残 光 (5)










「誰だ」
『イザーク・ジュールです。こんな時間に失礼します。隊長に、折り入ってお話がありまして。――今、宜しいでしょうか』
 インターカムから聞こえてきた少年の緊張した声に、バルトフェルドは軽く眉を上げた。
 傍らでくすりとアイシャが忍び笑いを洩らすのが聞こえた。
「何だよ、一体……」
 わずらわしげに呟くと、アイシャが彼の頬を軽くつねった。
「会ってあげなさいよ。可哀想でしょ」
「……ったく……」
 アイシャに促されて、バルトフェルドは止むなく、ベッドから足を下ろした。
 たくし上げかけていたシャツを再びぐっと引き下ろすと、簡単に身繕いをした。
 アイシャも傍に脱ぎ捨ててあったパーカーを素早く被り、ベッドから下りた。
(ついに、来たか……)
 話の内容は聞かずともわかっている。
(全く困った坊やだな)
 彼は苦笑した。
 話しかけてこようとする相手を適当に流したり、無視したりしてきたが、どうあっても彼の意志は変わらないようだ。
 これ以上無視するよりも、この際はっきりさせておいた方がよいか。
 そう思うと、彼は軽く息を吸い込んだ。
 執務机の前にもたれるように立ちかかりながら、
「――いいよ。入れ」
 そう声をかけロックを解除すると、すぐにドアが音もなく開き、迷いない足取りで、当の銀色の髪の少年が入ってきた。
 赤い軍服が鮮やかなまでに目に染みる。
 銀色の輝く髪に、白皙のような艶めいた肌はもう二、三年もすればほどなく妖しげな匂いを漂わせるようになるだろう、と何となく想像できた。そしてその凛とした面の中で、強い意志の光を放ちながら、こちらを射るように見つめてくる、薄氷色の二粒の宝石のような瞳。
 バルトフェルドはハッ、と息を大きく吐き出した。
(困ったなあ……)
 苦笑が顔に滲み出た。
 こんなに綺麗な顔を前に、キツいことはあまり言いたくはないのだが。
「……何の用かな。こんな夜ふけに」
「……お時間を取らせて申し訳ありません」
 イザークはバルトフェルドの前に進み出たが、その後方に佇んでいたアイシャに気付くと僅かに頬を火照らせた。
「あ……その、今、本当に、宜しかったんでしょうか」
 顔をほんのりと色づかせたまま、伏目がちにそう付け加える。
「ああ、構わないよ。――で、用件は何だい」
 バルトフェルドは気さくに声をかけた。
「……………」
 イザークは、しかし、なかなか切り出そうとはしない。
 バルトフェルドは目を眇めてそんな相手を見た。
「今度の戦いでは、きみたちには、後方にいてもらう。悪いが、そのことなら、私の意志は変わらんよ」
「……………」
 イザークの顔が突然上がった。
 瞳が危険な光を放っていた。
「そのことなんだろう?」
 揶揄するように、バルトフェルドは言った。
「……………」
 黙って立ち続けるイザークを見て、バルトフェルドは肩を竦めた。
「どうした?急に、口が聞けなくなったのか」
 イザークの瞳は妖しいほどに、不敵な光を放ち続ける。
 到底諦めた様子には見えない。
 しばらく沈黙を保った後、ようやく少年はその口を開いた。
「……私は、戦います」
 断固とした口調だった。
「ほう……どうやら、クルーゼ隊では上官の命令は絶対ではないらしい」
 バルトフェルドは皮肉を含んだ眼差しでイザークを見た。
 少年はややたじろいだ。
「そういうわけでは――」
「宇宙(そら)ではともかく、地上では私たちに従ってもらわねば、困る。何度言っても、無駄だよ。部屋に帰りたまえ」
 そう言って背を向けようとしたバルトフェルドに対して、
「待って下さい、隊長っ!」
 イザークは、大きな声で呼びかけた。
 バルトフェルドがわずらわしそうに振り返ると、すぐ目の前に、まるで掴みかからんばかりの勢いで、イザークが接近していた。
「私はそんな答えを聞きに来たのでは、ありませんっ!」
「きみも、しつこいな。駄目なものは、駄目だ」
