Light Possession 2




 不思議だ。
 なぜ、こんなことになってしまったのか。
 黒い耳を舌で弄りながら、ふと思う。
 抱かれたのは、初めてではない。ずっと昔には、こんな風に相手を受け容れるということも何度か経験した。まだ子供だったから、交尾の意味もわかっていなかった。だから余計に、痛くて、きつくて……情けないことに最初の夜は零れる涙を抑えるのが大変だったのを、覚えている。
 だから、自分が挿入するときは、はやる心を抑えて、できるだけ慎重に痛みの少ないように気を遣っているつもりだった。最近ではコノエもだいぶ慣れてきたのか、あまり痛がる様子も見せなくなった。時には驚くほど成熟した顔を見せて、意識して自分から誘うようにさえなっていた。
 僅か短期間で、子供だと思っていた猫が成長し、どんどん新しい顔を見せるようになってくるのは、不思議であり何だか少し寂しくもあった。相手に対して、自分はどうか。逆に戸惑うことが多くなり、たまに大人ぶったコノエにリードを許してしまうことことさえあるくらいだ。以前の自分では考えられない。
 コノエのせいではない。時の必然性、とでもいうところか。だからといって、自分たちの関係がすぐに壊れてしまう、ということでもないだろう。何より、自分たちには、闘牙と賛牙としての絆がある。コノエは、いつも自分を思い、自分のために歌ってくれる。コノエの歌を聞くとき、全身に漲る力とともに、相手の自分への思いを確信する。この猫は、確かに自分の賛牙なのだ、と。力を得ると同時に、孤独な心が満たされる瞬間。
 コノエと出会い、行動を共にするようになってから、幾度陽の月と陰の月を交互に眺めてきたことだろう。自分は少し変わった。コノエと一緒にいるお陰で、穏やかに過ごす時間が多くなったように思う。
 このまま、ずっとこんな風に生きていけたら……。幸せ、などという言葉は自分には似合わない、と思っていた。そんな自分が今、その意味を自分のものとして噛み締めている不思議を思う。
 なのに、なぜか。
 時々ふと心に影が差す。
 幸せだ、と思えば思うほど、一方でそれがいつか壊れる不安に怯える。
 今にコノエは自分などには飽きて、もっと違う猫を求めるようになるのではないか。
 そんな、漠然とした不安に駆られるときがあった。
 コノエは、若い。力が溢れている。魅力がある。この先、もしかしたら自分などよりずっと相応しい猫が現れるかもしれない。
 コノエに比べて、自分は……。
 ライは、吐息を吐いた。
 認めたくはない。しかし、実際――自分は、弱くなっている。
 臆病な自分を、笑う。
 そうして、なぜか今……。この猫がここにいる。
「……ッ……!」
 乳首に言いようのない刺激を受けて、思わず声が漏れた。
 しまった、と思うが、もう遅い。
 黒い頭が上がり、ライを見上げる。
「痛かったか?」
 心配そうに見つめる濃紺の瞳が、どこか面映ゆい。
「い……や……」
 その、反対だ。
 気持ちがいいから、声が出た。
 だが、そんなことを言える筈もない。
「おまえのこれ、すごく敏感なんだな」
 アサトは、赤く尖った先端を指で摘みながら、事もなげに言う。
「ちょっと触って舐めただけなのに、もうこんなに、立ってる」
「ばっ、馬鹿!」
 ライの頬がかっと熱くなる。
 閨の睦言を、しれっとした表情で言ってのける黒猫に、こいつは本当に天然の馬鹿猫だ、と忌々しくなった。
 そんな風に相手の性感帯を描写する自分の言葉自体が、相手に与える刺激となることも意識していない。
 いや、本当に意識していないのか。
 相手の目を見る。大きくきょとんと見つめてくる深く濃い青。
(……してない、な)
 やっぱり――と、虚脱したように溜め息を吐いた。
「ここも」
「あ……お、おい……っ……」
 アサトの手が下の方を弄りだすと、自分でも情けないような声が出た。
(くそっ……!)
