溶 闇 (5)






 扉が閉まった後も、しばらくはその場を動けなかった。
 暗い室内で、ただ一人、茫然と立ち尽くす。
 本当なら、すぐに追いかけていかねばならない筈が……。
 追いかけて、捕まえて……もっと、もっと言わねばならないことがある筈だった。
(違う……)
 違うんだ。
 イザーク。俺は、おまえとこんな風に言い争うつもりはなかった。
 
キラのことで……こんな風に……。
 イザークがストライクに固執する気持ちは、痛いほどわかる。
 自分だって、あのとき目の前でミゲルのジンが落とされたときは……ショックだった。
 たとえ、それを操っているのが自分の大切な旧友だったとしても。
 何もできなかった自分が、悔しい。
 むざむざと目の前で友を殺されたあの苦しみは……。
 だが……。
 それでも、自分はイザークをストライクと戦わせたくはない。
 このうえキラを、イザークの手で殺されるなど……。考えただけでぞっとする。いや、もしくはその反対の可能性もあり得るのだ。
 
――イザークが、キラに……
(馬鹿な……!)
 恐ろしい想像を振り払うように、強く頭を振る。
 そんな、わけ――……
 あんなに優しい、虫一匹殺せないような奴だった。
 キラは、優しくて、泣き虫で、いつも俺に頼ってばかりで……。
 きょとんと見開かれた、菫色の大きな瞳を思い出し、彼は頭を抱えた。そのまま崩れるようにベッドの上に腰を下ろす。
(キラ……キラ……)
 どうして、おまえはストライクになど乗っているんだ。
 なぜ、なんだ。
 なぜ、おまえがあんなところにいる?
 まさか、おまえが……あの優しかったおまえが、俺の友を奪っていくなんて……。
 悪夢のようだった。
(これが、戦争……なのか)
 これが、現実なのだ。
 今は少なくとも、戦争という現実から、どうしても自分たちは目をそむけることはできないのだ。
 わかってはいても、それはやはり、あまりにも受け容れるには辛すぎる現実だった。
「……どうして、なんだよ……」
 アスランは、頭を抱えたまま、呻いた。
 気持ちが、なかなか静まらない。……どうしたらよいのか。乱れた心を整理できぬまま、悶々とした時間だけが過ぎていく。
 ――突然扉が開く音がした。
 まさかイザークが戻ってきたのか、と思い、はっと緊張した彼の目の中に飛び込んできたのは明るい緑色の髪の少年の姿だった。
「どうしたんですか、アスラン……電気もつけないで……」
「あっ……ああ、何でもないよ。ちょっと……な」
 アスランは答えると、力なく微笑んだ。
「いろいろと、考え事してた」
 ニコルは首を傾げながら、壁のスイッチを押す。
 部屋がぱっと明るくなった。
「……イザークと、何かあったんですか?」
 反対側のベッドに腰かけると、ニコルは何気なく問いかけた。
「え……?」
「さっき、部屋にいたんでしょう?」
 ニコルは困ったような笑みを浮かべた。
「部屋に戻ろうとしたら、二人が入っていくのが見えたんで、少し遠慮しました」
「何だよ、それ……」
 アスランは、苦笑した。
 ニコルの言い方では、まるで二人がこっそりと逢引でもしていたかのように聞こえる。勿論当の本人にはそんなつもりはないのだろうが、アスランは自分がイザークに対して先ほど抱いた一瞬のあの激しい欲情を思い出して、ぎこちなく視線を落とした。
 無意識に指先を唇に当てる。イザークの唇の感触が、まだここに残っている。そう思うだけで自ずと体が熱くなった。
「……イザーク、かなり怒ってましたよね……」
 ニコルが言うのはずっと前のブリーフィングルームでの話だろう。アスランはああ、と頷いた。
「仕方ないさ。いきなり俺が隊長、だなんてな。あいつが承知する筈がない。そもそも俺は、あいつには嫌われているから……」
「イザークは、ああ見えて実はアスランのこと、本気で嫌っているわけじゃないと思いますけどね」
 ニコルはにっこり笑って断言した。
「ほら。よくあるでしょう。小さい子が、好きな子にわざと意地悪するっての。あれに似てるかも」
「おい、ニコル……」
 アスランはたまりかねたように口を挟んだ。
「やめろよ。俺たちは、ザフトの軍人だぞ。子供じゃないんだから」
「でもアスランはともかく、イザークはまだ子供のような人ですから……。あ、こんなこと僕が言うのも何ですけど。イザークの耳に入ったらただじゃ済まないな。内緒にしていて下さいよ」
 慌てたようにそう付け足す。
 ニコルの天真爛漫な笑みにほだされてか、アスランは今度は自然に吹き出した。
 しばらく二人で向かい合って笑い合う。
「……まあ、そうだな。イザークは確かに、そういうところがあるかな……」
 子供のように気まぐれで、感情がストレートに出る彼は、すぐ怒ったり笑ったりくるくると表情が変わる。ひとたび機嫌を損じれば、普段見せるあのつんと澄ました綺麗な顔からは想像もつかないような、感情にまかせた単純で激烈な言葉がぽんぽんとその唇から飛び出す。
 しかし彼は本当は、ただ意地っ張りで寂しがり屋なだけなのだ。
 アスランは軽く溜め息を吐いた。
(俺と同じ……なんだな)
 ある意味、自分たちは似ている。
 似ているから……魅かれたのか。
 わからない。
 自分の気持ちが波打つ。イザークのことを考えるといつもこうなる。なぜか、冷静でいられなくなる。
 
