残 光 (6)










 ビーッ、ビーッとインターカムが鳴る。
(何だ、こんな夜更けに……)
 うとうとと眠りかけていたところを起こされて、ダコスタはむっとしながらも、何とか重い体を起こした。
 非常事態の呼び出しなら、まだしも……。間近に戦闘を控えているときであるため、少しでも睡眠は取っておきたい。敵状視察に始まって作戦データ処理や戦闘配置の指示など細かな作業にも従事し、毎日神経をぴりぴりと張りつめていることが多いせいか、横になってもなかなか眠れない。そんな中でようやく寝ついたところをこんな風に起こされると、本当に腹立たしかった。
(くそっ、誰だよ!)
 忌々しく舌打ちしながら、ベッドの上でのろのろしている間に、いつまでたっても反応がないことに痺れを切らしたのか、ほどなく扉を叩きつけてくる振動音が微かに響く。余程力を入れなければこんな音は聞こえてこない。
(おいおい、やめてくれよ……一体何があったんだ?)
 ダコスタはようやくベッドから足を下ろすと、何とかズボンだけはいて扉口へ向かった。
 ――なぜ少しの間が待てないのか。常識的に考えても、こんな真夜中にすぐに扉を開けろと言っても時間がかかるのは当然だろう。誰もが徹夜しているわけではないのだ。それに扉を拳で叩くなどという原始的なことをするな、と言いたかった。
 この駐屯部隊では、荒っぽい下の連中が喧嘩騒ぎを起こしては夜中にダコスタに仲裁を求めてくるようなことも珍しくはなかった。
 今もそのような類かなと思いながら、不機嫌な顔も露わにダコスタは扉を開けた。
 電子錠が解除され扉が開くやいなや、思いがけぬ人物の姿をそこに認めると、彼はそれまでの怒りも忘れ、しばし茫然と相手の顔に見入った。
「……おまえ――?」
 どうしたんだ、と言う前に、金髪の頭がダコスタの前にぬっと顔を近づけてきた。僅かに青ざめたその深刻な面持ちを見て、ダコスタは思わず口を噤んだ。
「――イザークが、帰ってこない……」
「……何だって?」
 相手の口からその名が出た途端、ダコスタは過敏に反応した。
 イザーク・ジュールが?……何?
「俺が寝る前は、コンピュータ叩いてたんだけど。……今目が覚めたら、いないんだ……どこにも」
 ディアッカ・エルスマンは助けを求めるように、ダコスタを見た。
「あんた、知らないか?」
「……どこにも……って……」
 そんな馬鹿なこと、とダコスタは怪訝そうに首を傾げた。
「コモン・ルームとか。シャワー室とか……外は?よく探したのか?」
「ああ、外も行ってみたけどさ。やっぱ、見つかんねーんだよ。っつうか、このくそ寒い夜中に誰が外なんか出ると思う?街中とかならともかく、こんな砂漠のど真ん中でさ」
 ディアッカは口を尖らせた。が、すぐにその顔が不安げな表情に戻る。
「だから、あとは……さ。例えばその……誰かの部屋に連れ込まれた――とか……」
 そのあり得ぬようでいて、微妙にあり得るかのような憶測に、ダコスタはぎょっとした。
「おっ、おいおい!そんな怖ろしいこと言うなよ……」
 今のような時刻に部屋に連れ込まれたとなると、非常に嫌な想像を巡らせざるを得ない。
 普通なら一笑に付したいところだが、あのイザークの綺麗な顔を思い浮かべると生々しいほどのリアリティを感じて、冗談で終わらせることもできない気がした。
「でもさ、他に考えられないわけ。あいつ、あーいう性格だからさ、いろいろと恨み買いやすいだろ。例のあの、あいつがぼこぼこにしちまった奴の仲間が仕返しをしようとして、とか……そういうことだって、あり得るんじゃないの?」
「うーん。まあ、そうだな……」
 ダコスタは唸った。
 この地上部隊の連中はただでさえ荒っぽい輩ばかりだ。しかも……女に飢えている。そう思って彼は苦笑いした。イザークは女ではないが、その美しい顔立ちや肌の白さなど、微妙に男を欲情させるような素地を持っているように思える。そういう意味では、確かに自分自身もいつかイザークに気を付けろ、などと軽口を叩いたりもしたのだが。
