想 い (4)




「・・・ダメだ!」
 ミゲルはようやくの思いで唇を離すと、強い力でイザークを押し戻した。
「・・・・・?!」
 イザークはわけがわからないといった風に、ただ呆然とそんなミゲルを見つめていた。
「――なん・・・で・・・?」
 思いがけず、こんな風に拒絶されたことに対するショックで、彼の頭の中は一瞬真っ白になっていた。
 ――ミゲル・・・?
 そのとき、目の前にいるミゲルの顔つきが明らかにこの間とは違うことに彼は初めて気付いた。
 ――ミゲル・・・何でそんな顔してるんだ・・・?
 ――なぜ・・・この間のように・・・優しく抱いてくれない・・・?
 ミゲルのあの暖かい手の感触・・・
 
あの時の優しい愛撫を思い出して・・・イザークは思わず泣きたいような気分に駆られた。
 ――今、俺がこんなにおまえを求めているというのに・・・
 なぜ・・・応えてくれないのか。
 自分自身の中で募る想いだけが・・・なぜだか妙に空回りしているようだった。
「・・・ごめん・・・」
 相手の唇から漏れ出たその一言が、彼の胸に重く響いた。
 その沈痛な面持ち・・・。
 イザークを見つめ返す優しげな瞳の奥にはっきりと現れている、強い拒絶の意志。
 ――ごめん・・・イザーク・・・。
 突然、目の前の青年がどこか手の届かないところへ行ってしまったかのような錯覚に襲われて、イザークはどきりとした。
「・・・ダメ・・・なのか・・・?・・・」
 イザークの瞳が翳を帯びた。
 痛々しいほどに・・・その傷ついた表情が、ミゲルの胸を深く衝いた。
「・・・・・」
 しかし、それでもミゲルは動かなかった。
 動けなかった。
 代わりに、彼はただ黙って頷いた。
「・・・言ったろう・・・あれが最初で最後だってさ・・・」
 努めて明るく言おうとしながらも、なぜか言葉は宙に浮いた。
 自分の想いをどう捉えてよいのか・・・彼自身の中に、まだほんの僅かな迷いがあったせいかもしれない。
 イザークは途方に暮れたように、じっと・・・ただ一心に彼を見つめていた。
 縋るような・・・必死で何かを訴えかけるかのようなその僅かに潤んだ瞳が・・・ミゲルの固く決めた心を揺るがそうとする。
「・・・ミゲル・・・俺は・・・」
 イザークが再び哀願するように言いかけたとき、それを遮るようにミゲルはついと立ち上がった。
「・・・イザーク・・・今は・・・ダメなんだ・・・」
 ミゲルは敢えてイザークの顔から視線をそらすと、そう言い放った。
 ――そう、俺の中でもう少し整理がつくまで・・・。
 俺の中にあるおまえへの思いに答えが見つけられるまで・・・。
 こんな中途半端な気持ちのまま、ただその場の衝動に任せておまえを抱くなんてことはできない。
「・・・あのとき、俺がおまえを抱いたのは――・・・」
 そう言いかけて、ミゲルはふと言葉を途切らせた。
 その先を言うことが、躊躇われた。
 俺は、何が言いたい・・・?
 自分でも、本当は何もわかってないくせに・・・。
 彼は目を閉じた。
「・・・おまえを可哀想――だと思ったからだ・・・」
 同情・・・単なる哀れみ・・・?
 本当に・・・それだけだったのか・・・?
 なおも葛藤の波が広がっていこうとするのを無理に抑えながら、ミゲルは何とか自分自身の理性を取り戻そうとした。
「・・・それだけじゃない。・・・あのとき、俺は・・・衝動で、おまえを抱いた。・・・おまえがたまらなく欲しくなって、おまえを抱いた・・・ただそれだけだった・・・」
 だから・・・こんな風にずるずると関係を続けていくのは、よくない。
「・・・今だって、正直言うとおまえが欲しくてたまんねーよ。でもこのままおまえを抱いていいのかどうか・・・俺にはわからねーんだ。だから・・・な・・・」
 しかし、言えば言うほど言い訳のように聞こえる自分の言葉が次第にわずらわしくさえ感じられた。
 俺は・・・何を言ってるんだ・・・?
 ミゲルはふと自問した。
 固まったはずの意志が・・・微かに揺らいだ。
(俺・・・ひょっとして、怖いのかな・・・)
 女にだってこんな気持ちを持ったことはなかった。
 いいな、と思ったら、気軽に落としてセックスして・・・それで終わりだった。
 後にこんなにあれこれ思い悩むことなんてなかった。
 今、相手をこんなに欲しくてたまらない・・・でも、同時に手を出すのが恐ろしいような気もする・・・。
 こんな気持ち・・・こんな迷いは・・・
 ――俺らしくない。
 それだけ・・・想いが強すぎるのか・・・?
 強すぎるこんな自分の想いが・・・怖いのか・・・?
「・・・俺・・・は・・・」
 不意にイザークが口を挟んだ。
 俯きながら、躊躇いがちに・・・。
「・・・おまえが・・・」
 しかし、やはりその先が続かなかった。
 ――おまえが・・・
 ――おまえが・・・『好き』だ・・・!
 なぜ、こんな簡単な言葉が言えないのか・・・
 イザークは苛立った。
 それでも、どうしても喉から言葉を押し出すことができなかった。
(・・・おまえの・・・傍にいたい・・・)
 おまえの肌に触れていたい・・・。
 もう一度・・・あのときのように・・・。
 わかれよ。
 言わなくたって・・・わかるだろうが!
 だから、おまえに会いに来たんじゃないか。
 
