想 い (5)




「・・・なあ、イザーク・・・」
 ミゲルは行為が終わると、そっと傍らのイザークに声をかけた。
「・・・ん・・・?」
 イザークは気だるげに眉を動かす。
「・・・おまえ、アスランのこと・・・どう思ってる・・・?」
 ミゲルの言葉はイザークを忽ち刺戟した。
 アスラン・・・?!
「――なん・・・で・・・そんなこと・・・」
 その名前を・・・今、聞きたくはなかった。
 おまえとこうしている、この瞬間に・・・。
「・・・イヤだからさ・・・」
 ミゲルはよっこらしょと半身を起こし、服を着け始めていた。
「・・・おまえが俺をあいつの代わりにしてるんなら・・・イヤだからな・・・」

 淡々とした横顔からは、何の感情も窺えない。
「・・・俺は・・・何も――・・・!」
 そう言いかけたものの、イザークは突然言葉に詰まった。
 ミゲルの言葉がなぜか彼の心に深く突き刺さった。
 ・・・そんなこと、ない・・・!
「俺・・・俺は・・・アスランのことなんか・・・!」
 ・・・何とも思っちゃいない・・・!
 ――そう、大きな声で答えたかった。
 なのに・・・なぜか、言葉が続かない。
 彼は焦った。
 
・・・頬がかっと熱くなる。
 ひどく落ち着かない気分になって、彼は戸惑った。
「・・・やーっぱ、な・・・!」
 ミゲルはイザークを見ると、にやりと笑った。
「おまえ、正直すぎんだよ!」
「・・・ち、ちが・・・!!」
「嘘つくな!その顔見りゃ、誰だってわかるさ」
 ミゲルはイザークの頬に手を置いた。
「・・・ここ、熱いぜ」
 からかうように言うと、イザークはかっとなってその手を振り払った。
「・・・や、やめろって・・・!」
 俺は、何も・・・!!
 なぜか、ひどく苛立った。
 ミゲルがわざと意地悪を言っているように思えてならなかった。
 ――どうして、そんなこと言う?
 こんなに・・・
 こんなに、おまえのこと・・・好きだって思ってる時に――
 何で、そんな・・・
 俺の心を乱すようなこと・・・!!
 ――俺が、アスランを好き・・・?
 そんな・・・こと・・・っ・・・!
 あんな奴を、どうして・・・今さら・・・?!
「・・・服、着ろよ。いつまでもそんなカッコじゃ、まずい・・・」
 ミゲルがぽんと彼の頭を小突く。
「・・・あっ、ああ・・・」
 イザークはハッと我に返って起き上がった。
 そういえば、ここは私室ではなかった。
 いくら夜更けとはいえ、いつ誰が入ってきてもおかしくはない。
 イザークは慌てて傍に脱ぎ捨てていたシャツを手に取った。
 ミゲルは既にシャツとズボンを身に着けた状態で、前の椅子に腰かけ、そんなイザークを上からじっと見下ろしていた。
「・・・俺はそれでも・・・おまえが好きだよ」
 不意に彼はそう言った。
「・・・だから、おまえを抱いた・・・」
 真剣な口調に、イザークは思わずミゲルを見返した。
「・・・ミゲル・・・」
「・・・俺、自分の気持ちに正直言って自信がなかった。でも、さっきおまえを抱いて、やっぱり・・・認めるよ。おまえのこと、好きだ。だから、おまえを抱きたいと思ったし・・・実際に、おまえをこの手で抱いた・・・。おまえがどう思おうが・・・俺のおまえへのこの気持ちは――」
 ミゲルはふと言葉を途切らせた。
 唇が寂しげに歪む。
「・・・たとえおまえが俺に抱かれながら、アスランのことを思っていたとしても・・・」
「――そんな・・・!!違う・・・っ・・・!!」
 イザークは顔色を変えた。
 激しい否定の声を上げ、ミゲルを睨みつける。
「・・・俺は・・・そんなこと・・・!!」
 おまえに抱かれながら、アスラン・・・あいつのこと、考えたなんて・・・!
 そんなこと、決して・・・!!
 思わず涙が滲み出そうだった。
(俺・・・俺は・・・っ・・・!!)
「・・・俺も・・・おまえが・・・」
 おまえが・・・っ・・・!!
「・・・好きだ・・・!」
 好きだ、ミゲル・・・!!
 おまえが・・・好きだ・・・!!
 ミゲルは驚いたように、必死で自分を見つめるイザークを見返した。
「・・・イザーク・・・?」
 その燃えるような熱い眼差しに・・・
 必死で訴えかけてこようとする薄青の瞳の澄み通ったその美しさに・・・
 ミゲルは、一瞬恍惚と化した。
 思わず知らず、驚嘆の息を洩らす。
 ――やっぱり・・・こいつは、特別だ。
 
