残 光 (11)










 ダコスタは瞳を開いた。
 暗い室内は、しんと静まり返っている。
 が、その気配は自然にわかる。
 ――もう、夜明けか。
 デジタルクロックへ目を向けようとして、ぎくっとした。
 すぐ傍らに眠る銀色の頭に視線がぶつかる。
 こちらに背を向け、丸くなっている。
 シーツからはみ出した、その露出した肩が静やかに上下を繰り返す。
 耳を澄ますと、微かに……すうすうという穏やかで規則的な寝息が聞こえてきた。
「……あ……」
 全裸で横たわる少年の姿が目に入った途端、昨夜の記憶が全て鮮やかに甦った。
(イザーク……)
 ――昨夜、あれから俺は……。
 ダコスタは深い息を吐き出した。
 自分のしたことを思い出すと、軽い嫌悪感と罪悪感の入り混じった、複雑な気分に囚われる。
 ――あんな、つもりじゃなかった……。
(なのに、あのとき……)
 くそっ、と目を閉じ、額を押さえる。
 途中から、何も考えられなくなった。
 ただ獣のように衝きあがる衝動に任せて、少年を抱いた。
 ――要するに、こいつの体に欲情したのだ。
 抱いてその体に触れた瞬間、理性も何も吹っ飛んでいた。
 自己抑制も何もあったものではなかった。意識が戻る前に体が自然に動いていた。
 抱き締めて、何度も熱に浮かされたような激しいくちづけを繰り返す。
 全身を舐めるように唇で愛撫し、生き物のように蠢く性器を己のものと絡めて思う存分弄んだ。
 小さな入り口を押し開き、熱い欲望の塊で貫くたび、少年の体は苦悶と悦びの入り混じった悲鳴を上げる。
 相手の反応の良さにさらに興奮が高まり、我を忘れて目の前の体を貪るように愛し続けた。
 

