籠の中 (前編)
目覚めた・・・
・・・と思いつつも、意識が今ひとつはっきりしないのは、まだ重くだるいこの体のせいか。
イザークはとろんとした瞼を必死で持ち上げようとするが、ともすればまたすぐに眠りの淵に沈んでいきそうだった。
そんな彼の前に、
「・・・おはよう、イザーク」
すがすがしく声をかけてきたのは、あの憎らしい面・・・アスラン・ザラだった。
――そうだ、ゆうべはこいつの部屋に・・・!
昨夜の記憶が一挙に甦ってきた。
触れ合う唇・・・転がる氷片・・・絡み合う舌・・・
あの不思議ななまめかしい感触。
イザークはたちまち、羞恥に軽く頬を染めた。
あれは・・・何だったのか。
――夢・・・だったのかな。
目の前にいるアスランは何でもない顔をしてイザークを穏やかに見返している。
いつも、イザークが苛々させられる、あの余裕たっぷりの落ち着いた表情。
彼は制服をきちんと着込んで、既に部屋を出る用意ができている様子だった。
そのあまりに取り澄ました顔に、昨夜のことはやはり夢だったのだと、イザークは自分に言い聞かせた。
(・・・そうだ。やっぱり、あんなこと、あるはずがない・・・)
あんな――
あまりに、無節操な・・・!
恥ずかしさが込み上がり、イザークはきゅっと目を瞑った。
みんな、熱に浮かされた自分の妄想だったとはいえ・・・。
あまりに、それは生々しすぎて・・・。
とてもまともに目を開けてアスランを見ていられない気分だった。
そのため、自分を見つめるアスランの口元に、ふと謎めいた微笑が走ったことに、彼は少しも気付かなかった。
アスランの手がすっとイザークの額に触れた。
ひやりとする感覚に、イザークはびくんと一瞬怯えたように、身を震わせた。
そんな自分自身に、彼は少し苛立った。
――何で、こいつの一挙一動にこんなに敏感に反応しなければならないのか。
ちょっと触れられたくらいで、これだ。
・・・どうかしている。
「熱は下がったようだけど・・・まだ休んでいた方がよさそうだな。だいぶ顔色が悪い。隊長には俺が言っておくから」
アスランは手を引くと、まるで保護者のような笑みを浮かべて、イザークを見下ろす。
「・・・じゃあ、おとなしく寝てろよ。そこにある薬、ちゃんと飲んで」
そう言うと、身を翻してさっさと行こうとするアスランに対して、イザークは思わず叫んだ。
「・・・ちょ、ちょっと待て・・・!俺は、もうこれ以上貴様の部屋にいるつもりはないからな。今から自分の部屋に帰る・・・!」
――これ以上ここにいると、またヘンな妄想の虜になりそうだから・・・。
などとはさすがに言えず、ただイザークは必死で身を起こそうとした。
しかし・・・
おかしい。
何で、こうも体が重いのか。
体を起こした瞬間に、頭がくらくらした。
相変わらず、目の前がぼおっと霞む。
もう熱は引いたはずだが・・・。
奴も今さっき、そう言ったじゃないか。
なのに、何で――・・・
半分起き上がっただけでこれでは、寝台から出て歩いていくことなど、到底無理な気がした。
イザークの気持ちは萎えた。
恨めしそうに睨むイザークに、アスランは苦笑した。
「・・・なっ、無理だろ?――だから、わがまま言うなよ。ここで休んでいればいい。どうせ昼間は俺はいないんだから、どの部屋にいても同じだろう。・・・けど、そんなに俺の部屋にいるのが、イヤなのか?・・・なんで?――そりゃ、おまえが俺のこと嫌ってるのはわかってるけど・・・にしても、なんか、イザーク、ヘンだ・・・」
笑いながらも、その面が僅かに寂しげな翳を帯びる。
イザークはなぜか胸がちくりと痛むのを感じたが、すぐさま、そんな感情を振り払うように頭を振った。
(・・・馬鹿。何で、こいつのことをこんなに気にしなくちゃならないんだ・・・。こいつは俺の天敵じゃないか・・・!)
「・・・俺は貴様がイヤなだけだ。ただ、それだけだ・・・」
イザークはぎこちなく言うと、何となく瞳をそらした。
「・・・そう。それだけ――か」
アスランは静かに呟いた。
「・・・でも俺は・・・イザークのこと、嫌いじゃないよ」
真剣に覗き込んでくる翡翠の瞳にイザークはどきりとした。
なぜか、胸の鼓動が速まった。
何で、こんなに反応してしまうのか。
「――だから、そんなに怖がらないでほしいんだ・・・」
突然、その『怖い』という言葉が、イザークの戸惑いを高めた。
俺が、貴様を怖がっている、だと・・・?
じょ、冗談じゃない・・・!!
「――だっ、だから、何度言えばわかる・・・?!・・・俺は貴様なんぞ、怖がってないって・・・!」
慌てて、否定しようと飛び出してくる言葉を抑えるように、
「本当に、そう思ってる・・・?」
アスランが問いかけると、なぜかイザークはすぐに言葉を返すことができなかった。
・・・本当に、俺が怖くない・・・?
