呪 焔
(19)
「どういうことか、説明しろ」
部屋に入るなり、フラガはキラに詰め寄った。
「おまえ、一体何を考えてるんだ?」
「………………」
キラは沈黙した。
目を合わそうともせず、俯いたまま立ち尽くす相手を前に、フラガははあーと長い溜め息を吐くと、やや眦を和らげた。
「……何でそんなに怖い顔してんだよ。――さっきだって、イザークを殺しかねないような目つきで睨んでたぞ。部屋にいたときは、おまえら結構仲良さげに見えてたのにさ。なあ、一体何があったわけ?ちゃんと説明しろよ」
宥めるように、穏やかな語調で言いながらも、彼の頭の中ではいろいろな考えがぐるぐるとせわしなく駆け巡っていた。
(ザフト……)
とりわけその言葉だけが何度も脳内を行き来する。
突然キラが投げかけた言葉。
(――そこにいるのは、ザフトの軍人なのに)
――ザフトの軍人……か。
フラガは考え深げに指先で顎を撫でた。
(なるほど、ねえ……)
それを聞いたとき、正直さほどの衝撃は感じなかった。
それどころか、やはり、な……と不思議なくらい素直に納得していた。
(ザフト、か……)
街で出会ったときから、気付いているべきだった。
イザークと、彼を迎えに来た、あの冷やかな眼差しの少年。
むしろ、あっちの方が危険な匂いがふんぷんとしていたような気がする。
血と硝煙の匂い。
無感情で酷薄な光を宿す瞳。人を殺す者の、眼。
戦場でよく見かける顔、だ。
いわゆる軍人の直感、という奴だな、とフラガはひそかにそんな自分自身に皮肉の目を向けた。
しかし、まだ糸は絡まったままだ。
オーブに弾き出されたザフトの連中がAAを追って何らかのルートでこの島に潜入を計ったという話はわからないでもないが、それにしてもこのイザークが転がり込んできた?末はそんな計画された軍事作戦の一環とはとても思えない。
全てが偶然的すぎるし、それにイザークのあの私怨に満ちた目を見ていれば、理由はわからないながらも、彼の行動が全て個人的感情から出ているものであることは一目瞭然だ。
問題は、その理由、だった。
イザーク、キラ……そして、『アスラン』。
たぶんこの三人には、それぞれ何らかの因果関係がある筈だ。
それが、何なのか。彼には全貌が見えていない。
フラガの瞳がきつく細まった。
「ザフト、って言ったよな、おまえ」
「………………」
相手から返事は返ってこない。それでもフラガは構わず続けた。
「あいつがザフトの軍人、だと……おまえ、断言したよな」
強い口調で二度繰り返されると、ようやくキラの頭がぴくと動いた。
「冗談やはったりでおまえがあんなことを言ったとは俺は思わない。何か根拠がなきゃ言えないことだよな。それに、さっきのおまえはこれまで俺が知ってたおまえとはまるで違ってた。――見ていて正直、怖かったよ。おまえが本気でイザークを撃ち殺すんじゃないかと内心ひやりとした。……何でおまえが急にあんな行動を取ったのかが、俺にはわからん。けど、おまえが部屋を出た後、あの短い間に何かがあったことは想像がつく。それを俺は知りたい……なあ、正直に話してくれ。一体何があったのか……」
フラガはいったん言葉を止めると、相手の反応を窺った。
しかし相手からはそれ以上何の動きもない。
軽く溜め息を吐くと、意を決したように口を開いた。
「――じゃあ、俺から言ってやろうか。……おまえ、あいつの仲間と接触したろう」
その仲間が誰のことを指すのか、フラガの頭の中では映像もはっきりと結びついている。
「アスラン、といったか。――おまえの『友だち』だそうだな」
小さく息を呑む音が聞こえた。
相手から伝わる微かな動揺の気配を前に、フラガは確信を強めた。
(やはり、な)
「イザークから聞いたよ。おまえが『友だちを殺せない』と言ってたってな……」
ゆっくりと頭が動く。
「どおりで様子がおかしかった筈だ。――あのとき、フェンス越しに話してただろう。やっぱり、あれがそうだったんだな」
遠目から見ても、不思議な光景だった。夕暮れ時、フェンス越しに向かい合う二人の少年の姿を思い出しながら、フラガは畳みかけるように話し続ける。
