きみが、壊れるまで (2) 部屋に入ると、真っ暗な室内には全く人の気配がなさそうだった。 (レイ……まだ、帰ってないのかな) シンは軽く首を傾げた。 コモン・ルームにも射撃場にも――どこにも彼の姿が見つからなかったので、とっくに部屋に戻っているものとばかり思っていたのに。 今度こそ、レイとゆっくり話せると思ったので、急いで部屋に帰ってきたのだが……。 シンは溜め息を吐いた。 ――レイ……やっぱり、怒ってるのかな……。 さっき、一瞬見たと思ったレイの厳しい表情を思い出すと、シンの心は暗くなった。 でも、何に怒っているのだろう。……怒る理由なんてないはずだ。 馬鹿な……くだらないことを考えるのはよそう。 あの後、レイは優しく言ってくれたじゃないか。 ――おまえが、艦を守った……。 ――生きているということは、それだけで価値がある……。 あんなに静かな瞳で見つめていたレイだったのに。 自分に対して何か含むところがあったなど……そんなはずは……。 彼は頭を振ると、室内灯を点けようと壁際に手を伸ばした。そのとき、不意に誰かが身じろぎする音が聞こえて、彼は思わずその手を止めて振り返った。 「……………?」 次第に目が慣れてきた薄闇の中で、不意に寝台の隅にうずくまる影が目に入った。 「灯をつけるな」 低い声が静かに命じる。 訳がわからないながらも、その声の強い口調に弾かれるかのように、シンの指はスイッチから離れた。 「……レイ……?」 シンは驚いた目を細めて、寝台の上のレイに視線を当てた。 どうしたんだろう。 何だか生きた人間を見ているような気がしない。 金髪に青い瞳の美しい面立ちが人形のように何の表情も浮かべぬまま、ただじっとこちらを見つめている。 なぜか、そこには驚くほど生命感が感じられない。レイは元々静かな青年だったが、それでも今のような精彩のなさを感じることはなかった。 「……何だよ。そんなとこで……」 シンは何でもないように言いかけたが、 「……どっか、具合でも悪いのか」 不意に心配げに声を落とした。 しかし、レイから返事は返ってこない。 「………………?」 忽ち不安が潮のように押し寄せてくる。 (……どうしちゃったんだよ。レイ……) 落ち着かない気持ちのまま、それでも引かれるように、シンはレイの方へとそっと近づいた。 シンが間近まできたとき、不意にレイが目を上げた。 レイと目が合った瞬間、シンはその燃えるような激しい眼差しにどきりと身を竦ませた。 わけもなく怖くなり、彼は思わず後退りかけた。 が、その前にレイの手がいきなり彼の腕を掴み、強く引いた。 平衡を崩し、前のめりにレイの上に倒れ込んだシンの体を、レイの両腕がしっかりと受け止め、そのまま強く抱き締める。 「ちょっ……はっ……放せよっ!レイっ……!」 一瞬の驚きから我に返ると、忽ちシンはレイの腕の中でもがき始めた。 しかしレイは抱く力を緩めようとはしない。 「だめだ。――放さない」 レイの低い声が冷たく耳元を掠めた。 「……って、いったいどういう――」 ――言いかけた言葉は喉の奥に虚しく転がり落ちていった。 有無を言わさず唇を塞がれて。 嫌がる唇の間を、強引にレイの舌が割って入っていく。 逃げようとする舌を絡め取りながら吸いつくように舐めまわし、執拗な愛撫を繰り返す舌先が、たやすく口内を犯していく。 最初はただショックで大きく見開かれた瞳が次第にぼんやりとその色彩を失っていく様を、レイは表情を変えぬその視界の片隅で冷やかに眺めていた。 相手の苦しげな顔つきを見て、ようやく長いくちづけから唇を離すと、忽ちシンは咽るように激しく喘いだ。過呼吸を繰り返す相手の体をそのまま仰向けに押し倒す。 「レイ……ッ、やめ……ッ……」 かぼそい抵抗の声を無視して、レイは再びシンの唇を塞いだ。 今度は軽く唇を舐め上げた後、頬から耳朶、首筋へと唇を滑らせていった。 相手から降りかかる熱い吐息がシンの胸の鼓動をさらに激しく高鳴らせた。 全身が燃えるように熱い。 