想 い (1)




 人の入ってくる気配を敏感に嗅ぎ取って、ディアッカは、はっと目を開けた。
 暗闇の向こう・・・扉の影にうっすらと人の輪郭らしきものが浮かび上がっている。
「・・・イザーク?」
 彼はそっと囁いた。
 扉の前の人影が驚いたようにぴくりと反応するのが見てとれた。
 ディアッカは素早く半身を起こし、ベッドから滑り降りた。
 扉の傍まで歩み寄ると、やはりそこに立っているのはイザークだとわかった。
 顔をそむけ、すり抜けようとする相手の進路を塞ぐようにその前に体を近づけた。
「・・・どこ行ってたんだよ、今まで――!」
 そう言いかけてイザークの顔を覗き込んだ瞬間、ディアッカは思わず口を閉じた。
 相手の姿を見て、ディアッカは軽い衝撃を受けた。
(・・・・・・?!)
 ディアッカは言葉を吐くのを一瞬躊躇った。
「・・・どう・・・したんだ・・・その顔・・・」
 伸ばしかけた手は、即座に相手に振り払われた。
 イザークが果敢にこちらを睨みつけてくるのがわかった。
「・・・何でも、ない!」
「・・・って、んなわけねーだろーが!その顔・・・!!」
 ディアッカの語調は自ずときつくなった。
 明らかに、一方的な暴力行為を受けた跡。
 しかも、こんな時間に戻ってくるなど・・・
 
誰が考えても、普通とは思えないだろう。
(・・・誰に、やられた・・・?)
 いやな想像が彼の頭の中をよぎった。
 ――まさか・・・?
「・・・イザーク!」
「おまえには、関係ない!」
 にべもなく言うと、イザークはディアッカを押しのけるようにして体を動かした。
 ディアッカはそんな彼の腕をすかさず掴んだ。
「関係ない・・・?!・・・ちょっと待てよ、おまえ・・・それはねーだろーが・・・!」
 イザークが振り返る。
 相変わらず怒った顔・・・しかし、僅かにその表情の中にどこかすがりつくような頼りなさが潜んでいるように見えたのは気のせいか。
 腫れた頬が痛々しい。
 一瞬、ディアッカは胸を衝かれた。
(・・・誰だよ、おまえにこんなことしたの・・・!)
 怒りがむらむらと込み上がってきた。
「・・・アスラン・・・なのか・・・?」
 低い声で、ゆっくりとそう問いかける。
 その名が口から飛び出した瞬間の相手の表情を見て、返事はなくともディアッカは確信を強めた。
(・・・やっぱり、そうか・・・)
 あとは・・・何となく想像がついた。
 ――『レイプ』・・・されたのか・・・?
(・・・なんて、聞けるわけねーよな・・・)
 ディアッカは頭を掻いた。
 何と言ってよいものか――突然、彼は途方に暮れた。
 それでもこのまま彼を放っておけないような気がした。
「・・・なあ・・・よかったら――」
 言葉が出た瞬間、イザークが再び彼を射るように見た。
 その視線に射すくめられて、ディアッカはその先を続けられなくなった。
 自分が言おうとしていた言葉が一瞬にしてどこかへ置き忘れられてしまったかのようだった。
 相手の中に・・・自分が入り込む余地が全く残されていないことが、本能的にわかった。
 その瞳が、やんわりと彼を拒んでいる・・・。
 もしかしたら・・・
(・・・もう、既に誰かに先を越されちまったのか・・・な?・・・)
 イザークの腕を掴んでいた手が自然に離れた。
「・・・イザーク・・・」
 搾り出すように何とか言葉を出そうとすると、イザークが静かに首を振った。
「――俺のことは・・・しばらく、放っといてくれ・・・」
 ――頼むから・・・ディアッカ・・・!
 そして、彼は戸惑うディアッカに背を向けた。
 ディアッカは、もはや何も言わなかった。
 ただ、やるせない思いが・・・胸を覆った。
 

