きみが、すべて





(――あんたって・・・本当に何にもわかってないんだな!!)
(あれじゃあ・・・)
(あれじゃあ・・・あの人が、かわいそうだ!!)
 
 シンは荒れ狂う心をどうにもできぬまま、自室の前までようやくたどり着くと、扉を開ける前に横の壁に拳を叩きつけた。
(馬鹿だ、馬鹿だ、馬鹿だ・・・!!!)
 彼は拳の痛みも気にせぬまま、ただ幾度も同じ動作を繰り返した。
 誰のことを言っているのか、自分でもよくわからない。
 誰に対しての怒りなのか。
 あの少女・・・戸惑い、そして――泣きそうな顔をしていた。
 少し罪悪感を感じながらも、刺々しい言葉が止まらなかった。
 心のどこかでわかっていた。
 明るく振る舞おうとしながらも、その下から覗いていたあの不安げな、憂いに満ちた表情・・・。
 でも・・・だからこそ、余計に腹が立った。
 あんただって、わかってるくせに・・・!!
 何で、なんでもないふりをする?
 そんなの・・・
 そんなの、全部欺瞞だ。
 
綺麗事にしかすぎないんだ。
 現実を見ろよ!!
 今の状況を見てみろ!!
 大丈夫だ、何とかなる・・・なんて言ってられるか?!
 この断ち切れない憎しみの連鎖・・・。
 どうしようもない、人間の業を目の前で見せつけられた今・・・
 これからくるものは・・・誰にだって火を見るより明らかだ。
「・・・畜生・・・っ・・・!!何で・・・こんなこと・・・っ・・・!!」
 シンは呻いた。
 また、あんなことが、繰り返されるのか・・・。
 父さん、母さん・・・マユ・・・!!
 あの炎に包まれた光景が・・・
 ばらばらになった手足の肉片が・・・
 目の前に生々しく甦る。
 いや・・・だ・・・!!
 見たくない・・・
 あんなこと・・・もう・・・二度と・・・ッ・・・!!
 息が苦しい。
 心臓の鼓動が高まるのがわかる。
 どうしよう・・・。
 このままじゃ、俺・・・
 ・・・俺・・・どうにか、なっちまう・・・!!
「・・・大丈夫か、シン」
 背後から声がかかった。
 震える肩に触れる手。
 シンは、ハッと我に返って振り返った。
 ・・・レイ・・・?
 
秀麗なレイ・ザ・バレルの顔が目に入った途端、シンは安堵にほっと息を吐いた。
 
破裂しそうなくらい、脈打っていた心臓の鼓動が・・・一気に静まり、元に戻っていく・・・。
(・・・レイ・・・!!)
 自分は今、泣きそうな顔をしているに違いない。
 そう恥ずかしく思いながらも、感情の波を抑えることができなかった。
「・・・レイ・・・!!」
 シンは思わずレイにしがみついた。
 幼い子供のように、身を微かに震わせながら。
 レイは予期していたかのように、それをしっかり受け止めると、
「・・・中へ入ろう。おまえは、興奮しすぎている」
 そう声をかけて空いている手を伸ばして扉のロックを解除した。
 
さあ・・・と、促され、シンはレイに肩を抱かれながら中へ入った。
 
 
 シンはベッドの淵に背をもたせ、床に腰を下ろしていた。
 一気に力が抜けきったかのようだった。
「待ってろ・・・何か、持ってきてやる」
 レイはそう声をかけると、さっさと給湯器の方へ向かった。
「・・・レイ・・・俺・・・」
 シンはレイの背に向かってぽつりと呟いた。
 給湯器の前で手を動かしながら、そんなシンの言葉を聞いたのか聞いていないのか・・・レイは敢えて何も返事をしない。
「・・・俺、さっき・・・ひどいこと・・・言ったか・・・な・・・?」
 シンはそう言いながら、俯いた。
 顔を上げることができない。・・・何だかひどい疲労感を覚えた。
「――でも・・・仕方なかったんだ・・・。気が付いたら、口が勝手に動いてた。あんまり、あいつが・・・あいつがあんなに何でもないことのように言うもんだから・・・俺、何か無性に腹が立って・・・」
 彼の脳裏に、さっきのアスラン・ザラの表情(かお)が不意に思い浮かんだ。
 こちらの胸が痛むくらい・・・寂しくて哀しげな微笑だった。
 ――あれを見て・・・わからないのかよ・・・!!
 そう思うと、脳天気な少女の言動に苛立ちが高まった。
 カガリ・ユラ・アスハの本当の気持ちなど、彼にはわからなかったし、知りようもなかった。もし、彼女の心の中を覗くことができたなら・・・彼もあんなことは言えなかっただろう。
 しかし実際には、彼にとってより近く感じられていたのは、アスラン・ザラの方だった。
 一度でも一緒に戦ったら・・・わかる。
 あの人の思い・・・あの苦しみ・・・。
 あのコーディネイターの怨念を共に聞いてしまった今となっては、特に・・・。
「・・・あの人は・・・どうして、あんなところにいるんだろう・・・」
 シンは自ずと拳を握り締める。
 ――あの人は・・・あんなところにいるべき人じゃない・・・。
 何だか、全てを諦めてしまっているかのように見える。
 嫌なら嫌だと大声で叫べばいい。・・・あんなに全てを背負い込んで・・・あんなに苦しそうなのに・・・何ひとつ言いたいことも言わず・・・。
 