自分の体がレイの愛撫に過剰すぎるくらいに反応しているのが自分自身でもよくわかり、シンは羞恥に頬を赤らめた。 レイは、首筋に唇を這わせながら、シンのシャツをたくし上げていく。その下から覗く白い肌が暗闇の中で驚くほど艶めかしい。同時に彼は、相手の膨らみつつある下半身の勃起物をズボン越しに軽くつまんだ。 そこは既にいっぱいに濡れそぼっていて、指先から伝わる湿ったその感触が、レイの全身に軽い電流を駆け抜けさせた。 「…あ……ッ……レイ……ッ……!」 シンはあられもない声を上げている自分を恥ずかしく思いながらも、それを抑えることができなかった。 レイの指がズボンのチャックを下ろし、そこから飛び出す陰茎を愛撫すると、待っていたかのように先端から蜜がこぼれ落ちていく。 「……………!」 指先で擦り上げられていくたび、えもいわれぬ刺戟が全身を駆け抜けていった。 止めて欲しいのか、このまま続けて欲しいのかわからぬくらい……。 シンは刺戟の波の中に溺れそうになりながら、何とか意識を保つのに必死だった。 「やめ……ろよッ……」 シンはかろうじて制止の声を上げた。 しかし、レイは答えなかった。 ――レイ……レイ……どうして、何も言わないんだ……? シンには、そんなレイの沈黙がかえって怖かった。 「レイ……ッ……!」 掠れた声が飛び出した。 (何で……何で、こんなこと……ッ……?) いやだ、こんなのは…… こんな……こんなのは…… レイじゃない……! (ダメだ、このままでは……!) シンは我に返ると、今度こそ力を振り絞ってレイの体の下から身を動かそうとした。必死だった。 シンの突然の目の覚めたような抵抗が、レイの隙をついた。 「シン……!」 シンがレイの体を力いっぱい押しのけようとした。その突然の衝撃で、レイは思わずシンを押さえつけていた手の力を緩め、背後へのけぞった。 「くっ……!」 その僅かな間隙を縫うように、シンの体が目の前から逃れていこうとするのを彼は見た。 「シン……ッ……!」 レイは初めてその名を呼んだ。 怒りが滲んだ叫びだった。 シンはびくっと動きを止めた。 レイの手が再び背後から巻きついてくるのを、彼は振り払うことも出来ず、そのままベッドの上で居すくんでいた。 レイの荒く吐き出される息が首筋を暖める。 「……レイ……ッ……」 シンの声は震えた。 「……放せよ、レイ……!」 ――頼むから。こんなこと……もう、やめにしよう。 おまえのこと、嫌いになりたくない。 そんなシンの思いをよそに。 「――いやだ」 レイはあっさりと拒絶した。 しかし、その声の調子が今までとやや異なっていることに気付いて、シンはふと首を傾げた。 ――気のせいだろうか……? 「俺は……おまえを……放さ……ない……」 途切れがちな言葉が続く。 「……こんなこと、何度も……言わせる……な……!」 声が、確かに震えを帯びている。決して気のせいではない。 シンは、そのいかにも冷静さを欠いた、不安定な口調に驚いた。今まで彼が、一度たりともこのような調子でものを言ったことがあったろうか。常に沈着冷静な、淡々とした物言いがお得意のレイ・ザ・バレルが……? 戸惑うシンに向かって、レイはさらに口を開く。 「……おまえを、今抱かないと……俺は……」 レイの体が僅かに震えていることに、そのときシンは初めて気付いた。 「おまえを抱かないと……壊れそうだ……」 声が上ずっていた。 レイらしくない。 レイじゃない。 シンは心底驚きに打たれながら、同時に大きな不安に襲われていた。 何て……言った?今―― 「こわ……れ……る?」 誰が……?おまえが……? 壊れる……って……? なぜ……? レイの瞳は暗かった。 (どうせ、わからない。おまえには……) 冷たい自嘲めいた笑みが唇を緩める。 ――俺は……失敗作だから…… おまえと違って…… コーディネイターであること……それ自体が自然ではない。だが、それでも…… おまえの中にあるような、自然な生の結合が、俺には元々なかった。