残 光 (4)










背中を押され、イザークはよろめきながら暗い室内へ入った。
 背後で扉が閉まる機械音が無機質に響く。
「……っ、何……だよ……っ……!」
「こっちへ来い」
 容赦なく腕を引っ張られ、壁際の机の前まで連れてこられた。
 イザークの腕を掴んだまま、ダコスタは片手で机上のコンピューターの電源を入れた。
 コンピューターが起動し、光を発する画面が、薄暗い室内で一際異彩を放つ。
「これを、見ろ」
 片手でひとしきりキイを叩き終えると、ダコスタは少年を体ごと、画面の真正面に向かせた。
「なっ、何だ……っ」
「いいから、見るんだ」
 ちょうどそのとき、画面に映像が現れた。
 宇宙空間で繰り広げられる激しい戦闘の映像。
 見た覚えがある。
 当然だ。……それは、ついこの間、自分たちが戦っていたときのものではないか。
 それがわかった瞬間、イザークは震撼した。
(その手で、おまえは……)
 ――あのとき俺は、何をした……?
 震え出す指の先から、瞬く間に全身を駆け巡る衝撃の波動。体の中心で何かが大きくうねるのを感じた。
 デュエルが、ストライクを追う。
(殺してやる、殺してやる、殺してやる……っ……!)
 漆黒の空間を切り裂くように響く、呪詛の叫び。
 ――あのとき、俺は……
 おさまりかけていた心臓の鼓動が、再び激しく打ちつけ始める。
「……い、やだ……やめろ……っ……」
 映像を止めようと伸ばしかけた手を背後から引かれた。逃れようとする体をダコスタはしっかりと抑えつけた。
「……いやだっ!放せよっ!」
 イザークは忽ちパニックに陥りかけた。狂ったように体を振り、捉えられた腕から抜け出そうと暴れた。
 底知れぬ恐怖感が胸の内に広がっていく。
 ――怖い。……今改めて『それ』と向き合わなければならないと思うと、怖くてたまらないのだ。
「いやだ。見たくない。……見たくない……っ!」
「目を逸らすな!」
 ダコスタの鋭い一声に、イザークの体がびくんと撥ねる。
 落ちかけた顎を鷲掴みにされ、無理に持ち上げられた。そのまま動けないように真正面に向けて固定させられた。
 目を固く瞑るその目尻に涙が滲んだ。
「い、や、だ……っ!」
 なおも拘束から抜け出そうともがく体を痛いくらい締めつけられ、思わず喉から悲鳴のような喘ぎが洩れた。
「おまえは、見なくちゃいけないんだ」
 ダコスタの声は冷静だった。
「自分のしたことを、その目でちゃんと見ろ」
 ――それから、一生逃れることはできないのだから。
 鋼のような言葉が、イザークの全身を貫く。
「う……」
 少年の抵抗が不意に弱まる。
 ダコスタは腕の力を僅かに緩め、少年の色を失った白い面にちらと視線を投げた。
 気を失っているのではないかと思えるほど、急に抗う力が感じられなくなった。
「……………」
 僅かな呼吸音と肩の上下する様子に、かろうじて相手がまだ意識を保っていることがわかった。
「……な……して……」
 そのうちに、ぼそりと聞き取れぬほどの小さな声が洩れた。
「……放して……くれ、よ……」
 震える、弱々しい声。
 小さな子供のような、哀願の口調だった。
 先程まで横柄な調子でものを言っていた人間と同じであるとは、到底思えない。
「……お願い……だから……」
 あまりの哀れさに、胸を衝かれるかのようだった。
 しかしダコスタは拘束を緩めようとはしなかった。
「駄目だ。……おまえが、自分の目でそれを見るまでは、放さない」
 それを聞くと、とうとう諦めたように、イザークは目を開いた。
 怯えた表情で、映像を見つめる。
 
 ――シャトルがビームに貫かれる。
 撃ったのは、自分自身だ。
 
(腰抜けどもが―っ……!)
 
