籠の中 (後編)
「・・・よお、アスラン。イザークの具合、どうだ?」
ロッカールームでアスランを見るなり、ディアッカが声をかけてきた。
「・・・ああ。熱は下がったようだが、まだ具合が悪そうだ。今日は無理だな。だから、そのまま寝かせてきた」
アスランは、パイロットスーツに着替えながら、淡々と答えた。
ディアッカは眉根を寄せた。
「・・・へーえ・・・そんなに悪いの。放っておいて、大丈夫なのか?・・・だったら、医務室に寝かせといた方がいいんじゃねーの?・・・なんなら、俺、連れて行くけど――」
そう言いかけたディアッカに、アスランが矢のような視線を向ける。
「いや、その必要はない!・・・薬は飲ませてきたから、大丈夫だ。そのまま寝かせておけばいいさ。しばらくしたら、俺が一度様子を見に戻るから」
その言葉に、そうかと頷いたものの、どことなくとげとげした言い方が気になって、ディアッカは内心首を傾げた。
(・・・なあーんか、引っかかるよなあ・・・一体どうなってんの、こいつらって・・・)
しかし、彼はそれ以上は深く考えようとはしなかった。
つくづく、アスランもわからない奴だな、と思う。
――やっぱり、いつもトップ取る奴って、どっか普通の奴と思考回路が違うのかもな。
それをいえば、結局イザークだってヘンな奴だもんな・・・。
そう思って、ディアッカは内心くすりと笑う。
――なんだかんだいって、あの二人・・・ヘンな奴同士で気が合ってるのかもな。
・・・ま、いいか。昨夜は久し振りに部屋で穏やかに過ごせたことだし・・・。
あーあ、俺も最初からニコルと同室だったら良かったんだけどな・・・。
イザークがいなくて寂しい気がしないでもなかったが、それでも昨夜のニコルとの静かなひとときを思い出すと、ディアッカはしみじみそう思わずにはおれなかった。
いつも空クジを引くのが自分の運命だとはいえ・・・イザークのお守りも毎日だといい加減疲れる。
――どうせなら、もう2、3日くらいアスランに預かってもらってもいいかな。
イザークの気も知らず、ディアッカはのんきにそう思ったりもした。
イヤだ・・・
出してよ・・・!
お願いだから・・・
ここから、出して・・・
閉じ込められるのは、イヤだ・・・
ここから、出たい・・・!
・・・幼い頃、叱られてこんな風に部屋に閉じ込められたことがあったっけ。
まるでその当時に戻ったかのようだ。
扉の前で体を丸め、小さな子供のように震えながら・・・いつしかイザークは再び、眠りに落ちていた・・・
「・・・イザーク、起きろよ。こんなところで寝てたら、また熱が出るぞ」
ん・・・
イザークはアスランの手で床から体を引き起こされた。
どうやら、扉の前であのままずっと寝てしまっていたらしい。
まだぼんやりとする意識のまま、それでも相手の姿を認めると、彼の怒りがたちまち沸騰した。
「・・・ア、アスラン!き、貴様という奴は・・・!」
どこまで――
どこまで俺を馬鹿にすれば気が済む・・・?
イザークは怒りに唇を震わせた。
「どういうつもりだ・・・な、何で、こんなことをする・・・?!」
「こんなことって?」
平然と問い返すアスランに、イザークはさらに目を剥いた。
「・・・とぼけるな!!・・・貴様、俺を・・・ッ・・・」
・・・ここに閉じ込めていっただろうが!
と言いかけて、イザークは一瞬躊躇った。
自分で言うと、それはひどく情けないことであるような気がした。
こいつに、閉じ込められた・・・などと。
そして自分が小さな子供のように、恐怖に身を震わせていたなんて・・・
絶対に認めたくない・・・こんな・・・屈辱的なこと・・・!
「・・・俺は、あれからずっと、ここから――出られなかったんだぞ・・・!・・・貴様が・・・外からロックしていったおかげで・・・!!」
「ああ・・・そうだった。――ごめん。つい、おまえのこと忘れていつものようにロックしていったんだ」
アスランは笑って、そう言った。
イザークは呆気にとられた。
――忘れて・・・だと?
(・・・そんな・・・簡単に言うなよ。くそっ・・・!)
でも――
・・・故意に閉じ込めたわけじゃなかったんだ。
少しほっとする反面、新たに怒りが込み上がってくる。
「そうか。・・・ひょっとして、閉じ込められたとでも思った?」
アスランが悪戯っぽい目でイザークを見た。
――また怖がらせたんだね。ごめん。
アスランの瞳からそんな言葉が聞こえてくるようで、イザークはやや顔を赤らめた。
・・・言われたくない・・・貴様から、そんな風に・・・!
