残  光 (1)










「うわっ、何だよ、こりゃ!ひでーとこだな……!」
 バイザーを取った瞬間、猛烈な砂塵が顔面に叩きつけてくる。吐き捨てるように呟くディアッカの後ろで、イザークも目の中に飛び込んできそうな砂粒を避けるように顔を俯けた。
「砂漠はその身で知ってこそ……ってね」
 そんな二人をからかうような声が降ってきた。
「ようこそ、レセップスへ。指揮官のアンドリュー・バルトフェルドだ」
 目を上げると、日に焼けた逞しい体躯の男がこちらを眺めて悠然と微笑んでいた。
 傍には副官とおぼしき赤い髪の青年が生真面目な表情を浮かべて佇んでいる。
 二人は素早く挙手で礼を示した。
「クルーゼ隊、イザーク・ジュールです」
「同じく、ディアッカ・エルスマンです」
「宇宙(そら)から大変だったな。歓迎するよ」
 敬礼を返しながら、相手がじろりと自分たちに不躾な視線を投げてくるのを、何となく不愉快な気持ちで受け取る。それでもイザークは動揺する気持ちを抑え、敢えて相手と目を合わせないようにした。
「ありがとうございます」
 素っ気なく答える。
 そこでまた相手の視線を強く感じた。今度はディアッカを通り越し、間違いなく自分だけに向けられているのがわかった。
 何だろう。妙に落ち着かなくなる。
 知らぬ顔をしていることに耐えられなくなり、思いきって目を上げた。
 忽ち、相手の視線とぶつかった。
 その瞬間――ぞくりと身が竦んだ。
 彼は思わず一歩後退りかけた。
 一見穏やかな微笑の奥に、不敵な光の閃く瞳。
 生命力に溢れた強い獣の光が、イザークの繊細な心を一気に貫いていくかのようだった。
「戦士が消せる傷を消さないのは、それに誓ったものがあるからだと、思うがね」
 バルトフェルドはそう言うと、口の端を微かに緩めた。
 冗談めかした口調のように聞こえたが、すべてお見通しだといわんばかりの目に射抜かれると、どう答えてよいかわからず、イザークはぎこちなく視線を落とした。
「そう言われて顔をそむけるのは、屈辱のしるし――とでもいうところかな」
 さらに追いうちをかけるような無遠慮な言葉に、イザークの肩がぴくんと震えた。空いた手が拳をつくり、固く握り締める。
 ――初対面だというのに、なぜだろう。いきなり、こんなに何もかも、自分の心の奥まですべて見透かしてしまったようなことを言われるなんて。
(くそっ……!)
 イザークは震える唇を抑えながら、再び相手に視線を戻した。きっと睨みつけるような強い目でバルトフェルドを見る。
「足つきの動きは――!」
 自分のことに関しては一切答えないといった強い意図がありありと窺える口調で切り出したイザークに、バルトフェルドはおやと僅かに目を瞠った。
 ――これは、また……。
 見た目に反して、ずいぶん勝気な性格らしい。
 プライドの高さは母親譲りか。
 エザリア・ジュールの顎を上げて見下ろしてくる高慢な表情を思い出して、彼は苦笑した。
 そして、この怜悧な美しさも……。
 降り立ってきた瞬間、一目でその容貌に捉えられた。バイザーから出てきた艶やかな銀色の髪を見たときは女かと思ったが、彼が顔を上げるとそのグロテスクな傷を見て、どきりとした。
 顔の中央を走る生々しい傷痕。険しい怨念のこもるその強い眼差しに、バルトフェルドは不覚にも圧倒された。
(こりゃあ、大変なお坊ちゃまだ)
 胸の内でそっと息を吐き、困ったように肩を竦めた。
 その強い瞳を見たとき、何か大変な確執をその内に秘めているように感じた。
 あまり良い感触ではない。
 数日前に、聞いた例の情報を思い出す。
 ――宇宙での戦闘の際、地球へ向かう民間人が搭乗したシャトルが、撃ち落とされた。
 ザフトのモビルスーツに。
 いや、正確にいえば、ザフトが連合から奪取した新型MSに。X102。こいつの乗っている機体だ。
 こいつはそれを知っているのだろうか。
 この少女のような顔をした、少年が……。
 何となく、そのことについては触れない方がよい気がした。
「『足つき』か。あの艦なら……」
 バルトフェルドはそう答えながら、彼らの背後に佇む機体を見上げた。
 同じような機体と交戦した。X105。ストライク。……やはり、同じような少年が乗っていた機体だった。これは、単なる偶然か。同じような機体に、同じような年頃の少年たちが……。
 そんな感傷的な気持ちにとらわれるような人間なら、軍人などやってはいない。自分はそんな人間ではないことは承知しているにも関わらず……なぜか。ふと寂寥感が胸を覆う。
