嫉 妬(ジェラシー) (2)
「イザーク!」
後ろから呼び止められて、イザークはふと足を止めた。
振り返るまでもなく、気がつくとすぐ横からミゲル・アイマンがにゅっと首を突き出していた。
訓練が終わると、アスランに声をかけられるのを避けるように、素早く着替え、ロッカールームを脱兎のごとく飛び出してきた。
真っ直ぐ部屋へ帰ろうと急ぎ足になっていたところだったが・・・。
イザークは顔を僅かにしかめた。
まずい相手につかまったものだ。
ミゲルは普段からやたらとイザークに構ってくる。
初めてクルーゼ隊に配属になったその日から・・・既に彼はこのやたら陽気でおしゃべりな(そして少し口の悪い)『先輩』が苦手だった。
第一、先輩といっても、同い年だし・・・。
そう思いながらも、どこかミゲルが自分やディアッカとは違う独特の大人びた雰囲気を持っていることは否めなかった。
負けず嫌いのイザークも、どうもミゲルとは張り合う気持ちにはなれない。
だから、軽口を叩かれるたびに忌々しいと思いながらも、アスランやディアッカに対するのと同じようにやたら怒鳴りつけることもできないのだ。
かといって、素直に相手の言う通りに従うのも癪にさわる。
・・・結局、ミゲルと一緒のときは自ずと口数も少なく、仏頂面になってしまう。
今もちょうどそんな風だった。
「悪いが、急いでいる。用がないなら――」
そう言いかけたイザークの肩をミゲルは強引にぐいと引き寄せた。
「・・・な、何だ・・・?!」
戸惑ったイザークの顔に自分の顔を近づけて、ミゲルはにんまりと笑った。
「・・・用がないなら、わざわざ引き止めねえっての!」
「・・・・・」
イザークは黙ってミゲルを睨みつけた。
それを見て、ミゲルは軽く息を吐いた。
「あのさあ・・・どうして、俺と話すときはいつもそんな風にコワイ顔するわけ?何も悪いこと言ってないでしょーが」
呆れたように言うミゲルに、イザークは少し戸惑う様子を見せた。
「・・・とにかく、ちょっと来いって!・・・おまえに聞きたいこと、あるんだから・・・!」
ミゲルはイザークの腕を掴むと無理矢理自分の方へ振り向かせた。
「・・・あっ・・・お、おい・・・やめろ・・・!俺は――!!」
イザークは抵抗しかけたが、ミゲルの勢いに押され、意にそわぬまま反対方向へと引っ張られていった。
・・・そして数刻後。
無理矢理連れ込まれたミゲルの部屋の中で、イザークは憮然とした表情のまま、立ち尽くしていた。
「・・・ま、そう怒んなって・・・!立ちっぱなしってのも、なんだから・・・ほら、そこ・・・俺のベッドにでもかけろよ」
飄々としたミゲルに肩を押されて、イザークは渋々そばにあった寝台のへりに腰を下ろした。
「・・・で、何なんだ。聞きたいことってのは・・・。早く言え!」
イザークは相変わらず機嫌の悪そうな顔で、目の前に立つミゲルをじろりと仰ぎ見た。
「・・・ったく、せっかちだなー、おまえ・・・」
ミゲルは悪戯っぽい表情を浮かべると、そんなイザークの両肩にそっと手を置いた。
「・・・じゃあ、聞くけど――イザーク、おまえさあー・・・」
手にほんの僅かに力がこもる。
その瞬間、イザークははっと顔色を変えた。
それを見たミゲルの瞳が鋭い閃きを放つ。
「・・・最近誰かさんから、こーいうこと、されなかった?」
そう言うが早いが、ミゲルの両手が恐ろしい力で彼の肩を押した。
「なっ・・・!」
イザークがあっと思う間もなく、彼の頭上からミゲルの体が覆いかぶさり、彼の体は寝台の上へ押し倒されていた。
「・・・なっ・・・何をする・・・ミゲルッ!!貴様ッ・・・!!」
イザークはショックを受けたように両目を大きく見開くと、体を押さえつけるミゲルに向かって抗議の声を上げた。
(また・・・だ・・・!)