あんな風に、自分を抑えていて・・・大丈夫なんだろうか・・・。
 シンは、アスランと共に大気圏を降下していったときのことを思い出した。
 あのとき・・・
 そうだ。あのときだって・・・。
 あの人は、ひょっとしたら・・・最初から死ぬつもりだったんじゃ・・・。
「・・・そんなに、気になるのか?アスラン・ザラが・・・」
 不意に顔に熱い湯気がかかった。鼻腔をくすぐる甘い香り。
 レイが紅茶の入ったマグカップを差し出していた。

 シンはそれを受け取ると、その甘く優しい芳香に一瞬憂いを忘れた。
「・・・うん・・・何と・・・なく・・・」
 言いながら、ゆっくりと紅茶をすする。
 レイは自分もカップを手に持ちながら、シンの隣りに腰を下ろした。
「・・・人にはそれぞれの・・・思いが、ある」
 彼は不意に言った。
「今は、あまりあの人の中に踏み込まない方がいい」
 そのあまりにも淡々とした物言いに、シンの顔が不安げに揺れた。
「レイ・・・やっぱ、俺の言ったこと・・・非難してる・・・?」
 レイはシンの方へ顔を向けた。
 
研ぎ澄まされた刃のような青い瞳が一瞬鋭くシンを捉えたが、すぐに氷の色は和らいだ。
(シン・・・)
 レイは、彼が好きだった。
 初めて会ったときから・・・なぜか、彼に魅かれている自分を意識していた。
 彼が他人に・・・ギル以外の他人に興味を抱くなど・・・珍しいことだったのだが。
(・・・なぜだろう・・・)
 自分にないものを持っている・・・そんな羨望や憧憬に近い思いもあったろうか。
 一途で真っ直ぐなところ・・・。そのエネルギッシュさ。無限の可能性。・・・それでいて時々怖くなるほど不安定になる。
 
いつからだったろう。こんな風に、シンがレイに縋ってくるようになったのは。
 
そして、レイもいつしかそんなシンを受け容れるようになっていた。
「いや・・・」
 
レイの口調は柔らかだった。
「おまえは、自分の気持ちに正直すぎる。俺はただ、感情をコントロールすることも時には必要だと言ってるんだ・・・」
 言いながらも、それがこいつのいいところでもあるんだが・・・と内心彼は思っていた。
 シンは罰が悪そうに笑った。
「・・・俺・・・すぐ、コーフンしちまうから・・・」
 ――俺もおまえみたいに、いつも冷静でいられたら・・・。
 そう思いながら、レイの顔を見た瞬間・・・シンはハッと胸を衝かれた。
(・・・レイ・・・?・・・)
 レイの瞳の色が、なんと儚く寂しげに見えたことか・・・。
 そこに覗く憂愁の翳り・・・それは・・・
(・・・同じだ・・・)
 翡翠の暗い緑の色・・・
 ――あの人と・・・
「・・・レイ・・・」
 シンはその名を呼んだ。そこに彼がいることを確かめようとするかのように。
 マグカップを置いて、その手をそっと相手の肩にかける。
「・・・シン・・・?」
 驚いたように、レイが視線を戻した。
「・・・俺を抱いててくれよ・・・レイ・・・ちょっとの間でいいから・・・」
 シンは体ごとレイに寄りかかった。
「なんだ・・・?どうした・・・」
 そう言いながらも、レイは膝を崩しながら、シンの体をその腕に抱きとめた。
「・・・俺の傍にいて欲しい・・・」
 ――だって、俺には他に何もないから・・・。
 シンはレイの心臓の鼓動を聞くかのように、その顔を相手の胸に深く埋めた。
 レイが消えてしまうのではないかと思えるほど、さっき見た彼の瞳は儚い色をしていた。
 それが、シンには怖かった。
 ――シン・・・。
 レイは吐息をついた。
 
(傍にいて欲しい・・・)
(このまま、おまえと体を寄せ合って・・・)
 
 
――そんな風に思っているのは、本当は俺の方かもしれないな。
(シン・・・俺はおまえが羨ましいんだ、本当は・・・)
 レイは内心そっと呟いた。
 ――俺も、おまえのように、大声で叫ぶことができたら・・・。
 自分の気持ちをもっと素直に外に出すことができたら、どんなにいいだろう・・・。
 でも・・・それが俺にはなぜか・・・できない。
 だから・・・そういう意味では、俺もあの人と同じだ。
 自分の気持ちを抑制することだけを覚え・・・。
 嬉しいときも、哀しいときも、何も考えず・・・何も感じない振りをするのが上手くなった・・・。
 俺には・・・少しあの人の気持ちがわかるような気がする・・・。
 シンは・・・敏感だ。
 そんな人の心の機微をすぐに察知してしまう。
 プラスとマイナスが引き合うように・・・自然と俺たちは魅かれあった。
 今・・・おまえはあの人に対しても、そんな風に感じているのだろうか・・・。
 だとしたら・・・。
 軽い嫉妬心が胸を焦がす。
(・・・駄目だ・・・!)
 ――おまえをあの人には渡さない。
 レイはシンを抱く腕に力を込めた。
 ――おまえは俺にとって、必要なんだ。
 だから、彼を放したくないと思う。
(・・・なあ、わかるか、シン・・・)
 ――おまえが俺にとって、どんな存在になっているのかということが・・・。
 レイはそんなことを思いながら、シンの頭をそっと撫でた。
 いとおしむように・・・そっと・・・。

                                         (Fin)

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