想 い (3) イザークは眠れなかった。 向こうで机に座ってコンピュータのデータとにらめっこしているディアッカを尻目に、今夜は気分が悪いといつもより早めにベッドに入った。 なのに・・・ どうしたことか、全く寝つけない。 ディアッカの指がキイを叩く音、コンピュータの作動音など・・・いちいち妙に耳につく。 しまいには空調機のまわる音まで気になってきた。 やむなく、何度も寝返りを打った。 自分でもおかしなくらい、神経がぴりぴりしている。 ・・・ここのところ・・・ずっとこんな状態が続いていた。 元々、あまりすっきりと寝られる体質ではない。 男の子の癖にこの子はあまりにも神経質すぎると、母がよく嘆息していたものだが・・・夜は特に眠りが浅い。 それが・・・ここ最近特にひどくなっているようだ。 原因は・・・ わかっている。 少なくとも・・・その一因は・・・。 あれだ。 彼にとっては衝撃的な、あの事件。 ――同性同士で・・・初めて体を交わらせた。 しかも、相手はあのアスラン・ザラ・・・。 一度ならず、二度までも・・・。 どちらの場合も・・・恐ろしく激しい苦痛が伴った。 肉体的にも、精神的にも・・・。 思い出してもあまりのおぞましさに体が震え、吐き気が込み上げてくる。 自ずと瞳が涙で潤む。 それなのに・・・抗いながらも、どこかでそれを受け入れ、あらぬ声を上げていた自分・・・。 そんな自分の姿を思い返すと、さらに恥辱の垢にまみれるような気がする。 (・・・俺は・・・何で・・・あんなことをしてしまったのか・・・) そう思った瞬間―― ・・・いや、自分の意志ではなかった・・・!! 彼は必死で打ち消す。 無理矢理・・・あいつが・・・ アスランが・・・ッ・・・!! 俺の意志じゃない・・・あれは・・・あれは・・・!! 彼の頬をいつしか涙の筋が伝い落ちていた。 彼はそんな自分自身に驚き、はっと慌てて零れる涙を拭い取った。 なぜか、心がとても寒かった。 どうしようもないくらいの、ひどい脱力感。 ふと・・・ あの暖かい腕のぬくもりが、思い出された。 優しく触れてくる指先・・・。 凍りついた体をゆっくりと溶かしていくような、あのとろめくような唇の感触。 (・・・ミゲル・・・) 突然、胸の中を、熱いものが走り抜けていったような気がした。 激しく、何かを求める気持ち・・・。 今・・・心から、傍にいて欲しいと思う・・・ これまで感じたことのなかったような強く激しい想いが・・・彼の体をどうしようもないほどに捉えていた。 (・・・何なんだろう・・・この想いは・・・?) イザークは不思議に思った。 ――俺はどうしてしまったのか・・・? ・・・わからない。 説明のつかないほどの、ただ激しく狂おしいこの想い・・・。 彼はそんな風に自らの感情の波の中に溺れそうになる自分自身を認めて、思わず身を震わせずにはおれなかった。 「・・・イザーク・・・どうした・・・?」 背後から声がかかった。 向こうの机に座って作業をしていたディアッカが、心配してこちらまで近寄ってきたのだ。 イザークは泣いていることを悟られないように、忽ち固く瞼を閉じた。 『大丈夫だ・・・!』 そう返事をしたかったが、声が詰まってすぐには言葉が喉から出てこなかった。 「・・・眠れないなら、医務室で睡眠剤でももらってきてやろうか?この時間なら、まだ――・・・」 心配そうに声をかけるディアッカに、イザークはただ無言で頭を振った。 「・・・そっか・・・なら、いいけど・・・?」 ディアッカはそれ以上突っ込もうとはしなかったが、声の調子はどことなく疑わしげであった。 イザークは突然身を起こした。 ベッドから降りて、ディアッカの方に顔を振り向けた。 「・・・な、何だよ?!」 鋭いアイスブルーの瞳にいきなり射抜かれて、ディアッカはその顔にやや戸惑いの色を浮かべた。 そんなたじろぐディアッカを無視するように、イザークは彼の横をすり抜けた。 「・・・あ、おい、イザーク?!」 まっすぐ扉口に向かって歩いていくその背に、ディアッカが驚いたように声をかける。 「・・・どこ行くんだよ?!こんな時間に・・・?」 「・・・少し外へ出てくるだけだ。