「『あいつ』を倒すのは、俺だ。他の誰にも討たせるわけには、いかないんだ……!」
 バルトフェルドの言葉を遮るように、いきなりそう言い放つと、イザークは相手を睨みつけた。
「俺が、『あいつ』を……っ……!」
 瞳が狂おしいまでの殺気を放っていた。
 普通の人間が見れば、その鬼気迫る顔に恐れをなして、思わず腰を引きそうになっただろう。
 しかし、バルトフェルドは身じろぎもしなかった。
「『あいつ』、ねえ……。きみが何のことを言っているのかは知らんが、きみの私闘に我々を巻き込むのはやめてもらいたいものだな」
 その目が険しくなる。
「勝手に戦って、勝手に死ぬなら、どうぞ。――と言いたいところだが、私も一応一部隊の責任者なんでね。作戦行動からはみ出すような奴を野放しにするわけにはいかないな」
 彼は少年の前へ歩を進めた。
 距離が狭まる。
 すぐ目の前まで迫ると、改めて検分するように相手を眺めた。
 砂漠の虎の鋭い瞳が、イザークの全身に矢のように突き刺さる。
 イザークはそれでも果敢にその場に踏みとどまった。
 ――何としても、退くわけにはいかなかった。
 挑戦的な眼差しが、虎の視線を押し返す。
「……どう……すれば――」
 イザークはゆっくりと、言葉を押し出した。。
「――どう、すれば……戦わせて下さるのですか」
 苦悩に押し潰されそうな、切羽詰まった声だった。
 バルトフェルドは目を眇めた。
 目を逸らそうとしない、相手の顔をしばらく見ているうちに、彼はふっと僅かにその唇の端を歪めた。
「……どうすれば、戦わせてくれるのか、だって?」
 彼はにやりと笑った。
 不意に相手の顎に手をかける。
 触れられた瞬間、ぴくん、と少年の肩が震えた。しかし、彼は身を引こうとはしなかった。掴まれた顔の表情は全く変えようともせず、相変わらず睨みつけるように、バルトフェルドを見返してくる。
「……お願い……します。戦わせて、下さい……!」
「そんなに、戦いたいのか。……全く、凄まじい執着心だな。きみを見ていると、何だか恐ろしくなるよ。一体何が、きみをそれほどまでに戦場へと駆り立てる?」
 バルトフェルドの指が、イザークの顔の傷をすっと撫でた。
「……己自身の矜持か。それとも、もっと他に理由があるのかな」
 イザークは何も答えなかった。
 傷を強く押さえられ、じくりと感じる痛みに、僅かに顔を歪める。
「まだ、痛むようだな」
 バルトフェルドは指を離した。
「さっさと消しちまえばいいものを。……そんなものに引きずられていると、いい死に方はできんぞ」
 イザークは何も答えなかった。苦々しそうに、視線を落とす。
「ふーん……まあ、いい」
 傷をなぞっていたバルトフェルドの指が、いったん離れた。
「――どうすれば、戦わせてくれるのか、と聞いたな」
 彼は値踏みするように少年の全身をじろりと眺めた。
 その一瞬の舐めるような視線に晒されて、イザークは忽ち落ち着かない気分になった。さっきまで、全くひるまずに相手に立ち向かっていけるような気でいたのに、なぜか急に目を合わせることすらできなくなっていた。
 何だか妙に全身がむず痒く感じられて、羞恥の色が頬をほんのりと赤く染める。
 恥じらうように身をすくめる少年の姿を見て、バルトフェルドは満足げに目を細めた。
(ふうん……これは、なかなか……)
 ――純情な生娘のような顔をする。
 そう思った途端に、悪戯心が生じた。
「そうだなあ。……どうしてもらおうか、な」
 そう言いながら、男のごつい手が少年の頭を髪ごと鷲掴みにしたかと思うと、そのまま自分の胸元へ引き寄せた。
 イザークは抗う暇もなく、気が付くと筋骨逞しいその年上の男の胸板に顔を押しつけられていた。
「……あ……っ……」
 突然息がかかるほど近くに迫った男の顔に、彼は驚いたように目を大きく見開いた。
「俺に抱かれてみる、か」
 いつの間にか一人称が『俺』に変わり、虎は野の獣に戻っていた。