あいつが欲しくてたまらなくなって……強引に肌を重ねて……でも、何度抱いても、どうしても満たされないこの胸の空白は……。
 そんなアスランのひそかな動揺が伝わったのかどうか……ニコルは不意に眉をひそめた。
「それにしても、イザーク……何だか、地球へ降りてから、雰囲気変わったような気がするんですけど……。どうしたのかな」
 ニコルの言葉に、アスランははっと目を上げた。
 核心に近づいている。
 どきりとした。
「あの傷……消さないのも、気になるなあ……。彼、何か言ってませんでしたか」
「いや……」
 アスランは口ごもった。
 せっかく和んだ気持ちも、さっきの会話を思い出すと忽ちまた気が重くなる。
 自分が隊長になる、ならないというくらいの問題ではなかった。いや、そんなことはどうでもよかったのだ。
 問題はもっと違う……奥深い部分に暗く、冷たく横たわっていた。
 それは、もっと……どうにもならないくらい、残酷な運命を予感させた……。
 
 
「……ん……あ……ぅっ……!」
 乳首から走る刺戟に、自然に声が上がった。
 痛みと甘さの入り混じる、その蕩けるような高揚感は何も初めてのものではない。
 それでも、体がこんなにも過敏に反応することに、やはり戸惑いを感じずにはいられなかった。
 ――淫乱。
 そんな言葉が頭に浮かぶと、瞼がびくりとひくついた。
(ち……が……――)
 否定したいのに……
「……あ……ん……っ……」
 乳頭を唇が舐めるのがわかると、舌先で弄るその動きを頭の中で反芻し、たまらず吐息を洩らした。己のものとは思えぬような、甘く淫猥な声が零れていく。
(……だ……れだ……?)
 唇の愛撫の動きに合わせて、金色のややカールのかかった髪の房がさわさわと肌を撫でた。くすぐったさと刺激にぴくりと身が弾ける。
「……ふ……ぁ……ぁっ……」
「――感じやすいな……」
 唇が離れ、くすりと笑う声が聞こえた。
 ――いやらしい奴だ。
「……や……」
 金色の髪がふわりと上がり、相手の顔が近づくと、イザークはぼんやりとした眼のまま、ああ、と小さく息を飲んだ。
(誰……?)
 見覚えのない顔が目の前で霞む。
 ――見覚えのない……。
 いや、と彼は軽く頭を振った。
 自分はこの人物をよく知っている筈だ。
 知っている……。知っているのに……。
 頭の中が朦朧として、すぐにその名が浮かんでこない。
 ――あれ……。
 イザークは眉間に皺を寄せる。
(俺……なんか、ヘンだ……)
 こんなに視界がぼやけるのはなぜか。
 目を開けてよく見ようとしても、瞼が重くてなかなか上手くいかない。
「……イザーク」
 耳元で囁く声。どこか強制力を伴うその鋭い呼びかけに、思考を絶たれた。
(……な……に……)
 こんな風に自分を呼ぶのは、誰なのか。
 命令するように、強く。同時に骨まで蕩かしてしまえるほど甘く。
 下半身に愛撫の手が動いていくのを感じる。
「あ……や……そこ……っ……――」
 新たな刺激の波に、忽ちまともな思考能力を奪われた。
 既に堅くなっているそこを手でやんわりと扱かれて、脳まで突き上げそうな快感に包まれる。
「い……いや……あぅ……っ……!」
 抗う声も押し寄せる快楽の波に呑まれ、力を失う。
「――嫌ではないだろう」
 声が煽るように囁き続ける。
「でなければ、そんないやらしい声が出るわけがない――」
 笑いながら囁く声が吐きかけるその生暖かい息吹きにすら、びくびくと感じてしまう。
(意地が、悪い……)
 
