残 光 (15)










 僅かな振動に、体が揺れる。

 どこか遠くでけたたましく鳴り響くブザーの音。
 ばたばたと駆けていく靴音。
(…………?)
 自分がどこにいるのか、一瞬忘れていた。
 そのとき扉が開き、勢いよく飛び込んできた靴音が鼓膜を打った。
「おい、起きろ、イザーク!奴らが動き出したようだぞ!」
 ディアッカの興奮した声で、彼ははっと目を開いた。
 ――あっ……!
 突然、全ての記憶が甦った。
 彼はがばっと起き上がり、前に立つディアッカと目を合わせた。
「それじゃあ……足つきも……?」
「ああっ!早く行こう」
 ディアッカは既にパイロットスーツに着替えている。
「隊長たちが格納庫の方へ行くのを見かけた。早くしないと置いてきぼりくっちまいそうだぞ!」
「何だと!」
 バルトフェルドが自ら出撃する。
 イザークは舌打ちすると、慌ててベッドから飛び起きた。
 
 
 
「――バルトフェルド隊長っ!」
 格納庫でアイシャと共にラゴゥに乗り込もうとしていたバルトフェルドを視界に捉えるが早いが、大きな声で呼び止める。
 その声に振り返り、少年たちの姿を認めると、バルトフェルドは小さく肩を竦めた。
「やれやれ、まだ諦めていないのか」
 心底呆れたように呟くバルトフェルドを見て、アイシャもくすりと笑う。
「みたい、ね」
 そんな二人の傍に駆け寄るなり、イザークは切羽詰った表情で迫った。
「お待ちくださいっ!行かれる前に、俺達にも前線へ出る許可を!」
「そのことなら、もう昨夜解決済みじゃなかったのかな」
 バルトフェルドはそう言うと、からかうように白い歯を見せた。
「クルーゼ隊では上官の命令に兵が異議を唱えてもいいらしいが、ここでは困るな」
 イザークはしかし怯まなかった。
「……そういうわけじゃありません!ただ、奴らとの実戦経験では、私たちの方が――」
「『負けの経験』でしょ」
「何っ!」
 途中で馬鹿にしたように口を挟んだアイシャに、イザークはぐっと拳を握り締めた。
「イザーク、やめろ!」
 アイシャに向かって憤りかけたイザークをディアッカが諌めると同時に、
「――イザークっ!何やってる!」
 背後から走ってくる靴音と共に鋭い声がかかった。
 振り返るまでもなく、それが誰かわかり、イザークははっと唇を噛みしめた。
「隊長っ!申し訳ありません!私が目を離した隙に――」
 ダコスタは瞳を怒らせながら、バルトフェルドとイザークたちの間に割って入った。
「おまえたち!何勝手なことをしている?おまえたちの配置は艦上だといってあるだろう!」
「あんたには、関係ない!」
 吐き捨てるように怒鳴ると、イザークはダコスタを睨みつけた。
「あんたこそ、持ち場を離れるなよ!」
「誰のせいだと思ってる!」
 ダコスタはイザークに向かって負けじと怒鳴り返した。
「痴話喧嘩か、ダコスタくん?」
 ふざけたように後ろから声をかけたバルトフェルドに、ダコスタは目を見開いた。
「隊長っ!」
「隊長!こっ、こんなときにふざけないで下さい!」
 イザークとダコスタが同時に叫ぶと、バルトフェルドは声を上げて笑った。
「あはは、冗談だよ。……でも、坊やの言う通りだな。きみには艦長席に座っていてもらわないと困る」
 ふと、バルトフェルドの瞳が真剣になった。
「この艦はきみに任せたんだからな。あとは、頼むぞ」
 彼には既にイザークたちは目に入っていないようだった。
 その鋭い瞳が、じっと目の前の副官を見つめる。
 ダコスタは、返す言葉もなく、その視線を受け止めた。
 目が、離せない。
(……隊長……)
 昨夜交わした会話が甦る。
 あのとき、火のように自分の胸を焦がしたあの激しい思い……。
(また……だ)

