呪 焔
(14)
くちづけが、深くなる。
(……や……――)
離れようとすると、強く吸いつかれて軽く身悶えした。
それでも、抗おうとする体を宥めるように舌が口内を優しく撫でるその感触に、いつしか緊張感を解されていた。
(……ん…………ぁ……っ……)
じわじわと、体の奥から熱が広がる。
軽い麻薬にも似た陶酔感が、脳内を満たしていく。
(――何も、考えないで……)
相手から投げかけられた言葉が、魔法の呪文のように、何度も繰り返し頭の奥でこだましていた。それはあまりに心地良く響いて、その声を聞くたびに、蕩けるように体から力が抜け落ちていく。
そのうち意識が朦朧となり、本当にもう何も考えられなくなった。
離れた唇が、顎から首筋、さらに鎖骨へと落ちてくる感触に、体が敏感に反応した。
「……はぁ……ん……ああっ……んぅ……ぁ――」
唇から滴り落ちる唾液を拭うこともせず、ただ通り抜けていくその甘い刺激に、断続的な喘ぎを洩らす。
抗う力が完全に抜け切った状態で、相手の体の下に身を晒している自分の姿を、もう一つの意識がどこかからぼんやりと眺めていた。
シャツをたくし上げ、その下から入り込んでくる指先が肌を捏ねるように愛撫する。
「――ぁ……ッ……キ……ラ――ッ……やっ……ぁ!……」
貪るように自分の体に重なってくる少年をどうしても撥ね退けることができない。
放して欲しいのに、放して欲しくない。
このまま、抱かれ続けていたい。
麻薬のように脳内を犯していくこの快感。拒もうとしても、拒みきれない。
じわじわと、押し寄せてくる快楽の波の間に搦め取られていく自分が、怖い。
このままでは、駄目になる……。
そう思って抵抗しようとするもう一人の自分。
抱かれたい。
抱かれたくない。
そんな矛盾した気持ちが、イザークの反応を中途半端なものにする。
「は……――」
突き放そうとする手が虚しく宙を掻いた。
「逃げないで……」
優しく、それでも抵抗を封じ込めるだけの強さをもった手に抑えつけられ、もう一度深いキスを重ねたときには、いつしか抗うことも忘れてしまうほど、火のついた体が貪るように激しく相手を求めていた。
気が付くと、夢中になっていた。
手の下で息づき、与えられる刺戟一つ一つに過敏なまでに反応する。その弾力のある、滑るようななめらかな肌に頬をつけながら、己自身の膨れ上がる雄がとめどなく暴走する気配を感じた。
今にも弾けそうなほど勃ち上がったそれを相手の腹に擦りつけると、相手は身を捩じらせて逃げようとしたが、勿論離さず逆にますます強く抱き締めた。
そうしながら、下肢を探ると相手のそれも自分と同じようになりかかっているのがわかった。自分たちがこの感覚を共に分かち合っているのだと思うと、ますます興奮した。
自分自身の熱く激しい息遣いと相手の乱れた呼吸が交じり合う。
上気してほのかに朱の差した顔が、恨めしげに睨みつけてくるのも、その潤んだ青い瞳を見ると逆にそそられるだけだった。
ひくひくと悶える体をぎゅっと抱きながら、飽くことのない自分の欲望を肌で感じ、震撼した。
しかも、相手は同性だというのに。
――自分はどこか変なのだろうか。
どうして今、こんなにもこの人が欲しくてたまらないのだろう。
最初に感じたもの。それはただ、綺麗だ、という憧憬にも似た気持ち。それだけに過ぎなかった。
しかしこの人の外観だけで、こんなに嵌まったわけではない。
違う。
何か、もっと……。
この人に、魅きつけられる。
この人が、欲しい。
求める気持ちを、止められない。
何かに憑かれたように、キラは無我夢中で相手の体を抱き続けた。
「――ごめ、ん……」
キラはようやく相手の体を放すと、のろのろと身を起こした。
自分たちのした行為の結果をまざまざと目にして、しばし呆然となる。
(ぼくは……何、を……)
相手の放った精に塗れた自分の手。同時に、自分のものでべったりと汚れた相手の下腹部が目に入ると、恥ずかしさにもう正視していられなくなり、そっと目を背けた。
「……謝るな」
ぼそりと返すイザークの唇から、疲れたような吐息が漏れる。それすらも、妙に艶めいていて、キラはまた下半身がずくりと疼くのを感じた。
「――重い」
そう言われて、まだ自分が相手の体の上に乗りかかったままの体勢でいることに気付いた。キラは慌てて相手の身の上から体を退けた。
見ないようにしようと思っても、気になってついつい視線が戻る。
銀色の髪が視野を掠めるだけで、また全身の鼓動が速まるような気がした。
(……どうしたんだ、ぼく、は……)
キラは、イザークの隣りで膝を抱え、頭を埋めた。
どうしてよいか、わからない。
一気に押し寄せてきた、かつてないほどのその激しく相手を求める感情と肉体の欲求の前に理性はいともたやすく吹き飛んだ。
無我夢中で彼を、抱いた。
何度も唇を重ねるうちに、どんどん艶めいていく美しい表情を目の当たりにして、さらに欲求が強まり、そうして最後には互いの性器に触れて、興奮した。
自分でするのとも違い、女の子を抱くのでもない。
同性同士で抜き合うというのが、こんなに刺激的なことだとは思いもしなかった。
というより、相手が彼、だったから……。
だから……?
