呪 焔
(9)
「イザーク!」
アスランが自分の横へ乗れと手招きする。
しかし、イザークは車の前で立ち止まったまま、動かなかった。
「……おい、何やってんだよ?」
ディアッカが振り返ると同時に、イザークはいきなり踵を返して歩き始めた。
「イザークっ?」
アスランは、目を瞠った。
「どこへ行く!」
「――来るな!」
ぴしゃり、と叩きつけるように一喝するイザークに、アスランは続く言葉を飲み込んだ。
車から飛び出しかけた足が止まる。
「すぐ戻る!……だから、絶対に来るな!」
振り返ったイザークは凄まじい勢いでそう怒鳴ると、アスランに指を突きつけてその動きを牽制した。
「……イザーク……」
アスランは静止したまま、呆然とフェンスまで戻って行く銀髪の頭を見送った。
「おいおい、何だよ。一体……」
ディアッカがわけがわからない、といった風に首を振った。
「あいつ、何するつもりなんだ。放っといていいのかよ、あれ……」
フェンスの方へ歩いて行く後ろ姿を指さすと、彼はちっと舌打ちしながら車の扉を開けた。
「待て!」
追いかけて行こうとするディアッカを、アスランが止めた。
「……何でだよ、アスラン!」
「放っておけ。すぐ、戻ってくる」
「……って……!」
ディアッカは不満げに口を尖らせたが、やむなく運転席に再び腰を下ろした。
「……ったく、どうなってんだよ」
ぶつぶつと呟きながらも、その目は片時もイザークから離さなかった。
「……やはり、貴様か」
キラを押しのけるように前へ出てきたのは、明るい金髪の男だった。
「覚えててくれたかい、ハニー。また会えるなんて、ラッキーだねー。……ほんと、会いたかったぜ」
にやりと笑いかけるフラガに、イザークは苦々しげな眼を向けた。
「おい、そんなに睨むなよ。俺はおまえを助けた恩人だろ」
「――話が、したい」
淡々と切り出したイザークに、フラガは少し驚いたように目を見開いた。
「話?」
「どこか、話せる場所で。……ここを、出られるか」
「……ああ?……」
フラガは頭に手を置くと、うーんと唸った。
ちらと傍らのキラを見る。
「――あ、ぼく、先に戻ってますけど……」
「待てよ、キラ・ヤマト」
冷たい氷の刃のような声が、戻りかけたキラの背に鋭く突き刺さった。
「……え……?」
キラは再び振り返ると、フェンスの向こうからじっと見つめる彫像のような白い顔に、驚きの眼を向けた。
「何で、ぼくの、名前……」
戸惑いながら問いかけるキラを嘲笑うように、彼は僅かに目を眇めた。
そこから、はっきりとした悪意が感じられた。
(でも、なぜ……)
自分は、この人を、知らない。
初めて見る顔だ。
「……あの……」
「――さっき、そいつが呼んでたろう」
相手は畳みかけるように、そう言った。
「だから、さ。……けど、驚いたな。そっちは、普通じゃなかなか入れない区画(エリア)じゃないのか。そんなとこに、こんな子供が出入りしてるなんてな」
「おいおい、意地の悪い言い方するなよ。そう言う自分も子供(ガキ)のくせに」
フラガが割り込んできた。
相変わらずふざけた物言いだったが、語調は少し厳しい。どことなく、大人が子供を叱るときのニュアンスが感じ取れた。
ふてくされたように、憮然と目を背けたイザークを見て、フラガはにやりと笑った。
「――こいつは特別なんだよ。というか、どのみち俺たちには関係ないだろ。絡むなよ。……ほら、キラも行った行った!仕事、放りっぱなしだろ。またマードックにせっつかれるぞ」
「あ……はい」
そう答えながらも、キラは内心落ち着かなかった。
まだ、動揺がおさまらない。
なぜだろう。
この目の前にいる少年から感じるこの異常なほどの敵意は。
どこかで会ったことがあるのだろうか。