 だから、こんな遺言のような言葉を出さないで欲しいというのに。
(……砂漠の虎が、簡単に倒れてもらっては、困る……)
 苛立ちと困惑。
 目の前のバルトフェルドの顔は厳しいが、どこか思いきったような潔さをも感じる。それがどこか彼を不安にした。
 この人は、戦うことが好きな人だ。
 戦うことに理由を求めてはいない。ただ、相手がいる限り、どこまでも戦う……。
 いつのまにか、戦うことがこの人の生きる目的になっていたのだ。
 だから、死ぬときも戦場がいい、とよく冗談のように言っていた。
 『砂漠の虎』と異名をとるほど、この人は強い。
 バルトフェルドの下についてから、これまで『負ける』という文字が頭に浮かんだことなど一度もなかった。こんなに不吉な予兆を感じることなど、ついぞ……。
 それがなぜ、今こんな風に思うのか。
 この胸を騒がせる嫌な予感は。
 ――この人は、やはり死にに行くつもりじゃ……。
(何馬鹿なことを考えてるんだ、俺は!……そんなこと、あるわけ――)
 ダコスタは拳を軽く握ると、自らの動揺を隠すようにそっと視線を落とした。
「……わかり……ました……」
 何か、もっと言わなければいけないような気がしたのに、口から出たのはなぜかそれだけだった。
 すぐ目の先で、バルトフェルドがふっと笑みを洩らしたような気がした。
 目を上げると、にやりと不敵な笑みを浮かべるいつものバルトフェルドの顔が見えた。
 それを目に入れた途端、ダコスタは弱気になりかけた自分を強く叱咤した。
 ――この人が、死ぬ筈がない。
 『砂漠の虎』は、誰よりも強いのだ。
 どんな相手であろうと、必ず……。
 この人は、ここへ戻ってくる。当然ではないか。今までも常にそうだったのだから。
「……それでは、俺たちは出るからな」
「――はっ!」
 背中を向けた上官に挙手の礼を送るダコスタを、イザークは不思議な表情で見つめていた。
(こいつら……)
 彼はいつのまにか、自分が二人の間から完全に閉め出されているのを感じていた。
 かといって、もはや間に割り込んでいく気も起こらなくなっていた。
 そこには、確かに自分が立ち入れない何かが存在していた。
 自分には、どうにもできない何か……。
 そして自分が触れてはいけない何かが、そこにあった。
「……何をしている。戻るぞ!」
 ダコスタは振り返ると、ぼおっと立ちすくんでいたイザークにぶっきらぼうに声をかけた。
 はっと我に返ったイザークは、それでも何も答えることができず、さっさと踵を返して戻っていくダコスタの後姿をしばらく茫然と見送っていた。そんなイザークの肘を、ディアッカが引っ張った。
「ほら、行こうぜ!」
 ディアッカに引かれるように歩き出したイザークは、唇を噛みしめた。
(くそっ……何で……俺は、こんな……ッ……!)
 あれ以上、何も言えなかった。
 ただ、癇癪を起こした子供のように文句を言い散らしただけだ。
 そして何より……。
 ――なぜ、あんな奴らのことを真剣に考えている?
 一瞬自分自身のことすら忘れていた。
 あの瞬間のバルトフェルドとダコスタの様子を目の前にすると、なぜか……動けなくなった。
 あのとき襲ってきた一瞬の強い感情の波……。あれは、一体何だったのだろう?
 不思議だった。
 ダコスタの思いが……自分の中に一気に溢れ込んできたかのようだった。
 胸が詰まって、一瞬息ができないくらい苦しくなった。
 そしてその思いは……自分にはよく覚えのある思いでもあったのだ。それが、尚更自分をその場に釘付けにした。
 ダコスタに抱かれたから……だから、いつのまにかこんなに共感するようになってしまったというのか。
 自分はもしかすると、ダコスタという男に関わりすぎたのだろうか。
 自分自身の目的さえ忘れてしまうほどに。
(……馬鹿な……!)
 彼は頭を振った。
(馬鹿な……馬鹿な……そんな、馬鹿な……ッ……!)
 必死で否定する。
 何を否定しているのかさえわからなくなるほどに。
 必死で自分の中に留まるその思いを振り払おうとした。
(俺には……関係ない!)
 他人のことに関わっているほどの余裕はない筈だ。
 そんなことに揺れる自分自身のふがいなさが、腹立たしかった。
 俺は、何をしている……。
 俺の、目的は……。
 なぜ、こんなに胸が苦しい……?
 苛々する心を抑えるように、荒々しく廊下を踏みしめて歩いていく。
 それでも、先を行く緑色の制服の背中を食い入るように見つめながら。
「……なあに。乱戦になれば、チャンスはいくらでもあるさ」
 そのとき、そんなイザークの心を知るよしもないディアッカが、前を向いたままそっと耳打ちした。
 しかしイザークの耳にはその言葉も空気のようにすり抜けてしまっていた。
 