「なあ、全部正直に話しちまえよ。何も俺はおまえが俺たちを裏切るつもりだったとか、そんな風には思っちゃいないよ。何かわけがあるんだろ。一人で悩んでないで、さ。別におまえのプライベートに首突っ込むつもりなんてないけどな。けど、今のこの状態じゃ、そんなことも言ってられなくなってきた。おまえがそんな風に一人で苦しんでいるのを見るのは辛いんだ。おまえを軍に関わらせてしまったことは、俺たちの責任でもあるんだからな。すまないと思ってる。だから、少しでもおまえが楽になれるものなら、力になりたい。これでも俺、結構頼りになるんだぜ。悪いようにはしないから。な、キラ……俺を信用して、全部話してみろよ」
フラガの熱のこもった声に誘われるように、キラがふと顔を上げる。
「……フラガ、さん……」
瞳が逡巡の色を見せた。
フラガは傾いてきた少年をすかさず自分の方へ手繰り寄せるように、優しい瞳で応える。
「やはり、『アスラン』はおまえの知り合いだったんだな……」
キラは惑いながらも、やがてこくりと頷いた。
「――アスラン……は……月にいた頃の……幼なじみ、で……」
戦場での思いがけない再会。
自分は、彼を敵と認識した筈だった。
もう二度と、友だちとは、思わない。思ってはいけない。
なのに、間近で顔を突き合わせると、そんな決意は脆くも崩れた。
自分は弱い人間だった。
アスランと、もう一度、話したい。
そんな弱い思いに負けて、彼を呼び出して、その結果……。
知らなければよかったのに。
どうして自分はそれを知ってしまったのだろう。
閃光と、叫び。
傷跡から流れ出す毒々しい朱の色。
全てが奇妙に符合する。
その瞬間、自分の中で何かが砕け散った。
「キラ……?」
「……………」
菫色の瞳が一瞬苦悩の色を映したように見えたが、それは忽ち消え去り、瞬きした後は、既にそこには何の感情の跡も残ってはいなかった。
無感情な冷たい瞳が、瞬きもせずフラガを凝視する。
それを見て、緩みかけていたフラガの表情が、再び強張った。
少年を引き寄せる糸が、ぷつりと切れてしまったことを悟ったのだ。
再び、少年は自分の手から離れた。
フラガはくそっ、と内心毒づいた。
(もう少し、だったのに……)
――また、おかしくなっちまった。
今度こそ、様子がおかしい。
何も言葉を発しない少年に、フラガは不安を覚えた。
「おい、キラ……どうした?」
「……何も……」
キラは小さく答えた。
そのひどく単調な響きに、フラガはますます懸念を強めた。
「話してくれる気になったんじゃなかったのか」
「話すこと……ですか」
キラは皮肉っぽく口元を緩めた。
「……話すことなんか、何もありませんよ。――ぼくにわかっていることは、あの人がザフトの人間で、ぼくたちの敵だという――ただ、それだけのことです」
明瞭な強い語調に、鮮やかな瞳の色が、少年の強固な意志を感じさせる。
「だから、あの人を引き渡した。――悪いですか」
一言一言に含まれるあまりの毒々しさと憎悪の棘に、フラガは瞠目した。
(何で……こんなに、こいつはイザークのことを……)
不思議だった。
僅かな間に、何が……。
何がこいつを、こんな風に変えてしまったんだ。
フラガの困惑をよそに、キラはそれ以上会話を拒むように顔を背けると、そのままフラガの傍を通り抜けようとした。
我に返ったフラガが、慌ててその腕を掴む。
「待てよ!まだ話は終わっちゃいないだろうが」
「ぼくには、これ以上話すことはありませんから」
キラは掴まれた手を、乱暴に振り払った。
「キラっ!」
「失礼します」
軽く頭を下げると、キラは振り返りもせず、早足で部屋を出て行った。
どくどくどく……
全身の血流が逆行していくようだった。
心臓が激しく打ちつける鼓動の音。
歩きながら、いつまでもおさまらない激しい興奮の波動に包まれた自分自身に、戸惑いを隠せなかった。
自分は、どうなってしまうのだろう。
ふと、不安に駆られる。
まともな思考回路が働かない。
衝動と感情に支配されている。
足が勝手に動いている感じだ。
止まらない。
一体自分はどこへ向かって歩いているのか。それさえも、最初はわからなかった。
気付いたときには、例の警備室の前まで戻っていた。
自分が何をしようとしているのか、わからぬまま、警備室の扉を潜っていた。