 
(困ったな……)
 ダコスタは吐息を吐いた。
 すっかり、骨抜きにされてしまったような気分だ。
 銀色の髪を軽く掬い上げ、軽く目を閉じると、指先が触れるその糸のような細い感触だけで心地よい刺激が伝わってくる。
 愛しくてたまらない。少し触れただけで、また昨夜の興奮が甦ってくるかのようだ。
 たまらなくなって、もう一度そっと覆いかぶさるようにその背中を抱いた。
「……う……ん……」
 相手の体がもぞもぞと動いた。
 背後から覆いかぶさってくる相手をわずらわしげに振り払おうとする少年の体を、笑いながらさらに強く抱き締めると、イザークは怒ったように手の中で抗った。
「……もう……やめ……ろ……って……!」
 そんな少年の動きがおかしくて、からかうつもりで後ろから顎を掴み、真上から唇を塞いだ。
「……っ……!」
 昨夜の行為ですっかり慣れたせいか、簡単に舌を絡ませることができた。少し強めに吸ってやると、相手の苦しげに喘ぐ息遣いが感じ取れた。
「……はあっ……!」
 唇を離すと、相手は途端に息を激しく吸い込み、少し噎せたように咳き込みながら、シーツの上にがっくりと頭を落とした。
 そんな相手の様子を見て、ダコスタはおかしそうに笑った。
「……ばっ、馬鹿っ……!」
 イザークは真っ赤な顔を上げると、体を捩って、背後の男へ怒りに満ちた視線を投げた。
 僅かに上気した頬に、乱れた髪。唇の端から糸を引く唾液の滴が酷く扇情的に見えて、ダコスタはまた下半身が疼くのを感じた。
 しかし、もうこれ以上この体を貪るわけにはいかない。
 彼は敢えて相手の姿を見ないようにしながら、その体を腕から離すと、そのまま起き上がった。
「……真にとるなよ。俺もいくら何でもそこまで無節操じゃない」
 そう言いながら、ベッドから足を床に下ろす。ちょうどイザークに背を向ける形になった。相手の姿が視界から消えたことに内心ほっとする。
 言葉とは裏腹に、本当はさっきは少し危なかったな、と思った。
 体に触れて、軽くくちづけるつもりが、だんだん体の芯が疼きだし、少し雲行きが怪しくなった。また暴走しそうな気配を感じ取り、理性の残っているうちに、無理に体を離した。適度なタイミングだったかもしれない。
「……シャワー、ここで浴びていってもいいぞ」
 バスルームを指して促したが、イザークはごそごそと身を起こしながら、首を振った。
「いい」
 上官と副官部屋にはバスルームがついているが、他の部屋にはついていない。砂漠地帯での長逗留ということもあって、給水も限られているからだ。
 朝から共同のシャワー室を使わせるのはかわいそうかなと思ってそう言ったのだが、イザークはむすっとした唇を引き結んだまま、ダコスタの隣をすり抜け、先にベッドから下り立った。
 目の前にすらりと立つ彫像のような美しく整った裸体。後姿だけでも十分魅了された。
 肌は白く一見女性のようにしなやかに見えるが、それでいて筋骨のしっかりとした、鍛えられた肉体。
 あれを昨夜、この手で抱いたのだ。
 そう思うとぞくりと快感が走った。
 腕の中で、あの肉体が与えられる刺激に悶え、震え、撥ねた。
 抱かれるとしなだれ、煽るような色香を放散し、新たな刺激を求めてねだる。それが悪魔のように、雄の本能を刺激する。そして、倦むことのない欲情の海の中に呑まれていく……。
 思い出すとまた妙な気分になりそうで、ダコスタは慌ててそこから視線を逸らした。
 その間にイザークはテーブルの上のティッシュを何枚か引き抜いて、裸の体を適当に拭うと床の上に投げ出されたままの服をさっさと身に着け始めた。
 赤い軍服に身を包んだイザークは、昨夜の寝乱れた姿が嘘のように、再びあの生意気ですかしたエリート軍人の若造に戻っていた。
 それを眺めながら、ダコスタはふと頭に浮かんだ問いを声に出していた。
「……おまえ、好きな奴、いるのか」
 不意に、バックルを留めていたイザークの手の動きが止まった。
 背中が、少し震えたように見えた。
「初めてじゃ、ないだろう」
 相手の過剰な反応に戸惑いながらも、ダコスタは軽く続けた。
「ひょっとして、いつも一緒のあのナイトくんか。……違うか。少なくとも相手はおまえに気がありそうだけど――」
「――そんなことを聞いて、どうする?」
 振り返りながら、イザークがこちらを怒りに満ちた瞳で睨みつけてくる。
「いや、別に。聞いてみたかっただけさ」
 ダコスタは笑って流そうとしたが、イザークの怒りようを見て、少し呆気に取られた。ひょっとしたら、聞いてはいけないことだったかな、と少し後悔する。
「あんたには、関係ない!」
 咬みつくように一声叫ぶと、イザークはぷいと頭をそむけた。
「……帰る」
 無愛想な一言に、相手が今の言葉で酷く機嫌を損じたことがわかった。
 呆気なく部屋を出て行く少年の後姿を茫然と見送りながら、ダコスタはやがてくつくつと笑い出した。
 相手が出て行く前に、もう一度抱き合ってキスくらいしたかったな、などとそんなロマンチストな考えを抱いていたわけではなかったが。それでももう少し何か別れ際の綺麗な一言を期待していた。
 恐らく、抱き合うのはこれが最初で最後だろう。
 そんな漠然とした予感がした。だから、こんな風に呆気ない幕切れはいかにも味気なくて気に入らなかった。
 しかし……。
 どうやら最後の最後で王子様を怒らせるような酷い失言をしてしまったらしい。
 もっとも、あんなことでどうしてそこまで怒ってしまうのか、わからなかったが。
 余程嫌な思い出があるのか。触れて欲しくない何かに、触れてしまったのか。
 ダコスタは深い溜め息を吐くと、手の中から逃げた小鳥を惜しむように、目を閉じてしばしベッドの上に座ったまま、動こうとしなかった。
 

 
「……ん……イ……ザーク……?」
 ベッドの上で軽く寝返りを打ちながら、入ってきた人の気配に気付いてディアッカはうっすらと瞳を開いた。
「……起こしたか」
 イザークはディアッカと目が合うと、気遣わしげに声をかけた。
「あ……いや。今、戻ったのか」
 ディアッカは目を擦りながら、半身を起こした。
「起床時間よりえらく早いな」
 デジタルクロックを見て呟くディアッカを見て、イザークは鼻を鳴らした。
「朝早くに副官の部屋から出てくるところを見られたら、面倒だからな」
「ま、そりゃそうだわな。一晩何してたんですか、って普通思うだろうしな」
 そう答える自分の言葉が自ずと嫌味ったらしくなっていることに気付いて、ディアッカは思わず口を噤んだ。
 イザークには今の皮肉が通じたのか通じていないのか、何も反応は返ってこない。
 その無反応さがまた少し気にかかった。
 いつもなら、すぐに『貴様、何を考えているッ!』と怒鳴りつけられているところだろうに。
 敢えて口には出さなかったが……やはり聞きたくて仕方がなかった。
(……まさか、ほんとに副官と寝ちゃったりしてねーだろうな)
 自分自身の露骨な思考に急に不愉快になって、彼は眉をしかめた。
 その間に、イザークはいつのまにか赤服を脱ぎ、軽いトレーニングシャツと半ズボンの上下になっていた。
「イザーク?」
 部屋を出て行こうとする彼に、ディアッカは慌てて声をかけた。
「おい、どこ行くんだよ?」
「うるさい奴だな。シャワーを浴びてくるだけだ。――おまえはもう少し寝てろ」
 そう言い捨てるイザークの後姿の前で、扉は閉まった。
 