 俺はどうかしてるな。
 バルトフェルドは軽く頭を振ると、すぐに感傷めいた感情を胸から追い払った。
 改めてちらと背後の銀色の頭に視線を投げる。
 気位の高い人形のような美しい面立ちは、ザフトの戦士というよりも、どこかの王家の子女といった風だ。
(見た目は、麗しのお姫様……だが)
 このような荒々しい地上の駐留部隊の中に入ってくるには、これほど不似合いなものもないだろうが。
 こいつは厄介なものを押しつけられた、と思った。
 彼を手に入れることができるなら、バクゥ百機と引き換えにしても、惜しくはない――と。
 中にはそう思う奴もいるだろうが、残念ながら自分はそうではない。
 少なくとも、このときの彼はまだそう思っていた。
 
 

 唸りを上げる風が通り過ぎるたびに、吹きつけてくる砂の嵐。うっかり吸い込んでしまった砂粒まじりの空気が喉の奥でひりひりと焼けつくかのようだ。
 イザークはぺっと唾を吐いた。何度唾液を絡めても、いつまでも舌の上がざらざらするような感触が抜けない。
(くそっ……!)
 忌々しげに顔を上げると、改めて周囲を眺める。何もない。荒涼たる砂がどこまでも大地を覆っている。
 砂漠地帯に駐留しているこのザフト軍部隊に合流したのはよいものの、これからどうなるのか。
(――無論、機会があれば、討ってくれて構わんよ)
 ジブラルタル基地の通信スクリーンに映ったクルーゼは、相変わらず人を食ったような口調で、さらりとそう言い放った。
 ――ちぇっ。要するに、宇宙(そら)には戻ってくるなってことかよ。
 傍らで皮肉を込めて呟くディアッカの言葉を聞きながら、イザークもまた、苦い思いを噛みしめずにはおれなかった。
 クルーゼ隊は残った二人で充分足りているということか。
 そして、またあいつ――アスランに先んじられるのだ。
 そう思うと屈辱感で胸が焼けつくようだった。
 そんな苛立ちや焦りが自ずと表に現れるのか、ジブラルタルへ来て以来、愛想のない顔がさらにひどい仏頂面となり、普段以上に素っ気なく傲慢な態度を見せるようになっていた。ただでさえ、宇宙から降りてきた自分たちのことをよく思っていない風潮のある地上駐留部隊の中で、それがさぞや周囲に与える悪印象に拍車を駆けているであろうことは、さすがの彼も少しは自覚していた。
 しかし、かといってここは周囲に合わせようとか、少しは控えめに行動しよう、などという考えは、彼の中に根強くしがみつくプライドがどうしても許さなかった。
(俺は、こいつらとは違う)
 選び抜かれた赤服のエリート。クルーゼ隊所属。イザーク・ジュール。それが、俺だ。
 頬につく細かな砂粒のざらついた感触が気持ち悪くて、手の甲で軽くこすり落とす。舌にあたるざらついた感触を再び意識し、僅かに顔を歪める。
 ――熱い。乾いた大気。舞い散る砂粒。踏みしめる砂から伝わる熱波が、全身を焦がすようだ。
 日中の砂漠は、凄まじく気温が上がる。赤い軍服は、明らかにこの地には不向きだった。
 そう……確かに、それはわかっている。が――
 イザークの脳裏に先程のディアッカとの対話が甦った。
 ――ほんの数時間前のことだ。
 部屋に入ったとき、はっと彼は目を瞠った。一瞬、駐留軍の兵士が部屋に入っているのかと身構えたが、そうではなかった。

 そこにいたのはディアッカだ。
 しかし、赤い軍服ではない。
 濃い緑色の上下。ディアッカはどこから入手したのか、他の兵士と同じような半袖の簡易な軍服を身に纏っていたのだ。
『ディッ、ディアッカっ!貴様……なぜそんな服を着ている!』
『いいじゃんか。あれ、暑いんだよ』
 イザークの咎め立てるような声にもびくともせず、ディアッカはしゃあしゃあと答えた。
『だからといって、そんな服を着て、きっ、貴様……恥ずかしくないのか!俺たちは、クルーゼ隊の――』
『そんなの、わかってっけどさあ。こんなとこで今さら格好取り繕ってたってしゃーねーだろ。ちょっとくらい、割り切れよ。な、これ、結構着心地いいぜー。おまえも、これに替えたら?何なら、おまえの分ももらってきてやるけど?』
 イザークはかっと目を吊り上げた。
『ばっ、馬鹿野郎!誰がそんなもん、要るかッ!』
 そう叫んでディアッカを思いきり睨みつけた。
 やれやれと肩をすくめるディアッカに背を向けて、部屋を出た。
 腹立たしくて、仕方なかった。
(ディアッカの奴……!)