その言葉は――
・・・俺のこと、嫌いじゃない・・・?
・・・俺を・・・ちゃんと見てくれる・・・?
何だか、そんな風にも聞こえて・・・。
イザークは戸惑いながら、ただ黙って俯いた。
ああ、ダメだ。
本当に、こいつといると、頭がおかしくなりそうだ。
昨夜のあれだって・・・。
そうだ。
あれは、何だったんだよ・・・!
気色悪い真似しやがって・・・!
大体あんなことして怖がらない奴が、どこにいる・・・?!
しかし、イザークは出てこようとする言葉を呑み込んだ。
自分自身でも、あれが夢だったのか、現実だったのか、はっきりしない。
なのに、息巻いて抗議しても、相手の失笑を買うだけだ。
これ以上、こいつに失態は見せたくない。
そんな種々の思いを巡らせていた・・・
そのとき――
「・・・あんなことして、ごめん」
不意に、アスランの口から出た一言に、イザークはハッと我に返って視線を上げた。
「・・・な・・・に・・・?」
続きを聞くのが、怖いような気がした。
あんなことって・・・まさか・・・?
「ゆうべのあれ。・・・氷をあげようと思って・・・キスした。――おまえが、あんまり苦しそうだったから・・・」
淡々と言うアスランを前にして、イザークは顔から火が噴きそうだった。
「・・・アスラン・・・ッ・・・!」
この・・・変態・・・っ!
そんな、普通の顔して言うな、そんなこと・・・!
続く言葉が次々と胸の中に呑み込まれる。
「気にしてるんなら、ごめん。・・・でも、それ以上のことは何もしてないから」
それ以上のことって・・・な、何なんだ!
イザークは目の前がくらくらするような気持ちだった。
それ以上のことは何もしてない・・・って・・・
当たり前だ!!
キスだけで、十分じゃないか。
しかも、あんな・・・
あんな――濃厚なキス・・・!
やっぱり・・・こいつといるのは、危険だ・・・。
ようやく、まともな思考が戻ってきた。
・・・いやだ。
もういっときだって、この部屋にはいたくない。
ディアッカ・・・!!
なんで、こんなときにいないんだよ。くそっ!
焦るイザークに、アスランが水の入ったコップとカプセル薬を差し出す。
「・・・とにかく、これ飲んで・・・もう1、2時間寝たら、立って歩けるようになるだろ。そしたら、自分の部屋へ戻ればいい。俺はおまえを拘束しているわけじゃないから。勘違いしないでくれ」
そう言うと、アスランは今度こそ部屋を出て行った。
扉が閉まる音が聞こえた。
イザークは呆然とそれを見送りながら、深く息を吐いた。
止むなく、手の中の錠剤を口に入れ、一気に水で飲み込んだ。 こうなったら、奴が帰ってくる前に少しでも回復して、ここを出て行くしかない。
何となく、薬の嫌な匂いが鼻についた。
イザークは軽く眉をしかめると、そのまま横になり、目を閉じた。
瞬く間に、睡魔が押し寄せてきた・・・。
・・・どれくらい眠っただろう。
ふと目覚めたとき、イザークの頭はまだ重かった。
しかし、何となく体の調子はだいぶマシになったようだ。
その証拠に、今度はすんなりと身を起こせた。
薄暗い室内を見回す。
誰もいない。
まだアスランが戻ってきていないところを見ると、1日寝ていたわけでもなさそうだ。
イザークはほっと息を吐いた。
――今の内に、部屋へ戻ろう。
彼は寝台からゆっくりと足を下ろした。
靴を履き、久し振りに立ってみるが、床を踏んだ足元は心なしか頼りない。
それでも、何とか歩ける。
まあいい。
何とか自分の部屋までは行き着けるだろう。
イザークはふらつく体を抑えながら、そっと扉の前まで歩を進めた。
――ところが・・・
イザークの顔が色を失った。
開かない。
扉にロックがかかっている。
彼は慌てて扉の傍のキイボードを探った。
ダメだ。
個人パスワードで外から施錠されていて、内側からは開かないようになっている。
間違いない。
アスランが、ロックしていったのだ。
嘘だろう・・・?!
何で・・・っ・・・?
イザークは困惑した。
これじゃあ・・・
(・・・ここから、出られないじゃないか・・・!)
・・・閉じ込められた。
という考えが頭の中に浮かんだ瞬間、ぞくりと体の芯まで冷える思いがした。
――おまえを拘束しているわけじゃないから・・・――
・・・って、あの言葉は何だったんだよ!
しっかり、してるじゃないか・・・!
(・・・くっそおおお・・・・っ・・・なに、考えてんだよ、あいつ・・・!!)
怒りが込み上げてくる。
しかし同時に、この状況が何となく恐ろしくもあった。
い・・・やだ・・・!
ここから、出たい・・・
――出してくれ・・・!!
全身からがっくりと力が抜け落ちていくようだった。
イザークは、痛む頭を抱えたまま、扉の前に力なくうずくまった。
(to
be continued...)
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