 
 
 戦闘は思った以上に長引いていた。
「……ちっ、ビームの減衰率が高すぎる。大気圏内って、こんなのかよ!」
 レセップスの甲板上でライフルを撃ちながら、思うように当たらないもどかしさにディアッカは舌打ちをした。
(……少々、甘く見すぎていたか……!)
 確かにこれでは前線部隊に混じっても、足手まといにしかならないかもしれない。機体がせめてバクゥ並みの機動性を備えていれば……。しかし砲戦仕様では、仕方ない。バクゥのあの高速の動きには所詮叶わない。
(隊長は正しかった、ってわけだな)
 前線で無様な格好を晒さなかっただけ、幸いだったのかもしれない。
 彼はひそかに肩を竦めた。
「……く……!」
 しかし、傍らのデュエルの中では、イザークは依然として悔しげにぎりぎりと歯を噛みしめていた。
 ビームライフルを撃ちながらも、彼の意識は常に違う対象に向かっていた。
 すぐ目の先に、奴が……。
 白い機体。
 奴を、隊長機が攫っていこうとしている。
 ――ストライク……っ……!
 このまま、むざむざ逃してしまうのか。
 ここまで……ここまで、きて……っ!
 あいつは、俺の獲物だ。
 怒りで頭の中がかっと熱くなった。
 操縦桿を握る手が震える。
 ばくばくと激しく打つ己の心臓の鼓動。それはただ単に戦闘中だからというだけではあるまい。
(くそっ……このまま、逃してたまるか……っ!)
 傷が、痛む。
 奴につけられた、この傷が……。
 額が、顔全体が燃えるようだ。
 異様なまでに熱くて、目の前から今にも火が噴き出すかと思えるほどに……。
 周囲の戦闘の音が、突然聞こえなくなった。
 目の前が白い。
 そして、そこにはただ……。
 目指す敵の姿しか、ない。
 その瞬間、何も考えられなくなった。
「……くそっ!この状況で、こんなことをしていられるかっ!」
 彼は叫ぶと、操縦桿を持つ手に力を入れた。
「ストライク、待っていろーッ……!」
 獣のような唸り声が飛び出し、コクピット内を震わせた。
 戦闘の火が飛び交う中、突然デュエルはレセップス艦から飛び立った。
「イザークっ!」
 ディアッカが驚きの声を上げたときには、隣りの機体は既に手の届かないところへ向かって飛び立っていた。
「イザークっ、待てっ!」
 しかし、この状況ではすぐに後を追っていくことはできない。
『……どういうことだ!』
 すぐに回線から罵声が飛んできた。
 レセップス艦内から、ダコスタが怒鳴っているのだ。
『勝手なことをするなっ!』
「知りませんよ、俺は!」
 ディアッカも腹立ち紛れに怒鳴り返した。
(こっちだって、勝手なことするなって言いたいくらいなんだ!)
 胸の内で忌々しげにそう吐き捨てる。
「突然、あいつが……くそっ!」
 しかし、そんな会話を交わしている場合ではなかった。
「……いい加減、落ちろっての!」
 歯軋りしながら、ディアッカはビームを必死で撃ち続けた。
 
 
 
『……イザークっ!何をしている?勝手なことをするなっ!イザークッ!……』
 ダコスタの怒鳴り声が飛び続ける回線のスイッチを切ると、イザークは足場の悪い砂漠を、敵に向かって突き進もうとした。
 しかし、すぐに砂の中に足を取られ、ずぶずぶと埋まってしまう。なかなか前へ進めず、モビルスーツごと砂の中でもがく格好となった。
「……ええい、くそっ、くそっ!この、忌々しい砂がッ……!」
 自分の姿は相当無様であるに違いない。
 だが、そんなことさえも気にならないほどに、彼は必死だった。
 必死で、ただ目の前のそれを追い求めていたのだ。
「ストライク……っ……!」
 苦々しい声を吐き出すその顔は、今にも泣き出しそうに歪んでいた。

                                        (to be continued...)


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