残 光 (13)










 誰もが気付かない振りをしていた。

 ただ、通り過ぎるたび、ダコスタに軽く挙手の礼をするために立ち止まる。
 まともに視線を合わさないように、彼らがイザークの存在をさりげなく無視するように注意しているのがわかる。しかしそれでも、どこからともなく浴びせられる強い好奇の視線を感じ、彼らとすれ違うたびにイザークの顔は燃え上がるように熱くなった。本当は彼らがダコスタに抱かれている自分の姿に相当強い好奇心を抱いていることは、何となく気配で察することができた。
 イザークは固く目を閉じ、一刻も早く部屋にたどり着けるようにとただそれだけをひたすら心に願いながら、羞恥のときを耐えた。
 やがて、ダコスタがぴたりと立ち止まるのがわかった。
 ようやく自分の部屋に着いたのか、と目を開いたイザークは医務室と書かれたプレートを見て、驚いた。
「……ちょっ……なっ、何でこんなとこに……!」
「……しばらくここで休んでろ」
 ダコスタは当然のごとく言うと扉のボタンを押した。
「……い、いいって……!部屋に戻って休むから……」
「我儘言うなって言ってるだろ。こっちが近いんだよ。おまえ結構重いから俺の腕じゃ、ここまでが限界」
 冗談交じりに言うと、ダコスタはイザークの抗議もお構いなしにずかずかと部屋に入り込んだ。
「ドクター・モウ。これ、ちょっと預かってもらえますか」
 大きな声で呼びかけると、椅子に座ってタバコをふかしていた白衣の男がうん、と顔を上げた。
 四十代前半といったところか。この艦の男たちと同様に砂漠焼けした肌に、筋肉質な体、そして鋭い瞳をしていた。白衣を着ていなければ、他の戦闘要員と全く見分けがつかなかったろう。要するにあまり医者らしい風体ではなかったが、この荒っぽい砂漠地域の駐留軍の中にいるには、ちょうどうってつけといったところだった。
「また、タバコなんか吸って……艦内は全禁煙だって何度言えばわかるんですか」
「ああ?……うるせーこと言うなよ。これとアルコールくらいしか楽しみがねーんだからさ。……けど、地球産のタバコってのはほんと美味いなあ。おまえも一服どーだ?」
「結構です」
 ダコスタは憮然と答えた。
「それより、こいつをちょっと診てやって下さいよ」
「だから、俺は何も病気なんかじゃ――」
 イザークはダコスタの腕の中でもがいた。
「とにかく、いいから、下ろせよ!」
「こら、暴れるなって……!」
 イザークが激しく体を揺すったせいで、ダコスタは彼を抱えきれなくなった。一瞬腕の力が緩み、暴れる体が腕にかける負荷に耐え切れなくなって、彼は思わずよろめき、イザークを抱えたまま後ろ向きに倒れ込んだ。
「……っつう……!」
 ダコスタが尻を床に強く打ちつけ、しかも体の上にはイザークの体重をまともに受けて、さんざんな様子だった。
「あーあー何やってんだ、おまえら……」
 医師は呆れたように、椅子から立ち上がると転がっている二人の前へ近づいた。
「だから、下ろせって言ったんだ」
 イザークはダコスタの体の上から身を起こそうとしたが、床に膝をついた瞬間、下半身を走った鋭い痛みに思わず顔を歪めた。
「……ッ……!」
「ほら、見ろ。大丈夫じゃないだろうが」
 ダコスタはそう言うと、イザークに手を伸ばした。
 その手をイザークは軽く振り払った。
「いいっ!」
 ダコスタの体から這い出ると、床の上に両膝をついたまま、下を向いてぐっと痛みに耐える。
「おいおい、どうした?どこが痛む?」
 モウがすぐ傍から覗き込んでいた。
 イザークは黙って顔を背けた。
 しかし、モウは相手の態度など無視して、いきなり彼の臀部を掴んだ。
 ぐいぐいと強く動かされると、痛みが増し、イザークは悲鳴を上げると前のめりに倒れた。
 モウはその体を容赦なく掴み、仰向けに転がした。そのままズボンを下ろし、両足を引き上げて股間を開かせると下からおもむろに患部を覗き込み、指で軽く触診した。
「ははーん、この辺だな。しっかし、こりゃあ、だいぶ酷くやられたもんだなあ……おまえさん、ちゃんと処理はしたんだろうな?」
 イザークは痛みと羞恥に目尻にうっすらと涙を溜めながら、それでもモウの問いかけに必死で頷いた。
「なら、いいが。地球はプラントとは違って雑菌が多いからな。下手すりゃ、化膿して大変なことになるぞ」
 モウはそう言うと、イザークの足を下ろし、改めてその顔をまじまじと眺めた。
