分の天敵であることも忘れ、思わず同感したものだ。 倒せそうで、倒すことができない。 それはなぜかというと・・・。 彼は・・・『逃げる』のだ。 (そう・・・奴は『逃げる』のが上手い) 『逃げる』・・・この言葉はイザークの辞書にはない。 敵に対しては前進あるのみ。逃げるのは臆病者のすることだ。 (腰抜けめ・・・!) ディアッカに逃げられるたび、イザークは歯軋りしてその台詞を幾度吐き捨てたかしれない。 しかし・・・今では、『逃げ』も勝つためのひとつの道なのだということが彼にも理解できた。 あの激戦を潜り抜けてきた、今となっては・・・。 (・・・こいつが本気を出せば・・・) イザークは時に思う。 (・・・俺も・・・そして、あのアスランさえも・・・本当に奴より上位に立つことができたのだろうか・・・) 彼にはよくわからなかった。 本気でこいつと戦う・・・か。 そんなときがくるとは想像したことすらなかったのだ。 そういえば・・・かつて一度だけ彼に銃を向けたことがあった。 そのときでさえ、彼はそれにまともに応じなかった。 しかし、結局それで良かったのだ。 本当は自分もディアッカとは戦いたくなんてなかった。 大切な友・・・だから・・・。 そして、停戦を経て・・・新たな時代の模索が始まったこの2年間の間。 戻ってきた友と、共に必死でここまで歩んできた。 公私共に・・・ディアッカの存在は、ますます彼の中で欠かせないものとなってしまった。 ディアッカ・・・いつも傍にいて、支えてくれる頼もしいパートナー・・・。 ――俺はこいつのこと・・・ そこまで考えて、イザークは軽い戸惑いを覚えた。 (・・・俺、何考えてる・・・?) 我ながら、滑稽な気がした。 ――なぜ、今こんなことを・・・? 「・・・どーしたんだよ?ぼーっとして・・・」 ふと気付くと、ディアッカが屈み込むように、上からじっと覗き込んでいた。 「・・・顔赤いぜ。熱でも出たか?――『隊長』さん!」 からかうような口調に、忽ちイザークの表情が険しくなる。 「ディアッカ!!・・・貴様ッ・・・」 ――そのふざけた言い方はやめろと何度言えば・・・!! そう言いかけたイザークの前髪をかきあげて、ディアッカの手がいきなり彼の額に接触した。 冷たい手の感触に、イザークは思わずびくりと身を震わせた。 「・・・ディアッ・・・」 声が上ずり、最後まで出てこない。 なぜか頬が熱くなる。 「熱はねーようだけど・・・」 ディアッカはにやりと笑うと、そのままイザークの頬に唇を近づける。 「・・・でも、ちょっとこの辺りが熱いかな・・・?」 「バッ・・・バカッ!!よせッ!!」 イザークは慌てて顔をそむけようとしたが、一瞬遅く、いとも簡単に唇を塞がれた。 素早く歯列をなぞり、唇の内側をそっと舐めあげていくだけの、簡単なキス。 あっと思う間もなく相手の唇は離れ、再びイザークの口は開放された。 彼は喘ぎながら、必死で口を開いた。 「・・・ディ、ディ、ディアッカッ・・・・!!貴様という奴は・・・ッ・・・!!」 何だか妙に動揺して、抗議の言葉もなかなか上手く出てこない。 ――ふざけている・・・! 言いたいことは山ほどあったが、止むなくそれらの言葉を飲み込み、ただきっと相手を睨みつける。 しかし、相手はしゃあしゃあとしたものだった。 「悪りい、ちょっと衝動で・・・」 ぺろりと舌を出し、言い訳にもならないような受け答えをするディアッカに、 「・・・いっ、いい加減にしろッ!!」 とうとうイザークの喉から大きな怒鳴り声が飛び出した。 「・・・か、仮にも俺は今、『隊長』なんだぞッ!!一応、おまえの上に立って指図する立場にいるんだ。そ、それをおまえは・・・ッ・・・!」 ――おまえは・・・俺を、まるで自分の女か何かのように・・・ッ・・・ 自分でそう思って、改めて羞恥で頬が赤らんだ。 未だに頬から離れないディアッカの手を、イザークは乱暴に振り払った。 と、いきなり、ディアッカは吹き出した。 「・・・なっ、何がおかしい!!」 叩きつけるように叫ぶイザークに、なおもくつくつと笑いながら、ディアッカは言った。 「・・・ほんと、おまえってそーいうこと、こだわるよなあ――!・・・年上だとか、年下だとか・・・隊長だとか、部下だとか・・・さ」 「や、やかましいっ!!俺はただ、立場をわきまえて行動することが大切だと考えているだけだ!!」 ――立場、ねえ・・・。 ディアッカは苦笑した。 確かに、今、俺はおまえの部下って『立場』にいるわけだし・・・。 「けど、ここはおまえの私室ん中だし・・・プライベートな空間なんだから、いいだろ。たまにはキスくらい・・・。誰も覗きにきやしねーさ」 イザークはディアッカを睨みつけた。 