「おまえの体を今夜一晩俺に差し出せば、考えてやってもいいぞ」
 虎は嬲るように囁いた。
「――なっ……何を……っ!……ふ、ふざけるなっ……」
 イザークは相手が上官であることも忘れて、捉えられた腕の中でもがいた。
 それをさも愉快そうに見ると、虎はさらに続けた。
「――男を知らんわけではないんだろう?……いい思いができて、しかもおまえの望みも叶う。どうだ、悪い話じゃあるまい」
 そのとき、女のはしゃいだような高笑いが聞こえた。
「いいわね。私も楽しませてよ。三人で、ね」
 アイシャの声だ。興味深い眼差しで、イザークを腕の中に囲い込む愛人の姿を眺めている。
「……………」
 イザークの抵抗が突然緩んだ。信じられぬような瞳が、戸惑いの色も露わに、目の前の男をじっと見つめる。
(本気……なのだろうか。この男(ひと)は……)
「……どうする?」
 虎の熱い息が頬を撫で、相手の舌が自分の唇をなぞってくるのがわかった。きつく抱きしめられているので、顔を逸らすことができない。舐められると、なぜかぞくぞくと全身が粟立つ感覚に捉われた。
「あ……」
 絶対に嫌だという気持ちと、その一方でどうにも抗いがたい誘惑が募っていくのがわかる。打算的な思いの他に、肉体が少しずつ相手の逞しいフェロモンに反応し始めているかのようだった。
 そんな自分の肉体がおぞましく感じられる。
 
 ――男を知らんわけではないんだろう……
 
 まだ、先程囁かれたバルトフェルドの声が、頭の中を妖しくこだましていた。
 かっと全身が熱くなる。
 そんな目で、見られていたということが、ショックだった。
 ――くそっ、こんな……。
 イザークは目を閉じた。
 これでは、まるで淫売と変わらない。
 俺は、何をしようとしている……。
(……何……を……?)
 これでは、あまりにも自分が惨めすぎる。
 そこまで自分を貶めたくはなかった。
 相手から逃れようと、首が捻じ曲がるかと思うほど、顔を横へそむけた。喘ぐように口を開く。
「……お、俺は……っ……」
 湿った唇が震えた。
「……でっ、でき……ません……」
 弱々しい拒絶の言葉をようやくのことで吐き出すと、がっくりと全身の力が抜け落ちてしまいそうだった。
「……いや……だ……っ……」
 固く目を瞑ったまま、子供がいやいやをするように頭を振る。
「……は……な……し……て……っ……」
 漠然とした恐怖感に包まれて、イザークはただ拒んだ。
 ――俺は、こんなことしにきたんじゃないっ。
 男を知った自分の体。
 そうだ。俺は、知っているのだ。あの感覚を。
 酷く貫かれたときのあの痛みも。
 優しくされたときのとろけるようなあの陶酔感も。
 まだこの体は、忘れてはいない。
 ……そして、優しく俺を抱いてくれたあいつは、もう、この世にはいない。
 そう思ったとき、急に涙がこぼれそうになった。
 彼は必死でそれを堪えた。
「――ふ……」
 不意に、締めつける腕の力が緩んだ。
 イザークは目を開くと、突然自分を解放した男を茫然と見つめた。
 虎は、笑っていた。
 最初はくつくつと咳き込むように体を小刻みに揺らしながら、次第に笑い声は大きくなり、ついには彼は腹を抱えて笑い始めた。
「……なっ、何が……何が、おかしいんだ……っ!」
 イザークは傷ついた表情で、笑いやめない相手を責めるように見た。
「……い、いや、これは失礼。けど、きみがあんまり素直な反応をするものだからねえ」
 笑う男からは、先程までの危険で怪しい雰囲気はもはや微塵も感じられなくなっていた。
「脅かして悪かった。さっきのはただの冗談として、忘れてくれ」
 バルトフェルドはようやく笑うのをやめた。
「……もう、話は終わったな。さあ、部屋へ帰りたまえ」
 そう言うと、もう用はないとばかりにイザークに背を向ける。
 その場に立ち竦んだまま、イザークはしばらく動けなかった。
(……く……そ……っ……!)