彼でなかったら、こんな気持ちにはならなかったのだろうか。
自分の性嗜好はごく普通であった筈だ。
少なくとも、今日まではそう思っていた。
それが突然、こんなことになるなんて。
しかも悪いことに、まだそれは終わってはいない。つまり、まだ完全には自分の中からこの欲望は消え去ってはいないのだ。
本当は、もっと触れていたい。もっと深く繋がってみたい。そんな怪しい気分が、まだ自分の中に沸々と燻っている……。
キラは、目を上げると、隣りに横たわったままの銀髪の頭にそっと視線を投げた。
「――イザー……ク……」
ぴくりとも動かない体に、僅かな不安を覚え、小さくその名を呼んでみる。
そむけた顔の向こう半分に巻かれた白い包帯が、今さらながらに痛々しく見える。今の行為で無理をさせすぎたのではないだろうか。
「まだ、傷……痛む、の……?」
痛い、痛いと叫んでいたのはつい先ほどのことだった。
痛がる彼を包み込むように抱いているうちに、変な気分になった。
そうして……。
(本当に、ぼくは、何を……)
欲望に負けた自らを恥じ入りながら、
「……また、シャワー、浴びなきゃならなくなった、ね……」
申し訳なさげにぽつりと呟く。
「………………」
反応のない相手に向かって、さらに彼はぎこちない口調で話しかけた。
「その……気持ち、悪かった……だろ?変なことして、ごめん。……そんな、つもりなかったんだけど……何だか急に、あんな風になっちゃって……ぼく、どうかしてたんだと、思う……本当に、ごめ――」
「――ない……」
「え……?」
不意に聞こえてきた言葉に、キラははっと我に返った。
いつの間にか見開かれた青い瞳がすぐそこにあった。
視線が合う。
――今、何て……
「――気持ち悪く……ない」
小さな呟きではあったが、今度ははっきりと耳に入った。
「……だから、謝るな」
キラは、目を瞠った。
言い方は素っ気ないが、眼差しは穏やかだった。
「……あ……」
どうしよう、と思う。
何だかまた抱き締めたくなってくる。
困惑を隠すように、キラは俯いた。
「……う、ん……」
自分の手のひらに付いた相手の残滓をさりげなく口元へもっていくと、それを躊躇いなく、舌で舐め取った。
忽ち生臭い味が口中に広がると、さっきの行為が生々しく脳内に甦る。
指の隙間から、イザークが眉を顰めるのが見えた。
「……よせよ」
イザークに言われて初めて自分のしていることに気付いたように、キラは慌ててその手を口から離した。
恥ずかしいことばかり、平気でしてしまう自分は、やはりどこか箍が外れてしまっている。キラは少し顔を赤らめた。
「……そんなもの、まずいだろうが」
揶揄するように言うイザークに、キラは唇を僅かに尖らせた。
「そっ、そんなこと……ない……!」
イザークの前にキラの顔が近づいた。
「…………?」
イザークが目を瞬かせる間に、キラは相手の唇に自分のそれを重ねた。
たった今自分が口にしたものを、口移しで相手の喉へ落とす。
自分自身の放った生臭い液体の味に、イザークは忽ち眉を顰め、軽く噎せた。
「……やっぱ、まずかった?」
目の前でにっこりと微笑むキラを、イザークは咳き込みながら、思いきり睨みつけた。
「……ったり、前だろう……っ!……ばっ、馬鹿……ッ……」
「――ごめん……」
今度は、イザークは謝るなとは言わなかった。
むっつりと、横を向く。
それでも顔はほんのりと赤い。
拗ねた表情すら、可愛く見えた。
「ねえ、イザーク――」
相手のご機嫌を取ろうとするように声をかけたとき、インターカムが鳴った。
『おーい、俺だ。開けてくれ』
フラガの声に、びくりとする。
慌ててキラはベッドから飛び下りた。
ズボンを上げ、何事もなかったように身繕いをすると、イザークもベッドの上で同じようにシャツを下げ、ズボンを引き上げているのが見えた。
二人とも何だか悪戯を見つかるのを怖れる子供のようだった。そう思うと、キラは内心おかしくて、ついくすりと笑みを洩らした。それをイザークに睨みつけられて慌てて真顔に戻った。
扉のロックを解くなり、フラガがずかずかと室内に入ってきた。
「やっぱ、見つからなかったぞー。しかも、帰りにマードックに捕まっちまって……ったく、えらく時間食っちまったよ。――って、おい、どうしたんだ?その顔……」
忽ちイザークの包帯を見て、顔を顰める。
「あ、はい。それが、いろいろあって……」
キラは口ごもった。
「傷が、開いただけだ」
イザークが突然口を挟んだ。