改めて思う。
 
ぞくりとくる。怖いくらい・・・人をそそるこの瞳(め)・・・
 
性差を感じさせないほど・・・ただ、素直に『美しい』と思う・・・。
 そして、たまらなく魅かれる・・・。
 今、この美しい生き物の口から、出た言葉が・・・ミゲルの身内を熱く駆け抜けていく。
 ――『おまえが、好きだ・・・』
 そう、言ったのだ。
 好きだ。・・・だから、抱いてくれと言った。
 おまえが恋しくて・・・ただ、おまえの腕にもう一度抱かれたかった。
 そんな切ない思いが、痛いほど伝わってくる。
(人を好きになるという感情に、理屈はいらねーのかもしれねえな・・・)
 ふと、ミゲルは思った。
 そんな当たり前のことすら考える暇もないほど、いつのまにか俺はこいつに溺れていた。
 だから、こいつを前にしてあんなに混乱した。
 こいつを本当に抱いていいのか・・・抱いてはいけないのではないのか・・・
 俺らしくないほど、心の中で葛藤があった。
 アスランの狂態を見ていたから・・・余計にそう思ったのかもしれない。
 だが・・・
 俺も一歩間違えば、アスランと同じことをしていただろう。
 今はそう思える。
 もし、アスランより俺の方が早くこいつを抱いていて・・・アスランが後だったら・・・。
 やっぱり、俺は燃えるような嫉妬の罠に捕われて、こいつをぼろぼろにしてしまっていたかもしれないのだ。
 アスランがやったように・・・。
「・・・わかった。イザーク・・・俺、くだらねーこと言ったな」
 ミゲルはイザークの剥き出しの肩にそっと手を乗せた。
 暖かく柔らかな感触にまた全身がぞくりと波立つのを感じた。
(・・・ちっくしょう!ますますおかしくなってきてやがるぜ・・・俺・・・!)
「・・・早く着ろって!・・・人が来たらどうする・・・!」
 ――また、変な気になってきたじゃねーか・・・!
 ・・・本当はそう言いたかった。
 ミゲルは手を離すと、居心地悪げに顔を横へそらした。
 イザークは目を伏せると、黙ってシャツを頭からひっかぶり、火照り気味の顔をその下へ隠した。
 ・・・ミゲルが好きだ・・・。
 
その気持ちは本当だと思った。
 でも、アスランは・・・?
 アスランのこと、俺、ほんとはどう思ってる・・・?
 アカデミー時代からずっと・・・ついこの間まで・・・
 一番嫌いな人間のリストを挙げれば、文句なしにそのトップに奴の名前があった。
 今まで生きてきた中で、これほど相性が最悪で、虫の好かないと思う奴もいなかった。
 それが・・・
 何でだろう。
 こんなことになってしまって・・・。
 今では、本当に自分の気持ちがわからなくなってしまった。
 ああ、考えれば頭がおかしくなりそうだ!
 あいつが俺にしたこと・・・
 確かに酷いことをされた。思い出してもぞっとするような・・・。
 最低だ。もう口も聞きたくない・・・!
 そう、何度も思った。
 
・・・殺して・・・やる・・・
 そんな風に呪いの言葉を吐きさえした。
 なのに・・・。
 それでも、あいつの顔が頭から離れない・・・どうしても忘れられないあいつのあの、翡翠の瞳。
 
・・・わからない。
 
考えたくない。
 
・・・イザークは苛立った。
 
――同時に何人もの人間を好きになることが、できるものなのだろうか・・・。
 
父上以外の人を愛せたあの人みたいに・・・?
 