「はあー、しかし何だなあ、何を間違って、こんなおキレイなのが、こーいうとこに来ちまったのかねえ。こういうことになることは、最初っから目に見えてるようなもんだろうが?」
 モウはダコスタの方をちらと非難するように見た後、肩を竦めた。
「ったく、おまえらがもっと気イ付けとけっての。ここは獣の巣窟なんだからよ。……さって、じゃ、しばらくあっちのベッドで横になっていくか。痛み止めやるから、ちっと休んどけ。まあ、何だな。女みてーに孕んだりする心配だけはねーから、そこだけは気楽だよな」
 ははっ、と笑いながら、モウはよいしょ、とイザークを抱き上げると、カーテンの向こうへ運んで行った。
 ダコスタは後をついて行くことはせず、敢えてその場に立ち尽くしていた。やがて、深い溜め息を吐く。
(……そうじゃないかと思ってたが……)
 あの短時間の間に、まさかそんなことが起こっていようとは、思いもよらぬことだった。
(そうだったのか……)
 自分のせいだ、とまでは思わないが、それでも何だかひどく嫌な気分だった。
 ドクター・モウはイザークをベッドに寝かすと、すぐに出てきて、仕切りのカーテンを閉めた。
「何そんなとこに突っ立ってんだよ?」
 ぼおっと立っていたダコスタを見て、モウは笑った。
「気にするな。さっきのは冗談だよ。何もおまえさんを責めたわけじゃねえからさ。ま、仕方ねーわな。あーいうことは軍隊じゃざらだからな。あいつだって、何も初めてじゃねーだろ」
 モウのあけすけな言葉にダコスタは苦笑いを浮かべた。
「……まあ……別に気にしてるわけじゃないですよ」
 あいつを犯した相手を突き止めて仕返しをしよう、などと思うほど熱した気持ちもない。
 ただ……。
「……いろいろあって、その……不安定な奴なんで、心配なんですよ。それで、ちょっとお願いなんですが……」
 彼は声をひそめた。
「――戦闘態勢に入っても、あいつをここから出さないでもらえますか?」
「何だよ、そんなにお仕事したい奴なのか。あの坊やは……?」
 仕事中毒(ワーカホリック)って奴か、などと軽口を叩くドクターを、ダコスタは真面目に聞いて下さいよ!とたしなめると、さらに続けた。
「とにかく、隊長にも出撃させてくれとしつこく食い下がって、困らせてるんですよ。でも実際あんな奴だから、何やらかすかわかりませんからね。――ほんと、頼みますよ」
 何なら睡眠剤でも飲ましておいて下さい、と笑って言うと、ドクターは本当に呆れた顔でダコスタを見返した。
「……ったく、そんなに一生懸命『仕事』したがってる奴を、どうしてそこまでして意地悪するのかねえ。俺にはわからんなあ」
 『軍隊の規律』『作戦行動』そして『上官命令』などという言葉はどうもこの人の頭の中には全くないようだな、とダコスタは思わず苦笑した。見かけは軍人ぽいが、中身はやっぱり違う。
 しかし、ドクター・モウのそういうところがダコスタは割に気に入っていた。
 これまでも、彼にはあまり気を張らずに何でも気軽に相談できたし、時々くだらぬ雑談の相手をするのも、気晴らしになって楽しかった。
「あいつを、死なせたくないんですよ」
 ダコスタは、わざと明るい顔でそう言った。
 モウは頭を傾げた。
「……出撃したら、何も死んじまうとは限らんだろう。あいつだってこれまで宇宙で戦ってきたんだろうが」
 ダコスタは困ったように頭を掻いた。
「まあ、ね。……でも、必要もないのに危険に飛び込むこともないでしょう。こんなところで散らせるには、惜しい奴ですから。何せザフトの赤着てるような奴ですからね」
「まあ、赤服着るようなエリートなら、当然一発でやられるわけもないだろうがな。……とにかく滅多に見られねえような美人だからしばらく大事に取っておこう、とこういうことかな。それなら、俺にもまだわからんでもないが」
 モウはそう言うとはははと笑った。
「……もう、いいや。どうとでも思っておいて下さいよ!」
 ダコスタは話すことを諦めて、立ち上がった。
「とにかく、ここから出さないで下さいよ!何かあったら、ドクターに責任取ってもらいますからね!」
 最後に相手の鼻先に指を突きつけて、冗談ともつかぬような脅し口調で言うと、モウはやれやれと肩を竦めた。
「ああ、ああ、わかったよ」
 そのいい加減な口調に、ダコスタはあまり当てにはならないな、と心の中でひそかに吐息を吐いた。
 
