業 火 (2)
「・・・イザークッ!!大丈夫ですか?!・・・返事をして下さい、イザークッ・・・!!」
『・・・い・・・たい・・・い・・・た・・・い・・・っ・・・・!!』
ニコルは開いた通信回線から洩れてくるそのただならぬ呻き声に身を強張らせた。
(イザー・・・ク・・・?)
ニコルは慄いた。
さっきの、あのストライクの動き・・・。
あれは何だったのだろうか・・・。
動きが突然変わったかのように見えた・・・それに驚く間もなく――
自分が弾き飛ばされた、あの直後・・・
あの一瞬の間隙。
死角から猛烈な速度で突撃してきたデュエル機。
あのとき・・・イザークは、敵機を確実に捕捉した筈だ。
その狙いが外れることがあろうとは・・・本人自身、予想だにしていなかっただろう。
なのに・・・。
あの凄まじく速い反応速度。
機体の動きが完全に見えなかった。
いともたやすくデュエルは刃を交わされ、逆に被弾した。
・・・恐ろしいパイロットだ。
とても、ナチュラルに・・・いや、コーディネイターであったとしてもそうやすやすとできる芸当であったとは思えない。
一体、どんなパイロットが、あの中に乗っているのだろう・・・。
余程、熟練した・・・いや、というより人間の域を超えるような・・・そんな特殊な能力を持った者であるのか・・・?
そんな凄いパイロットが連合軍にいる・・・?
ニコルは微かに震えた。
自分とて、ストライクに蹴り上げられたあの瞬間、凄まじい衝撃を受けながら、よもやという漠然とした恐怖に捉えられた。
軍人になった以上、覚悟はしていた筈なのに・・・それでも、戦慄で全身が震えた。
そして、今・・・あのイザークが、こんな風になって・・・。
イザークは、無事なのか・・・?
心臓が早鐘のように強く激しく打ちつける。
何という声か・・・。
ニコルはぞっとした。
いつものイザークからは、到底想像もできない。
断末魔の上げる悲鳴にも似た・・・
あまりにも人間離れした獣のような呻き声・・・。
これは――
ただごとではない。
ニコルは焦った。
(イザーク・・・いったい、何が・・・?!)
しかし、悠長に考えているだけの余裕はない。
「・・・ディアッカ?!・・・ディアッカっ・・・!!」
バスタ−に向かって叫ぶ。
『どうした、ニコル?!』
その差し迫った調子に、驚いたようなディアッカの声が返ってきた。
「・・・イザークが・・・!!」
ニコルの声は半分上ずっていた。
いつもの彼らしくない。
と・・・。
『・・・たい・・・い・・・たい・・・いたい・・・痛い・・・痛い・・・痛い・・・・・・・!!!』
ディアッカの耳にもその尋常ならざる悲鳴が飛び込んできた。
「・・・イザーク・・・?!」
彼は呆然と呟いた。
――何が・・・どうなっている・・・?
『ディアッカ、引き上げです!敵艦隊が来る!!』
ニコルの声に急き立てられるように、ディアッカはただ必死で機体の向きを変えた。
・・・ブリッツに運ばれて帰還したデュエルのコクピットからは、既に何の反応もなくなっていた。
後から着艦したバスターのコクピットから飛び出したディアッカは、息をつく間もなく、沈黙しているデュエルの方へ駆け寄った。
リフトに飛び乗り、コクピットの前まで行くと、
「イザーク!!イザーク!!・・・ここを開けろ!!」
初めはコクピットの装甲を拳で打ちつけて呼びかけたが、返事がないとわかると、外からロックを解除して強制的に扉を開けた。
傷ついたコクピットの扉がゆっくりと開くと、中からがっくりと頭を垂れたイザークの姿が現れた。
「イザーク!!」
ディアッカはコクピットの中へ足を入れ、イザークの体に触れた。
そのぬくもりを確認して、ホッと息を吐く。
――生きている・・・。
しかし、その顔を持ち上げた瞬間、ディアッカは絶句した。
バイザーが砕け、その破片が突き刺さった顔面全体が、噴き出る血で無惨にも真っ赤に染め上げられている。
ひどい出血だ。
「・・・イザークッ・・・しっかりしろ!!」
ディアッカはイザークの体からシートベルトをはずし、軽く揺すった。
う・・・ん・・・と、力なく呻く声が僅かにその喉から洩れる。
しかし、イザークの意識は混迷したままだった。
