呪 焔
(2)
(……くそっ、ディアッカの奴……!)
イザークは荒々しく地面を蹴りつけるように、歩き続けた。
――くだらない諍いをした。
背を向けた瞬間後悔したが、かといって、すぐにディアッカと和解しようという気にもなれなかった。
(――アスランが隊長になったからって、いつまでも拗ねてんじゃねーよ……!)
――アスランが隊長になったから……。
その言葉を投げつけられたとき、猛烈な怒りで息も吐けなくなった。
しかし、何も言い返せなかった。
なぜなら……。
その通り、だったからだ。
わかってはいても、わざわざ屈辱的な言い草で指摘されると、やはり腹が立つ。
(ディアッカの馬鹿野郎が……!)
相手を罵りながら、後も振り返らず、がむしゃらに前へ進んだ。
ディアッカなど、もうどうでもよい。
そのうち、後ろから呼びかける声も聞こえなくなったが、気にもしなかった。
(あんな奴、いない方がせいせいする!)
これからは、単独行動だ!と心の中で啖呵を切ったものの、それからいくらも行かないうちに、既に方向感覚が危うくなり始めていた。
来た方向を戻っているつもりが、勢いで歩いているうちに途中でわからなくなり、それを適当に右や左へ曲がって修正しようとするものだから、さらに混乱した。そうして、もはや自分がどの位置にいるのか見当もつかなくなったときに、ようやく我に返って足を止めた。
いつのまにか人気が随分少なくなっていた。
通りの幅も少し狭まってきたようだ。
両側に並ぶ店はどこも閉まっていたが、どこかいかがわしげな様相を呈している。恐らく朝から開く類の店ではないのだろう。
妙な場所に迷い込んでしまったな、とイザークはひそかに舌打ちをした。何とか最初に上陸した海岸に近い、待ち合わせの公園まで辿り着きたいのだが、さっきからずっと見たこともない場所をぐるぐる回っている。
しかし連絡を取るのも、気が進まなかった。傍受される危険性もあり、そう頻繁に使えないということもあるが、イザークにとってはそれ以外の問題が大きかった。
(――『道に迷った』だと?)
……馬鹿な!
イザークは頭を強く振った。考えただけで恥ずかしさに頬が熱くなる。
――そんなこと、他の奴に言えるか!
特にアスランには……。
困ったように苦笑するあの取り澄ました顔を想像するだけで、かっとなった。
これ以上、奴に侮られる種をつくってどうする?
イザークは湧き上がる屈辱の感情に耐え、歯を喰いしばった。
(くそッ……!)
絶対に言えない、と思った。自分で何とかする他ない。
だが、たいしたことではない。小さな町ではないか。ただ、初めての場所で少々土地勘がない、というだけで。冷静に考えれば、どこで道を間違ったのかすぐにわかるだろう。
取り敢えず、引き返そうかと振り向いた瞬間、どきりとした。
少し離れた道の脇に佇み、じっとこちらを見つめている男の姿が目に入る。見覚えのある顔だった。
(……あいつ……?)
イザークと目が合うと、男はにやりと笑った。
笑って、いる。――あんなに無表情だった淡白な瞳が、今はやけに活気づいて見える。そのささいな容貌の変化に、彼は少し意表を突かれた。
しかし、それでも最初に相手から受けたあの嫌な感じは変わらない。いや、さらに不快感が増したといった方がよい。
(何だ、あいつ……)
そもそもどうして、ここにいるのか。
――まさか、後を……。
尾けられていたのか、と思うと嫌な感触がざわりと背を這った。
いつから?
彼ら四人が二手に別れた後から、ずっと……?
しかし、なぜ……?
