呪 焔
(15)
キラが出て行った後、しばらく部屋の中には気まずい沈黙が流れた。
ベッドの上で両膝を抱え込むようにして、俯いたままの銀髪の少年の横顔を遠目に見ていたフラガは溜め息を吐くと、少年の傍へ近づいた。
「どうしたんだ」
上から覗き込むように声をかけると、少年はぴくりと肩を震わせた。ゆっくりと目を上げる。
白い包帯に覆われた顔。警戒する小動物のような、瞳。
雰囲気が、少し違う。
「……大丈夫なのか」
戸惑いながら、さらに問いかけたものの、声が相手の上を素通りしていくような間抜けさを感じた。
「……………」
案の定、少年は何も答えず相手を無視するように、再び視線を前に戻した。
フラガは肩を竦めると、仕方なくそのままベッドの端に腰を下ろした。
「キラと、何かあったのか」
返ってくる答えを期待しなかったのに、
「――別に、何も」
相手がぼそりと呟くと、フラガは意外そうにちらと肩越しに視線を投げた。
しかし相手は返事をしただけで、相変わらずこちらを無視するような体勢は変わらない。
「ふーん……」
お手上げといった風にフラガは天井を仰いだ。
そのとき、急に部屋の中に電子コール音が響いた。
フラガは無論、イザークもはっと緊張したように身を竦ませる。
部屋の隅に設置されている固定電話が鳴っているのだ。
「……っ」
無視しようにも執拗に鳴り続けるコール音に、やむなくフラガは立ち上がり、足早に電話の方へ向かうと、受話器を上げた。
「はい……あれ、マードックか?……ああ、俺?間違いじゃないよ。今、キラの部屋にいるもんでさ」
驚く相手をものともせず、フラガは平然と受け答えた。
「……ん、ああ。ちょっと、プライベートで、な。……それより、どうしたんだよ。まだ何かあるのか?……ん?……ああ、なるほど。……うん……うん、そう……わかった。じゃあ、俺が行くよ。キラ?キラは今ここにはいない。……え?いや、何か用があるって言って出て行ったんだ。……知らねーよ。いいだろ。俺でわかんなかったら、明日にすりゃいいんだから。いい加減休まないと、おまえらももたねーぞ。ああ。OK。じゃあ、すぐ行く」
電話を切ると、フラガはふーっと息を吐くと、イザークの方に向き直った。
不安げに彼の様子を見守っていた少年と、今度こそ視線が合う。
フラガは安心させるように、笑った。
「……ちょっと技術屋がトラブってるみたいでな。今、そういう相談事はみんなキラに頼ってるもんだから……」
困ったように肩を竦めてみせる。
「あいつも、何も言わないで黙々と仕事請け負っちゃうからさ。ほんとは、そういうの良くないって思うんだけどな……。なんと言うか……俺たちみんなに責任あるんだろうけど。つまりは、大人の都合で振り回してる、ってだけで。――あいつ、元々ただの学生で、軍人になんか全然縁のない奴だったんだよな……」
フラガの目が少し遠くなる。
「こんなことに、巻き込まれなきゃあ、な……。まあ、今さら言っても始まらんが……」
イザークは瞬きもせず、そんな彼を見つめたままだった。
「――軍人になるつもりがないのに、どうして……」
やがて困惑した声が、ぎこちなく問いかける。
「……どうして、あいつは……」
何人も人を殺している、と告白したときのキラの顔を思い出して、イザークは切ない思いに駆られた。
確かに……彼は、戦争だからといって、簡単に人を殺せるような人間ではない。
それが、軍人だ、などと……。
何かが、おかしい、と思った。
あんなに優しい瞳で敵を見る奴が……。
「――あいつ、は……」
イザークは独りごちるように、呟いた。
「……友だちを殺せない、と言っていた」
「……友だち……?」
フラガが首を傾げる。
「……アスラン……俺の、仲間が、あいつの友だちだ、と……」
イザークがその名を口に出すと、フラガの目が僅かに見開かれた。