 恐怖とパニックがひとしきり過ぎ去った今、何となくこの男にしてやられた、という後味の悪さだけが残った。
 このままおめおめと引き下がれるか、と拳を握りしめる。
 少しでも弱気になった自分が情けなく思われた。
「どうした。早く行け」
 イザークが動く気配を見せないことを感じ取って、バルトフェルドは振り返らないまま、やや強い口調で促した。
「……いつまでそこにいても、無駄だ。俺は考えを変えるつもりはない、と言っているだろう。――同じことを何度も言わせるな」
 最後の一言からは、どことなく脅しをきかせたような響きが感じ取れた。
「……おい、聞こえなかったのか?」
 いい加減にしろ、と言いながら振り返りかけたバルトフェルドの背に、柔らかな体が触れた。触れながら、手のひらが首から喉を撫でた。
「――何の、真似だ」
「……あんたに、抱かれたら……考え直してもらえるのか」
「おいおい……だから、冗談だったと言ったろう!」
 虎の口調はどことなく苛立っていた。
 彼は喉にかかった少年の指を振り払った。
「大体、さっきまで『できません』と半泣きになってた坊やが今さら何言ってるんだ?」
 皮肉っぽい瞳がイザークを射る。
「やめておけ。馬鹿なことを考えるな。さっさと部屋へ帰れよ」
「嫌だ」
 イザークは頑なに拒んだ。
 青ざめた表情で、それでも果敢に男を見つめ返す。
「……帰らない」
「強情な奴だな」
 バルトフェルドは、はあっと大きく息を吐いた。
「いいじゃない。抱いてあげたら?」
 不意にアイシャの甘ったるい声が、すぐ近くから割り込んできた。
 いつの間にか、背後に回り込んでいたすらりとした背の高い姿に、イザークは息を飲んだ。香水の強い香りがする。しなやかな腕を伸ばし、銀色の髪に、白く長い指を巻きつけてくる。
「私は、一緒に寝てみたいな。あなたと」
「アイシャ!余計なことを――」
 バルトフェルドが舌打ちする。
 アイシャは天使のような微笑を浮かべると、イザークの顔を覗き込んだ。
「ね。天国へ連れていってあげるわよ、坊や」
 突然差し出されたその湿った指先が、驚く彼の鼻孔に何かを素早く塗り込むと、そのきつい刺激と異臭に彼は一瞬で気を失いかけた。
「……ふ……あっ……」
 声にならない声が喉から洩れた。
 痙攣するように、体が異様にぶるぶると震える。
(な……に……?)
 おかしい。地を踏みしめる感覚がなくなっていく。体が自分のものではないような気がする。悪い気持ちではない。だが……。
 急に、どうしたんだろう。
 思考能力がうまく働かない。
(俺は、何をしようとしていたんだっけ……)
 突然記憶が全て吹っ飛んだかのようだ。
 自分に口づけているこの女は、誰だ。
 いや、女なのか。それとも……。男か。誰だ。俺に触れようとしているのは。なぜ、こんなにいちいち体が敏感に反応するのか。
 わからない。
 急に意識がはっきりしなくなった。
「あ……あ……?」
 自分の唇から発しているのに、自分の声ではないかのように響く。
 もがくように伸ばす両手はすぐに差し戻された。
 怖くなってじたばたと身じろぎする体を押さえつけるように、今度は全身を誰かの腕の中にすっぽりと抱え込まれた。
「仕方ないな……」
 誰が自分の体に触れているのかさえわからぬまま、ふわりと体が持ち上げられる。
「いい子。大丈夫よ。すぐにいい気持ちになれるから」
 そんな風に囁かれながら、衣服を脱がされていくのが、何となくわかったが、手足すら己の意志で動かすことはもはやできそうになかった。
 
                                        (to be continued...)

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