「・・・くそっ・・・!!・・・救護班を呼べ!!担架を早くっ・・・!!」
ディアッカは苛立ちと不安を隠せぬまま、外へ向かって大声で怒鳴った。
(・・・痛い・・・)
目を開けようとした瞬間、忽ち鈍い痛みを感じ、イザークは呻いた。
しかしその呻き声すら、喉下で引っかかる。
それでもようやく左目だけは開くことができた。
額から顔の右半分いっぱいに包帯が巻かれていて、ほんの僅かでも動かすと忽ち凄まじい痛みが襲う。
強い消毒薬の匂いにむせ返りそうだった。
・・・扉の開く音が聞こえた。
足音が近づいてくると、すぐ傍で驚いたように止まった。
「・・・イザーク・・・?」
聞き慣れた声。
イザークはその声の方向へ、僅かに視線を上げた。
見えにくい、ぼんやりとした視界の片隅に、ディアッカ・エルスマンの戸惑ったような姿がちらりと見えた。
「・・・ディア・・・ッカ・・・」
そう呟くように口から出た声は、あまりにも弱々しく掠れていてとても自分の声とは思えなかった。
――俺・・・
イザークはそっと息を吐き出した。
そして、また静かに息を吸い込む。
――生きてる・・・んだ・・・な・・・?
「・・・大丈夫。まだおまえ、くたばってねーよ」
まるでイザークの思いが聞こえたかのように、ディアッカがすかさずそう声をかけた。
(生きてる・・・?)
イザークは苦い思いを噛みしめた。
それが、何だというのか・・・。
顔をしかめた瞬間、鋭い痛みが突き抜けていく。
イザークは、改めて自分の敗北を実感せずにはいられなかった。
「・・・目はやられてねーってよ。取り敢えず包帯が巻いてあるから、片目しか使えなくて不自由だろうが、しばらくは我慢だな」
ディアッカが慰めるように言う。
しかし、イザークの青ざめた表情は全く変わらなかった。
・・・記憶が甦ってくるにつれ、彼の心はだんだん重さを増していった。
ストライクとの戦闘の場面。
見事に相手にしてやられた。
この、イザーク・ジュールが・・・。
ザフトの赤を着ているこの俺が・・・あんなにも、たやすく矛先を交わされるなど・・・。
今思い返しても、まだ悪い夢を見ているかのようだ。
・・・そもそも、ヴェサリウスが戻ってくる前に・・・すなわちアスランのいない間に、『足つき』を沈めてしまおうと言い出したのは自分だった。
自信はあった。
勝つ成算は充分ある・・・そう思った上での計画だった。
そして実を言うと、彼の目的は『足つき』以外にもう一つあった。
――『ストライク』を落とすこと・・・。
アスランのいない間に・・・あの忌々しい白い悪魔を何としても己の手で・・・。
今度こそ、ミゲルの敵を取ってやる・・・。
そう、固く決意していたのだった。
それが、どうだ。
まさか、こんな・・・
こんな最悪の結末を迎えることになるとは・・・!
次第に悔しさと怒りが込み上がってきた。
(くそっ・・・どうして、こんなことになる・・・?!)
(・・・こんな屈辱・・・!!)
呼吸が苦しくなる。
彼は苦しげに喘いだ。
「・・・大丈夫か、おい。あんまし、ムリすんな。今は何も考えずに、休んでろ」
心配そうなディアッカの視線を避けるように、イザークは目を閉じた。
ずきっ・・・と顔面の神経から激痛が走る。
――痛い・・・。
単に傷が痛むというだけではない。
涙が出そうなくらい・・・その痛みは、彼の肉体だけでなく、精神の奥深くまで容赦なく貫いていくのだった。
(――イザーク・・・俺、おまえが好きだ・・・)
ミゲルの笑顔が・・・突然砕け散ったバイザーの鋭い破片に貫かれ、朱に染まり・・・崩れ落ちていく。
――ミゲルの痛みを・・・俺は、本当にわかっていただろうか・・・
(――おまえが、俺に抱かれながら他の奴のことを思っていたとしても・・・)
・・・そんなこと、なかったんだ。
おまえのことを、俺は・・・好きだった。
おまえに抱かれてるときに、他の誰かのこと、考えたことなんてなかった・・・。
おまえのこと好きだ。
その気持ちに一度だって嘘はなかった。
・・・でも、おまえは・・・。
ふと、イザークは自嘲するように小さく息を吐いた。
(・・・おまえは、きっと辛かったんだな・・・)
もっともっと、おまえのことを好きだと・・・
こんなにおまえのこと、思ってるんだ・・・!!