――アスラン。……何度も、よく聞く名だ。
(――アスランに、会わせてやる……)
フェンス越しに、イザーク自身が投げかけた言葉。
倣岸な瞳が挑むようにその名を口にしたとき。
あのときも……。
遥か後方で立ち尽くしていた、紫紺の髪の少年の姿が、見るともなしに目に入った。
おとなびた表情。冷やかな言動。
その姿に、覚えがあった。
最初に対面したときにも、感じた。
完璧なまでの感情の抑制と、恐ろしいほどの無機質さを感じさせる氷のような敵意。
あれほどまでに、己自身を殺せる人間は、そうはいない。
――奴は……危険だ。
軍人としての本能が発する警告に、フラガは身を強張らせた。
「……そう……か……」
友だち。
誰だって、友だちを殺したくはない。
そう……キラには、彼を殺せないだろう。
しかし……。
同じことが、相手にも当てはまるといえるだろうか。
あの少年は……。
冷静で、揺るぎない意志を閃かせる翡翠の瞳。
一切の感情を押し殺し、制御する強い意志の力の片鱗を、感じた。
彼なら……。
(――殺す、かもしれないな……)
そうせねばならない、なら。
いつか彼は、手を下すだろう。
躊躇いを封じ込め、全ての思いを断ち切って……たとえ血の涙を流しても……。
彼は、きっとそれをやり遂げるに違いない。
それは、漠然とした予感、だった。
しかし、単に予感では終わらない気がした。
だとすれば、二人の少年の前途には、間違いなく残酷な運命が待ち構えていることになる。
そう思うと、暗澹な気持ちになった。
「……な、んだ……?」
急に黙り込んだフラガの様子を見て、イザークが不安げに促す。
「何を、考えている……」
「何も……」
そんな筈はない、とすぐわかる。
しかし、イザークはそれ以上追及しようとはしなかった。ただ黙って相手を物問いたげに見つめる。
「…………」
探るような視線をさらりと交わすと、フラガは扉の向こうを指した。
「――取り敢えず、俺は行かなきゃならないが……。誰も来ないとは思うけど、扉は絶対に開けるなよ。電話も無視しときゃいいからな。――とにかくすぐ、戻ってくるから」
それだけ言うと、イザークの反応を見る間もなく、彼はさっさと部屋を出た。
施錠の音。
その瞬間……何かに促されるように、イザークははっと目を大きく見開いた。
一瞬躊躇いながらも、すぐに彼は決断した。
ベッドから下りると、少し体が揺れた。それを堪えて裸足のまま床を強く踏みしめた。崩れかけたバランスを何とか取り戻す。
大丈夫。歩ける、と思った。
そのまま扉まで移動する。
見よう見まねでロックキーを弄ると、呆気なく開錠した。
開いた扉から外へ出て、廊下を見回すと、ちょうど右手の角を曲がって消える金髪の頭がちらと見えた。
少しふらつき気味の体を励まし、壁を伝うように歩きながら、ひっそりと素早くその後を追った。
格納庫の中は、暗かった。
入った瞬間、間違った場所に足を踏み入れたのではないかと戸惑う。
しかしよく見ると、奥の一角だけ仄かな明かりに照らされて、人影が動いているのが見える。そして、ひそひそと話す人の声。
イザークは足元に気を付けながら、ゆっくりと近づいた。
声がはっきりと聞こえるようになる。
一人は知らない声。もう一人は、フラガだった。
「――ったく、今何時だと思ってるんだよ。キラだって休ませなきゃ、いい加減ぶっ倒れちまうぞ」
「……そんなこと、わかってますよ。けど、ちょっとだけ気になったもんで……」
油でべったりと汚れた作業服を着た色黒の男が電気を照らしながら、コクピットの中を覗き込んでいる。その中から応答しているのが、どうやらフラガらしい。
男は外から苛々した様子であれこれ指示していたが、やがて諦めたように大きく溜め息を吐いた。