「・・・どうしたんですか、その顔!」
 ロッカールームにイザークが入ってきた瞬間、ニコルが驚いたようにイザークに声をかけた。
「・・・ん・・・ちょっと、な・・・」
 イザークは曖昧に答えた。
 ニコルはそんな彼をなおも不審気に見つめた。
 イザークの口調から、何となくそれ以上聞かない方がよいと判断したものの、彼は相手の顔をもう一度見つめ返さずにはいられなかった。
 いつものあの整った少女のように美しい容貌を見慣れた者にとっては、それはあまりに痛々しすぎるほどの変貌ぶりだった。
「・・・まさかディアッカと喧嘩した・・・とか・・・?――にしても、ちょっとひどいですよね・・・大丈夫ですか・・・?」
 遠慮がちに問いかけるニコルに、やや困惑の色を浮かべたイザークの肩を誰かの手がぽんと叩いた。
「・・・よっ、どうだー?ちょっとは腫れ、引いたか?・・・って思ったが、やっぱひっでえー顔だなあ・・・!」
 ミゲルが悪戯っぽい笑みを浮かべながら、二人の後ろから不意に顔を覗かせた。
「・・・ミゲル?」
 ニコルがすかさず物問いたげな視線を投げた。
「・・・ま、いろいろあってな!・・・あんまし突っ込むなよ、ニコル!」
 ミゲルは笑って流した。
 そのあまりにあっさりとした切り返し方に、ニコルは一瞬言葉をつなげなくなった。
 その間隙を縫うように、
「・・・それはそうと、今朝はおまえらの相方の姿が見えないようだが、どうした?」
 ミゲルはさらりと話題を変えた。
 ニコルはああ、と首を振った。
「アスランなら、今朝は体調が悪いから、少し遅れていく・・・って言ってましたよ」
「・・・へーえ・・・珍しいね、奴がそんなこと言うなんてなあー・・・」
 ミゲルがわざとらしく語尾を引っ張って言うと、
「・・・でも、ほんとに具合悪そうでしたから・・・!顔色も悪かったし・・・昨夜もあんまり寝られてなかったんじゃないでしょうか・・・」 
 ニコルは忠実にルームメイトを弁護した。
「・・・ふうーん・・・」
 ミゲルはちらりとイザークへ視線を投げた。
 その顔色が僅かに変化しているのがわかった。
「・・・で、ディアッカの奴は?」
「――俺は知らん。特に何も言ってなかったから、すぐに来るんじゃないか・・・」
 そう言いながらも、イザークはやや落ち着かなげに視線をそらした。
 ミゲルはそんな彼をけぶるような目でじっと見つめた。
 
 
 インターカムが冷めた電子音を鳴らす。
『・・・アスラン?いるのか・・・!』
 その声を聞いて、アスランは寝台からゆっくりと顔を上げた。
「・・・ディアッカ・・・?」
 彼は扉まで歩いていくと、黙ってロックを解いた。
 扉が開いて、目の前に制服を着たディアッカの姿が飛び込んできた。
 口を開くより先に、相手がずかずかと部屋に入ってきた。
 その背後で扉が自動的に閉まった。
「ディアッカ・・・どうしたんだ?もう集合時刻、過ぎてるだろ?」
 アスランがそう声をかけると同時に、ディアッカが勢いよく振り向いた。
 その険悪な表情を見て、彼が何を言おうとしているのか、アスランにはほぼ察しがついた。
「・・・アスラン、おまえ――昨夜、イザークに何をした?!」
 案の定、ディアッカの口から吐き出されたのは、彼の考えていた通りのことだった。
 彼は軽く息を吐いた。
「・・・また、ナイト気取りか・・・」
 やれやれといった風にわざと大仰に肩をすくめてみせる。
「・・・答えろよ!・・・おまえ・・・イザークを――・・・」
 ディアッカはそこで、口ごもった。
「・・・おまえ、昨夜・・・あいつを・・・」
 アスランはふっと唇を緩めた。
「・・・あいつを、『レイプ』したのか・・・って聞きたいんだろ?」
 彼は挑むようにディアッカを見た。
 そのあまりにも暗い瞳の色に、ディアッカは一瞬気圧された。
「・・・って・・・はっきり、言うなよ、そんなこと・・・っ・・・!」
 ディアッカは困惑を隠しきれない様子だった。
(・・・どういう奴だよ、こいつ・・・!)
 沈着冷静に、いかにも事も無げな様子で・・・
 