 元々軽々しい奴であることはわかっているが、今こんなときにまで、あのような態度を取られると……。
 むらむらと怒りが湧き上がる。
(あいつには、自尊心というものが、ないのか……!)
 自尊心というか、羞恥心というのか。
 そういえば、昨夜もこの部隊の連中と大きな声で笑い合っているところを見かけた。
 仲良くなるのは結構だが、自分の身分をわきまえろというんだ。
 あれでは、クルーゼ隊の面目が立たない。
 ただでさえ、ここの奴らは俺たちを歓迎していないというのに。
 そう……それは、指揮官を見てもわかる。
 砂漠の虎。アンドリュー・バルトフェルド。確かに只者ならぬ風貌の男だ。彼を侮ろうなどという気はさらさらない。
 しかしそれでも、あの威嚇するような、そして同時に人を食ったような飄々とした態度が、イザークには最初から気に障った。
 表向きには丁寧に接してはいても、あの侮蔑を含んだ目を見れば相手が自分たちに対してどんな気持ちを抱いているのかは明らかだ。
 お荷物を背負い込んだとくらいにしか思っていないのだろう。
 それが証拠に、今度の『足つき』を討つ作戦についてもいっこうに知らせてくれる素振りがない。この艦の中では、彼らはさながら異邦人のごとく、蚊帳の外といった観があった。
 おそらくこの艦の連中には、宇宙から落ちてきた情けない奴らを拾ってやったというくらいにしか思われていないだろう。
(くそっ、馬鹿にしやがって……!)
 イザークは拳を握り締めた。
 こうまで屈辱に塗れながらも、何とか正気を保っているのは他でもない。
 ――ストライクをこの手で、討つ……!
 この一事があればこそだというのに。
 ストライクを追って、ここまできた。
 ――そうだ。ストライクを討たねばならない。何としても……!
 そう思うたび、イザークの心は異常なまでに高揚する。体が熱く燃える。とりわけ、この……。
 顔の中心を無残に横切るその大きな傷跡に手を触れると、彼は全身にぞくりと電流が走るような震えと慄きを感じた。
(俺にはやらねばならないことがある)
 この傷を消さないのは、そのためだ。
 暗く燃え立つ青い双眸が、彼の狂気じみた妄執を映し出す。
 そのとき――
 ひときわ強い風が吹き過ぎていくと同時に、猛烈な砂塵が舞い上がり、彼はたまらず両腕で目の前を覆い、降りかかってくる砂埃から身を防ごうとした。
 目を堅く瞑ると、皮膚の収縮する動きで、顔面に僅かな刺戟が走る。
(く……)
 彼は唇を噛んだ。
 なかなかおさまらぬ激しい砂嵐の中に取り込まれ、呼吸もままならぬまま、いつしか彼は膝を崩し、地面に蹲っていた。
「おいおい、大丈夫か?」
 突然、降りかかってきた声に、イザークはうっすらと目を開けた。
 目の前に差し出された手。
「このまま砂の中に埋もれちまうつもりか?」
 からかうような声が、黙ったまま動かないイザークを促す。
 ほんの僅かに瞳を上げたイザークのすぐ前で、赤毛の青年がにんまりと笑いながら、手を差し伸ばしていた。
 砂風と、彼の目を覆うゴーグルで顔はあまりよく見えなかったが、その明るい赤い髪には見覚えがあった。
 ――ここに降り立った最初の日、バルトフェルドと対面した折、その傍らに佇んでいたいかにも生真面目そうな副官――確か、ダコスタ……とかいう名だった。年は上のようだが、顔立ちはどちらかといえば童顔で、ずっと若く見える。
 指揮官の傍にいるときとはうってかわったような、気さくで親しみやすい笑顔を向けるダコスタを前にして、イザークは少し驚いた表情を見せた。
 あまり気にも留めていなかった、バルトフェルドの副官。こんな風に砕けた言葉遣いをすることさえ、想像もしなかった。第一、彼と向かい合って口を聞くのは、確かこれが初めてだ。
 完全に意表を突かれた――そんな気がした。
「地上に降りた格下軍人の差し出す手を取るのは、プライドが許さないとでも?」
 じっと見上げていたイザークの眼差しとその沈黙を別の意味に解釈したのか、ダコスタの唇は忽ち皮肉な笑みに歪んだ。