意地悪な戯れに満ちた言葉に傷つきながらも、興奮の波の中で撥ねるように悦ぶ体を鎮めることもできず、イザークは唇を噛みしめ、せめてこれ以上あられもない声を上げることを抑えようとした。
「く……う――」
「我慢しなくても、いいよ」
 ぎゅっと強く先端を絞られ、刺激に体が弾む。
「……ああっ……ぅあ……!」
 頭の中が真っ白になった。
 ひくひくと腰が浮く。
 自分のものであって自分のものでないかのような体。
 泣きそうになった。
 苦しい。息が弾む。……それでいて、そんな刺激を悦び、もっと欲しいと望む、情欲に乱れた自分がいる。
「我慢されると困る。……きみのその良い声が聞きたいのだから」
 指先に翻弄される。
 胸と下半身を同時に愛撫されて……。
「い……あ……っ……や……だ……ッ……」
 ぞくぞくと全身が震える。
 この、感覚。
 何度も経験しながら、それでもやはり慣れない。
 本能と理性がせめぎ合う。こんな状態の中で、本当にまだ理性の一片でも残っているといえるのならば、だが。
「フ……全くいやらしい体だな」
 色素の薄い瞳が闇の中で底意地の悪い光を瞬かせた。
「誰がきみをこんな体にしてしまったのだろうな……」
 それは、一体何人の男を誑かせたのだ、と詰問しているかのような呟きだった。
「……ちが……」
 涙の滲んだ目が恨めしげに睨むと、男は目を細めた。
「違う、というのか」
 馬鹿にしたようにあしらうと、膨らんだ手の中のものに加える力を強めた。
「ひ……っ……」
 痛みに顔を歪めながら、相手の体から逃れようともがく少年を、男は無情に押さえつけた。
「いっ、いやだっ……放せ……は……なせっ……はな……して……」
 わめく声を掻き消してしまうように、唇を塞がれた。
「……ふ……う……」
 舌を強く吸い上げられ、息苦しさにひくひくと肩が震えた。
 体が熱い。体温がどんどん上昇している。まるで何かが体の中心で燃え滾っているかのように。
「……ん……ん……っ……」
 頭を小さく揺り動かし、息ができない苦しさを必死で訴えようとしているのに、どうしても離してくれない。それどころか、ますます相手のくちづけは、深く激しくなる。
 口の中を、先端に毒を含んだ鋭利な刃物が、荒々しく掻き回していくかのような。――鋭い痛みと、刺激。苦しい。それでいて、どこか不思議な恍惚感をも感じさせる。
 