自分が野郎を『レイプ』したのか、なんて・・・。
 恥ずかしげもなく・・・言えるか、普通・・・。
 で、こいつ・・・どう答えるつもりなんだ・・・?
 そう思ったとき・・・
「――したよ」
 さらりと答えが返ってきた。
「・・・なっ・・・!!」
 ディアッカはそれを聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった。
(・・・こい・・・つ・・・っ・・・!!)
 予想はしていたが、こうまでしゃあしゃあと肯定されると――・・・
「・・・アスラン・・・っ・・・おまえ・・・!!」
 気が付いたときには、既に手が出ていた。
 アスランの胸ぐらを掴み、その顔に思いきり拳を打ち込んだ。
 相手が床に吹っ飛んでいくのがわかった。
 拳がじんと痛んだ。
 相当力が入っていたようだ。
「・・・アスラン・・・っ・・・!!」
(・・・なんで・・・そんなこと・・・!!)
 怒りが止まらなかった。
 
彼は床に倒れたアスランの体をさらに引き上げ、数発殴った。
 
相手が全く抗っていないことに気付くまでにしばらく時間がかかった。
(・・・・・?!)
 
ようやくディアッカは拳を止めた。
「・・・何だよ・・・何で、やり返さないんだ、おまえ・・・!!」
 
アスランの顔を覗き込む。
 
初めて、相手の表情を見た。
 
その瞬間・・・彼ははっと息を呑んだ。
 
――なんて・・・
(・・・こいつ・・・なんて顔してる・・・?)
 それは・・・
 悲しみか・・・
 絶望か・・・?
 何なんだろう・・・わからない・・・
 ただ・・・哀しい・・・
 
やるせない思いが溢れた。
「・・・おまえ・・・」
 ディアッカの手が、アスランの体からゆっくりと離れた。
 一挙に殴る気が失せた。
「・・・聞いて、いいか・・・?」
 アスランは答えなかった。
 彼は流れる血を拭おうともせず、そっと顔をそむけた。
「・・・おまえ・・・あいつを・・・『好き』――なのか・・・?」
 そう言葉を出した瞬間、陳腐なことを聞いたなとディアッカは少し後悔した。
 そんなこと・・・聞いて何の意味がある・・・?
 くだらない質問だ・・・。
 何考えてるんだ、俺は・・・。
 しかし――・・・
「・・・好き・・・さ」
 アスランの口から、不意に言葉がこぼれた。
 ディアッカは僅かに目を見開いた。
 
――好き・・・だ。
 
――あいつを・・・愛してる・・・
 静かに、だが、はっきりと・・・。
 そこには明らかにそうとわかる強い意志と感情が、込められていた。
 ディアッカは息を吐いた。
「・・・そう・・・か・・・」
 ・・・自分の入る余地がないということが・・・何となく感じられた。
 しかし・・・
 
彼は歯噛みした。
 何となく、気持ちがおさまらない。
(俺・・・どうしたら、いいんだ・・・?)
 彼は呆然とアスランを眺めていた。
「・・・そこまでにしとけよ、ディアッカ!」
 不意に、背後から声がかかった。
 ディアッカは驚いて振り返った。
 アスランも、はっと声の聞こえてきた方向へ目を動かした。
 いつの間に入ってきたのか・・・
 ミゲル・アイマンが背後から二人を見下ろしていた。
「・・・一応インターカム使ったけど、返事なかったもんでね・・・」
 ミゲルはじろりと二人を交互に見やった。
「・・・どうもお取り込み中だったようで。――ディアッカ。今度はおまえがアスランを組み伏せてたのか?」
 にやりと笑ってみせる。
「ミゲル!!」
 ディアッカが非難するようにミゲルを睨んだ。
「・・・冗談だよ。冗談!いちいち、マジになんなって・・・!」
 
ミゲルは苦笑したが、ふとその瞳が真剣な色を宿した。
「とにかく、おまえはもう気が済んだだろ。・・・どけよ。今度は俺がこいつと話す番だ・・・」

                                          (To be continued...)


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