呪 焔
(1)
指の先で紙を弄る。
不器用な小さな手が何度も折り直した跡の残る、紙の折花が目の前で揺れる。
折り目のずれた花びらの先がいとおしくて、隙間の開いた合わせ目を指でそっと撫でた。
(――これ……)
にっこりと笑って、この花を差し出したあのあどけない顔が瞼の裏に浮かぶと、たまらなくなった。
忘れようとしても、忘れられない。
(――今まで守ってくれて、ありがと)
――今まで、守ってくれて……。
守れなかった。
あの笑顔を、差し出された小さな手を、守れなかった。
目の前でビームに貫かれ、爆発していくシャトルを、何もできずにただ見ているしかなかった。
思い出すたびに、胸を抉られるようだった。
あのとき――
守れた筈では、なかったのか。
何度となく繰り返した自問、だった。
守らなければ、ならなかった。
それなのに……。
――目の前で、見殺しにした。
指先で、花が震えた。
苦い痛みが、走る。
どうして?
なぜ……?
込み上がってきそうな嗚咽を堪え、唇を噛む。
どうしても、赦せない。
守れなかった、自分が。
そして――
無情に放たれたビーム。
鮮やかな光が何度も目の奥を焼く。
(やめろおおおーーーーー……!)
(そこには……っ……!)
――そこにはっ……あああーーっ……!
コクピットの中で絶叫する自分の悲愴な声が、未だに頭の中をこだまする。
ビームが放たれた後、勝ち誇ったような笑いが聞こえたような気がした。
――赦、せない……。
菫色の瞳の奥に暗い焔が躍る。
赦せない。
己自身と、そして――
それが、何者なのかはわからない。
だが、確かに存在する筈の……。
あの機体に乗っていた、パイロット。
ビームを撃つ引き金を引いた、その指が。
確かに存在したのだ。
あの瞬間。
あの空間で。
あの、とき……
急に、憎しみがはっきりとした形を取り始めた。
もう、巡り会うことなどない筈の、相手。
だからこそ……怒りを向けるしか、ない。
そうしないと……自分自身が、壊れてしまいそうで……。
わけのわからない感情の歪みの中に溺れていく自分を意識しながら、それでも思わずにはいられなかった。
(いつか……きっと……)
もし、そいつを目の前にすることがあるならば……。
――自分は……
脆い花が手の中で今にも砕けてしまいそうになるくらい、いつしか指先に加わる力が強まっていた。しかし、そんなことにすら気付かぬほど、彼の意識はただひたすらに違う方向へ向かって走っていた。
彼自身、胸の奥から徐々に昂ぶり始めていたその暗い感情の焔を感じ取っていたかどうか。
まだ、見たこともない誰か。
彼方にいる筈の、その何者かに向かって……彼は沸々と滾る怒りと恨みに、胸を震わせ続けた。
「そのIDで工場の第一エリアまでは入れるが、そこから先は完全な個人情報管理システムでね。――どうしようもない」
朝靄のかかったオーブ海岸。
工場の作業着に着替えた4人に向かって低声で淡々と説明する男の顔は、機械のように無表情だった。
愛想の欠片もない冷めた口調が、イザークをひそかに苛立たせた。
(どうしようもない、だと?)
ちっ、と舌打ちすると、睨みつけるように相手の顔を見た。
やる気のなさそうな、腐った魚のような目だ。
地球の空気がそうさせたのか。
コーディネイターの匂いを感じさせない、粗野でどこか生彩の欠いた顔をしていた。最初に見た瞬間から、どうも虫が好かなかった。
相手もそれを感じ取っていたのだろう。無感情な目が、時々ちらとこちらを見る瞬間が、あった。見た目には何の感情も表していないその目に、突き刺すような冷たい敵意を感じた。
(嫌な奴だ)
苛々する心を抑えながら、相手から目を背けた。
「何だよ、何怒ってんの?」
傍らで、そっと囁く声にちらと視線を向けると、ディアッカがにやりと笑ってこちらを見つめていた。
「私情は挟むなよ。今は『ザラ隊長』に、従うしかないんだからさ」
囁きながら肩を突つくその仕草が、無性に燗に障った。
「うるさいっ!」
大きな声を上げて相手の手を強く払うと、ディアッカはもとより皆が驚いたように一斉に二人を見た。
「イザーク?何やってる」
アスランが嗜めるような視線を送ると、イザークの頬に忽ち朱が差した。
「なっ、何でもないっ!」
「任務中だぞ」
淡々と注意するアスランに、忌々しさが増す。
「わかっているっ」
ぶすっとした口調で答えると、傍らでディアッカがやれやれと肩を竦めた。それをきっと睨みつけると、ディアッカは慌てて顔を横へ向けた。
「――と、いうことだが」
軽い咳払いで注意を再び自分へ戻した男はそう締めくくった。
「わかった。後は、こちらで何とかする」
アスランが答えると、イザークは後ろで眉を上げた。
(こちらで、何とか……ね)
彼はふん、と鼻を鳴らした。
