嫉 妬(ジェラシー) (1)




 朝目覚めて、ふと向こう側の寝台を見ると、既に身を起こしていたイザークが寝台の枠にもたれかかるようにしてぼんやりと座っているのが目に入った。

「・・・イザーク・・・起きたのか?」
 ディアッカは軽く声をかけたが、相手は聞こえなかったのか、返事はおろかこちらの方を一顧だにしない。
 仕方なく彼は寝台から降りると、足音を忍ばせてそっとイザークの方へ近寄っていった。
「・・・気分はどうだ?」
 上から屈み込んで、おもむろにイザークを見下ろす。
 そこで初めてイザークが反応し、ゆっくりとディアッカの方に視線を向けた。
 相手を認めると、その目が僅かに驚いたような色を見せた。
「・・・ディアッカ・・・」
 白い頬にほんのりと朱が差した。
 まるで女の子のように可憐な表情をそこに覗き見たように感じて、ディアッカは一瞬目をしばたいた。
 どきんと心臓の鼓動が速まるのを感じて我ながら驚いた。
(バカ・・・何ときめいてんだ、俺・・・?!)
 ディアッカは軽く頭を打ち振った。
(・・・何度言えばわかる・・・?!)
 ――これは、イザークだっての!!
 自分自身に言い聞かせるように、心の中でそう叩きつける。
 ・・・どうも、妙な妄想が頭から離れない。
 考えないようにしようと思っても、イザークの姿が目に入った途端に、どうしても『あのこと』が再び頭の中に甦ってきてしまう。
(・・・アスランの奴・・・!)
 
アスランとイザークの間にあっただろう、あのこと・・・。
 
その淫らな想像図が、どうしようもなくディアッカを悩ませた。
「おい!・・・俺は――いつ、ここに戻ったんだ・・・?」
 ディアッカの耳にイザークのそんな台詞が飛び込んできて、彼は慌てて意識を現実に戻した。
 見ると、イザークの射るような視線がディアッカに真っ直ぐ注がれている。
 先程ちらりと垣間見た、あの少女のような恥じらいの色は既に失せて、いつもの・・・いや、いつも以上に不機嫌そうな、苛立ったような表情がそこにありありと現れている。
「・・・えっ?」
 ディアッカは、少し虚を突かれて返事に詰まった。
「・・・何も・・・覚えてない・・・」
 イザークは独り言のように、呟いた。
 
戸惑うように・・・視線が一瞬宙をさまよう。
「・・・俺・・・いつ・・・どうやって・・・ここに戻ってきたんだ・・・?」
「あっ、それは、えっと・・・その――」
 ディアッカは返事に詰まった。
(・・・まさか俺がお姫様抱っこしてここまで連れて帰ってきたなんて・・・言えねーよなあ・・・)
 ――言ったら、めちゃくちゃ怒りそうだ・・・。
 ディアッカは頭を掻いた。
 アスランが更衣室で抱き上げたとき、あんなに嫌がっていたイザークだ。
 それがまたあんな風に抱きかかえられて戻ってきたとわかれば、どんな反応をみせるだろう・・・。
 
いくら、少々元気がないからといっても、イザークはイザークだ。
 
烈火のごとく怒りが噴出して、例のごとく荒れまくるか・・・?
 