・・・すぐ戻る!」 放ったような口調。 ディアッカがあっと思う間もなく、扉が開閉し、彼の姿は廊下の向こうへと消えた。 (・・・やれやれ・・・) ディアッカは肩をすくめた。 ――相変わらず、勝手気ままな奴・・・! 人の気も知らないで・・・と、彼は軽い溜め息を吐かずにはいられなかった。 (・・・まさか、アスランのとこへ行ったんじゃねーだろうな・・・) まさかな・・・と彼は首を振った。 あんなことされて・・・またのこのこ寄っていくほど、あいつも馬鹿じゃないだろう。 それでいて、何となく漠然とした不安が胸をよぎった。 追いかけていった方がよいのだろうか・・・。 そう思いはしたものの・・・ 彼は敢えてその衝動を抑えた。 (ナイト気取り・・・か) アスランの声がふっと聞こえたような気がした。 あの時以来、自分の胸の内に疼く妙な感覚も・・・。 (イザークはお姫さんかよ・・・?) こんな風に想いを巡らすことに、ふと抵抗を感じた。 (・・・どうかしてるぜ・・・俺・・・) ディアッカは自嘲した。 ――・・・やめておけ・・・! 自制心が頭の奥で警鐘を鳴らしていた。 ――でないと、本当に俺までやばくなっちまう・・・か。 ディアッカはそのような思考の全てを追い払うかように頭を振ると、さっさと机の前に戻った。 「おい、ミゲル・・・?」 何度目かに名前を呼ばれて、ようやくミゲルははっと顔を上げた。 「・・・あっ、ああ・・・?」 すぐ目の前で、オレンジ色の髪の青年が不思議そうにこちらを見つめている。 「・・・さっきからずっとぼーっとして・・・どーしたんだよ?!」 ラスティは口を尖らせた。 ミゲルはそんなルームメイトを宥めるように、慌てて笑顔を作った。 「ああ、すまねー!・・・ちょっと考え事だよ、考え事・・・!――んで、何だ?」 「もう、いい!・・・たいしたことじゃねーし・・・」 そう投げ捨てるように言うと、ラスティはくるりと相手に背を向けた。 ――ヘンだ・・・! ラスティはそれでも背中越しにそれとなくミゲルの様子を窺い見ながら、不審を強めた。 ――らしくねーなあ・・・。 (ミゲルの奴・・・一体どうしちまったんだ・・・?) この数日、ずっとこの調子だ。 ぐっと口数が減った。 何でも茶化しては笑い飛ばしていたあのあっけらかんとした陽気さが今はすっかり影をひそめている。 何なんだろう・・・? ラスティはまるで狐につままれたような気分だった。 『考え事』だって・・・? ――そんな奴じゃねーだろ、おまえは・・・! 彼は内心呆れた。 これまでミゲルと付き合ってきて、彼が『考え事』をしているらしいような場面にはまだ一度も出くわしたことがない。 実戦・・・例のヘリオポリス降下作戦遂行の日が刻一刻と迫っている。・・・そのせいだろうか。 しかし、既に実戦経験はあるミゲルだ。 そんなことでこんなに神経質になるはずが・・・。 あるいは・・・ 恋煩い・・・か? ラスティは思わず息を洩らした。 (・・・まさか、な・・・!) しじゅうナンパしまくって、遊ぶ女には事欠かないような奴にはおおよそ縁遠い言葉のように思える。 ラスティは肩をすくめた。 悩んでいる自分が馬鹿馬鹿しいようにも思えるが・・・。 しかし、一緒の部屋にいる者としては気になって仕方がないのだ。 「・・・なあ、ミゲル――・・・」 彼が言いかけたとき、インターカムが鳴った。 ラスティは舌打ちしながら、ドアを開けにいったが、そこに立っていたイザークの姿を見て、目を瞠った。 ――珍しい。 イザークが自分から彼らの部屋にやってくるなど、ついぞなかったことだ。 何の用だろう・・・? しかも、こんな時間に・・・。 ラスティは壁のデジタルクロックに目をやった。 もう就寝時刻に近い時間ではないか。 「どうしたんだよ、イザーク?――何か用か?」 その『イザーク』という言葉が聞こえた途端、反射的にミゲルは椅子から立ち上がっていた。 「・・・イザーク・・・?」 彼は押しのけるように、ラスティの背後から顔を出した。 「・・・何だよ、用のあるのはミゲルか?」 ラスティは不思議そうな面持ちで二人を交互に見やった。 