「なあ?俺、マジに心配してんだよ。だからあんたに、何とか探して欲しいと思って……」
 ディアッカの声には、焦りが滲んでいた。
「あいつ、あんなに偉そうで口も悪いけど、ほんとは弱い奴なんだよ。よってたかって集団レイプなんかされちまったら――」
「ばっ、馬鹿なこと言うな、おいっ!」
 ダコスタは思わず声を高めた。
 が、そう言いながらも、胸の中は荒々しく波立ち始めていた。
 今日のイザークとのやり取りを思い出すと、じくりと罪悪感さえ覚えた。少し厳しいことを言い過ぎたかな、と彼の顔を思い返して後で少し後悔したのも事実だ。あのような精神状態では、確かに何か起こったら簡単に折れてしまいそうだ。
(それにしても、どこへ……)
 片っ端から士官の部屋を当たってみるか。しかしあまり悠長なこともしていられない。
 それとも……。
 不意に頭を掠めたその新たな可能性に、ダコスタははっと目を見開いた。
(まさか……)
 想像が、急に生々しい現実味を帯び始める。
 そんなダコスタの様子をディアッカの目が鋭く捉える。
「どうしたんだよ。何か思い当たることでもあったのか?」
「ん……まあ、な。――取り敢えず、俺が何とかする。おまえは部屋に戻ってろ」
 ディアッカに対するダコスタの答えは、どことなく歯切れが悪かった。
 ディアッカの顔に忽ち不満の色がよぎる。
「ちょっと待てよ。わかってんなら俺も一緒に――」
「いいから、おまえは部屋で待っていろ!」
 ダコスタは語気も荒く、遮った。
 二人も厄介なガキの面倒を見ていられるか!と怒鳴りつけたい気分だった。
 彼は相手に言い返す暇も与えず、強引にその体を外へと押し出した。
「……っ、何だよ。くそっ……!」
 ディアッカはぼやきながらも、ダコスタの厳しい顔を前にすると、その迫力に圧されてなぜかそれ以上反論することができなかった。
「早く行け!」
 威嚇するような声の響きに、もはや逆らうことはできないと彼は観念したようだった。
「……わかったよっ!」
 悔しげな顔を相手に向けながら、渋々と了承した。
「けど、見つかったら、すぐ連絡くれよ。三十分経っても何もなかったら、マジにこの艦ん中を大声出して歩き回ってやるからなっ!」
「ああ、わかった、わかった」
 何とかディアッカが離れて歩き出すとその背中を見送りながら、ダコスタは疲れたようにはあ、と溜め息を吐き出した。
 全く……と内心苦笑する。
 ――こんなのばかりだ。
(どいつもこいつも……)
 ここのところ、こんな風にガキのお守りばかりさせられているような気がする。
 本当はそんなことをしている場合でもないのだが。
 だが……。
 彼の脳裏にふと別の面影が浮かび上がる。
 今から押しかけていこうとしている当の相手の顔が。
(そもそも、あの人だって、大きなガキのようなモンだからな……)
 ――もっとも、本人にはその自覚はないだろうが。
 だからいつも、自分ばかりがこんなに余計なことに気を遣わなければならなくなるのだ。
 しかし、今はそんな自分の面倒よりも、もっと別のことが気にかかる。
(あいつ……イザークが……)
 そう思った瞬間に、もうざわざわと揺れる胸の漣を止めることができなくなってしまうのだ。
 どうも、自分はおかしくなってしまったらしい。
 放っておいたって、どうってことはない筈なのに。
 どうしても、自分から関わっていこうとしてしまう。
 ――やはり、放っておけない。
 さざめく心の奥から、早く何とかしろと急き立てる声がする。
 自分らしくないな、と思うがどうしようもない。
 そのままディアッカが、廊下の向こうへ姿を消すのを見届けてから、彼は急いで部屋の中へ戻った。
 ――三十分、か。まあ、大丈夫だろう。
 電話を取ると、躊躇いなく固定の数字を押す。
 何度も繰り返す電子音を聞いているのがもどかしかった。よほど電話を下ろして、すぐに駆けて行こうかと思ったところで、そんな自分にふとおかしさが込み上げた。
(――俺は、何をしてるんだ……?)