「おい、随分早かっ――……?」
そう言いかけて振り向いたとき、入ってきたのが巡回に出た相棒ではなく、先程の少年であることに気付いて、男はぎょっと目を見開いた。
「ああ、あなたはさっきの……?」
まさしく虚を突かれたといった顔つきだった。
「――どうか、したんですか」
一瞬の間を置いた後、気を取り直した男は厳しい声音で尋ねた。
「――彼、は……」
「まだ尋問中ですが、何か――?」
「――彼と、話をさせて下さい」
キラが言うと、男は露骨なまでの不審さを顔に表した。
「話……?」
「気になることが、あって……どうしても、彼に聞きたいことが、あるんです」
男は、はあっと息を吐いた。
「困りますね、それは……」
今さら何を言っていると言わんばかりの、鬱陶しげな口調だった。
「大体あなたが、彼をザフトの人間だと言って我々に突き出したんじゃなかったんですか?」
「それはそうですけど……」
キラは言葉に詰まった。
そんな少年の顔を、男は考え深げに見た。
「――実を言うと、彼にはちょっと困っているんですよ。あれから、ずっとだんまりでね。我々の質問には一切答えてくれない。いつまで経って埒があかないので、夜が明けたら連絡を取って保安部に引き渡そうかと考えていたところです」
「……………」
「ですから、少佐はああおっしゃってましたが、正直言ってあなた方はもうこれ以上彼とは関わりにならない方がいいんじゃないですか。でないと、我々も余計な詮索をしなければならなくなる。あなた方の今の立場を考えると……いろいろと面倒なことになるかもしれませんよ」
そう言うと男はキラをじろりと見た。
「面倒に巻き込まれたくないでしょう」
――これ以上は、関わるな。さもないと……。
そんな風な響きすら感じさせる、明らかに威嚇するような口調だった。
「………………」
返す言葉もないまま、キラは奥へ続く扉を見た。
どうやら、イザークを返してくれるつもりはないようだ。
(当然、か……)
イザークを、引き渡したのは自分だ。
こうなることを望んでいたのではなかったか。
何を思い惑うことがあるのか。
しかし……。
胸のうねりが消えない。
何か……。
まだ、何か忘れていることがある。
葛藤が駆け巡る。
それをしてはいけない、という気持ちと、しなければいけない、という気持ちとがぶつかり合い……。
警告を発する本能に、衝動が打ち勝った。
「彼と、話をさせて下さい」
キラは、繰り返した。
「どうしても、彼に聞かなければならないことが、あるんです」
頑なに要求する少年を前に、男は肩を竦めた。
「……わかりました。じゃあ、十分だけですよ」
渋々承諾すると、彼は奥の扉を指さした。
記憶が、錯綜する。
一体何がどうなっているのか。
時間の経緯が定かではない。
今、自分は何をしているのだろう。
どうして、こんなところにいるのか。
喉が、渇く。呼吸が不規則で、息苦しいのは何度も妙な薬を注入されたせいだろう。
体がだるくてまともに座っていられない。なのに……。
両手を動かそうとすると、金属の擦れる音がして、手首に鈍い痛みが走った。
手錠で椅子の両側に括りつけられているのだ。
(くそっ!)
動かせない体に苛立ちが募る。
忌々しげに足で床を蹴った。
暗闇の中でがちゃがちゃと両手を自由にしようともがくうち、椅子ごと横倒しに引っくり返ってしまう。
左半身を床に思い切りぶつけ、その衝撃と痛みで頭の芯から痺れが走る。
そのまましばらく動けなかった。
物音を聞いて誰か来るだろうと待っていたが、なぜか誰も入ってくる気配はなかった。
そのうちまた意識が朦朧としてきて、闇の中に溶けていった。
頬を撫でるひやりとした感触に、目を開けた。
(……あ……?)
目の前にしゃがみ込んで、じっと覗き込んでくる顔が、闇の中でだんだんはっきりとした輪郭をとり始める。
見覚えのある顔だった。
この、顔……?
それが誰のものかわかり始めた途端、一気の体中の熱が引いていくような気がした。
頬を撫でる指先の動きが、つと止まった。
イザークが目を覚ましたことに気付いたのだ。
瞬きもせず、見つめる大きな瞳。
(……こい……つ……っ……!)