――と・・・そうおまえに伝えられたら、よかった・・・。
しかし、今さら悔やんでも仕方がない。
今、自分にできること。
それは、ただ・・・
ただ・・・・・
ストライクを・・・この手で・・・!!
しかし、なぜだろう。
そう思っても・・・
そう闘志を高めようとしても・・・
どうしても埋まらない空虚な空間が・・・胸のどこかに依然として存在するのがわかる。
(くそっ・・・余計なことを考えるな、イザーク・・・!!)
イザークは敢えてそんな曖昧な思いを振り払おうと自分自身に激しく言い聞かせた。
(・・・イザーク・・・)
そのとき、ふと・・・悲しみの影のまといつく、アスランの顔が脳裏に浮かんだ。
(・・・アスラン・・・!)
イザークは突然ショックを受けたように、全身をひきつらせた。
どうしてだろう・・・。
いつも、おまえの影が俺の中から離れない。
(・・・くそっ、くそっ・・・くそっ・・・!)
イザークの中で、微かな苛立ちが募る。
アスラン・・・おまえは、どうしていつも・・・こんなにも肝心なときに俺の傍にいない・・・?!
いないくせに・・・
何でおまえの存在はこうも俺の心を揺るがすのか・・・。
・・・痛い。
ずきり、とまた傷が痛む。
「・・・たい・・・」
「・・・・・・?」
小さく消え入るように洩れ出たその呟きに、ディアッカは眉をひそめた。
「・・・痛い・・・」
今度は少し明瞭に聞こえた。
「・・・痛い――のか・・・?」
と思わず繰り返した後、我ながら間の抜けたことを言ったと、ディアッカは内心失笑した。
もう少し気の利いた言葉を言った方がよさそうだ、と思い直したとき、ふとイザークの激しい眼差しに気付いて、彼は開きかけた口をまた閉ざした。
かっと見開かれた瞳の奥で、その透明な青が色を強めて、まるで見つめる相手を焼き尽くそうかとするかのように、激しく燃え立っているのがわかる。
いつもの・・・イザークの瞳(め)・・・。
いや、もしかしたら、いつもよりもっと激しい・・・
こんなイザークの瞳を今まで見たことがあったろうか・・・。
ディアッカはごくりと唾を飲み込んだ。
言おうと思った言葉は既にどこかへ消えてしまっていた。
ぞくりと・・・その一瞬、体の芯が震えた。
彼は、睨みつけるイザークをただ呆然と見返すだけだった。
・・・瞳だけで、人を殺せるものなら・・・
こいつは、もうとうに俺を殺してしまっている。
「・・・痛いに・・・きまってるだろう・・・っ・・・!」
一音一音、明瞭に・・・唇が動いた。
そのたびに、顔全体を走る猛烈な痛みを堪え、イザークはただ執念にも似た炎を燃やす瞳を・・・ぶつけようのない怒りと憎悪を映すその昏(くら)い青を・・・目の前にいる『誰か』に向けようとするのだった。
ディアッカに、ではない。
ディアッカを突き抜けて・・・
それは、今、この場にいない『誰か』・・・。
誰か・・・いや、『何か』なのか・・・?
(こいつは・・・大丈夫なんだろうか・・・?)
ディアッカは不安げにイザークを見つめた。
・・・イザーク・・・イザーク・・・おまえは、なぜ・・・?
嫌な予感がする。
何か・・・このままでは終わりそうにない。
もっと、恐ろしい何かが待っているような・・・。
何に対して、こんなにも彼は妄執を燃やしているのか。
なぜ、こんなにも・・・
ディアッカは気弱になっている自分を忌々しく思いながらも、同時にそんな悪い予感をどうしても打ち消せないのだった。
この世に地獄というものがあるとしたら・・・。
イザークの青く燃える瞳を心底怖ろしく感じながら、彼は思う。
このままでは・・・
このままでは、本当に地獄の業火に焼かれるまで、こいつは・・・・・
(To be continued...)
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