 ……今の自分は、まるで先程までのディアッカ・エルスマンと同じような心境に陥っているのではないか、と。
 そんな自分自身に呆れ返っていたとき、電話が通じた。
「……何?」
 囁くようなその聞き慣れた声が、いきなり鼓膜を打った。痺れるような疼きを感じる、とろけるような甘い声音だった。
「……そこに、彼はいますか?」
 ダコスタが、機械的に問いかけると、電話の向こうの声はふっと小さな息を洩らした。くすり、と笑ったようにも聞こえた。
「何のことかしら?」
「とぼけないで下さい。イザーク・ジュールですよ。そこにいるんでしょう?」
 またくすくすと笑うその淫靡な吐息が耳をくすぐる。
「知らないわよ。そんな名前の人」
 そのとき、後ろの方からほんの僅かな喘ぎ声が聞こえたような気がした。
 バルトフェルドがあんな声を出すはずがない。
 絶対に嘘だと確信した。
「でもそこに誰かいるでしょう。隊長とあなた以外の誰かが」
 隊長とあなた以外、と言うときに思わず声が強くなるのを抑えられなかった。
「随分耳がいいのね。……子猫の鳴き声でも聞こえた?」
 からかうような物言いに、ダコスタは全身の体温が次第に上昇していくのを感じた。
(この女……っ……!)
 やっぱり、イザークはそこにいるのだ。
「隊長を出して下さい。隊長に直接聞いてみますから」
「アンディは、今だめ。よく眠ってるから」
 笑いを含んだ声が、ダコスタの要求をさらりと拒んだ。
 それも嘘だということがわかった。それではさっきから電話の向こうで聞こえるシーツの擦れる妙な音は何なんだ。
 だんだん苛立ちが募る。――何をしているんだ。この人たちは!
(イザークに、何を……!)
 もはや彼がそこにいるのだという奇妙なほどの確信が胸に満ちた。
「起こせばいいでしょう。人が一人艦内で行方不明になってるんですよ」
 ダコスタは冷たく言い返した。
「……イザーク・ジュールが部屋からいなくなったと言って片割れが騒いでいますので。とにかく、今からそちらへ伺います」
「ちょっと、ダコスタくん。今何時だと思ってるの?正気?」
 相手が何か言うのを無視して、
「私が行ったら、ちゃんと扉を開けて下さいよ。でないと、艦内に非常事態のブザーを鳴らしますからね!」
 そう言い捨てるなり、受話器を叩きつけるように置くと、彼は上着を引っかけ、自室を出た。
 
 
 
「……ですって。どうする、アンディ?」
 アイシャは一方的に切られた受話器を置くと、のけぞるように頭を背後に向けて声をかけた。
「もう、ダコスタくんったら。何怒ってんのかしらねえ」
「……ん?……ダコスタが、何だって……?」
 ようやくバルトフェルドはむっくりと身を起こすと、のんびりとした調子で聞き返した。
「だから、今から来る、って」
 アイシャは苦笑混じりにそう答えた。
「坊やを探してるのよ」
「……ええ、何だって?」
 バルトフェルドは今度は本当に驚いたように、声を上げた。ベッドの縁に座って足をぶらつかせていたアイシャの背に擦り寄ってくる。
 彼は愛人の肩を掴んだ。
「おいおい、本当かよ」
「何だか、もう一人の坊やが騒いでるらしいわよ」
「だからって、何であいつがここへ来るんだ?」
「素行の悪い上司を持つとね、すぐにぴん、と勘が働くわけよ。マジメな副官としては。ダコスタくんだもの」
 そう言うと、アイシャはバルトフェルドの胸に凭れかかった。こんなときでも、体が自然に相手に愛撫をねだっている。
 バルトフェルドは片手を彼女のくびれの良い腰に巻きつけながらも、それにしても困ったな、と空いた手で頭を掻いた。
「私を途中で放り出した罰よ」
 アイシャは甘えた声で恨み言めいた台詞を吐いた。
「すっかり坊やに夢中になっちゃって――」
 片手を上げて男の頬を軽くつねる。
「……そう言うなよ。まだ何もしてないじゃないか」