――キ、ラ……。
名前が頭に浮かぶやいなや、激情に駆られた。
掠れた喉が、必死に音を絞り出す。
「……キラ……ヤマト……っ……!」
「……イザーク」
相手がごく自然に自分の名前を呼び返したことに、冷水を浴びせられたような気分になる。
「――その、目……」
キラは冷やかに呟いた。
「やっぱり、記憶が戻ったんだ……」
「……き、おく……?……」
訝しむように見つめ返すと、両手がすっと伸びてきて、顔を軽く持ち上げられた。
至近距離に相手の顔が迫る。
「あ……」
何か言おうとする唇の上に相手の唇が重なる。
「な……っ……」
顔を背けようとしても、頬を包み込むようにしっかりと押さえる両手の中から逃れ出ることは不可能だった。
濡れた舌が唇の端を舐め、ぴくりと震えるように開いた隙間からするりと口の中へ滑り込んできたかと思うと、そのまま息の止まるような濃厚なくちづけが数十秒もの間続いた。
口内を荒々しく犯された後、唇がようやく離れたと思うと、今度は相手の舌が鼻先から顔の中心を通る傷跡を辿っているのがわかった。こそばゆい感触の後、不意に鋭い痛みが走った。
「……っ……!」
イザークは顔を顰めた。
生暖かいものが目の上からゆっくりと伝い落ちてくる不快な感触。じくじくと鈍い痛みが増していき、目を開けていられなくなった。
(い……た、い……)
痛みで顔がひくひくと痙攣している。
ふ……と暖かい吐息が鼻にかかった。
「目を、開けて」
軽い命令口調に、自然に瞳が開く。
傷跡に歯を立てたばかりの、その毒々しい血の色を滲ませる唇が、目の中に飛び込んできた。
唇は、嘲笑うように僅かに上端を上げた。
「また、開いちゃったね」
嬲るような口調が耳に障る。
「く……き、さまっ……ぁ……っ……!」
(わざと、やったくせに……)
他人事のように笑う相手を、イザークは怒りをこめて睨みつけた。しかし、痛みの方が勝り、忽ちそれも長くは続かなくなる。
「……まだ痛みが足りない?」
傷口を、今度は指がぐりぐりと捻じ込むように強く押さえつけてくる。
容赦ない圧迫を受けて、傷口が再び鋭い悲鳴を上げた。
「……う……ぐっ……!」
イザークは痛みを奥歯でぐっと噛み締めた。
生理的な痛みでみるみる目尻に涙が溜まる。
――この、痛み……。
これは、普通の痛みとは、違う。
イザークは、震撼した。
この痛みは……。
頭の奥で何か恐ろしいものが弾けようとする気配を感じる。
どくん、どくん、どくん。全身を打ちつける鼓動が、心臓を破いてしまうのではないかと思うほど、どんどん強く激しくなる。
――怖い。
突然、その恐怖はやってきた。
イザークは目をかっと見開いた。
駄目、だ。
このまま、だと……。
俺、は……。
「……や、め――」
「やめない、よ」
押さえつける指の圧迫が強くなる。
「……っ……う……!」
涙をぽろぽろ零しながら悔しげに睨み返すイザークを見つめていた菫色の瞳が、満足気な色を浮かべる。
不意に額から指が離れた。圧迫が消える。
痛みが和らぎ、全身の緊張が一気に緩んだ。
「……は……っ……!」
肺に溜め込んだ息を一気に吐き出すと、イザークはがっくりと頭を前に落とした。
その頭を相手の手が再び掴み、引き上げた。
「……な、にを……ッ……!」
涙目のまま、睨みつけるイザークを、キラは真上から無感動な目で見下ろした。
「時間が、ないんだ……」
もう、遊んではいられない。
与えられた時間は、ほんの僅かしかない。
その僅かな時間に……。
(自分は、何がしたい……?)
焦燥感に襲われる。
何が、したいんだ。
ぼくは……この、人に……。
何を……?
「……あなたを、どうしようか……」
キラの瞳が妖しく揺れた。
――このまま、殺してしまおうか。
――それとも……。
焼けるような眼差しを浴びて、青い瞳が僅かに震えるのが見えた。
憎しみと、怒りの間に、やるせないほどの哀しみが閃く。
酷薄な自分と、共感と憐憫に駆られるもう一人の自分が、同時に存在する。
――俺を、殺さなくていいのか……?
――あなたを殺すつもりなら、とっくにそうしている……!
――本当は、ぼくだって……もう、何人も、人を殺してる……守れなかったものも、ある……
人殺しは、何も彼だけではないのだ。
自分も、彼も同じように、人を殺している。
わかっている。
そんなことは最初からわかっているのだ。
キラは急に怒りの向ける場所を失って、頭を抱えた。
(くそっ……どうして、ぼくは……っ……)
こんなにも、心が乱れる。
不安定なこの感情の激しい波に翻弄される。
(どうすれば、いい……)
大切なものを、無惨に奪ってしまったその存在を、自分は心から憎む。
この目の前の存在を、滅茶苦茶に壊してしまいたい残酷な衝動に襲われながら、その一方でそれを一気に実行できるほど強くない己自身の心の奥に潜むその甘さに、キラはどうしようもないほどの憤りと苛立ちを感じた。
(to be continued...)
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