本当のことを言うのはあまり気が進まなかった。
 
一瞬間を置いた後――
「・・・覚えてねーの、おまえ・・・?ゆうべ、俺が肩支えてさー、ここまで二人でやっとのことで帰ってきたんじゃねーか」
 さらりともっともらしく作り話を口に出すのは、ディアッカならではの芸当だった。
 イザークは首を傾げた。
「・・・覚えて・・・ない・・・。何も、俺は・・・」
 イザークの瞳がふと憂いを帯びたように見えたかと思うと、彼は視線をそらし、そっと俯いた。
「・・・何だよ。・・・大丈夫か、おまえ・・・」
 そんなイザークの素振りに、ディアッカの口調もやや心もとなくなった。
 やはり、いつもとは少し様子が違うようだ。
 ディアッカは眉をひそめた。
 荒れまくられるのも嫌だが、かといってこんな風に元気のないイザークを見るのもどうも気が滅入る。
 彼は一瞬躊躇ったが、一呼吸置いた後、意を決したように口を開いた。
「・・・なあ・・・おまえ・・・ひょっとして、何かあった・・・?その・・・アスランと・・・」
 彼がそう言うと、忽ちイザークの肩がぴくんと震えるのがわかった。
 息を呑むような、ハッという呼吸音。
(・・・ビンゴ・・・か・・・?)
「・・・どういう・・・意味だ・・・?」
 イザークは一見平静を装った風にそう問い返したが、その口調はどこか動揺を隠し切れないようだった。
「・・・どういう意味って・・・いや、その・・・なんつうか・・・」
 ディアッカは少し返答に窮した。
 自分から敢えて言い出したことながら、やはり余計なことを言ったかと、彼は既に後悔の思いに駆られていた。
(畜生・・・何て聞けばいいんだよ。まさか、あいつと寝たのか?なんて聞けねえしなー・・・)
 ディアッカはそう考えると、またもや想像したくない領域に足を踏み入れそうになっている自分自身にぎくりとした。
 しかし、今更会話を途絶えさせるわけにもいかず、止むなく彼は言葉をつなげた。
「・・・その・・・アスランの部屋にいたおまえ、何かヘンだったからさ。・・・あいつと派手にやりあっちまって、何かその・・・まずいことでもあったんじゃねえかってさ――」
「――何だ、その『まずいこと』っていうのは」
 唐突に、イザークが口を挟んだ。
 その語気の鋭さに、ディアッカは言い方を誤ったかと一瞬自分の軽率さを悔んだ。
 とはいっても、言ってしまったことはもはや取り返しがつかない。
「・・・い、いや、それは、その・・・」
 まずったかな・・・。何か、怒らしちまったようだ・・・。
 イザークがこっちを睨みつける様子を見て、ディアッカはどうしてよいかわからず、その場に固まった。
「・・・すると何か!・・・ディアッカ、貴様は・・・俺があいつの部屋で何か人に言えないことをやっていたとでも言いたいのか?!」
「・・・い、いや、別に俺はそんなつもりで・・・」
(・・・ますますビンゴだな、こりゃ・・・!)
 イザークの勢いに押され、思わず身を引きながらも、ひそかにディアッカはそう確信を強めた。
(・・・ま、怒るだけの元気がありゃ、まだ大丈夫だろうけどな・・・)
 かなり真剣に心配していたのだが、怒りに頬を染めるイザークの姿を見ると、ディアッカは少し安堵した。
「・・・わかったよ。すまなかった。・・・ちょっと、気になったもんだから、さ・・・悪く思うな」
 ディアッカはきまり悪そうに笑った。
「・・・で、もう大丈夫なのか。体の方は、さ――」
 逃げるように、話題を変える。
 しかし、イザークに恐る恐る目を向けたディアッカは、はたと口を噤んだ。
 いつものイザークに戻ったと思ったのだが・・・。
 いったん噴き出しかけた怒りも、呆気なく方向を失って一瞬のうちにどこかへ消えてしまったかのようだ。
 
怒りの失せた、少し俯き加減のイザークの横顔は、何だか妙に寂しげで・・・
「・・・おまえ、大丈夫か。ほんとに・・・」
 ディアッカは思わず、相手の肩に手を置いた。
(・・・こういうのって・・・躁鬱っていうんだったっけ・・・?)
 昔受けた心理学の講義を思い出し、そんなことをふと考えながらも、彼は心配そうに相手の顔を覗き込んだ。
「・・・今日は、休んどけよ・・・」
 労わるような、優しい調子の声・・・。
 皮肉屋のディアッカが、こんな風にものを言うのを初めて聞いたような気がして、イザークは驚いたように相手に視線を振り向けた。
「・・・2、3日休んでたって、大したことねーだろ。――実戦も近いんだ。無理しない方がいい」
 紫色の瞳の中に、こころなしか哀れむような光がほんのりと瞬いている。
 それを見てとった瞬間――
(・・・こいつ、まさか・・・知ってるのか・・・?)
 俺と、アスランとの・・・
 あの・・・
(あのこと――を・・・?!)
 忽ち羞恥の思いが駆け巡り、イザークの体をかっと熱くした。
 わけのわからぬ怒りが全身を覆い尽くす。
 イザークは震える体を抑えるのに必死だった。
表情がたちまち、厳しくなる。
 
薄青色の瞳がその瞬間、激しい感情の色を映した。
「・・・いや、熱だってもうとっくに引いてるんだ。いつまでも部屋で寝てられるか!今日は無論、シミュレーションには参加する!」
 彼は叩きつけるように言うと、勢いよく寝台から飛び出した。
 少しよろめきながらも、手早く服を着替え始める。
 ディアッカは呆気にとられながら、その光景をぼんやりと眺めていた。
(・・・ほんと、大丈夫なのかよ・・・)
 
さっきまでの、あの泣きそうな顔を思い出すと、ディアッカにはイザークが何だかとても無理をしているように思えてならなかった。
 
しかし、これ以上言うとかえってイザークをますます煽ってしまいそうだ。
 
仕方なく、彼は黙ってそんなイザークの姿を眺めていた。

 