 バルトフェルドは苦笑した。頬を捻る白く細い指を掴むと、慰撫するようにくちづける。
 実際に、自分は少年には何もしていない。
 ちらと肩越しに視線を投げる。
 その背後……ベッドの上で失神したままの半裸の少年の姿に。
 アイシャから薬を嗅がされた後、イザークの意識は忽ち朦朧となった。足元をふらつかせた彼の体を受け止めると、そのまま抱き上げベッドへ運んだ。
 アイシャが、その鮮やかな赤い軍服を脱がせていく様子を眺めていると、次第に体の奥がむず痒くなってくるような、奇妙な疼きを覚えた。徐々に露わになるその若々しさに溢れた、白く美しい肌を目の前にして、自分が思った以上に興奮していることがわかった。
 そう自覚した途端に我慢できなくなり、彼はアイシャを押しのけるようにして少年の体に覆いかぶさっていた。
 ぼんやりとした相手の目が忽ち自分を認めて、はっと息を飲む音がした。
「や……っ……」
 その目の中に漠然とした恐怖の色が現れ、のしかかってくる相手を反射的に押しのけようともがいた。
 バルトフェルドはそれを容赦なく押さえ込んだ。
 意識は既に飛んでいた。
 もはや自分が誰に何をしようとしているのか、その立場や状況など、全てどうでもよくなっていた。
 まるで野生の虎の本能そのもののように、舌なめずりをしながら彼は目の前のうまそうな獲物に食いつこうとしていた。
 肩口にかぶりつくと、少年はあっ、と小さな悲鳴を上げた。
 歯を立てた瞬間、勢いがついて本当に肌を裂いてしまった。
 口の中に微かに混じる血の味に、酔った。
「……や……だ……っ……!」
 なおも抗う相手を抱きしめながら、虎は血のついた唇で首筋から耳元を撫で上げた。
(……戦いたいのだろう)
(……戦わせてやる)
 そんな囁きを麻薬のように耳元に吹き込む。
(……だから……)
(……その代わりに……)
 相手の体が慄くように震えた。
「……う……」
 泣きそうな瞳が、突然瞼を閉ざす。
 体がぴくん、と軽く痙攣する。
「………………?」
 バルトフェルドは眉をひそめた。
 相手の体の異常に気付いたのだ。
 びく、びくっと何度も奇妙な痙攣を繰り返しながら、少年の体はやがて彼の腕の中にぐったりと沈んだ。失神したのだ。
(薬……か?)
 バルトフェルドは舌打ちをした。
 興奮の潮が少しずつ引いていく。
 ――アイシャが嗅がせた例の媚薬が免疫のない少年の体には少々強すぎたのかもしれない。
 そんな彼の体を名残り惜しげに眺めながら、彼はなおもその白い肌に手を触れ続けた。
 いったん引いていった激しい興奮の波も、指が触れるその柔らかで弾力のあるみずみずしい手ごたえに、再びじくじくと体の芯を疼かせるようだった。
 そんな刺戟を繰り返し感じながら、さてどうしたものかと考えていたところだった。
 いつのまにか、傍にいる愛人のことなどすっかり頭の中から消えていた。まだ具体的に何もしていないとはいえ、その間ずっと放置されていたアイシャが恨みを募らせていたのも無理はない。
「同じよ。侮辱だわ」
 そう言うとアイシャは、多少芝居がかった素振りで睨んでみせた。
「たっぷりお返ししてもらうわよ」
「ああー、わかってるよ。わかってるから……さ。ご機嫌直してくれないかな」
 バルトフェルドの手が腰から滑らかな肌を撫で上げながら、アイシャのふくよかな乳房を掴む。
 バルトフェルドの指先の動きに合わせて、アイシャの唇から、ふ……と艶めかしい吐息が零れた。
 ――そのとき、突然インターカムが鳴った。
 ちっ、とバルトフェルドは舌打ちした。
「アンディ」
 出なくていいわよ、と立ち上がりかけた腕を引くアイシャを、バルトフェルドは軽くいなした。
「仕方ないだろう。出ないとダコスタの奴、一晩中インターカム鳴らし続けるぞ」
 アイシャは気だるげな様子で、嫌々手を離した。