遠い昔に、封じ込めたはずの記憶が一瞬甦り、彼はどきりとした。
 
・・・ダメだ。あのことは忘れてしまった・・・いや、忘れなければならなかったはずのことなのに・・・!
 彼は固く目を閉じた。
 嫌な記憶を再び心の奥底に封印してしまうかのように・・・。
 ――母上のためにも、思い出してはならないのだ。あのことは・・・。
「・・・どうした、イザーク。顔色が悪いぜ・・・」
 ふと気付くとミゲルが心配そうに覗き込んでいた。
 服を身に着け終わったものの、彼は床に座ったまま、硬直していたのだ。
「あっ、いや、なんでも・・・」
 イザークは慌てて立ち上がった。
「・・・おまえ、俺のこと好きだ、なんて言っといて・・・やっぱ、アスランのこと考えてただろ、今・・・」
 ミゲルがイザークに悪戯っぽい視線を投げた。
(・・・いいけどさ、別に・・・)
 心の中で溜め息を吐く。
 仕方がない。俺をアスランの身代わりにしたわけではなかったにしても、こいつの心の中のどこかに、やっぱりあいつがいる。それは確かだ。
「・・・ち、違う・・・俺は・・・!!」
「だから、何度も言ってるように・・・隠したってわかるんだよ。バーカ!」
 ミゲルは前に立ちすくむイザークの腕を軽く拳で小突いた。
 おまえ抱いてから、おまえの考えてることがずっとよくわかるようになったんだよ、俺・・・わかるか、イザーク?
「・・・イザーク・・・」
 ふと、ミゲルは真剣な顔を向けた。
「・・・もし・・・もしも・・・俺が・・・」
 いなくなっても・・・
 ・・・なぜ、急にそんな考えが浮かんだのかわからなかった。
 だが、言わずにはおれなかったのだ。
 自分でもおかしくなったが、途中で止めることができなかった。
「・・・俺が・・・いなくなっても・・・」
 ・・・おまえ、俺のこと、ずっと好きでいてくれるよな・・・?
 こんな風に・・・好きだって思ったこの気持ち・・・消えないよな・・・?
 おまえの中に、ちょっとくらいは俺の場所・・・残しておいてくれるよな・・・?
 俺が・・・いなくなっても・・・
 
ずっと・・・ずっと・・・俺たちのこの想い・・・消えないよな・・・
 
・・・そんな風に溢れる想いが・・・なぜか止まらなかった。
 
しかし、それらの想いは音声になって表れなかった。
 代わりに・・・
「・・・俺がいなくなっても、泣くんじゃねーぞ。おまえ・・・」
 そう言って、彼は笑った。
 からかわれたとわかった瞬間、イザークは忽ち目を怒らせた。
「・・・バ、バカっ!!誰が・・・っ・・・!」
 しかし、その一方で、彼は別の意味でミゲルに対して怒りをぶつけていた。
 ――俺がいなくなったら・・・だって・・・?
 くだらないこと、言うな!!
 馬鹿野郎・・・!!
「そんなこと言って・・・ほんとに死んじまったら、どーする?!」
 イザークはそう言うと、不意にミゲルの両肩を掴んだ。
「・・・どーするつもりだ、馬鹿野郎・・・!」
 イザークはそのまま体を寄せて、ミゲルをそっと抱いた。
 泣きそうなその顔を見えないように、彼の背に隠して・・・。
 震えるイザークの体から伝わる微かな振動を感じて、ミゲルはそんな相手の気持ちを理解した。
「・・・つまんねーこと言ったかな、俺・・・」
 ミゲルは呟くように言った。
「・・・最低だ、おまえ・・・」
 イザークが小さく答えるのが耳に入った。
「・・・最低か・・・俺・・・」
 ミゲルは目を閉じた。
 イザークの体に触れているこの瞬間が、たまらなくいとしかった。
 ――でも、いいさ。わかったから。
 俺・・・死なねーよ。
 どんなことがあっても死ぬもんか・・・。
 おまえのために・・・絶対、生き残ってやる。
 アスランに、おまえ取られねーようにな・・・!
 そう思うと、ミゲルはくすりと笑った。

                                           (Fin)

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