「あー、でもやっぱ、少佐が見てもわかんないでしょう。坊主でないと無理ですって」
「だから、明日にすりゃいいだろ?」
不愉快そうに、フラガが交わす。
「それに何?いかにも俺が無能みたいな言い方してくれちゃって……傷つくよなあ。……これでもエースパイロットだよ、俺」
「……すみません。そういうつもりじゃなかったんだけど。――そう拗ねんで下さいよ」
マードックは中の男を宥めるように、笑ってそう返した。
「……その、ここだけ残すと中途半端なんでね……できれば今やっちまいたかったんだけどなあ」
「あー明日にしろ、明日にしろ!下手に弄って失敗しちまうと、かえって仕事が増えるぞ!」
「……って、少佐に言われたかないんですけどね」
ぶつぶつと口を尖らせながら、それでもマードックは諦めたようだった。
「じゃあ、ハッチ閉めますから、出て下さい」
「はいよ」
コクピットから躍り出るフラガの姿が、見える。
光が当たり、コクピットが閉まると、白い機体の一部が明らかになった。
(……あ……)
イザークは片目を大きく見開いた。
一瞬――
息が止まりそうな、衝撃を感じた。
全身の血が、逆流するかのように、心臓が急速に鼓動を速める。
ずず、と彼は思わず後退った。
はあはあ、と喘ぎながら、何とか呼吸を落ち着かせようとする。
――駄目だ。こんなところでパニックを起こしては。
落ち着け、と自分自身を宥めるように何度も掌で胸を撫でる。
しかし、いったん暴れ出した心臓のリズムはなかなか元には戻らない。
(どう、しよう……)
焦れば焦るほど、制御がきかなくなる。
背筋を冷たい汗が流れ落ちていくのを感じた。
「まあ、見てなさいって。俺もそのうち、ストライクくらい乗りこなしてやるからさ」
「またまた、少佐は。あの機体をそんなに舐めちゃいけませんぜ。いくら少佐だって、そう簡単にはいかないかもしれませんよ」
「おいおい、俺は本気だぜ。いつまでも、坊やに負けてらんないでしょう。これでも、軍人稼業はこっちの方が長いんだからね、一応は、さ」
「ま、そりゃそうでしょうけどね。実際、あの機体での実戦経験は坊主が上ですよ。今さら軍が、坊主を放すわけないと思いますけどね。――第一そんなことで張り合ってる場合じゃないでしょう、今は……」
軽口を叩き合いながら、二人の男がキャットウォークを渡って戻ってくる。
しかし、イザークはその場を動くことができなかった。
(……ストライク……?)
白い機体の一部が、その名前と重なった瞬間、頭の中で何かが炸裂した。
ショックが、駆け抜ける。
ずるずると、力なく落ち込んでいこうとする体を、手すりを掴んでかろうじて支えた。
しかし、体の震えは止まらなかった。
――ストライク……それが、あの機体の名であるなら……。
自分は、『それ』を、知っている。
確かに、『それ』を……。
同時に、胸の奥から迸るように湧き上がってくる、暗い感情。
抗しきれないほどの、暗く重い、負の感情に圧倒される。
――ストライク、を……。
――俺、は……。
「誰かそこにいるのか?」
不意に、近くまできた男の足が止まった。
手すりに掴まり、蹲っている人影に気付いたのだ。
その声に、イザークは我に返った。
「……あ……っ……」
彼は叫びだしそうになる口を押さえた。
しかし、呻き声を完全に押さえることはできなかった。
「……おい?」
「……どうした、マードック?」
後ろから声をかけたフラガが不審気に目を細めたとき、イザークはよろよろと立ち上がり、出口へ向かって駆け出していた。
「誰だっ!おいっ、おまえっ!」
ライトが揺れた。
しかし、直接光が当たる前にその姿は素早く彼らの視界から消えた。
(to be continued...)
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