 ストライクを捉えられぬ焦りと苛立ちが荒々しい憤りとなって、その小さなシャトルへ向かって一気に噴出した。
 戦場を離脱する腰抜け軍人ども。
 卑怯者っ!
(逃すかっ……!)
 寸時の躊躇いもなく、指が動いた。
 ――あのとき……
 なぜ、自分はもっと冷静にならなかったのか。
 放っておけばよかった。
 なぜ、わざわざ脱出シャトルを撃ち抜く必要があったのか。
 シャトルが爆発する。
 何の抵抗もできない、その小さな機体が宇宙空間の塵となって消えていく。
 自分の放ったビームの一閃が、一瞬で彼らの肉体を焼き焦がし……。
 自分は、誰を殺したのだろう……?
 あのシャトルの中には、一体どんな人々が乗っていたのか。
 見知らぬ人々の怯える顔が、見えた。
 
(……お母さん……)
 幻の声が耳膜を震わせる。
 ……そうだった。
 あのとき、なぜかそんな声が聞こえたような気がしたのだ。
 小さな、震えるような、あの声が……。
(お母さん、怖い……)
 
 ああ……。
 自分は、知っていたのだ。
 自分の手が何を殺したのかということを。
 自分の犯したその罪の深さを。
 
(俺は、きっと赦されない……)
 
 くらくらと目眩がし、何度も激しい嘔吐感に襲われた。
 しかし、目は逸らさなかった。
 ……逸らせなかったのだ。
「――見たか」
 ダコスタの声が、彼を現実の空間へ引き戻した。
「見たんだな」
 確認するように、繰り返す。
 少し間隔を置いた後、イザークは黙って頷いた。
「……そう、か」
もうその語調には、さっきまでのような棘は感じられなかった。
 ようやく手を放された途端に、足の力が抜けた。
 気付いたときにはへなへなと床に座り込んでいた。
 無様だとどこかで意識しながらも、体が言うことをきかなかった。
「……大丈夫か」
 目の前に相手の足の先が見えた。
「……………」
 すぐには返事ができず、その少し汚れた靴の爪先をぼんやりと見つめていた。
「……横になるか」
 労わるような口調だった。
 ダコスタは元の穏やかな彼に戻っていた。
 イザークはゆっくりと目を上げた。
 傷ついた獣のような痛々しい視線がダコスタを射た。
 怒りは、なかった。
 ただ、そこにあるのは、計り知れぬほどの深い悔恨と哀しみ。
「……哀れんで、いるのか」
 そう呟くと、彼は睫毛を伏せた。
「そうじゃない」
「本当のこと、言えよ」
 握りしめる拳が、震える。