何の感情もこもらない、乾いた口調だった。
「傷?……ああ、あの傷……」
フラガは声をひそめた。
確かに酷い傷が彼の美しい顔の真ん中を走り抜けていた。
そんなに古いものでもなさそうだった。明らかに最近できて塞がったばかりの生々しい傷、だ。
あの、傷が……。
「けど、あれがどうして、また開いたりしたんだ……?」
フラガの問いに、短い沈黙が通り抜ける。
「もう、止血している。騒ぐほどのことでもない」
ぼそりとイザークが言うと、フラガは目を細めてそんな二人の少年を探るように交互に見た。
「ふーん……」
フラガは軽く鼻を鳴らした。
「……急に傷が開くなんて、普通はあり得ないだろうけどな。一体何してたんだ、おまえら?取っ組み合いの喧嘩でも、したのか?それとも……」
何も口に出されてはいないのに、その語調はまるで自分たちのしていたことを何もかも見透かされてしまったかのようだった。
「な、何もしてませんっ!」
必要以上に声が高くなり、キラは慌てて口元を押さえた。
「……あ、そう。なら、いいけど」
フラガはそれ以上何も問いただそうとはしなかった。
しかしキラはしばらくフラガと目を合わせる気にはならなかった。
一見飄々としてふざけてばかりいるように見える彼が、本当は恐ろしく鋭い洞察力の持ち主であるということを、キラはよく知っていた。
それだけに、彼は警戒した。
今は、何も気取られたくはない。
イザークのことも、アスランのことも……。
「……で、どうすんだ?連絡――」
「……あ!」
キラは突然声を上げた。
(……そうだ)
アスランとの約束を思い出したのだ。
あれからどれくらい時間が経っているのか。
もしかしたら、彼はもうここまで来ているかもしれない。
「何だよ」
フラガが妙な顔をする。
「あ……ぼく、大切な用事があるのを思い出した。フラガさん、ちょっとだけ、ここにいてもらってて、いいですか?」
「いいけど、こんな夜に何の用なんだ」
「それは……」
キラは少し口ごもった。
イザークと、目が合う。
彼は何の感慨もなさげに、ただこちらをじっと見つめていた。
アスランと会う。
そう言っても、彼には通じない。
彼は、知っている筈なのに。
自分が知っているのとは違う、アスラン・ザラの記憶であったにしろ、それでもアスランであることには変わりないのであって……。
それが何だか妙に切なく思えた。
そんなキラの思いをよそに、フラガは別のことを思いついたらしく、忽ち心得たようににやりと笑って頷いた。
「ああ、わかった。何かプライベートってわけだな。……あの赤毛の嬢ちゃんか?あれなら、あんまりのめりこまん方がいいぞ。あの手の女ってのは意外に手強い。おまえみたいなのは、ぼおっとしてたら間違いなく一発で喰われちまうだろうからな。気を付けないと、後で酷い目に会うぞ」
フラガが片目を瞑ると、キラは慌てて否定した。
「ちっ、違いますよ。勝手に詮索しないで下さい!」
今のことを、イザークに聞かれたかと思うと、かっと頬が熱くなる。
すっかり忘れていたのに。
(あんたなんか……!)
そういえば、フレイとは物別れのままだ。
それも気にならないといえば嘘になるが、フレイとのことを、今ここで持ち出されたくはなかった。
それよりも、何よりも、今自分には……優先しなければならないことがある。
自分が初めて、抱いた女の子……。
誘われるままに、くちづけを交わし、ベッドの上で裸のまま、交わって……。
初めての性行為。
女の子の体は、こんなに柔らかくて、綺麗なんだ、と初めて実感した。
何かに欲情する、ということも初めて知った。
興奮して、激しく相手の体を求め、同時にそれが気持ちよく満たされていく充足感。
とても大切だ、と思っていたのに。彼女だけでいい。彼女が傍にいてくれれば、それだけで全てが満たされる……。そう、思っていた筈なのに。
それなのに、今、それよりももっともっと欲しいものがある。
自分は、たぶん求めてはいけないものを、求めている。
そんな自分の中の変化に理由を見出せず、ただ一人慄く。
どんどん変転していく状況に翻弄される。
どうしていいのか、わからない。でも、止めようもない。
「……とにかく、すぐ戻りますから……」
かろうじてそれだけ言うと、彼は後をも見ずに部屋を出た。
(to be continued...)
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