おかしそうにこちらを見つめていた相手がやがてゆっくりとその手を振るのが見えた。
こちらへ来い、と誘っているかのように見える。
イザークは顔を顰めた。
できるものなら、無視して通り過ぎたかったが、そう思ったときには既に相手がこちらへ歩み寄っていた。どうしても接触せざるを得ない状況になり、イザークは不快げに近づいてくる相手を待った。
「……どうやら、迷っているようだが――」
近づきながら、男が声をかけた。
「メインストリートまで連れて行ってやる。ついて来い」
その馴れ馴れしい命令口調が、イザークの癇に障った。
「……何だ、貴様――」
イザークは険しい視線を送った。
「誰が、そんなことを頼んだ……!」
倣岸に睨みつけるイザークを見て、男はほう、と軽く息を吐いた。
「違うのか。――もう一人と別れてから、だいぶうろうろしているようだったから、てっきりそうだと思ったんだが」
「――……っ!」
やはりずっと尾けられていたのだ、とわかると、イザークは怒りに一瞬息を詰まらせた。
「……きっ、貴様っ……なっ、何で……っ!」
男の目が眇められる。
「この辺りは通りが入り組んでいるから、初めてだとわかりにくい。一日うろついているだけの余裕があるなら、構わないが」
「………………」
イザークは唇を噛んだ。
いつまでも時間をくっているわけにもいかないし、待ち合わせ時間に現れなければ、当然連絡が入る。そうすれば、自ずと自分が道に迷っているということは仲間に知られてしまう。
「……行くぞ」
男は踵を返すと、さっさと歩き始めた。
少し躊躇いを見せたものの、結局イザークはその後に従った。
「んー、『可愛い』子はそこそこいるけど、『綺麗な』子ってのはなかなかいないもんだねー。やっぱ、艦長クラスにはそうそうお目にはかかれない、か」
オープンカフェの椅子にだらしなく凭れかかり、サングラスの奥から街を行く女性にちらちらと視線を走らせていた金髪の男がふう、と大仰な溜め息を吐くと、向かい側に座っていたもう一人の青年が呆れたような目を向けた。
「だからっ……もう、帰りましょうって、フラガ少佐。こんなことしてるのバレたら、俺ら、どうなるか……」
「おいおい、今さらなーに弱気になってんの?」
ムウ・ラ・フラガは困った顔の青年を前に、呑気な笑みを浮かべた。
「それに何も俺は無理について来い、って言ったわけじゃないけど?」
「そ、そりゃまあ、そうですけどー……」
トノムラはきまり悪げに頭を掻いた。確かに、フラガの悪魔の誘いを断われなかったのは、事実だった。しかし、フラガについて外に出てしまった瞬間、彼はやはり止めればよかったと後悔した。
ザフトには秘密裡の、アークエンジェルのオーブへの入港だ。
当然、自分たち艦員も厳しく行動を規制される。それが、こんな風にこっそり抜け出して、街中でガールウォッチングなどしていることを知られたら……。
少佐め、とトノムラは自分を巻き込んだフラガを恨んだ。
「もう二時間は経ってますし……そろそろ戻った方が……」
フラガは苦笑した。サングラスを取って天井を見上げると、大きく息を吐く。
「あーわかった、わかった。もう戻るからさ!」
口ではあっさりとそう言ったが、内心は別だった。
(――まーったく、人選を誤ったよなあ、俺も。やっぱ、坊主を連れて来てやった方が良かったかなあー。それともマードックを引っ張ってきた方がマシだったかな……)
無理をしている少年を見ているのが痛々しくて、少し元気づけてやりたいという気もあったのだが、モビルスーツの操作に関するコーディネイターの格別な能力を欲する周囲の眼は、彼を片時も放そうとはしなかった。
(あれじゃあ、息を抜く間もないよなあ。かわいそうに)
常に人々の注目の的になっているキラを連れ出すことなど、到底無理だった。
フラガは心の中でひそかに嘆息した。
考えても仕方がないことだ。
取り敢えず、本気でそろそろ戻るかなと思い、腰を上げる。
「じゃあ、行くかー……って、あれ?」
ふと顔を上げたそのとき目に入ったものに、彼はあっと小さな声を上げた。
急に椅子から浮きかけた体をそのまま宙で止めたフラガに、トノムラが不審の目を向ける。
「どうかしたんですか?」
目線の先を追いかけた。
「へえー……!」
フラガの口元が緩むと、彼はひゅう、と口笛を吹いた。
「いたいた。綺麗系が……」
「ええ?」
驚いたトノムラが必死で綺麗な『女の子』を探している間に、フラガの視線は歩いて行くその銀髪の後ろ姿に、熱っぽく注がれていた。
工場の作業服を着た、少年。どうということもない。
ただ――
汚れた帽子の下から覗く銀色の髪が、ふと目を引いた。
通りがかった一瞬の横顔を、フラガは見逃さなかった。
(なん、だ。あの顔……?)