忘れようとしていたいつかの恐怖感が一気に甦り、イザークをパニックに陥れた。
(・・・い・・・や・・・だ・・・っ・・・!!)
体中から血の気が引いていくような感覚。
(やめ・・・ろ・・・!)
身を捩って抵抗しようとするが、この不利な体勢ではなかなか体を自由にすることはできなかった。
「・・・ど、どういうつもりだっ・・・!は、放せっ・・・!!」
叫ぶ声は恐怖のため、こころなしか震えているようだった。
「・・・やっぱ、されたんだ。こーいうこと・・・」
息がかかるほど接近したその唇がそっと囁くと、イザークは思わず目を閉じた。
呼吸が自然に速くなる。
息苦しさが募る。
彼は喘ぎながらも、必死で言葉を振り絞ろうとした。
「・・・や、やめろって・・・!!」
その喉から殆ど悲鳴のような叫びが漏れ出る。
それを見て、ミゲルは不意にその力を緩めた。
彼は、押さえつけていたイザークの体から手を放すと、素早く起き上がった。
体が解放されたことがわかると、イザークはそっと目を開けた。
ミゲルの顔はもう、そこにはなかった。
狐につままれたように、呆然とした瞳をしばたきながら、彼はゆっくりと身を起こそうとした。
その前に、不意に手が差し出された。
「・・・悪かったな」
ミゲルは一言そう言うと、イザークの背に手をそえて、彼が身を起こすのを手伝ってやった。
「・・・やっぱな・・・」
ミゲルが言うと、イザークは彼をきっと睨みつけた。
「・・・ミゲル、貴様・・・!・・・い、今のは・・・なんの真似・・・だ・・・!」
言いながらも、さっきの衝撃が失せず、まだ呼吸が荒い。
そんなイザークを射るように見つめながら、ミゲルは静かに口を開いた。
「・・・イザーク、おまえ・・・アスランと寝ただろ・・・?」
そうさらりと言ってのけたミゲルの顔が全く笑っていないことに気付き、イザークは困惑した。
いつもの冗談めかした口調ではない。
彼の表情はいつになく真剣なものだった。
(・・・なっ・・・なんで・・・?!・・・)
イザークは動揺を抑え切れなかった。
――何で・・・こいつが、そんなこと知っている・・・?
静まりかけた心臓が再び少しずつ動悸を速めていく。
「・・・・・」
彼は返事に詰まった。
「・・・わかるんだよ。おまえの今の反応見たら・・・」
ミゲルは肩をすくめた。
「おんなじだからな・・・」
「・・・・・?!」
イザークの顔は蒼白だった。
ミゲルはそこでふと唇を緩めた。
(・・・女とおんなじだ――なんていったら、また怒っちまうかな・・・)
ひそかに胸の中で呟きながら、指でそっとイザークの頬に触れてみる。
その柔らかな肌のほんのりと暖かい感触に、ミゲルは少し不思議な気持ちになった。
(・・・あれ・・・?)