「なら、勝手にするがいいさ」
 彼はあっさりと手を引っ込め、背を向けた。
(あ……)
 イザークは言葉を発する機会を逸して、茫然と膝をついたまま、その場に居すくんでいた。
 一方的に手を差し出しては、捨て台詞を吐いて再び背を向けていく相手に対して、戸惑うとともに、次第に怒りが湧き上がった。
 ――『格下』軍人……。
 そんな言葉をわざわざ使う相手の卑屈さを、彼は心底嫌悪した。
「……おい、ちょっと待てっ!」
 気付いたときには、いつもの調子で、相手の背に向かい、大きな声で怒鳴りつけていた。
 興奮していて、仮にもこの部隊の副官である相手に対する礼を逸していることにすら気付かなかった。
 怒鳴った瞬間、砂の粒が口の中にどっと流れ込んできた。
 しかし、彼はもはやそんなことには構っていなかった。
 イザークの声に、前を歩き始めていた青年の足がぴたりと止まる。
「……何だよ。口、きけるじゃないか」
 彼は振り返りながら、白い歯を見せた。
「当たり……まえだ……っ!」
 イザークは怒りにまかせて、砂を蹴立てるように立ち上がった。
 忌々しげに口に入った砂を何度も吐き捨てる。
 そんな彼の姿を見て、相手はいかにもおかしそうに肩を揺らした。
 ダコスタはゆっくりとイザークの前まで戻ってくると、再びその手を差し出した。
「……なっ……なんだっ……」
 その手には、小さな透明のボトルが握られていた。
「これ、やるよ。――ミネラル・ウォーター。砂漠には、欠かせない。口の中、これで洗えよ」
 にこっと子供のような笑みを向けられると、イザークの口から出かかっていた文句の言葉はなぜかそれ以上続かなくなった。
「ほら」
 促されて、戸惑いながらも手を伸ばし、それを受け取る。
「とにかく、中に入った方がいいな。今日は砂嵐がひどい」
 ダコスタはそう言うと、イザークについて来いと顎で示した。
 いつの間にか、相手に指示されていることに微かな苛立ちを覚えながらも、彼は黙って後に従った。
 
 

「余計なお世話かもしれないが、一言言っておく。ここは宇宙じゃない。この艦の中では、クルーゼ隊だということは忘れろ」
 前を歩きながら、突然ダコスタはそう切り出した。
 イザークは怪訝そうな目を向けた。
「……それは、どういう――」
「ここにはお上品なエリート軍人はいないってことさ。宇宙(そら)とおんなじように思ってたら、痛い目に会うぞ。特におまえのような、キレイな顔して、高慢ちきな奴は……」
 そこで少し言葉を切ると、ダコスタは不意に立ち止まった。戸惑いながら歩を休ませたイザークの方に向き直ると、じろりとその顔に無遠慮な視線を投げた。
 その顔をじっくり鑑賞すると、彼は軽く息を吐き、にやりと笑った。
「……顔だけ見てたら女と変わらないからなあ。やっぱ、危ないよ。おまえ」
 ここは宇宙とは違う。こんな最悪の環境の中で命を張っているような連中だ。ここにいる男たちは、気性も激しく普段から獣のように欲望を滾らせた荒くれ連中が多い。
「――それにおまえ、態度はでかい割に、結構単純で無防備そうだからなあ。そういうタイプが一番危ないんだ。ほら、もう片割れのあいつみたいに、うまく立ち回らないとな。ほんとに、狙われるぞ」
「……なっ、何を……!勝手なことをぺらぺらと……。俺は何も、ここの連中とうまく付き合おうなんて思っちゃいない」
 イザークはむっとした様子でそう言い返したが、内心はあまり穏やかではなかった。
 そう……自分でも、感じている。
 この艦の中を歩くたびに、どこかから粘りつくような視線が纏いついてくるのを。
 あまり気にしないでおこうとは思っていたが。それでもいい気はしない。
 ダコスタに言われるまでもなく、よくわかっていた。
 しかし、だからといってどうすればいいというのか。
 今さら、艦内をにこにこと愛想を振りまいて歩けとでもいうのか。
 馬鹿な……!そんなこと、できるはずもない。
 憮然とした表情のイザークを見て、ダコスタは溜め息を吐いた。