ぞくっとくるほど、綺麗な顔、だった。
女の子か、と思ったが、どうも違うようだ。
(ウソだろう?あんなの、工場にいるのか?)
どこのエリアだろう?見かければ、すぐにわかるだろうが。
しかしそれにしても、何でこんなところをふらふら歩いているのか。自分たちのことはすっかり棚上げで、首を捻る。
後ろ姿が視界から消えていきそうになったとき、はっと我に返った。
フラガは椅子を蹴るように飛び立つと、目を瞠るトノムラの肩に軽く手を置いた。
「悪い。俺の分も支払い、頼むわ。後でちゃんと返すからさ」
「えっ、……って?ちょっ、ちょっと待って下さいよ。少佐?どこ行くんですか!少佐―!」
慌てて自分たちの立場も忘れ大声で叫ぶトノムラを後に残し、フラガは憑かれたように、目の端に僅かに焼きついた銀髪の少年の姿を追った。
――細い路地裏を通りながら、何か変だ、と感じた。
いつまで経っても大通りの喧騒は伝わってこない。
それどころか、ますます人のいない寂れた場所へ導かれているような気がする。
(……変だ)
疑念が強まったとき、彼の足はぴたりと止まった。
前を行く男も、その気配に気付いて立ち止まり、振り返る。
「――どうした?」
「……………」
イザークは黙って相手を睨みつけた。
男の顔に嘲るような笑みが浮かぶ。
「……どう、した?」
再びゆっくりと問いかける男から、はっきりとした悪意を嗅ぎ取った。
「――何が、目的だ……」
そう言いながら、イザークはこの男の罠にまんまと嵌まった自分の愚かさを呪った。
「ふ……」
男が、忽ちおかしそうに顔を歪めた。
「目的、ね……」
そう繰り返す男の声からは、何を今さらそんなことを、といったニュアンスが露骨に感じ取れた。
「それを言うなら、そもそも、なぜあんたの後を尾けたのか、ということだが――」
あっさりと白状する男に、イザークは眼を吊り上げた。
「……やはり、尾けていたんだなっ!」
叩きつけるように叫ぶ声に、激しい怒りがこもる。
しかし男はそんな風に怒鳴られても全く動じる様子もなかった。悠然とした表情で対峙する男に、イザークの苛立ちが増す。
「――何のつもりだっ!」
すぐに応答しない男に声を荒げて迫ると、男はふ、と小さく息を吐いた。笑いを含んだ息が零れたように感じられた。値踏みするような視線を浴びて、イザークは不快げに顔を顰めた。
「……何、だ……?」
自分でも気付かぬうちに、戸惑いが声に現れていたようだ。
男の目が鋭く閃いた。
「――あんたに、興味があったからさ」
「……俺、に……?」
「目立つからな、あんたは。良くも悪くもな。……わかるか?怖ろしく綺麗だが、酷く傲慢で生意気な顔だ。いかにも絵に描いたようなコーディネイターの典型、って奴だな。しかもそのコーディの中でも生まれも育ちもさらに特上のエリート様ときてる。まあ、当然なんだろうがな。それでも、その澄ました顔を見ていたら、何だかだんだん胸糞が悪くなってきたのさ」
「……何を言ってる、貴様……!」
話しながら、相手の目に宿る危険な妄執にも似た光に、次第に警戒心が強まる。
「――貴様もコーディネイターだろうが……!」
「ああ、そうだ。だが、コーディネイターにもいろいろある。俺は残念ながら、あんたらとは違って、宇宙(そら)から落とされた身なんでな」
卑屈な目が、美しい面に皮肉な笑みを投げた。
「あんたらには、わからんよ。俺たちみたいなのがどんな気持ちで生きてるか、なんてな」
「……ふん、そうだな。わかりたくもない」
イザークは苦虫を押し潰したような表情で、言い返した。
「そんな風に、自分自身を貶めているのは貴様自身だ。俺は貴様の気持ちなどわかりもしないし、わかりたくもない!」
忌々しげに怒鳴りつけると、男に背を向けた。
もはやそれ以上不毛な会話を交わす気にはならなかった。
――狂っている。
狂った男の妄想に構ってやれるほど、自分は暇ではないのだ。
「おい」
歩き出そうとするイザークを、男が鋭く呼び止めた。接近してくる気配を感じる。振り返るまい、と自然と足が速まった。
「待てよ」
「悪いが貴様の戯言に付き合っている暇はな――」
しかし、捨て台詞を言い終わる前に、イザークの体は凄まじい衝撃を受けて、跳ね飛ばされた。
地面に叩きつけられた痛みよりも、その直前に体が受けたダメージの方が大きかった。
一音も――悲鳴すら上げる間もなかった。
一瞬で、それは体を直撃していた。
開きかけた口は息を吸い込めぬまま、痙攣に震えた。
(――な……に、が……――?)