「バ、バカッ!だっ、誰が、そ、そんなこと・・・!」
しかし、出てくる言葉は舌先でもつれてしまう。
そのとき、ふとアスランの瞳がけぶるような、不思議な色を見せた。
イザークはそれを見た瞬間、ぞくりと体が冷えるような感覚に襲われた。
時々・・・こいつは、不思議な目をして俺を見る。
こんな風に・・・。
感情の抜けた、冷たい氷のような眼差し・・・。
まるで・・・アスラン・ザラではないような・・・。
少なくとも自分が知っているあの憎らしい年下の少年とは、全く違う未知の存在になってしまったかのようだ。
だが、今の今、こいつのこんな顔を見たくない。
――もしかしたら・・・
イザークはふと、思った。
――こいつ・・・本当に・・・
――本当に・・・俺を閉じ込めるつもりだったのかも・・・
そう思った瞬間、彼は、自ずと体が震え出すのを抑えることができなかった。
この感覚・・・何なんだろう・・・
怖い・・・でも・・・それ以上に・・・
・・・この妙な感情の高ぶり・・・。
目の前の見知らぬ顔をしたアスランの唇がゆっくりと動く。
「・・・そうだな。閉じ込められるものなら・・・閉じ込めておきたいけど・・・」
アスランがそう呟くと、イザークはぎょっと目を瞠った。
舌の上で言葉が凍りついた。
「・・・なに固まってんだよ、イザーク」
アスランは口の端を緩めた。
子供のようなあどけなさを湛えた、そのイザークの驚いたような表情が、たまらなく彼の心を刺激した。
イザークのこんな顔を見られるのは、今だけだ。
外ではめったに見せないだろう、本当のイザーク。
小さな子供のように震える・・・
細い手首・・・華奢でしなやかな体躯・・・白皙の透けるような肌・・・
・・・そう、まるで――
アスランはふっと目を閉じた。
幼い頃の微かな記憶が・・・甦る。
ぱたぱたと羽音がする・・・。
鳥籠から逃げた小鳥は、あっという間に、手の届かないところへ飛んでいってしまった。
泣きじゃくる幼いアスランに、
――生き物は、閉じ込めておくものではないのよ
諭すように母は言った。
・・・自由にしてやれて、良かったのだと。
――おまえの管理が悪いからだ
責めるように一言言ったのは、父だった。
・・・かわいそうに。あの鳥はおそらく生き延びることはできない・・・
どちらの言うことが、正しいのか・・・アスランにはわからなかった。
しかし、とにかく、籠から逃がしたのは失敗だったと唇を噛んだ。
ずっと籠の中に入れておかねばならなかったのだ。
それはあくまで自己満足のためだった。
小鳥のことを考えてのことではない。
籠の中に閉じ込めて、いつまでも自分の傍に置いておきたい。
どこへも、行かないように・・・いつも手元で眺めていられるように。
・・・あのときの小鳥の姿が、目の前の少年となぜか重なった。
小さな、震える白い小鳥・・・。
アスランは目を細めた。
・・・なんで――
――おまえは、俺の心をこんなにも捉えて離さないのか。
・・・このまま・・・
・・・このまま、おまえを抱き締めてしまおうか。
抱き締めて・・・本当に、俺だけのものにしてしまおうか・・・。
ふと暗い欲望が胸をよぎった。
小鳥を鳥籠の中に閉じ込めてしまうように・・・。
この小鳥の白い羽根をもぎ、二度と飛べぬようにして・・・籠の中に永遠に置いておけるものなら・・・。
いつもこの腕の中に抱いていられるなら・・・
――できぬことだとはわかっていても、暗い欲望が胸の奥で燻るのはどうにも抑えようがなかった。
・・・イザーク・・・!
アスランは燃えるような瞳をイザークに据えた。
イザークは怯えたように、肩を震わせた。
これから起こることを予測するかのように・・・プラチナブロンドの髪が、不安げに揺れた。
アスランはそっと息を吐いた。
イザーク・・・
おまえを、傷つけたくない・・・。
でも、それでいて――
俺はやっぱり、おまえのすべてを手に入れたくて、仕方がない・・・。
燃え上がるような欲望の海に溺れながら、アスランの手はゆっくりと震える小鳥の胸へと伸びていった・・・。
(Fin)
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