幻 夜
「・・・イザーク・・・?――起きてるか・・・?」
聞き慣れた甘いハスキーな声がそっと耳元で囁く。
「・・・ん・・・?」
イザークは軽く頭を動かした。
(・・・誰・・・だ・・・?)
意識がぼおっとしていて、どうもはっきりしない。
(・・・俺は・・・今、どこにいるんだ・・・?)
記憶が曖昧模糊としている。
だが・・・今いるところが、ミーティングルームでないことだけは確かだ。
(・・・じゃあ・・・どこだ・・・?)
「・・・イザーク・・・」
再び声が降ってきた。
優しく、とろけるような響きを帯びた・・・
(・・・ミ・・・ゲ・・・ル・・・?)
ようやく、声の主の名が頭に浮かんだ。
そして――
・・・ようやく、自分のいる場所もわかった。
(俺・・・今、ミゲルの部屋に・・・?)
ミゲルに抱きかかえられるようにして、彼の部屋に入り・・・ラスティのいないのをよいことに、そのままベッドにダイブ・インした・・・。
・・・ところまでは、覚えている。
しかし、その後――は・・・?
・・・ところどころ、断片的にしか思い出せない・・・。
それでもまだ、痺れるようなあの快感はまだこの肉体に残っている。
自分の上げたあの淫らな喘ぎ声すら、耳の奥に微かに残響しているかのように感じられる。
イザークは、かっと全身を熱くした。
(・・・俺・・・ミゲルと・・・?)
そうだ・・・
あのまま最後まで、いってしまったのだ。
(・・・なんてことだ・・・俺は・・・一体・・・?!)
自分で自分の欲情をコントロールすることが、もはやできなくなっているのか?
そんな風に思いを巡らしていたが、それもやがて中途半端に消えてしまった。
そして、不意に・・・
閉じた瞼に何か柔らかなものがそっと触れる感触があった。
柔らかな唇が瞼から頬を伝うように這い下りてくるのがわかる。
彼は自ずとその唇を受け入れるために口を開いた。
・・・ミゲルのキスは、甘くて優しい。
ディープでありながら、無理強いはしない。
舌先が遠慮がちに入ってくると、そのままそっと口内をくすぐるようにやさしく舐め上げていく。
ごく自然にイザークの舌もその侵入者を受け入れ、二人はしばしその濃厚なくちづけを交わすことに夢中になっていた。
やがて、いかにも名残り惜しそうに、唇を離したのはミゲルが先だった。
「・・・ったく・・・俺をこんなに変態にしちまいやがって・・・」
ミゲルが呟いた。
そう言いながら、その手がいとおしむように、イザークの頬を撫でた。
そのとき、初めてイザークの瞳がうっすらと開いた。
薄氷のような透明感のある美しい青の色が、微かに潤んでいる。
「・・・勘違いするな・・・俺は、おまえの――『女』・・・になったわけじゃ・・・ない・・・」
彼はそう言うと、口を尖らせた。
俺は・・・『女』じゃない・・・!
自分の受けた行為を思い返すと、言い訳にもならない言葉を、やはり言わずにはおれなかったのは、イザークの最後に残ったプライドのせいか。
その台詞がいかにもいつものイザークらしい。
それでいて、今の状況には妙にそぐわず、そのアンバランスさがまたおかしかった。
ミゲルの唇がふっと緩んだ。
不意に悪戯心が芽生えた。
「・・・へーえ、違ったのか・・・そりゃ、残念・・・」
ミゲルの目がからかうように目の前の少女のようにしなやかな白い肌を一瞥する。
「・・・てっきり、そのつもりかと思ってたけど。さっきのおまえ、なかなか感度良かったぜえー。女以上に色っぽい声上げてたしなあー・・・」
それを聞いた瞬間、イザークの頬が朱に染まった。
「・・・バ、バカッ・・・!何言ってる・・・?!」
そのいかにも初心(うぶ)な反応に、ミゲルは思わず声を上げて笑った。
頬を染めながら、睨み返すイザークの頬をきゅっとつねった。
いつもなら、彼が一緒に寝た女に必ずやってみせる軽い冗談めいた仕草。
まさか、イザークにこんなことをすることがあろうとは・・・少し前までは想像すらできなかった。
無意識に出た自分の仕草に、ミゲルは驚かずにはいられなかった。
(うへっ・・・やめろよ、気色悪い!!)
・・・単純にそんな一言で片付けられていたであろうことが、今では全て逃れられぬ現実としてすぐ傍に厳然として存在している。
不思議といえば不思議なことだったが・・・なぜかそれを自然に受け入れてしまっている自分自身がいる。
ミゲルは苦笑した。
(・・・だってなあー・・・しゃあねーだろーが・・・)
――今のこいつのこんなしどけない姿を見て、平気でいられる奴がどこにいる・・・?!