必死で思い出そうとしたが、駄目だった。
やはり、記憶にはない。間違いなく、接触するのは今回が初めてだ。なのに、彼はなぜこんな目で自分を見るのか。
視線が少年を通り越して、向こうの方に止まっている車に向かう。
作業服を着た人影が数名。その中の一人は――。
キラは息をこくりと飲み込んだ。
心臓が、とくんと鳴る。
遠目からでも、わかる。
潮風に揺れる紫紺色の髪。
(――アスラン……)
その名が頭をよぎると、忽ちきりきりと胸が痛んだ。
アスラン……。アスラン・ザラ。
こんなところで、まさかアスランと直に顔を合わせることになるとは、思いもしなかった。
彼は、こんなところで一体、何をしている……。
それ以上、彼が今ここにいる意味を深く考えたくなかった。
(ぼくは、アスランを……)
まだ、自分はアスランのことを、忘れてはいない。
敵だと、思いたくない。
殺したく……ない。
だから、口を噤んでいようと思った。
見なかった振りをしたかった。
「早くしろよー!」
車から、声が聞こえた。
オープンカーが待っている。
まだ、アスランはすぐそこにいる。
そうか。
ふと、気付いた。
この人は、アスランと一緒にいた。
ということは、アスランの仲間、なんだ。
だから、自分の名前を……。
きっと、そうだ。この人には、知られているのだ。
アスランと自分との関係を……。
キラはおそるおそる、イザークを見た。
まともに目を合わせると、改めてその男にしては繊細で端麗な顔立ちにどきりとする。
(綺麗な、人だな……)
銀色の髪に、高い鼻梁、白い肌。クリスタル・ガラスのように、透明で抜けるような青い瞳。
ただ……。
その額から顔の真ん中を突き抜けていくような、無惨な一筋の傷跡が、彼の美しい顔を損ない、見る者の心を冷たく凍らせるようだった。
(どう、したんだろう……)
傷跡は、まだ新しいものだ。
ようやく塞がってはいるが、その赤黒い裂け目からは今にもまだ新しい血が噴き出してくるような感覚を与える。
自分をまじまじと見つめる相手の視線に、急に耐えられなくなり、自然とキラは俯いた。
「これが、怖いのか」
イザークが、唐突に声をかけた。
その声音の強さに、キラはびくんと肩を震わせた。
「……あ――」
目を上げると、相手が馬鹿にするような笑みを浮かべて自分の傷口を触っていた。
「酷いだろう。――戦場で、つけた傷だ」
倣岸な口調で、少年はそう言い放った。
フラガが目を瞠る。
それを見て、イザークはふ、と唇を緩めた。
「――と言いたいところだが、本当はもっとくだらんことだ。工場の作業中にやられた。おまえも、気を付けろ」
「……あ、ああ……」
キラはぎこちなく、頷いた。
「……で、どこで落ち合う?」
フラガが話を戻した。
「――今から……そうだな」
イザークは時計を見て、少し考え込む。
「――取り敢えず一時間後、くらいに……ウエスト・ゲート付近で、待っている」
フラガは僅かに目を眇めると、少年の背後へ遠い視線を投げた。
「……仲間が、いるんだろ。抜けられるのか?」
「大丈夫だ。気にするな」
イザークはちらりとキラを見た。
「おまえも、一緒に来い」
「え……?」
思いがけない言葉に、キラが軽く目を瞠る。
「……アスランに、会わせてやる」
にやりと笑うイザークに、フラガがおい、と声を荒げた。
「おまえ、何を言ってるんだ!」
「こいつは、俺の仲間の知り合いだ」
イザークは冷たく言い放った。
キラが息を飲む音が聞こえた。
フラガは困惑した様子で、二人の少年の顔を交互に見た。
彼には、イザークが何のことを言っているのかすぐには理解できなかった。
――アス、ランに……会わせる……?
あの少年と、キラが……?
どういうことか、わからない。
なぜ、キラが……?