 意地でも声を出さないでおこうと思ったのに。
 しかし、そこを弄られると、さらに全身が蕩けるように疼き始めた。アサトの手の中に収まったそれが、突然の愛撫に反応し、どんどん膨らみ形を変えていく。熱が、下肢に溜まる。
「……は……あ――っ……」
 自分が今どんな顔をしているか、考えたくない。
 頭の中が真っ白になりかけていた。
 昂揚する気分と痺れるような心地良さが、ライの理性を奪っていく。
 火がついたように、全身が熱い。
 これは、熱のせいなのか。それとも……。
「ま、待て。俺は……気分、が……」
 言いかけた言葉が弱々しく空気に溶け込む。
 アサトの頭が沈んだかと思うと、彼のしていることを見て、ライは目を瞠った。
「やめろ、おい……ッ……――く……うッ……!」
 抵抗の言葉は襲いかかる快楽の波に呑み込まれて消えた。
 アサトの口の中にライの形を変え始めた雄がすっぽりと収まっていた。
「あ……う……あっ……」
 アサトの舌先がライの雄を愛撫すると、ますますそれは熱を帯び、大きくなっていく。ぴちゃぴちゃという淫らな音が耳朶を犯す。
「ふ……」
 必死に声を押し殺そうとする。しかし、興奮が高まるにつれ、それもだんだん我慢しきれなくなった。
「あっ……あ……っ……!」
 熱が高まる。
 いく。いって、しまう。
 こいつの口の中で。――いや、駄目だ。そんな、こと……。でも……!
 抑制しきれない先端から吐き出された白い液体が、アサトの口内に溢れた。
 アサトはそれをごくりと音を立ててほぼ全部飲み込んだ。嚥下しきれなかったものが、唇から顎にかけてだらだらと伝い落ちている。それを拭いもせず、さらに唇が奥の蕾へと移動する。
「は……なっ、何を……する、気だ……っ……!」
 アサトのしようとしていることを察して、ライは青ざめた。
「よ、よせ……っ……!」
「だめ、だ」
 アサトは唸るように一蹴すると、嫌がる相手の体をさらに深くシーツの上に縫い止めた。
 近づいてくる顔。
 ライは息を飲んだ。
 野獣の顔、だ。……これでは暴走する本能を止められるわけがない。
 そういえば、こいつには確か魔性の血が混じっている、と聞いたことがあったような気がする。
 ぐるる、と唸る声。
 欲望に満ちた瞳。
 ライは、怖れを感じた。
(馬鹿な……!どうして、この俺が、こんな猫ごときを……!)
 そう思ったとき、唇に相手の牙が当たった。痛い、と思った時には、既に舌が入り込んでいて、思いきり吸いつかれた。
「……ん……ッ……!」
 牙が唇を噛む。逃げようとする舌が絡み取られ、引っ張られる。痛みと呼吸の苦しさに、目尻が生理的に込み上げてきた涙でじわりと潤んだ。
 生臭い味が広がる。ぼんやりとした頭で、ようやくそれが先ほど、自分が吐精した残滓なのだということに気付いた。
 相手と自分の唾液に、精液と血の味がうっすらと混じり、気持ち悪さを感じながらも、気付くと自然にそれを飲み下していた。
 そうしながら、足を割られる。嫌だ、と抵抗する力も残ってはいない。口を封じられているだけで、半分気を失いかけていた。
 ようやく唇が離れたときには、両足を持ち上げられ、隠れた蕾に指が突き込まれていた。
「……ふぁ……ッ……!」
 予測していたこととはいえ、そんなところに挿れられるのは、久し振りだ。緊張して、一度に体が硬直した。指が中を掻き回し始めると、痛みと甘やかな刺激が同時に体の芯を駆け抜けた。
 狭い穴が徐々に広げられていく。入り口が震えながら、来たるべきそれを受け容れようと準備を始める。
「痛い、か」
 顔を歪ませていると、アサトがまた声をかけた。
 また、だ。
(こいつ……ッ……!)