・・・女のように・・・いや、それ以上に・・・彼の官能を刺戟した、この美しい豹のようにしなやかな体・・・。
こんなに美しく、魅力的な生き物がこの世に存在しているとは・・・
イザークの存在自体に不思議さを感じて仕方がない。
何で、こいつ、こんなとこ(ザフト)にいるんだ・・・?
今更ながらそんな愚かしい問いが胸を巡るくらい・・・彼はすっかり目の前のこの美しい生き物に魅入られてしまっていた。
グロテスクであるはずの男同士の性行為が、何の不快感も躊躇いも感じられることなく・・・いつのまにかごく自然に営まれてしまっていた。
行為が終わった後、ただ満足の吐息が口から漏れ出た。
このように互いに肌を合わせてしまった今となっては・・・
余計に彼が愛しく見えて仕方がない。
(・・・くっそおー・・・もう、いいや!)
ミゲルは息を吐いた。
・・・変態とでも何とでも言いやがれ!
・・・俺は・・・
・・・俺は、こいつが――・・・!
(・・・ほんとに、俺、イカれちまったらしい・・・)
ミゲルは再び、イザークにキスした。
今度はそっと唇の上に触れただけ。
そして、両頬に・・・瞼に・・・額に・・・
首筋に・・・
最初はやさしく、こわれものに触るかのように、そっと、慎重に・・・そしてだんだん大胆に、激しく・・・情熱の限りを込めて・・・
・・・キスの雨を降らせた。
「・・・んっ・・・ミゲ・・・ル・・・?!・・・」
さすがにその突然の激しいキスの嵐に息苦しさを覚えて、イザークは無意識に抗い始めた。
「――ん・・・や・・・だっ・・・やめ・・・――!!」
しかし、そんな彼の体はミゲルに強く抱き締められて、忽ち抗う力を失った。
というより、イザークの体がミゲルの行為に敏感に反応し、再び相手を受け入れたのだ。
不思議と怖くはなかった。
むしろ・・・このように抱かれることに喜びさえ見出している自分自身がいる。
イザークは、ミゲルの首に両手をまわし、思わずぎゅっとしがみついた。
「・・・・・?!」
ミゲルが意外そうに顔を上げ、そんなイザークを不思議そうに見た。
体が、こんなにも・・・どうしようもないくらい、燃え立って・・・
抑え切れないくらい、体全身が沸き立っている。
(・・・これは、一体何なんだろう・・・?)
イザークは喘いだ。
なぜ、こんなにも・・・
こんなにも、相手の体を求めてやまないのか・・・。
「・・・ミ・・・ゲル・・・ッ・・・」
その瞬間、かつてないような激しく熱い思いがイザークの全身を捉えた。
――俺を・・・
――俺を、抱いてくれ・・・
――もっと、強く・・・激しく・・・
体も、心も・・・痛いくらいに強く・・・
――もっと、強く抱き締めていてほしい・・・。
そんな、切ないくらい激しく燃え立った気持ちが彼を煽り立て、異様なまでに興奮させた。
こんなに、自分の中に、相手を求める激しい欲情の焔が燻っていたなんて・・・イザークは自分でもわけがわからず、ただ戸惑いの中にいた。
「・・・ほんっと、かわいいな、おまえ・・・」
ミゲルがそっと息を吐く。
「・・・でも、これでほんとに最後にしような・・・」
最後の理性が吐き出したその一言が、なぜかイザークの胸を切なく射た。
そう、恐らくそれが正しいのだろう・・・。
でなければ、二人で底なしの泥沼にはまりこんでいくようなものだ。
・・・このままでは本当に、歯止めがかからなくなる――
(・・・一時の夢・・・)
そう、これは『夢』なのだ・・・。
夢から目覚めたとき、全ては忘却の彼方に沈んでしまうこととなるだろう。
二度と繰り返されることはない・・・一時の夢か幻のようなもの。
それで、いい。
(・・・そう・・・もうミゲルにこんな風に抱かれることは・・・二度とないだろう・・・)
イザークは再びそっと目を閉じた。
でも、今はまだ、夢の中にいる・・・。
もう少し、この心地よい気分を味わっていたい・・・。
自分がミゲルに対して抱いている気持ちが、本当のところ、何なのか・・・イザークにはまだわからなかった。
ミゲルは、やさしい・・・。
確かに彼といると、心地よくて・・・
そう・・・不思議なくらい心が落ち着く・・・。
でも・・・
でも、その一方で・・・なぜだろう・・・?
――これは・・・何だというのだろう・・・。
何かが・・・心の奥で引っかかる。
(・・・アスラン・・・)
不意にその名が胸に浮かび上がったとき――
心の奥に微かな痛みが走った。
それがなぜなのか・・・
彼にとって、それは何を意味しているのか・・・
――答えは・・・すぐには見つかりそうにもなかった。
(Fin)
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