キラの方を見ると、相手は困ったように視線を逸らしただけで、何も説明しようとする気配はない。
そんな様子を見て、イザークは満足げに顎をそびやかした。
「……否定しないだろう。――さっきは澄ました顔でやり過ごしたようだが、本当はもう一度あいつに会って、話したくて仕方ない筈だ。そうだろう?」
「おい、待てよ。イザーク……俺はおまえらのことを詮索するつもりはないが……」
フラガはたまりかねたように語気を強めた。
「けどな、とにかく、こいつを巻き込むのはやめろ」
「本人に聞いてみたらどうだ?」
イザークは鼻を鳴らした。
「――まあ、俺はどちらでもいいんだが」
「……………」
キラは何も答えず、ただ俯いただけだった。
震える唇を噛みしめる少年の僅かに苦しげな横顔を見て、フラガは眉を顰めた。
イザークに向き直ると、少し表情を引き締める。
「……あのさ……初対面のくせして、どうしてこいつにそんなに突っかかるわけ?何か恨みでもあるみたいに、さ」
「……突っかかってなど、いない。親切で言ってやってるだけだ」
馬鹿にしたように言うと、イザークは挑戦的な目でフラガを見た。
「詮索するつもりがないなら、黙ってろよ」
底意地の悪い閃きが青い瞳の色を微妙に変えた。
「とにかく、俺は貴様に話があるだけだ。……貴様も俺に会いたかったんだろう?なら、ちょうどいい」
「おまえ……」
含みのある口調に、フラガの表情が険しくなる。
「何か、変だな。何を企んでる?――くだらんことを考えてるなら、俺は行かんぞ。おまえらの遊びに付き合ってるほど暇じゃない――」
「――一時間後、待っている」
フラガの言葉を最後まで聞かないうちに、イザークは糸のような細い銀髪を風にたなびかせ、くるりと背を向けた。
弱い足取りで、それでも精一杯急いで車まで歩いて行く。
背後から見つめる二人の視線を痛いほど意識しながら、イザークは唇をきつく噛み締めた。
嵐が巻き起こる予感を、全身で感じ取りながら、彼は一歩一歩地を踏みしめて歩いた。
(……ふ……)
うっすらと唇に笑みが浮かぶ。
(……これで、いい)
その目が、車の後部座席にいるアスランに向かう。
アスラン・ザラ。
間近で目が合ったとき、イザークは皮肉な微笑を浮かべた。
「……話してきたぞ。――奴と」
「――何のことだ」
アスランは表情も変えずに、問い返した。
「とぼけるなよ」
イザークの目が不敵な光を放った。
「……………」
アスランは、何も答えなかった。ただ黙ってイザークを見返す。平静を装った緑色の瞳の奥に、押さえ込まれた激しい感情の炎の残滓が未だに燻っている筈だと、イザークは本能的に悟っていた。
今、自分が言った『奴』が誰のことを指しているのか。
勿論アスランには、わかっているだろう。
(知らない顔をしようとしても、無駄だ)
イザークは震える拳をそっと握り締めた。
――奴は、ここにいる。
白い怨讐の焔が舞う。
(――奴は、ここにいる。奴は、ここにいる。奴は、ここに……――!)
頭の奥でわんわんとこだまする。
菫色の美しい瞳の色。
怯えたように、こちらを窺い見ていた少年の映像がまだくっきりと脳裏に焼きついている。
あの純真そうな瞳の奥に、一体どんな魔物が眠っているのか。
わからない。
あんな、少年が……。
本当に、あれがキラ・ヤマトなのか?
ストライクのパイロット、なのか……?
あいつが、ミゲルを……?
そして、自分に、この傷を……。
気付けば自然に、顔の傷跡を指で辿っていた。
指先が触れた瞬間、傷は忽ち息を吹き返してくる。
再びあの熱い疼痛が、全身を切り裂くように、苛む。
(――とうとう、見つけた)
奴がどんな人間であろうと、関係ない。
自分にとって大切なのは、奴がストライクのパイロットであるという事実だ。
見つけたからには、決して逃しはしない。
必ず……。
必ず追い詰めて、やる。
「……傷が、疼いてきたぜ」
吐き捨てると同時に、イザークはアスランに挑むような強い眼差しを投げつけた。
(to be continued...)
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