・・・おまえがどう思おうと・・・俺は・・・
 
・・・俺の気持ちは・・・ッ・・・!
 
激しい憤りの気持ちが・・・いいようのない感情の嵐が怒涛のように彼の胸の内を駆け抜けていった。
 イザークは顔を上げた。
 鋭い・・・錐のように鋭いその視線が真っ直ぐミゲルを貫いた。
「・・・俺を抱け!ミゲル」
 強い、有無を言わさぬ命令口調。
 ミゲルは呆気に取られた。
「・・・イザーク・・・?」
 一瞬、返す言葉を失った。
「・・・いいから・・・黙って抱け・・・!」
 イザークの体が強引に自分の体に密着してくるのがわかった。
 シャツが捲り上げられ、相手の手が肌に直に触れてくる。
 艶かしい肌と肌の触れ合うその感触。
 自分の耳元に吐きかけられる暖かい息遣い。
 肌を滑っていく指先・・・
 身内に疼く欲情の激しい渦は急速に高まり・・・
 
自分自身がその渦の中に呑まれそうになるのをどうにもできず――
(・・・くそっ・・・何なんだよ、これは・・・!!)
 何で俺を煽る・・・?
 やめろよ、おまえ・・・!!
 そう思いながらも・・・彼はもはや自分の中で高まるその欲情を止めることができないことを自覚した。
 そう悟った瞬間、ミゲルの理性は見事に吹っ飛んだ。
「・・・くそっ!しゃあーねえな!!」
 ミゲルはイザークの背に腕を回すと、そのまま床へ抱き下ろした。
「・・・そんなに抱かれたいなら、抱いてやる・・・!」
 ――俺を抱け・・・
 その傲慢な台詞を吐き出した唇を塞いで、思いきり濃厚なくちづけを繰り返す。
(・・・黙って俺を抱け・・・!)
 イザークの言葉が頭の中に何度も響く。
 気位の高い、美しい生き物。
 いかにもイザークらしい。
 しかし・・・
 ミゲルは思わず苦笑せずにはいられなかった。
 ――おまえがそんなことを言うか・・・?
 男に襲われて涙を浮かべていた奴の言う台詞とは到底思えない。
 そういう台詞言うのは、早えーんだよ!
 そんな風についつい揶揄したくもなる。
 ――黙って俺に抱かれろ・・・!
 むしろ、こちらがそう言いたかった。
 彼は唇を離して、イザークを見た。
 そして、彼は改めて体の芯からぞくぞく震えてくるような・・・そんな不思議な興奮が身内を駆け巡るのを感じた。
 ――何て瞳(め)で俺を見やがる・・・!
 そう・・・この瞳が彼を捉えて離さないのだ。
 ひたむきで真っ直ぐな瞳が挑むように彼を見返してくる。
 ――おまえが好きだ・・・!
 ふとそんな声が聞こえたような気がした。
(――俺も・・・)
 戸惑いながらも、そのときミゲルは自分の中に相手を受け容れたいという気持ちがあることを素直に認めた。
(・・・俺も・・・おんなじだ・・・)
 一時の衝動・・・なんかじゃないよな?
 これは・・・
 この気持ちは・・・?
 これが、自分の本当の気持ち・・・。
 ――俺も、こいつが・・・
 仕方がない。
 変態とでも何とでも言いやがれ。
 俺も・・・どうやら相当こいつにイカれちまってるみたいだ。
 周囲にある何もかもが霞み、何も目に入らなくなった。
 ただ目の前にある美しい薄青の瞳だけが・・・そのとき彼の視界に映る唯一のものだった。

                                          (To be continued...)


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