「……わざわざ、こんなの、見せやがって……っ」
 くっ、と唸ると後は言葉が続かず、彼はいったん唇を引き結んだ。
 小さく息を吸い込んだ後、再び口を開く。
「こんなものを見て、どうなる――?」
 揺れる心をあえて、静める。
(俺は、どうかしている)
 彼は自分自身を宥めるように、胸の中でそっと囁いた。
(……しっかりしろ。惑わされるな――)
 あれは、不可抗力だったんだ。戦場では、どこでだって起こり得ることなんだ。
「……俺は、気にしてなど、いない……」
(そう、俺は……)
 何でもないように言いながら、深く息を吸い込み、目の中に滲んでくるものを押し返す。
 絞り出すように出た声は、僅かに震えていた。
「……戦争、だからな。……俺のせいじゃ、ない……。俺は――」
 そこで、はたと彼は口を閉じた。
 ――自分のせいではない、だと?
(俺は、気にしていない)
(俺のせいじゃ、ない)
 ――何だ、これは……。
 卑怯な奴のする言い訳にしか、聞こえない。
 その言葉を繰り返せば繰り返すほど、自分が惨めになるような気がして。
 彼は軽く頭を振った。
(本当は、そうではない)
 しかし……
 そう言わずにはおれなかったのだ。そうでなければ、きっと自分はどうかなってしまう。この場所に立っていることすら、危うくなる。
 今の自分のそんな状態が、たまらなく怖かった。
「そう、か」
 ダコスタはそう答えただけで、それ以上何も言わなかった。
「立てるか」
「……いい」
 差し伸ばされた手からわざと顔をそむけると、イザークはよろよろと立ち上がった。
「用は、これだけか?」
 ダコスタに向かい合うと、彼はそう言った。
「――ああ」
 青い瞳をじっと見ながら、ダコスタは軽く息を吐いた。
 何でもないふりをしているが、少年がだいぶ参っているのはそのすっかり生気の失せた瞳から、明らかだった。
 何だか胸の中がすっきりしない。
 このまま、行かせていいのだろうか。
 ダコスタは迷った。
 ――このまま、行かせて……
 イザークが傍を通り過ぎようとしたとき、不意に彼はその体を掴んだ。
「……っ!」
 驚きに目を瞠るイザークを引き寄せると、自分の目の前に向き合わせた。
「なっ、何――」
「おい、いい加減に何でもないふりをするのはやめろ!」
 ぐい、と腕を強く引くと、痛みに相手は僅かに顔を歪めた。
 それでもダコスタは構わず続けた。
「……いいか!おまえは、何の罪もない避難民が乗ったシャトルをぶち抜いたんだぞ。武器を持たない人間が何人も一瞬のうちに命を落としたんだ。女性や小さな子供。赤ん坊や病人や老人だっていたかもしれない。しかも、普通に巻き込まれたんじゃない。おまえは明らかに、わかっていて、わざわざその手で狙いを定めて撃ったんだ。おまえは故意に引き金を引いたんだぞ。意図的に殺したんだ。――何でもないわけないだろう!」
「あ……」
 イザークは口を開きかけた。
 が、返す言葉は何も出てこない。
 衝撃に打たれたかのように、ただじっとダコスタを怯えたように見つめる。
「な……んで、そんな、こと……」
 力なく呟く。
 どうして、この男は自分を追い詰めようとするのか。
 彼は視線を落とした。
「そんな、こと……あんたには、関係ないだろう……」
 俺が、どう感じようと。何を思おうと。
 なぜ、あんたがそんなことを気にかけなきゃならないんだ。
「何なんだよ、あんたは……!」
 言いながら、もう一度怒りの滲む瞳を向けた。
「放っとけよ。……いいから、放っといてくれ!」
 ダコスタに向かって、既に幾度繰り返したかわからない言葉を浴びせかけた。
 ――放っておけ、か。
 ダコスタは苦笑した。
 それができれば、苦労はしないのだが。
 自分でもわからない。なぜ、こんなにこいつに構おうとするのか。
 ただ……このままでは、こいつは自分で自分を故意に傷つけ、そのうち本当に自分自身を殺してしまうだろう。
 そう思うと、黙って見過ごす気になれなかったのだ。
「おまえが、本当の気持ちを吐き出してしまうまで、俺はおまえを放っておくつもりはない」
 ダコスタは身を振りほどこうとする少年の体を簡単に離そうとはしなかった。
「だから、何で俺があんたにそんなこと、言われなきゃならないっ!」
 イザークは苛立たしげに目を上げた。
「――どうすれば、いいというんだ。俺がこの場で泣いて自分の罪を認め、懺悔でもすれば、あんたは満足するのか?……冗談じゃない!」
 くそっと吐き捨てながら、イザークはダコスタの腕を振り払った。
 素早く背を向けると、彼は今度こそ引き止める隙を与えぬかのように、早足で戸口へと向かった。
 ダコスタは、もう追いかけようとはしなかった。
 
 

「おい、大丈夫だったのかよ、イザーク?」
 部屋に戻ると、ディアッカが待ち構えたように近づいてきた。
「なかなか戻ってこないんで、心配したぜ」
「……………」
 イザークは何も答えずに、不機嫌そうにディアッカを押しのけると、自分の簡易寝台の上に体を投げ出した。
「ちょっと、何怒ってんの?」
 ディアッカは戸惑いながら、俯けに寝転がって動かないイザークの体を心配そうに覗き込んだ。
「何かまた、やなこと言われたのかよ」
「……………」
「何だよ。何とか言えって。人がこんなに心配してやってるってのにさ!」
 無視し続けるイザークに業を煮やしたディアッカは、イザークの肩に手をかけ、答えを促すように前後に揺らした。
「……さい」
「えっ?何?」
 小さい声でぽつりと答えるイザークに、ディアッカが耳をそばだてる。
「……『うるさい』って、言ってんだよっ!馬鹿野郎っ!」
 そう怒鳴りつけながら、突然イザークは身を起こすと、ディアッカの手を乱暴にはねのけた。ぎらぎらとした目が、きょとんとするディアッカを忌々しげに睨みつける。
「なっ、何だよ。いきなりそんな言い方はねえだろ」
 さすがのディアッカも、むっとした。
「俺は、ただおまえのことが――」
「いいから、黙ってろ!俺に話しかけるなっ!」
 爆弾のような言葉を投げつけると、イザークは再びベッドの上に体を投げ出した。
 そのままぴくりとも動かないイザークに匙を投げたディアッカは、肩を竦めたきり二度とイザークに声をかけようとはしなかった。
 
                                        (to be continued...)

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