 
 
「……ダコスタ」
 医務室から出たところで声をかけられた。振り返ると、バルトフェルドの姿が見えた。
「さっきから、探してたんだが、こんなところにいたのか」
 バルトフェルドは近寄ってくると、医務室の扉を見て眉を顰めた。
「どこか、具合でも悪いのか?」
「あ、いえ。私ではなくて、その……」
 ダコスタが言い淀むのを見て、バルトフェルドは僅かに目を細めた。
「朝飯、食ったか?」
「いえ、まだ……」
「じゃあ、その前に少しだけ……そうだな。朝のコーヒーでも付き合えよ」
 バルトフェルドは片目を瞑ると返事も聞かずに司令室へ向かってさっさと歩き出した。戸惑いながらも、ダコスタは慌ててその後を追った。
 
 
 
「……で、坊やがどうかしたのかな?」
 なぜわかったのか、と驚いて目を上げるダコスタを見て、バルトフェルドは大きく笑った。
 コーヒーの匂いが部屋に満ちている。
 カップを持った手を止めて、ダコスタはまじまじと上官を見た。
「図星か。よくよく隠すのが下手だな、ダコスタくんは!そんなんじゃ、諜報活動は到底勤まらんぞ」
「よ、余計なお世話ですよ!」
 ダコスタは少し顔を赤らめて、答えた。
 この人の前ではどうも、調子が狂う。
 特にこんな風に笑われると、まるで自分が小さな少年にでも戻ってしまったかのような気になるのだ。
「……やはり、狼の群れの中に子羊を迷い込ませたようなものだったかな」
 バルトフェルドが言うと、ダコスタは不審そうに彼を見返した。
 それへ、バルトフェルドは意味ありげな笑みを向けた。
「そんなことくらいしか、思い浮かばんからな」
 ――現に、自分も手を出しかけた。
 そうさりげなく付け加えて、ふっと息を吐く。
「……そういや、おまえも最初の頃はよく苛められてたよなあ……周りの奴らがまた荒れた奴ばっかだったもんな」
 バルトフェルドに言われて、ダコスタは苦々しい笑みを浮かべた。
 苦い過去の記憶が甦る。
 軍隊に入りたての頃……。そういえば、若くて能力も平凡、特に目立ったところもないのにやたら周囲から嫌がらせを受けることが多かった。強姦とまではいかないが、自慰の手伝いをさせられたり、ちょっとした捌け口として使われたことはあった。そしてとにかくよく殴られたな……と、思い出す。
「……よく、助けてもらいましたよね」
 今のようにまだ隊長という地位にはなかったが、当時バルトフェルドは同じ軍営にいた先輩だった。
 そして軍隊に入隊したばかりのダコスタによく声をかけてくれたのも、バルトフェルドだった。
「私が殴られた現場に通りかかられたとき、隊長が相手をその場で殴り返して下さったことなど、未だに覚えています」
 ――次にこいつを殴ったら、この俺が許さんからな!と大きな声で怒鳴りつけたバルトフェルドの迫力に相手は恐れをなして逃げ去った。その滑稽な後ろ姿を見ていると、殴られた理不尽さや悔しさも一気に胸を去り、すかっとした。
 ありがとうございました、と礼を言おうとしたら、もうバルトフェルドは歩き去っていた。
 格好いい人だな、とその男気に惚れ惚れとした。
 思えばあの頃から、ずっと……。
 ダコスタは吐息を吐いた。
 ――俺は、この人に心酔していた。
 こんな男になりたい、と思っていた。勿論それは所詮自分には無理な相談だったが。それでも、ひそかに憧れ続けた。
「こんなぱっとしない私を何であんなに気にかけて下さったのだろう、と何だかとても不思議でした……」
 そして、今またこんな風に……隊長と副官という関係に慣れたのも、バルトフェルドが副官に自分を強く推してくれたからだと後で聞いた。
「……おまえは、ぱっとしない奴なんかじゃないさ」
 バルトフェルドは笑った。目を閉じて、コーヒーの香りをゆっくりと味わうようにカップを啜る。
「……おまえ、何であんなに苛められたと思う?」
 カップを机に置くと、椅子に凭れかけ、面白そうに目の前で立ったままコーヒーを飲むダコスタを眺める。
「おまえ、あの頃結構目立ってたんだぞ。自分で気付いてないだけで、な。……赤毛の可愛いニューフェイスが入って来たってな。俺たちの間じゃ、誰がおまえを落とせるか、なんて言って賭けてる奴もいたくらいでさ」
 ダコスタはコーヒーを吹き出しそうになったのをすんでのところで止めた。
「ちょっ……ちょっと、冗談はよしてくださいよ!」
「冗談じゃなくて、さ。……おまえ、頭固すぎたんだよな。柔軟性に欠けるっていうかさ。あれだけ鈍いと、可愛さ余って憎さ百倍ってことになるだろう、普通」
 ダコスタは茫然と目を瞠った。
 ――軍隊の中には、規律というものがあって……。