まだ空中に放電の残滓を撒き散らす銃を構えた男の姿がうっすらと開く瞼の間に垣間見えたとき、彼はやられた、と思った。
――スタンガン、だ。
ゲージレベルは……。
近接距離から受けたその凄まじい衝撃に、体は完全に麻痺しきっている。だが、意識だけはまだぎりぎり保っている。
(くそっ、こんな……っ!)
胸の内で毒づいた。最初から不穏な匂いを嗅ぎ取ってはいたが、まさかこんな風に直接攻撃されるとは、思いもしなかった。
何となく虫が好かない。見ているだけで腹が立つ。……そんな人間はいくらでもいる。だからといって、それが全て『敵』となるわけではない。
しかも、相手はプラントの工作員。……一応自分と同じ立場に立つ側の人間、なのだ。その相手から、まさか……。
だが……そう思っていたのは自分だけ、だったのだろうか。
――完全に相手を侮っていた。
自分の迂闊さに、臍を噛む。
相手の不穏な表情や動きから、こうなることは当然予測できた筈ではなかったか。
なぜ、こんなにも簡単に相手に隙を見せてしまったのか。
ザフト軍人とは思えぬほどの失態だった。
(……くそ……っ……!)
……ここのところ、ずっと心が、乱され続けていた。正常な判断もできぬほど。逆巻く感情の波に左右されて……。
それもこれも、みんな――
(あいつのせい、だ……!)
突然、恨みがましいし思念が堰を切って溢れた。
――みんな、あいつの……。
――あいつの、せいで……っ……!
理不尽ともいえる怒りの向かう矛先が、目の前に鮮やかに浮かび上がる。
――アスラン……っ……!
こんな姿を、あいつに見られたくない。
絶対に……嫌だ……っ……!
そう思うと、必死で四肢を動かそうともがいたが、やられた体はなすすべもなく、地面に転がったままだ。
目の奥がじんと痺れ、瞼すら上げていられない。痛みも感じぬほど麻痺しきった体は、指の先すら、ぴくりとも動こうとはしなかった。
ぐったりとした体をごろんと仰向けに転がされ、壁際まで引きずられていく。建物の陰に引き込まれ、一気に視界が暗くなった。真上から男がのしかかってくる光景を、まるで他人事のように見つめているもう一人の自分がいた。
地面に押しつけられた体を、着衣の下に忍び込む手にゆっくりとまさぐられながら、同時に項に熱い息を吹きかけられると、だんだんその嫌な感触を自分に向けられたものとして意識できるようになった。
相手の卑猥な意図を感じ取った途端、激しい嫌悪感に突き動かされる。
(こ……のっ……!)
鉛のように重く、感覚の鈍った体をそれでも必死で動かそうと、虚しい抵抗を試みずにはいられなかった。
「……や……めっ……――!」
抱え込まれた体が、相手の体にぴたりと密着する。腹部に相手の勃起した熱い陰部が接触すると、その気持ちの悪さにざわり、と悪寒が走った。
「あ――ぅ……――!」
叫び声を上げかけた口を、厚く硬い手のひらで塞がれた。
「少しの間、声を上げるなよ。――いい子にしてな」
顔を近づけてきた男が、耳元に低く囁きかける。
男の吐息を生々しく感じながら、息苦しさと気持ち悪さで、吐きそうになった。
「……さて――と」
それを見下ろす男の顔が、嗜虐の愉悦に醜く歪む。
「――この綺麗な顔が、最高の屈辱に歪むところを見せてくれるか?」
そう言うと、男は嬲るように目を細めた。
(to be continued...)
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