「・・・『くらい』・・・って、簡単に言うな!!・・・いいか、勘違いするな!!俺はおまえの『女』でも『愛人』でも、何でもないんだからなっ!!プライベートでだって、おまえとあんなことしなきゃならないいわれはないっ・・・!!」 その言葉は軽く吐き出されたのだが、言った瞬間イザークは微かな胸の痛みを覚えた。 ――おまえとは、何でも・・・ない・・・? ――俺は・・・今・・・そう、言ったんだよな・・・。 そして・・・無論彼の言葉はディアッカの胸にも深く突き刺さっていた。 (・・・そりゃそうだ。確かにおまえの言う通り・・・畜生、そんなことはとうの昔に分かってるんだよ!) ディアッカは苦々しい気持ちで胸の内に吐いた。 ――たとえプライベートに戻っても、俺はおまえの『恋人』って『立場』にいるわけではない。 けどな・・・。 そんな風に目の前ではっきりと言われると・・・ くそっ!・・・俺だって面白くねーよ。 (なんか、つまんねーな・・・) ディアッカは溜め息を吐いた。 ・・・この前の戦争から、もう2年も経ったってのにな・・・ ・・・2年も・・・。 (・・・この2年間・・・俺たち、何をしてた・・・?) おまえを助けて・・・おまえと一緒にいようって思った・・・。 だから、プラントに戻ってきたのに・・・。 ・・・おまえと、昔のように気持ちが通じ合うことができるようになったって・・・ ようやく、そう思えるようになってきたのに・・・。 なのに・・・ 俺たちのこの2年間って・・・一体何だったんだ・・・? ――2年経っても、おまえの中にいる奴は・・・やっぱり、変わってねーのかよ・・・。 (あいつか・・・?) ――やっぱ、あいつなのかよ・・・? 苦々しい思いが満ちる。 「――アスラン」 彼がそう言った瞬間、イザークの顔色がさっと変化するのがわかった。 「・・・何?」 そう聞き返すイザークを前に、多少意地悪な気分になって、わざと答えずに黙り込む。 「・・・何なんだよ・・・?」 イザークはやや落ち着かなげな様子でディアッカを促す。 (名前を言っただけで、どうだ・・・この反応は・・・) ディアッカは鼻白んだ。 (おまえはやっぱ、あいつから離れられねーんだな・・・) 軽い嫉妬心が胸をうっすらと焦がしていくようだった。 「――いや・・・アスラン・・・あいつ、今頃どうしてるかなってさ・・・」 ディアッカは何でもないようにそう言った。 「オーブのお姫様とよろしくやってるんだろーな・・・どーなのかなって・・・」 イザークの顔が暗く翳ったのを見て、彼はふと口を噤んだ。 じわじわと後悔の念が胸の中を渦巻いていく。 (・・・俺は・・・全く・・・何を言ってる・・・?) そんな風にわかっていて、相手を虐めている自分が不意に嫌になった。 「・・・ごめん・・・俺、意地悪なこと言った」 ディアッカはそう謝ると、イザークの顔から視線を落とした。 「・・・気にしないでくれ。俺、どうかしてた」 彼はイザークに背を向けると、軽く手を振った。 「俺、もう行くわ!!邪魔したな!!」 彼は扉口へ向かってぎこちなく歩き出した。 しかし、扉の前まで来たとき―― 「・・・待て、ディアッカ!」 突然イザークの呼び止める声を聞いて、ディアッカは驚いたように振り返った。 「・・・行くなよ・・・」 ――ディアッカ、おまえは『逃げる』のが上手い・・・。 ――でも・・・今は、逃げるな・・・! いや――逃がしてはいけない・・・ (おまえを・・・逃がしたくない・・・!) イザークはソファーから立ち上がり、いつしかディアッカを追いかけていた。 その姿がゆっくりと自分の方へ近づいてくるのを、ディアッカは夢でも見ているかのように、ただ呆然と眺めていた。 「・・・俺も・・・ちょっと言い過ぎたかもしれない・・・」 ディアッカの前に立つと、彼はいかにも罰が悪そうに、ぼそりとそう言った。 ――おまえのこと、何でもないなんて・・・。 この2年間・・・おまえと一緒に生きたすべて・・・。 それは、確かに真実だ。嘘じゃなかった・・・。 (俺は、それを否定はしない) たとえそれが、オーブにいるあいつへの思いとは別だったとしても・・・。 (おまえのことも、やっぱり好きだから・・・) ――だから・・・ 「・・・もう少し、傍にいてくれ・・・」 躊躇いがちに手を伸ばすイザークの体を、ディアッカは黙って引き寄せた。 腕の中に確かに感じられるそのぬくもり・・・ ディアッカはそっと目を閉じた。 (おまえが『一番』に想う奴が俺でなくても・・・) ――今、おまえはここにいる。 おまえの体をこうして感じている。 この確かなぬくもりだけ・・・ 今は、ただそれだけで、いい。 (Fin) |