「あのな。おまえにそのつもりがなくても、相手はお付き合いしたいと思って寄ってくるんだよ。そのお付き合いの仕方がまともなもんだったらいいけどな。――まあとにかく気を付けた方がいい。そのままいるだけで、十分目立つんだからな。せいぜいおとなしくしてることだ。それに砂漠戦じゃあ、どうせあの機体では使い物にならないだろうし……」
「そっ、それは……!」
 最後の言葉に反応して、イザークは顔色を変えた。
「それは、駄目だ!俺たちは、『足つき』を倒すためにここに合流してきたんだ!だから、隊長にも……」
「――無視されてる、だろう?」
 ダコスタにあっさり言われて、イザークはうっと言葉を詰まらせた。
 ――その通りだ。バルトフェルドからは、彼らの存在は最初の挨拶以来、見事に『無視』され続けていた。そしてそのことに彼は内心深く傷ついていた。
「感傷で動くことを、隊長は嫌われるからな。おまえは、少し血の気が多すぎるというか……」
 ダコスタはふっと笑った。
 赤服のエリートであっても、内面はまだまだ子供だな、と思った。
 最初はエリート風をふかす、気取った鼻持ちならない小僧だと思っていたものの、こうして実際に相手を前にしてみると意外にも、憎めない奴だなという気がした。
「最初の頃は、俺もそういうとこ、あったけどな。……これは国家間の戦争だ。個人の私闘じゃない。だから、頭冷やせよ。おまえが何にこだわっているのかはしらないが」
 そう言われると、イザークは黙って俯いた。何か言い返したいが、すぐには言葉が出てこない。
(何にこだわっているのか……だと?)
 それは……。どう言えばいいのか。
 所詮、これは自分にしかわからない、思いなのだ。
 私闘……か。確かに今の自分にとってはそうかもしれない。
 だが、それ以外に俺にはどうすることも……。
「とにかく、この艦にいるつもりなら、俺の言ったこと、もう一度よく考えろ」
 そう言うと、再び背を向け歩き出そうとする。
 その背中に、イザークは手をかけた。
「ちょっ、ちょっと待てって!勝手なことばかり言いやがって――」
 その手が不意に強い手で掴まれた。
 振り返ったマーチン・ダコスタの射るような目つきに、イザークはぞくりとした。
「ここは、地球なんだよ。宇宙とは違う。地球の、戦場なんだ!」
 相手の顔が間近に迫る。
 ついさっきまで、年の差を感じさせぬほど若々しく見えていたその顔が、まるで違う人間かと見紛うほど変化していた。
 大人の男の厳しい顔に突き合わされて、イザークは言うべき言葉を失った。
 わけのわからない慄きが、全身を突き抜けていく。
 彼は愕然とした。
 こんな、奴に……。
 指揮官……あの『砂漠の虎』になら、まだしも。
 こんな、こんな奴に直視されただけで、こんなにも萎縮してしまっている自分が不思議で、情けなくもあった。
「――く……はな……せよ……ッ……!」
 強く手首を締めつける相手の指を振り解こうとしたとき、急に体ごと引き寄せられた。
 ――あ……っ?
 顎を持ち上げられ、一瞬で唇を塞がれた。
 軽く合わせただけで、すぐに唇は離れていく。
 すぐ前に迫る瞳が、不思議な瞬きを見せた。
 ――隙だらけなんだよ。
「ほら、こんな風に簡単にキスできちまうだろう?」
 にやりと笑う唇が、ほんのつい今しがた自分の唇を舐めていったのかと思うとかっと羞恥に全身が熱くなった。
「くっ……こ、この……っ……!」
 空いた手の拳を振り上げようとしたときには、戒められた手は解き放たれ、相手は笑いながら前を歩き去っていた。
「気を付けろよ、エリートくん!」
 笑い声とともに立ち去る相手をもはや追いかけようともせず、イザークは悔しそうにただじっとその場に佇んでいた。

                                        (to be continued...)

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