「……そうね。さっきは非常警報鳴らすって言ってたわ」
「ほら見ろ。あいつなら、やりかねん」
 バルトフェルドは笑いながらアイシャの体を放すと、ベッドから降り立った。
 ガウンを引っ掛けると、机の上の受話スイッチを押す。 
「誰だ?」
 相手が誰かわかっていながら、わざとそんな風にゆっくりと問い返すとそこから聞こえてきたのは案の定、彼のよく知る声だった。
『……ダコスタです。隊長』
 声のトーンを潜めながらも、どこか気忙しげな返答が返ってくる。
「何の用だ?」
『……ここを開けて下さい。緊急の用件ですので』
 とぼけた口調のバルトフェルドに対して、相手はあくまで普段通りの事務的な調子を崩さない。そのあまりの真剣さにおかしくなったのか、バルトフェルドは思わず表情を緩めた。
「イザーク・ジュールを探しに来たんだって?」
『そこに、いるんでしょう』
 淡々とした声が、迫る。
『開けて、下さい』
「……うーん。……と言われてもなあ……」
 バルトフェルドは後ろをちらと見た。
 アイシャがガウンを羽織り、立ち上がるところだった。
 彼女はサイドテーブルの端に置かれてあったポーチから煙草を取り出すと、火をつけた。それを見たバルトフェルドが露骨に眉を顰めるのも、まるで素知らぬ顔で煙を吐き出す。
 しまいに彼女はベッドの上に屈み込むと、目を閉じて横たわる少年の鼻元に唇を近づけ、軽く煙を吹きかけた。
 忽ちそのきつい刺激に反応し、イザークは咳き込みながら、ぼんやりと瞳を開けた。
 まだ焦点の定まらぬげな瞳が、驚いたように見つめ返すのを、アイシャは笑いながら眺めていた。
『とにかく、開けて下さい。さもないと――』
 声に僅かな苛立ちと脅しめいた響きが混じっている。
 沈黙に焦れた相手の様子が容易に窺えた。
(……ったく……)
 バルトフェルドは、遂に観念した。
「――わかった、よ。今、開ける」
 電子ロックが外れて扉が開くなり、強張った顔の部下がつかつかと入ってきた。
 ベッドの上に目を留めると、忽ちその目元が険しくなる。
「隊長……っ……」
 バルトフェルドをきつく睨みつけた。
「そんな顔するなよ、ダコスタ。まだ何もしてないって」
 苦笑しながら、バルトフェルドは先程アイシャに言ったのと同じ台詞を繰り返した。
「当たり前ですよっ!」
 ダコスタはそう返すと、ベッドの方へ近づいた。
 イザークの上に屈み込んでいたアイシャは、近づいてきた気配に、物憂げな顔を上げた。
 ダコスタと目が合うと、ふ、と口元を歪める。
「どうぞ」
 ダコスタが口を開く前に、アイシャはそう言うと、音もなく身を引いた。
「……おい」
 ダコスタはベッドの上に横たわる少年を、上からじろりと見下ろした。
 制服を肌蹴られた上半身から露出する白い肌。虚ろな瞳に、半開きの唇の隙間から覗く濡れた赤い舌がやけに艶めかしく見えて、一瞬どきりとする。
「起きろ。この馬鹿!」
 彼は興奮する自分自身を抑えるため、ことさら冷やかな口調を意識した。
 とろんとした瞳が、茫然とこちらを見つめ続ける。
 反応が鈍いとわかると、彼は身を屈めイザークの顎に手をかけた。
 いきなり、空いた手のひらでその頬をぱんと張る。
 右、左と続けて二回。頬を打ちつける鋭い音が空気を震わせた。
「………………っ……!」
 はっ、と大きく見開かれたイザークの青い瞳が、初めて気付いたようにダコスタに焦点を合わせた。
「……あ……っ――!」
 戸惑いながら、逃げるように視線を落とした。
 そんな風に怯える白い面を、ダコスタはぐい、と強く上向かせた。
「おまえは、何をしている?」
 ダコスタの口調は厳しかった。
「――何を、しているんだ?」
 軽蔑を含んだ語感が、胸の奥にいったん影を潜めていたプライドと羞恥心を一瞬にして甦らせた。
 
(――おまえは、ここで、今、何を、して、いる……?)