 
 シャワールームにはまだ誰も入っていなかった。
 ほっとして、一番奥にある個室に入った。
 他の誰かと顔を合わせるのは鬱陶しい。
 こんなときでなくても、人と一緒に何かを共有するということに慣れていないイザークにとっては共同部屋というのは元々苦手だった。
 だから本当はダコスタの部屋でシャワーを浴びて出れば良かったのだが、あのときは何となくあの部屋にぐずぐずしていたくなかった。
 それで、取り敢えず逃げるように部屋を出た。
 不思議だった。
 自分がなぜあんなにもダコスタに懐いてしまったのか、が。
 同時にそれが癪でもあった。
(ここに、いたい……)
 自分の部屋に帰るのは嫌だとだだをこねて、結局朝まであそこにいた。
 そして……。
 朝、目覚めたとき……。昨夜のことを思い出して、羞恥に全身が熱くなった。
 なぜ、自分はあんなことをしてしまったのだろう。
 ダコスタに無理矢理犯された――というわけではない。
 半分以上は自分が誘ってしまったようなものだ。
 しかも、その前は隊長にまで身を売ろうとした……。
 『身を売る』……その言葉に我ながらぞっとした。
 自分は一体何でそんなことを……。
 しかし、自分の行動を振り返ると、まさにその言葉しか当てはまらないような気がした。
 全部、自分から仕掛けたことなのだ。
 ストライクを討つため、と言いながら……。
 いや、本当にそれだけが理由だったのか。
 まさか……。
 体がぞくりと震える。
 震える裸体を両腕でかき抱き、壁に背をもたせた。
 立っていられなくなり、一瞬へなへなと下へ沈み込む。
(俺は……)
 考えたくない。
 でも……。
 ――俺は……。
 ――俺は、ただ男の体を求めていただけ、だったのでは……。
 焼けるような、熱い雄の体。
 自分の中に挿入される熱く滾るような肉の塊。
 それを受け容れるときの痛みに伴うあの高揚感。
 狂ったように興奮して悦ぶ体をどうにも持て余した。
 自分でもどうしようもなかった。
 気付けば、淫乱婦のように相手に激しくせがみ、ねだっていた。
 今のこんな自分を誰かが見たら、どう言うだろう。
 言い訳は不可能のような気がした。
 自分が酷く汚れた存在のような気がして、あまりの忌まわしさに吐き気がした。
「おーや、やっぱりここにおいでなすったか」
 さっとカーテンが引かれたかと思うと、突然目の前に現れたその下卑た顔に、イザークははっと息を飲んだ。
 見た顔だ。
 しかし、今ここで見ようとは思いもしなかった。
 この間……廊下で絡んできたこいつを手酷く痛めつけた。
 ねっとりとした視線。憎悪に満ちた眼差し。……あのときの男だ。
「さっき廊下でちらっとあんたの後ろ姿を見たように思ったんでね。……ビンゴ!だったな」

「貴様……っ……!何だっ……!」
 慌てて立ち上がろうとするより先に、男の動きが早かった。
 襲いかかってきた男に両肩を押さえつけられ、そのまま横倒しにタイルの床に押しつけられた。
 うつ伏せの顔にじとりと濡れた床の湿った滴が纏わりつく。
「……うっ……何を……っ……!」
「いい格好じゃねーか。襲って下さいと言ってるようなもんだぜ。朝からココがじくじくする」
 卑猥な笑い声と共に吐き出される息が耳元をいやらしく撫でる。
「……くそっ、やめ……」
 大声を出そうとした口を、男の大きな手が素早く塞いだ。
「おおっと……声を出すなよ。おい。ほんとはひいひい言うその声を聞くのがいいんだがな。さすがにここじゃ、まずいからな」
 塞いだイザークの口にそのまま何か布をかませる。
 同時に抗う体を乱暴に引き上げ、腹に何回か拳を当てた。
 イザークの体から忽ち力が抜ける。
 その両手を掴み、タオルできつくシャワー栓の口に縛りつける。
 そうして男はシャワーの栓を一気に開いた。
 忽ち強い勢いで雨のようにシャワーが上から降ってくる。
 シャワーの叩きつける音が耳に響く。生ぬるい湯が顔から体にかかった。息ができぬほどの水量の強さに目を閉じ、苦しげに顔をしかめた。
「湯加減は、いかがですかね?」
 男は残虐な笑みを浮かべてふざけた問いを発した。
 イザークは目を開くと怒りに満ちた瞳で男を睨みつける。
 しかし目の中に入ってくる水に、それも長くは続かなかった。
 そんな相手の様子を見て、男はまた楽しそうに笑った。
「それじゃあ……少しばかり楽しませてもらうぜ」
 震えるイザークの体にわざと爪を立てた。
 男は白い肌に赤い跡が滲むのを満足げに見つめた。
「この間のお返しに、たっぷり可愛がってやる」
 そう言うと、男は欲情に満ちた瞳を滾らせながら、イザークの裸の体の上に乗りかかっていった。
                                        (to be continued...)

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