人の手でさんざん実験を繰り返され、人工操作されてきた俺の遺伝子は……こんなにも弱くて脆い。誰のものともわからぬ遺伝子を弄ばれ……。 自分の根源(ルーツ)がわからぬことがこんなにも不安で頼りないものであるとは…… おまえには、わかるまい。 衝動が……荒々しい衝動の嵐が彼の全身を覆っていく。 「何のことだよ。レイ……何、言ってる?」 驚いて問い返すシンを敢えて無視して、レイはシンを再び押し倒した。 顔をシーツに打ちつけるように突っ伏したシンが呻くのをよそに、レイはシンのズボンを一気に押し下げた。 凄まじい衝動が、レイの正気を失わせてしまっているかのようだった。ゆっくりと指先を局部に挿入すると、忽ちシンは痛みに悲鳴を上げた。 暴れ出す体を押さえつけながら、なおも指を奥まで突き入れ広げていく。 濡れた肉壁が締め付けてくるのを、無理に広げようとすると、さらにシンは痛がり、身を捩じらせた。 「うあああっ……、レイ、やめ……!」 「暴れるな、シン。動くと中が傷つく」 余計痛くなるだけだぞ。……と、その妙に冷静に囁きかける言葉が耳元に響き、シンは恨めしい思いでただシーツをきつく掴んだ。 暴れるなと言っても、これがじっとしていられるものか。 「やめろよっ……やめろ……ったら……!」 痛い。何をするんだ。レイ。何を…… 苦しげに呻くシンの腰を軽く持ち上げて、自分の興奮する下半身をもどかしい指先で制服の中から解放してやる。 彼はただ欲情に駆られるまま、自分のものをずぷりと相手の中に突き入れた。 「……………!」 シンは声も立てられず、ただシーツに顔を埋めた。 凄まじい痛みが襲い、腰が砕けそうだった。 痛い、痛い、痛い…… ただ、猛烈な痛みが彼の思考を全て奪い去っていくかのようだった。 今、自分がどこにどうして何をされているのかもわからなくなった。痛みが突き抜けるひととき、頭の中が真っ白になっていた。 相手の肉塊が腔内を擦る。その蠕動が艶かしく、自分体を突き抜けていく。 傷ついた肉襞から流れ出る血のぬめりが気持ち悪いくらいに熱を帯びた肉塊との接触を生々しく感知させる。 ――いや……だ……あ……ああ……っ…… あまりの痛みに涙がこぼれ出した。 さらに奥まで挿入されていくと、その衝撃に彼は一瞬息をすることすらできず、乾いた喘ぎを洩らすとひときわ大きくのけぞった。 音声を発することすらできぬ喉から必死に、 「は……なし……て……ッ……」 懇願するように吐き出すその掠れた言葉も、レイの心を動かさなかった。 「……まだだ……」 シン……おまえを、放さないって言ったろ。 こうやって、おまえと繋がることで、俺は救われる。 おまえがどう思おうとも……。 はあはあと喘ぐシンの呼吸が、艶かしく耳を揺すった。 何回か抽出と挿入を繰り返し……それが頂点まで高まったとき、一気に中で解き放った。 熱い液体がシンの腔内を一挙に満たし、そのまま全身に滲み込んでいくかのようだった。彼は半分意識を失いそうになりながら、ただ苦痛とも快感ともつかぬ乱れた呻きを洩らし続けた。 ――壊れる…… (おまえを抱かねば、俺は壊れてしまう……) そう、レイは言った。 なぜ…… そんな風に思うのか。 涙が溢れた。 (俺は、いつだっておまえのこと……) 一人ぼっちの俺が頼れるただひとつの存在。 レイ、おまえがいてくれたから……。 (何で、わからないんだ……) こんなことしなくたって、いつも俺はおまえが好きだったのに……。 おまえの傍にいたいって……そう、思ってたのに。 何でなんだよ。 おまえが、壊れる……? 霞む意識の狭間の中で、シンは皮肉な笑みを浮かべた。 違う…… 壊れるのは、おまえじゃない。 ――壊れるのは……おまえじゃ、なくて…… でも、いいよ。 おまえのためなら、俺…… レイに伝わっただろうか。自分の中にあるこんな思いが……。 シンには確かめる方法(すべ)がない。 言葉をかけようとしても、喉からはもはや一言も音声が出てきそうにない。 そして、彼の意識はそこで不意に途切れた。 ( Fin ) |