離して欲しい。離して欲しくない。このまま、ずっと……くちづけたまま……息が止まるまで。
 
それは、目眩めくような感覚だった。
 一瞬、自分は気が狂い始めているのではないかと、僅かに残っている理性の欠片が危ぶんだ。しかしそれもほんの束の間だった。熱に体を浸しているうちに、もうどうでもよくなった。
(フフフ……)
 笑う口元だけが妖しい残像を残す。
 唇を離されたときには、もう抗う気力はなかった。意志に反して火のついた体は、相手の手の中で思いきり乱れ、新たな刺激をねだり始めている。
 熱く昂ぶる体がぶるぶると震え始める。
「ああ……っ……」
 この熱を放出したくてたまらない。どうにかなりそうだ。
 イザークは喘いだ。濡れた暖かい感触。昂ぶったペニスの先端からとろりと零れる蜜を、指が舐めるように拭い、撫でる。
 と、蜜を絡めた指が根元まで下り、いきなりぎゅっとそこをきつく掴んだ。
「……………っ……!」
 息を飲み、彼は信じられぬように男を見つめる。
 男はにやりと笑った。
「まだ、いかせるわけにはいかないのでね」
 もう少し我慢してもらわねば、とそれをもう一方の手に持ち替え、根元を強く締め付けた。
 いきたくても、いけない縛りがかかり、痛みと衝撃にイザークの喉から声のない悲鳴が洩れた。しかしそれも長くは続かなかった。
 指がつ……と前から後ろへと滑るように移動する気配にぎくりと身を強張らせる。腰が浮いた。両足が僅かに上がる。
 小さな蕾に濡れた指がかかった。
「あ……――」
 イザークはその瞬間小さな声を上げ、ごくりと息を飲んだ。
 さんざん前を弄び白い蜜を掬い取った指先が、今度はそれを後孔に擦りつけながら、ゆっくりと入り口を解すように押し広げていくと、その動きにつられるようにひくひくとそこが妖しく蠢き出す。
「……そ……こは……――ぁ……っん……!」
 声にならなかった。
 ――挿れられる。
 次にくるものを想像して、恐怖と期待に乱れ、震える体を白い面が満足げに眺める。
「欲しいのだろう?」
 弱々しく左右に揺れる頭に、掴んだ根元に込める力をさらに強めた。意志に反して膨れ上がったそこが悲鳴を上げる。少年の口からひっ、と苦しげな呻きが洩れた。
「嘘はいけない」
 ――ここは、正直だ。
 迸る滴りで濡れそぼるそれに唇を寄せた。
 それから、ここも。
 物欲しげにひくつく後孔に自らの先端を押しつけながら、口元を緩めた。自分を犯そうとする男の白く端麗な顔に妖艶な笑みが浮かぶのを、涙に霞む視界の中で少年はぼんやりと眺めていた。
「もう一度聞くぞ。――イザーク」
 名前を呼ぶ声に、命令する響きが混じる。
 呼びかけられた瞬間、イザークは目を瞠った。
 重い瞼がぱっと開かれ、青い瞳の中に男の顔がはっきりと映る。
 仮面のない、素顔の……。
 自分を犯そうとしている男が誰か、ようやくわかった。
「……私が、欲しいか?」
 ――この、私を見ろ……。
 これが、私だ。
 瞬きすら、できなかった。
 欲望と冷やかな嘲笑の入り混じった、その悪魔のような瞳に射竦められて。
(……ラウ・ル・クルーゼ……)
 畏怖と嫌悪感に圧倒されそうになりながら、その名を呼んだ。
 それが声になって実際に喉から飛び出したかどうかはわからない。
「……ラウ……ルー……ゼ……!……」
 気付いたときには、掠れた断続的な音が、声帯を僅かに震わせていた。
 クルーゼは微笑み、濡れた唇を寄せる。
「欲しいのだな?」
 さも優しげに、残酷な瞳で答を促す。
「……なら、そう言えばいい。――私を受け入れれば、きっときみは楽になる。この、傷も……」
 唇が、不意に額から走るその無惨な傷跡を舐めた。
「あ……あ……っ……!」
 それは、奇しくもつい先刻、もう一人の人間がした行為と同じものだった。
(……こんな傷、すぐに消せるはずだろう……)
 唇が傷にくちづけた。蕩けるような感触に、全身が慄いた。
 怖かった。怖くて、どうしていいかわからなくなって、突き放した。
 なぜ、ああなってしまうのか……。
 近づいては、遠くなる。求めているのに、離れていく……。
(アスラン……)
 ――あの、いとおしむようなくちづけが……。
 ああ……。
 でも、今この傷の上を滑っていく唇は……。
 
違う。
 痛みが、甦る。傷口が再び開き、この体の奥深くにまで、その痕を刻みつけようと、それ自体が意志を持って動き始めたかのように。
 
――い……たい……。
 
この痛みは、違う。単なる外傷の痛みでは、ない。
 
きっと、傷を消してもこの痛みだけは、この体の奥深くに焼きつけられたまま……一生付きまとうのだろう。
 
そう思い知らされたような気がした。
「……う……」
 イザークは息を吐いた。
 残酷な人だ、と思った。
(どうして……)
 この人は……。
 わからない。
 なぜ、こんなことをするのか……。
 しかし、もう何も考えることはできない。
 声が出るより先に、頷いていた。頷きながら苦しくて涙が零れる。
「ほ……し……」
 入り口で焦らされて、さらに前にじわじわと与えられる刺激でもう限界まできていた。
 ――ほ……しい……。
 欲しい。欲しい。欲しい。
 この男が……欲しい。
 何も考えられない頭が繰り返す。
 本能と欲望に、思考能力を完全に奪われていた。
 全身が溶けてしまいそうなほど、煮立っている。
 熱い。熱くて、たまらない。このままでは、本当におかしくなってしまう。
 
熱に浮かされたような瞳が相手を懇願するように見つめる。
(……欲しい……)
 こんな風に交わるのは、嫌だ。
 そう、思っていた。
 こんな風に……自分で自分の体を制御することもできず……。
 ただ、刹那の快楽に溺れていく。
 自分で自分を壊していく行為。そして、自分が自分であるという意識すらなくなっていく……。
 それでも、少なくともこの肉体を満足させている間は、何も考えなくてすむ。
(――俺は……)
 堕ちていく自分の姿がはっきりと見える。
 
 ――おまえは、もう戻れない……。
 
(ふ……)
 彼は目を閉じた。
 
――構うものか。
 たとえそれが悪魔と契ることになるのだとしても――
 自分が罠に嵌まったのだとわかっていながらも……滾る肉体を鎮めるには、もう目の前のそれを受け入れるしかないのだ。


                                       (to be continued...)


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