・・・パイロットスーツを着てシミュレーションルームに入ってきたイザークを見て、アスランは僅かに表情を変えた。
 
横目づかいに、イザークに射るような視線を投げかける。
 イザークはそんなアスランの視線を敢えて無視するかのように、きっと顎を上げて彼の前を通り過ぎた。
 まるで何事もなかったかのように・・・。
 それは、一見するといつも通りのイザーク・ジュールだった。
 が、しかし・・・
 ――本当に、そうだったか・・・?
 時々ちらりと見せる憂い顔が・・・その不安げな瞳の色が・・・傍にいるディアッカを妙に落ち着かない気持ちにさせた。
「・・・どうしたんだよ、ディアッカ」
 ぽん、と後ろから突然肩を叩かれて、ディアッカはハッと我に返った。
 振り向くと、にやりと笑うミゲル・アイマンの顔が飛び込んできた。
「・・・また女のことでも、考えてたか?」
 当たらずしも遠からず、といったミゲルの一言に、ディアッカは少し戸惑いの表情を見せた。
「あ、いや、そういうわけじゃあ、ないんだが・・・」
 彼はもごもごと呟いた。
 ミゲルが不審気に目を細めてディアッカを見やる。
「・・・おいおい、何だよ。・・・おまえら、ここんとこ、変だぞ。――どうなってるんだ?」
「どうなってる・・・って・・・」
 問い返すディアッカの口調はどことなく歯切れが悪い。
「きまってんだろーが・・・!――あいつらのことだよ」
 ミゲルはおもむろに向こう側にいるアスランとイザークの方を顎で指し示した。
「・・・なあーんか、ずっと会話もなさげだし・・・変なんだよなあ。ま、イザークがアスランを嫌ってるってのは知ってるが、それにしてもなあー・・・それに――」
 彼はさりげなくディアッカに近寄ると、耳元に唇を寄せてそっと囁いた。
「・・・部屋、変わってたろ。おまえら」
 ディアッカは思わず顔色を変えた。
 ミゲルの目が、探るように彼を鋭く見つめている。
 直接に名前こそ出していないが、彼の問いかけていることは明らかだった。
 ――イザークが、アスランの部屋にいたって・・・。どういうことだ?
 ミゲルが何やかや言いながらも、イザークのことを気にしているのはよく知っていた。
 ヘンな意味ではなく・・・それは、まるで何だか弟の世話を焼く兄貴、といった風で・・・。
 最もイザークはかなり生意気な『弟』であっただろうが・・・。
 実際には彼らは同い年だったし、ミゲルに兄貴風を吹かされるのは、イザークのプライドが許さなかったのかもしれない。
 しかし、同い年とはいえ、ミゲルは精神年齢では、恐らく彼らよりはずっと・・・特にイザークよりはずっと大人びていた。
 それはディアッカでさえ、常々感ぜずにはいられないことだった。
 彼自身は、ミゲルとは入隊したその日から、すっかり気が合い、ずいぶんいろいろなことを教えてもらってきた。
 お陰で悪い遊びもたくさん覚えた。
 部屋で酒盛りも幾度となくしてきたし、女のことに関しても・・・ミゲルにはとてもかなわなかった。
(・・・うーん・・・しかし・・・)
 ディアッカは心の中で唸った。
 さすがにミゲルにそっちの趣味があるとは思えない。
 いや、多分ないだろう。
 女遊びについては百戦錬磨といったミゲル・アイマンも、さすがに男と肌をあわせようなどとは夢にも思ったことはあるまい。
 だが・・・それにしても、彼はイザークのことになると、妙に熱が入るようだ。
 気のせいかもしれないが・・・。
(イザークをベッドの上に押し倒してやったら・・・)
 いつかの夜の台詞がまた、頭にふと甦ってきた。
 ミゲルのあのときの口ぶり・・・あれはまるきり、女に対して言うのと同じだった。
 もしかしたら・・・あのとき、奴は半分本気だったのではなかったか・・・?
(いや・・・やめよう)
 ディアッカは頭を押さえた。
 俺・・・ほんとに、どうかしてる。
 頭がくらくらするような思いだった。
 アスランとイザークのことを想像すると・・・さすがの彼も気が滅入る。
 そして何だか想像が想像を呼んで・・・ますます変な妄想が頭の中を支配していくようだ。
(まさか・・・な・・・)
 ディアッカは息を吐いた。
 しかし、目の前のミゲルの様子を見てみると・・・あながち彼の想像が全く外れているとも思えないような気がするのだ。
「・・・なあ、どうなんだよ・・・?」
 ミゲルがさらに問いかける。
 彼の顔を見ているうちに、思わず全てぶちまけてしまいたくなる衝動に駆られたが・・・。
 しかし――
 それでもやはり、ディアッカには・・・とても言い出せなかった。
 自分が疑っている、例のアスランとイザークの間にあったかもしれないことを・・・。
 言ってしまえば、さらに新たな嵐を呼び込むような気がした・・・。
 それは――かなり確実性の高い予感だった・・・。
 ディアッカは用心深く口を噤んだ。
「・・・さあ・・・ね」
 気のなさげな一言が、空々しく響いた。
「何だよ、俺には秘密ってか?ますます怪しいねえー・・・」
 ミゲルは意味ありげな笑みを浮かべる。
 そんなミゲルの視線を避けるように、ディアッカはさりげなく目をそらした。
「・・・ま、いいや。・・・んじゃー、自分で直接奴らに聞いてみっから」
 さらりと言うミゲルに、ディアッカは慌てて視線を戻す。
「お、おい・・・ミゲル!!」
 ミゲルはにやりと笑った。
「・・・いーから、心配すんなって。俺にまかせろ」
(・・・って、どうするつもりだ?・・・一体何考えてんだよ、こいつは・・・!)
 ディアッカは不安げにミゲルを見返した。

                                          (to be continued...)


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