「ミゲル・・・おまえと少しだけ・・・話がしたい・・・」 イザークがのろのろと言った。 伏し目がちの視線。 言い方はいつも通りぶっきらぼうであったが、その言葉自体にはどこかイザークらしくないような・・どことなく躊躇いがちで、惑うような調子が汲み取れた。 ・・・ん?・・・と、ラスティは一瞬首を傾げた。 何か・・・変な感じだ。 よく見ると、何とはなしに頬に赤味が差しているようだ。 「・・・ちょっとだけ、いいか・・・?」 イザークは言うと、ちらりとラスティを窺うように見た。 「何かわかんねーけど、俺、邪魔ならちょっとだけ席外そうか?」 ラスティは気を利かして言ったが、ミゲルは動こうとした彼の体を押しとどめた。 「・・・いや、いい。俺が、外へ行くから・・・。――な?外で話そう・・・イザーク」 そう言うと、ミゲルはイザークの体を押し出すように、一緒に外へ出た。 そんな二人をラスティは凝然と見送った。 何とはなしに秘密の匂いを嗅ぎ取りながら・・・。 しかし、彼はそれ以上深く考えるのをやめた。 他人のプライバシーに関わりすぎるのはトラブルの元だ。 ここ(ザフト)では特に・・・。 彼は溜め息を吐くと、扉に背を向けた。 「・・・どうしたんだよ、一体・・・?」 誰もいないコモンルームに入って先にソファに腰を下ろすと、さっそくミゲルは問いかけた。 彼の顔には屈託のない笑みが浮かんでいた。 一見それはいつもの彼と全く変わらぬ笑顔に見えた。 しかし・・・ どこか・・・彼の瞳の奥に、いつもの彼らしからぬ、ひそやかな翳りが覗き見えたことも確かだった。 イザークは無言のまま、ミゲルの傍らに腰を下ろした。 「・・・俺に話があるって言ったのはおまえだろ?・・・黙ってちゃわかんないぜ」 ミゲルは横目でイザークの表情をそっと窺い見た。 伏し目がちの瞳を覆う睫毛の長さや、ほんのり朱に染まった頬が、薄暗い部屋の中でもはっきりと見てとれる。 シャツの間から見えるうなじの白さやその肌の艶っぽさを眺めているうちに、前回の彼との行為が再び彷彿と呼び起こされるような気がして、ミゲルはどうも落ち着かなくなった。 (・・・ったく・・・こいつ、わかってんのかなあ・・・) ミゲルはほうと息を吐いた。 ――こういう自分を晒してるってことがいかに危険なことなのかってこと・・・。 アスランや俺じゃなくたって・・・ひょっとしたら、あいつ・・・ディアッカだって、わからねーぞ。 こんなに色艶出してちゃあ・・・男だとか女だとか関係なく、誰だって襲いたくなっちまうだろう。 だのに、本人はからっきしその自覚がないときてる。 (ほんと、困った奴だなあ・・・) ミゲルは頭を掻いた。 「・・・おまえのこと・・・思い出して・・・」 そのとき不意に、イザークの口から小さな声が漏れた。 「・・・は?」 ミゲルは言葉の意味を図りかねて、首を傾げた。 イザークがようやくこちらを向いた。 真っ直ぐな青い瞳が、矢のようにミゲルを射抜いた。 ミゲルはやや気圧された。 「・・・な、何だよ?」 「・・・だから!!」 イザークは怒ったように声を上げた。 「・・・俺はおまえが・・・ッ・・・!!」 頬がさらに紅潮していた。 ミゲルは呆気に取られてそんなイザークをただ黙って見つめていた。 (・・・イザーク・・・?) ――何だって、おまえ、そんなにコーフンしてるんだよ? なぜか、その先を聞いてはいけないような気がした。 (・・・ダメだ・・・) ミゲルはイザークを止めようとしたが、それより相手の行動の方が早かった。 あっと思ったときには、イザークの顔が目の前に近づいており・・・ ――イザークの唇がミゲルの頬に触れたとき・・・ミゲルはごく自然に自分の口を相手の唇に合わせていた。 (・・・ダメだっつーのに・・・!) 頭ではそう思いながらも、体は正直に反応してしまう。 ――イザーク・・・イザーク・・・!! おまえ・・・何で俺をこんな風に煽るんだ・・・? だめだって・・・ こんなのは、ほんとにだめなんだ・・・!! ・・・ミゲルは貪るように相手の唇に吸いつきながらも、身内に高まる情欲の炎を必死で消し止めようとしていた。 (To be continued...) |