――いよいよお手並み拝見、というわけだな。
わざと馬鹿にしたように、眼を眇めて少し手前に立つ紫紺の後ろ髪を見つめる。
(――『ザラ隊長』)
後ろから精一杯皮肉な視線を注いでいることに、相手が気付いたのかどうか、感情を表さぬその無表情な横顔からは何とも窺い知ることはできなかった。
「おい、待てよっ!」
後ろから呼びかける声がする。
まるでそれが聞こえないかのように、イザークはさっさと歩を進めた。
「待てったら!……はぐれたら、どーすんだよ!」
肩を掴まれて、ようやく足を止める。
振り返ると、引き止めた相手をきっと睨みつけた。
「うるさい奴だな。……一体、何だ」
「だから……勝手に……どんどん、先、行くな……って……」
ディアッカは少し喘ぎながら、ようやくそう言った。
「貴様がとろとろ歩いているからだ」
ふん、と鼻をそびやかして言い放つイザークに、ディアッカは大仰に溜め息を吐いた。
「あのさー、偵察ってのはね、ゆっくり周りを観察しなきゃ意味ないんだよ。わかってる?」
「そんなことは貴様に言われるまでもないっ!」
険悪な視線を避けるように微妙に顔を逸らしながら、ディアッカは少し声を潜めた。
「だからさ、そう目立つような声張り上げんのもやめたら?俺たち、一応『潜入』してる身なんだからさ」
「貴様、いつからこの俺に説教できる身になったんだ?今日はずいぶんと偉そうな口を聞くじゃないか、ええ?おまえも『隊長』に影響されたか?まさか、いつのまにか『ザラ隊長』に鞍替えするつもりなんじゃないだろうな」
蔑むようなイザークの口調に、ディアッカもむっと顔を顰めた。掴む肩に込める力も自ずと強くなる。
「あのさー今の発言、どういう意味かわかんねーけど、すっげーむかつくんだけどさ。俺は、誰の下にもついてるつもりねーから。これまでも、今もさ。てか、はっきり言うけど……我儘もいい加減にしたら?任務中にまで私情持ち込むなよな。アスランが隊長になったからって、いつまでも拗ねてんじゃねーよ。ガキじゃねーんだからさ。負けて悔しいのはわかんねーわけじゃねーけど、いつまでも引きずんなよ。俺達、軍人、なんだぜ。で、今お仕事中。隊長の指示に従って、任務優先だろ。それをぐだぐだ不機嫌の八つ当たりされちゃかなわねーよ。付き合わされるこっちの迷惑も考えろよ」
確実に地雷を踏んだ物言いに対して、相手の顔にみるみる怒りが満ちていくのがわかったが、ディアッカはもはや気にしなかった。
日頃の、そしてこれまでの鬱憤が全て吐き出されたような気がするが、それも構わなかった。
嘘ではない。自分の本音だった。これほど露骨に口に出す勇気はさすがに今まではなかったが。
勢いというのは怖ろしいもので。いったん言い出すと、なぜか止まらなくなった。そして、少しすっきりした。
(付き合ってらんねーぜ!)
自分だって好きでこのペアになったわけじゃない。
何なら、アスランと自分、ニコルとイザークという組み合わせでも良かったんじゃないか、と思う。
なのにこうなったのは、周囲もいつのまにか自分がイザークのお守り役で、自分とイザークのペアが必然だと思い込んでしまっているからではないのか。冗談じゃない、と思った。
(この、ワガママ王子が!)
少し感情が昂ぶっていることは自覚したが、いつものように下手に出て、相手を懐柔しようという気も起こらなかった。
「……………」
イザークは睨みながら、黙って肩から相手の手を振り払った。
くるりと踵を返すと、今度は来た方向へ向かっていきなり早足で歩き出す。
「お、おいっ、何だよっ!」
置いてきぼりになりかけたディアッカは、また慌ててその後を追いかけた。しかし今度は一向に歩調を緩めないイザークになかなか追いつけない。
「ちょっ、ちょっと!イザークっ!」
少しずつ混んできた人の波が二人の邪魔をする。
二人の距離は次第に離れ始めた。
「イザークっ!」
呼びかけるディアッカの声を無視して、イザークはひたすらに足を速めた。
(……ちぇっ、待ち合わせ場所はわかってるだろうから、まあ、いいか……)
途中で馬鹿らしくなって、ディアッカは追いかけるのを諦めた。
どうしていつも自分ばかり、イザークの面倒を見てやらなければならなくなるのか。
先ほど交わした会話を思い出すと、だんだん不愉快度が増してくる。
(迷子になって、泣いても助けになんか行ってやんねーからな!)
僅かな不安を抱きながらも、敢えてそんな風に突っぱねた。
合流時間まで、まだ間がある。
自分は自分でこの町をもう少し探索してみよう。
少しいい加減な笑みを浮かべながら、ディアッカはゆっくりと人込みを縫って進み始めた。
(to be continued...)
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