 ライは涙目も構わず、相手を睨めつけた。
 犯そうとしている猫に、痛いかどうか聞くなんて、どういう神経か。
「……っ……い……たい、といえば、やめるのか。き、さまは……っ……!」
「……う、ん……それ、は……」
 アサトは一瞬考え込むような顔をした。
「……わから、ない」
「何を……ほざいている……!」
 ライは憤然と、声を振り絞った。自分でもなぜこんなにヒステリックになっているのか、わからない。犯されることへの屈辱と、意に反して快感を求める体の奥底から突き上げてくるような、そのひそかな欲望が、自分の中で激しくせめぎ合っている。そのせいで、もう何が何だかわからなくなっていた。
「……挿れたいんだろうがっ!」
 掠れる声を無理に振り絞った。
「……けど、おまえが、苦しいなら……」
 この期に及んで親切ごかしたことを言う猫に、苛立った。
 さんざん弄ったくせに、今さら何を言う。
「いいから、挿れろ……馬鹿、猫……ッ……!」
 腰がひくつく。怖れと半ば期待を抱きながら、それを求めている。
 アサトは穴をゆっくりと広げながら、もう片方でライの前を弄った。一度放ったのに、またそれは与えられた刺激に反応し始めている。
「……ぁ……あ、あ……ッ……!」
 アサトの熱い肉がライのそこを擦った。
 それだけで、体が撥ね上がりそうになった。双丘の間に宛がわれた肉塊がずぶずぶと中へ入ってくる。大きく太い異物の侵入に驚いた体が一瞬逃げ腰になったが、強い力で元の位置に押さえつけられると、後はおとなしく欲望を呑み込んでいくしかなかった。
 相手が中に入ってくる、生々しい感触に、全身が震えた。いつもは挿れる側であるだけに、同じ性行為でも、感じ方がまるで違う。
 受け容れる、という行為がこんなにも苦しく、そのくせ同時に、こんなにも満ち足りた悦びを感じるものであるかということを、実感した。
 そう……か。……これが、欲しかった感覚、なのか。
「……っと……」
 知らぬ間に、呟いていた。
「……も……っと……」
 もっと、欲しい。
 自分の中にある空白を埋めるもの。
 ぽっかりと穴の開いた冷たい空間を、熱い塊で満たしたい。
 まさかこの黒猫がそれを満たしてくれるとは、思いもしなかった。
 この猫のことを、どう思っているか。そんなことは、考える余裕もなかったし、今はもうどうでもよいことのように思えた。
 ただ、自分を満たしてくれる、この行為に熱中した。
 熱い。互いの吐く息が熱く頬を撫でる。息を弾ませながら、抱き合う。
 全てが自分の中におさまると、体の中に、燃え滾る生命の鼓動を、その強い存在を感じる。
「も……う、俺、の……もの、だ……」
 満足げな声が、呟く。
 ――俺のもの、だと?
 聞いた途端、何を……と思った。
 この馬鹿。馬鹿猫が……。
 この俺が、おまえの、もの……?
 冗談じゃ、ない。
 ぞっとした。
 気色の悪いことを、言うな。

 俺は誰のものにも、ならない……。
 俺は……。
 体が熱い。
 熱くて、変になっている。
 それだけのことで……。
 眼帯に手が触れた。間接的にくちづけられると、びりと刺激が走った。
 そっと、腫れ物に触れるように、眼帯が外される。
「……だ、めだ……」
 抗う声が、まともな声にならない。
 それを、見るな……。
 それは、コノエだけにしか見せたことがない、自分の……。
 傷跡を舐める音。閉じられた瞼から、伝わるほのかな熱。
 体が震える。
 どうしようもなく、震える。
 この傷を見せてしまえば、もう元には戻れないような、そんな予感がした。
「……どうして、おまえは……」
「……わから、ない……」
 同じ問いに同じ答え。
 繰り返される対話。
 どうして、なのか。
 尻尾が揺れると、ふわり、と黒い尻尾が絡みついてくる。
 間近から見つめてくる青い、青い瞳。
 この瞳に映る自分は、今、どんな姿をしているのだろう。
「ふ……」
 息を洩らすと、アサトの腰が再び動き出した。
 何度も穿たれながら、痛みと悦びを交互に味わい、上りつめていくうちに、もう何もわからなくなった。
 ――おまえは、誰、だ……?
 薄らぐ意識の中で、黒い耳に花の香りが重なり、消えた。
                                                 (Fin)

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