迷 妄




 ――・・・忘れてしまえ・・・!
 乾いた心が呟く。
 ――どうせ、あいつも忘れると言ったんだ・・・。
 アスランは軽く息を吐き、目を閉じた。
 しかし――
 ・・・それでもやはり、全てを完全に消し去ることは不可能だった。
 ――アスラン・・・ッ・・・!
 苦悶に満ちた悲鳴が、甦ってくる。
 懇願するように、こちらを必死で見返してくる涙に濡れた薄青の瞳・・・。
 ――イヤ・・・だ・・・・ッ・・・!
 ――お願い・・・だから・・・
 
――アス・・・ラン・・・ッ・・・!!
 ・・・相手はもはや抗っていなかった。
 既に彼の容赦のない暴力に抵抗する気力も使い果たし・・・
 ただ、人形のように彼に身を委ね・・・
 その瞳には諦めに近い色を浮かべながらも――
 それでも、まだ懇願の言葉を必死で唇から紡ぎ出す・・・
 そして・・・
 
アスランには、そんなイザークがなぜか煩わしくて仕方ないのだった。
 ――何で・・・?
(・・・何で、そんな風に簡単に諦めてしまうんだ・・・?)
 苛立ちが募った。
 ――もっと抵抗しろよ、イザーク・・・
 こんなのは、おまえらしくないだろう・・・?
 嗜虐心が高まる。
 もっと・・・
 
そう・・・もっと、もっと必死になって抵抗しろ。
 こんな弱気になったおまえを組み伏せたって、何も楽しくない。
 いつものように、もっと吼えたてろ。
 俺を罵って、拳を振って抵抗すればいい。
 こんなに簡単に相手に屈するなんて、おまえらしくない・・・。
 怖いくらいに美しく、心を震わすようなあの冷えた傲慢なアイス・ブルーの瞳で俺を睨みつけてくればいい。
 
・・・アスランは、自分で自分の異様に高ぶった心を抑えることができず、
 
ただ腕の中のイザークを乱暴に抱き続けた。
 相手が痛がれば痛がるほど、ますます強く激しく突き上げた。
 胸が激しく高鳴り、これまでにないほどの暗い興奮と刺激が全身を貫いていく。
 なぜそんなに興奮するのか自分でも不思議なくらい、ぞくぞくと全身が沸き立った。
(・・・俺は、一体どうしたんだ・・・?)
 どうしても・・・優しくすることができない。
 あんなに焦がれて・・・望んで、手に入れたはずなのに・・・
 この腕の中の美しい生き物を・・・もっといとおしんでやらなければいけないはずなのに・・・。
 なぜだろう・・・?
 こんなにも荒々しい気持ちが湧き上がり――
 なぜか、相手を傷つけたくなってしまう。
 虐めて、虐めて・・・
 涙の尽き果てるまで・・・泣かせ続けてやりたい・・・
 黒い感情が渦を巻き、いったん始まった暴走は止まらなかった。
 そうして・・・
 行為が終わったとき、彼は冷淡に相手を床に突き放した。
 吐き出された精液と血と汗にまみれ、ぐったりとしたその見るも無惨なイザークの姿を見下ろしたとき・・・
 ほんの一瞬、後悔に似た気持ちが胸をよぎった。
 もう一度彼を抱き上げ、許しを乞いたくなった。
 イザーク・・・イザーク・・・!
(・・・俺は・・・おまえを、本当は・・・!)
 ・・・しかし、その思いはそれ以上は続かなかった。
 重く暗い感情の波があまりにも強く彼を制しきっていた。
「・・・おまえが、悪いんだ・・・」
 
アスランは冷たく言い放った。
 ――おまえの、せいだ・・・!
 おまえが、俺を狂わせた・・・。
 理不尽な思考が駆け巡り、アスランはそのまま振り返りもせずに、イザークを置いて部屋を出た。
 廊下を歩きながらも、興奮がなかなかおさまらなかった。
 あれ以上、あそこにいれば・・・今度は本当にイザークを殺してしまっていたかもしれなかった。
 部屋へはとても戻る気にもならず、そのまま・・・彼は自室へ向かう廊下を通り抜け、外に出た。
 夜風にあたり・・・暗いベンチに一人腰掛けると、膝に肘をつき、深い息を吐きながらそこへ重い頭を沈めた・・・
 
 
 ――そうして、今彼はここにいる。
 時間が経つにつれ、次第に心が冷静さを取り戻し始めた。
(・・・俺は・・・)
 アスランはふと頭を上げた。
 途端に冷たい風が鼻孔をついた。
 ・・・自分のしたことを思い返して、心が一気に冷えた。
(・・・俺・・・何で、あんなこと・・・?・・・)
 ひどいことをしてしまった・・・。
 胸がぎりぎりと痛んだ。
 どうしようもなく突然捉われたあの激しく強い感情の波に足元を掬われたといった感じだった。
(・・・どうして、あんなこと・・・?)
 イザークは・・・果たして、俺を許してくれるだろうか・・・。
 今さら悔やんでも、取り返しがつかない・・・。
 しかし・・・
 自分でもどうしようもなかった。
 どうして、こうなってしまうのか。
 イザークのことを思うだけで、こんなにも心がかき乱される・・・。
(・・・何で、こんなにあいつが・・・)
 ・・・好きになってしまったのか・・・。

 ――好き・・・?
 そう・・・俺は――
 
――あいつが好きなんだ・・・。
 美しく驕慢な誇り高い生き物・・・。
 いつも俺に挑みかかってくるような、あの負けず嫌いな青い瞳。
 それでいて、時々とても切なげで・・・一瞬覗くあの憂いを帯びた表情が珠玉のように美しく・・・彼の心を捉えて離さない。
 
・・・士官学校で、初めて彼を見たときから・・・
 
本当は、あのときからずっと・・・
 なのに、どうしてこんなに暗い思いが自分を支配するようになってしまったのか。
 アスランは自分の中で、どうしようもない思いが滾っていくのを感じ、自分がこれからどうなっていくのか漠然とした不安に駆られた。
 ――俺、最低だな・・・
 どうしようもなく、悲しかった。
 そして同時に、どうしようもないくらい、まだこんなにも『あいつ』を求めている自分に気付き・・・彼は自分の思いの強さに我知らず、慄然と身を打ち震わせていた。
 自分は、本当に・・・
 ――彼を、愛しているのだろうか・・・?
 こんなに暗い思いが、『愛』なのか・・・?
 自分の中にあるこの思いの強さがあまりにも重かった。
 泣きたいような気持ちに駆られて・・・アスランはそのまま頭を抱え続けた。
(・・・アスラン・・・)
 遠くの方で、ふと誰かの声が自分の名を呼んだような気がした。
 聞き覚えのある、優しい少年の声が・・・。
 ――誰・・・だ・・・?
 遠い昔・・・孤独だった彼の心に、明るい日差しのように入ってきた少年。
 ――キ・・・ラ・・・?
(・・・おまえ・・・なのか・・・?)
 その名が浮かんだ瞬間・・・
 
――涙が溢れた。
 キラ・・・。
 おまえは今、どこにいる・・・?
 今までずっと心の奥に追いやってきたその名が・・・その姿が・・・今、突然彼の頭の中にくっきりと浮かび上がった。
(・・・俺を――助けてくれ・・・キラ・・・!)
 アスランは、闇の向こうにいるはずもない少年の姿を捜し求めるかのように、目の前の暗い空間をただ凝然と見つめ続けた。

                                            (Fin)

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