 そういえば、当時は頑なに規律を遵守することに一生懸命だった。確かに少し融通がきかないところはあったかもしれない。
「誘っても誘っても乗ってこないから、何だあいつは。お高く止まりやがって……ってさ。評判悪くなったのもそういうのが原因」
 バルトフェルドはからからと笑った。
「おまえ、昔から他人の情報収集能力は高いけど、自分については全く疎い奴だったよな。そういうとこが、またおまえの良さなんだろうけどさ」
 ダコスタは居心地悪げに俯いた。
 どうして、そんな昔の話を今ここでこんな風に蒸し返されなければならないのか……。
 バルトフェルドの意図がわからず、戸惑いを感じた。
「……そういう、不器用さじゃあ、あの坊やといい勝負だな。強情なところなんかも、な」
 その言葉に再び顔を上げた。
 何と答えてよいものか……一瞬黙り込み、手のひらの上でコーヒーカップを持て余す。
「なあ……今度の戦いは、かなり、きつくなる」
 バルトフェルドの声が不意に真剣さを帯びた。
「……向こうのあの白いモビルスーツ……あれはかなりやばいぞ」
「……イザークが戦いたがっている、あれですね」
 ダコスタはごくり、と唾を飲み込んだ。
 バルトフェルドの真剣な口調に引き込まれ、自ずと緊張感が高まる。
「俺は、全力で戦う」
 ――百パーセント、いやそれ以上の力で……、とバルトフェルドは言い切った。
 砂漠の虎がここまで言うなど、滅多にないことだ。
 ダコスタは不安を感じた。
「隊長が、全力で……」
「そうだ。でないと、勝てない。いや、それでも勝てるかわからん……」
 バルトフェルドの瞳に影が差す。
「……だから、今のうちに言っておく。俺にもしものことがあれば、おまえがこの隊の指揮を取ることになるだろうからな」
「隊長……」
「そのときは、潔く撤退しろ。犬死にすることはない。わかったな。間違っても俺のことを考えたりするな。俺が負けたときは、俺が死ぬときだ。俺には覚悟ができている。いいか。俺の骨を拾おうなんて考えるなよ」
 バルトフェルドの言葉には言い知れぬ迫力があった。
 ダコスタは圧されて黙っていた。
「……坊やたちも無事に宇宙に帰してやれ。あいつらは、まだザフトに必要な人間だからな。こんなところで殺してしまうわけにはいかない」
 バルトフェルドはそう言うと、ふっと息を吐いた。
 表情に元の陽気さが戻る。
「……なんて、な。こういうときくらいしか、言えないからな。こんな遺言みたいなこと。――俺はこういうの、苦手なんだ」
「………………」
「アイシャにだって言えないからなあ、こんなこと。……けど、おまえにだけは、真面目に言っておきたかったんだ。まあ、それだけだ。俺の自己満足に過ぎないんだから、忘れてくれていい」
 ダコスタは唇を噛んだ。
(じゃあ、何でそんなこと、わざわざ俺に言う必要があるんですか……!)
 恨みがましく思った。
 こんなことを言われて、ああ、そうですか、とすぐに忘れられる筈もないだろうに。
 遺言、だと。
 ……縁起でもないことを言うな!と――相手がバルトフェルドでなかったら、その場で怒鳴りつけているところだった。
(死ぬつもりじゃない……です、よね)
 渦巻く不安を拭い去るように、そう心の中で呟く。
 あなたは……死なない。
 砂漠の虎がそう簡単に死ぬわけがない。
 胸の中で何度も繰り返す。
 ひどく動揺していた。
 どうしてどいつもこいつも……。
「……約束はしませんよ」
 ダコスタはむすっとした顔でようやくそれだけ言った。
「忘れてもいいようなことなんでしょう。なら、今お聞きしたことは全て忘れますから」
 そのやけに反抗的な口調がいつもの彼らしくなくて、バルトフェルドは不思議そうな目を向けた。
「……私は隊長の下についたときから、地獄の果てまであなたのお供をする、と決めたんですから」
 ダコスタの強い眼差しにバルトフェルドが驚いた顔をした。
「ダコスタ、おまえ……」
「……失礼します」
 カップを置くと、茫然とするバルトフェルドに背を向けて立ち去った。
 ――絶対にそんな約束など、するものか。
 意地になっていた。
 そんなに剥きになることもないだろうに……それでも何だか無性に腹立たしくて、部屋を出た途端、横の壁に拳をぶつけた。
 
(――なあ、おまえ、好きな奴いる?)
 
 そのとき、なぜかふと……
今朝、そんな風に聞いて相手を怒らせた自分の問いが耳の奥にこだました。

                                        (to be continued...)

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