業  火 (3)





「・・・イザーク・・・!!」
 ディアッカは、その瞬間・・・どうにもできない衝動に駆られ、イザークの頬に手を触れた。
 熱を帯びた肌の感触と、荒い息遣いが掌から直に伝わってくる。
 乱れかかる銀糸の髪をそっと耳の横へ払い落とすと、彼はそのまま体を屈め、イザークに自分の顔を近づけた。
「・・・ディアッカ・・・?」
 イザークは我に返ると、驚いたように友の顔を見返した。
 真剣な眼差しが、彼を真っ直ぐに射た。
 その瞳の色は、あまりにも優しく・・・
 
深い悲しみと哀れみに満ちていて・・・
 ディアッカの瞳に目を合わせたとき・・・イザークの内を荒れ狂っていた、燃えさかるような激しい感情が、一瞬・・・吸い取られるかのように、陰をひそめた。
「・・・だめだ・・・」
 ディアッカは、ただ一言、そう言った。
 静かではあるが、はっきりとした強い制止の響き・・・
「・・・ディア――・・・」
「・・・そっちへ行っちゃいけない・・・」
 拒めない・・・強い意志が覗くその紫色の瞳に射すくめられ――
 イザークは返す言葉を失った。
(・・・ディアッカ・・・)
 頬に触れる彼の手。
 
そのひんやりとした落ち着いた触感。
 
それが、今のイザークを現実に繋ぎ止める唯一の存在であったのだろうか。
「・・・俺が、行かせない・・・」
 ――俺が、おまえを引き止める。
(・・・ディアッカ・・・)
 なんで、おまえ・・・そんなこと・・・
 イザークは、抗おうとした。
 
 
何で俺を放っといてくれない・・・?
 
何でそんな風に俺を見る・・・?
 
ディアッカ・・・!!
 
 しかし、開こうとする唇は次の瞬間には、既にディアッカのそれに塞がれていた。
 
 ――イザーク・・・戻ってこい・・・
 ――そっちへ、行くな・・・
 
 傷が、ずきずきと疼く。
 頬が火照った。
 ・・・しかし、ディアッカを突き放すだけの気力は・・・彼の中には残っていなかった。
 それどころか、その優しいキスに・・・彼は、一瞬酔った。
 本当なら・・・拒んでいたはずなのに・・・
 なぜだろう。
 そのとき彼は、相手の唇をごく自然に受け容れていた。
 自分の舌をそのまま相手の舌に絡みつかせた。
 沁み込んでくる唾液を自らの喉下に嚥下した。
 その湿った触感が・・・火照った全身をゆっくりと冷ましていくかのようにさえ感じられるのだった。
(・・・俺は・・・今・・・?)
 目の前がぼやけ、ディアッカの顔が霞んだ。
(俺・・・何でこんなこと、やってるのかな・・・)
 自分のしていることが一瞬わからなくなった。
 これは・・・キス・・・なのか・・・?
 ――わからない。
 くちづけている、という実感がなかった。
 ミゲルとも、アスランとも・・・
(・・・違う・・・)
 こんな風に・・・唇を重ねたことはなかった。
(俺は、今、おかしい・・・)
 ――傷のせい・・・か?
 ――俺、ヘンになっちまったのか・・・?
 でも、なぜか・・・
 今は、まだ唇を離したくない。
 彼は目を閉じた。
 涙が頬を伝い落ちていくのがわかった。

(・・・行くなよ、イザーク・・・!)

 ディアッカの気持ちが、わかっていながら・・・
 おまえじゃダメなんだ、と言いながら・・・結局今、彼を受け容れている自分。
 そんな自分が・・・嫌だった。
 ――俺は・・・イヤな奴だ。
 イザークはその瞬間、自分自身を心から蔑んだ。
 俺が本当に求めているのは・・・
 誰かの影がちらと脳裏を掠める。
 違う・・・ディアッカじゃない。
 そんなことは、わかっている。
 なのに・・・
 それなのに、今・・・自分は・・・
 
 ふと、唇が離れた。
「・・・いいんだ・・・イザーク・・・」
 ディアッカが、呟く。
 自分自身に言い聞かせているのか、イザークに向かって言っているのか・・・。
「・・・ごめん・・・」
 わかっているから・・・。
 おまえを今、本当に抱き締めてやれるのは・・・
 おまえを地獄の炎の中から救い出してやれるのは・・・
 
それは――

 
――俺じゃあ・・・ない。

 わかっているんだ、そんなこと。
 でも、今・・・おまえをこのまま見過ごしにはできなかった。
 おまえの苦しみを目の前にして・・・
 放っておけなかった。
 だから・・・
「・・・おまえを、行かせねーよ。――おまえ、まだ生きてるんだから・・・」
 言いながら、ディアッカはイザークを離さぬように、じっと見つめた。
 ・・・死んだ奴の後を追って、死んでいくだけなら、まだいい。
 
だが・・・
 
死んだ奴のために、生きたまま地獄に堕ちるのは・・・
 
それは、あまりにも――
 
あまりにも・・・悲惨だ。
「・・・おまえを、生きたまま、鬼に食わせたくねーからな・・・」
 ディアッカはそう言うと、冗談めいた笑みを浮かべようとしたが、あまりうまくいかなかった。
 目を開いてディアッカを見つめ返すイザークの表情は、燃えるような激しい感情の色を吐き出していた先ほどからは一転して、今は氷のように冷やかに変化していた。
 それが、かえってディアッカには不気味だった。
「・・・鬼に食われても、いいさ・・・」
 イザークの唇から、淡々と言葉が洩れた。
「・・・俺は、必ず・・・」
 必ず・・・あの『白い悪魔』をこの手で葬ってやる・・・。
 
 この傷が、決して忘れない。
 この傷の疼きが・・・。
 
 白い手が・・・ディアッカの胸をそっと突いた。
 優しく、しかし、相手を拒む意志を示すには十分なほど、強く・・・。
 ――誰も、俺を止められない・・・
 イザークはディアッカの体を押しのけた手を、そのまま包帯の巻かれた傷の上に置いた。
 僅かに力を入れて押さえてみる。
 ずきり・・・と、鋭く激しい痛みが襲った。
 イザークは苦痛に顔を歪めた。
 それが更に痛みを倍増させる。
 しかし、彼はその痛みに耐えた。
 痛みを力に変えようとした。
 彼は、ふっと唇を歪めた。
 ――痛ければ、痛いほど、いい。
 この痛みがあるから、俺は前へ進める・・・。 
 たぶん・・・
 きっと・・・
 
 そのとき、イザークは、自ら破局への扉を開いたのだった。

                                          (To be continued...)


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