 
 相手の言わんとしていることは、痛いほどわかる。
 わかりすぎているから――
 彼には、それに答えるすべがなかった。
(俺は、何をしようとしていたのか……)
 
(俺に、抱かれてみるか……)
 甘い囁きに、心が傾ぐ。
(おまえの、望みを叶えてやる……)
 
 俺の、望み。それは……。
 たったひとつしか、ない。
 そして、俺はそのためなら、何だってする……。
どんなことでも、やってみせる。
 
 頭の奥がぐるぐると回るようだった。
 少年は混乱していた。
(俺は、どうかしている……)
 ――でも……。
「自分の部屋に、帰るんだ」
 顎にかけられていたダコスタの指が不意に離れ、今度はイザークの肩を促すように強く揺すった。
「――ほら。さっさと、起きろ!」
 明瞭な声が、混乱する頭の中に不思議なほどのリアリティをもって、響いた。
 イザークの意識は再び現実に返った。
 自分が何のために、ここにいるのか。何をしようとしているのかが、はっきりとわかった。すると、急にダコスタの存在が、疎ましくなった。
(何で……邪魔をする……)
 イザークは唇を噛んだ。
 彼は指し伸ばされた相手の手から、すげなく顔を背けた。
「――嫌、だ」
 ほんのりと頬を紅潮させたまま、彼はそれを拒んだ。
「俺は、ここにいる。まだ、隊長との用を済ませていない」
「……イザークっ!」
「あんたの指図は受けない!」
 言い放つイザークの腕をダコスタは突然強く掴み上げた。
 そのまま乱暴に引き起こすと、イザークは痛そうに顔をしかめながら、抗議の声を上げた。
「……つっ……!……やめろ……っ!」
 振り放そうと暴れる体ごと、ベッドの外へ引きずり落とした。
 派手な音を立ててベッドから床へ転がり落ちた少年は、引きつるような唸り声を上げた。全身を打ちつける痛みと理不尽な扱いを受けたことによる怒りで、顔が真っ赤になっている。
「……このっ……!」
 興奮しながら勢いをつけて組みついてくる相手の体重を受け、ダコスタは一瞬足元を崩した。
 危ない、と思ったとき、不意に胸が軽くなった。
 イザークの体がダコスタから引き離される。
 バルトフェルドが後ろからイザークを捉えたのだ。
振り返るなり有無を言わさぬ強い力で、荒々しく引き寄せられ、彼は全身をばたつかせた。
「……なっ、何する――」
 声は、突然途切れた。
 腹を拳が打ちつけた一瞬の衝撃に息が止まる。
 がくっと頭を垂れ、バルトフェルドの腕の中で力を失った彼の体はあえなく沈んでいった。
「隊長……」
 ダコスタが驚いたように、気を失ったイザークを抱えるバルトフェルドを見つめる。
「……ほら。後はおまえが何とかしろ」
 バルトフェルドはそう言うと、腕の中の少年をダコスタに押しつけた。
「俺はもう、面倒はたくさんだからな」
 素っ気なく言うなり、彼は出て行けと手を振った。
 くすくすという笑い声が耳を掠める。
 今のダコスタには耳障りな笑い声だった。
(アイシャ……)
 自分の心を見透かすかのような視線に目を合わせるのが何となく怖くもあり、彼はアイシャの存在を敢えて無視するかのように、顔をそむけつつ、担ぎ上げようとしている目の前の少年にのみ、意識を集中した。
「失礼しました。それでは……」
 バルトフェルドに軽く頭を下げ、何事もなかったかのようにイザークを連れて出て行くダコスタの所作はいかにも事務的で、まさしく完璧な部下の役割を演じきっているように見えた。
 苦笑しながらそれをひそかに見送った後、バルトフェルドは軽く溜め息を吐いた。
「……やれやれ。あのダコスタが、ねえ……」
 不思議な光景を見たような気がした。
 あんな風に彼が自分に何かを要求するところを初めて見た。
 まるで、奪われた大切なものを取り返そうとするかのように。
 脅しの響きさえ込めて……。
 バルトフェルドは不思議な感覚に陥った。
「あいつが、あんな風に……。意外だな……」
 イザークのことがそんなに気になるか……。
一体どうしたというのだろう。いつのまに、あんな風に……。
「アンディが知らなかっただけでしょ」
 アイシャが突然、そう言った。
 その声はあまりに淡々としていて、いつもの彼女ではないかのようだった。
「おいおい……」
 バルトフェルドは戸惑いながら、愛人を見る。
 不思議な微笑だった。
 氷で心臓を撫でられたような、奇妙な悪寒が走り抜けた。
 急に、わからなくなった。
(――知らなかった、だけ……だと?)
 一体、何を……?
 自分だけ、輪の外に弾き出されているかのような気分になり、落ち着かなくなった。
 この女は、何を知った風な顔をしているのだろう。
「……俺が、何を知らなかったって言うんだ」
 戸惑いを隠せぬ、頼りなげなバルトフェルドの顔を見て、アイシャは声もなく笑った。
「――さあ、何かしらね……」
 焦らすように、それ以上何も言おうとはしない愛人に、バルトフェルドはただ苛立たしげな目を向けるのだった。
 
                                        (to be continued...)

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