ミゲルはふと首を傾げた。
同時にイザークの頬に忽ち朱が差した。
「・・・い、いい加減にしろ!!」
イザークは怒ったようにミゲルの指を払いのけた。
しかし、それまでに既にミゲルの方は別の思考の中に嵌まり込んでいた。
(・・・あれれ、この感じって・・・なーんか、やばいんじゃないか・・・)
ミゲルは我ながら妙な気分になりそうで、どきりとした。
一瞬、相手が男だということを忘れそうになってしまった。
錯覚・・・。
冗談じゃなく、マジで・・・。
そっか。・・・こういう気持ちで、奴も・・・。
ミゲルはふと想像して息を吐いた。
アスラン・・・そう・・・奴だけじゃないんだ。
誰にでも十分起こり得ることなのかもしれねーな、こりゃ・・・。
イザーク・・・こいつは、確かに・・・やばいくらいに・・・
・・・『美人』すぎる・・・ってか。
ミゲルは苦笑した。
しかし、自分にそういう気持ちが起こるかどうかは・・・あんまり考えたこともなかったが・・・。
もっとも、イザークを襲ってやったら、なんて冗談を飛ばしたことは何度もあった・・・。
あのとき、自分の中で、ひょっとしたら・・・半分くらい本気の気持ちが入っていたのだろうか。
「・・・なあ、おまえ、わかってる?さっきのおまえの反応っていったら、まるで――」
ミゲルは言うと、イザークを見てにやりと笑った。
「――初めて男と寝た後の・・・女の反応」
自分で言って、あんまり洒落にもなってないな、と思いながら、相手の反応を見る。
案の定、イザークの頬は真っ赤になった。
「・・・なっ・・・何を・・・っ・・・!!」
「・・・まー、気にすんな!・・・何も恥ずかしいことじゃねーよ」
ミゲルは宥めるように言った。
「・・・男と寝るか、女と寝るかなんて、大した問題じゃねーしな。軍隊の中じゃ、よくあることさ」
――そう、大したことじゃない。
ミゲルは心の中で繰り返した。
「俺だって、経験あるぜ。・・・ま、無理矢理ってことはなかったけどよ」
それを聞いて、イザークは驚いたようにミゲルを見つめた。
「・・・そんなにびっくりするこたあ、ねーだろ。まあ、おまえ、ウブそうだし、ショックだったんだろうけどよ。いつまでも引きずってちゃ、身がもたねーぜ」
(俺に抱かれてみないか、ミゲル・アイマン・・・?)
そんな風に誘われたいつかの記憶がぼんやりと甦っていた。
――男に抱かれる趣味はねーよ・・・!
即座にそう突っぱねようとしたが、相手に抱きすくめられて動けなくなった。
唇から首筋に・・・鎖骨を撫で、乳首に吸い付いていく相手の唇の感触が、ぞくぞくと彼の全神経を刺激し、彼はそれまでにないくらいに激しく興奮させられた。
抱かれたのは、あの一度きりだったが・・・。
確かにあのときは最初、恐ろしく痛くてきつかったが・・・
しかし、それでも・・・
――悪くは・・・なかった。
(まあ、しかし、俺も好きものだよなー)
思わず彼は苦笑した。
たぶん、相手が上手かったんだろうな・・・。
――だが、今目の前にいるこのイザークの顔には、ただ苦痛と悲しみの色しか浮かんでいない。
何だか、全体的に艶っぽくはなったが・・・。
それにしても――
ミゲルはふと眉をしかめた。
(・・・アスランの奴・・・相当無理にいきやがったな・・・)
無理矢理、押し倒して・・・
抵抗する相手の中に押し入り・・・
殆ど強姦のように・・・。
――その光景は想像に難くない。
しかし、想像すると、いかにもグロテスクな光景で・・・ミゲルは嫌悪感を抑え切れなかった。
彼はそんな思考を無理に振り払った。
(やめとこう・・・面白くもねえ・・・)
「・・・なあ、イザーク・・・」
そんな気分でイザークの顔を見ると、自然に言葉が迸り出た。
「・・・なんなら、今度は俺と寝てみっか?・・・アスランより、断然いいと思うぞ。俺は何せ奴とは経験度が違う。・・・ま、俺の場合、殆どが女とのってことだけどな。――どうだ?これでも俺、結構モテるんだぜ。・・・女にするみたいに、やさしくしてやっからさ」
ミゲルはイザークの髪に手をかけると、すっと手でなで梳いた。
「やっ、やめろ!バカ!・・・気色悪い!!」
イザークは即座にその手を振り解く。
薄青色の瞳が怒ったようにミゲルをきつく睨みつけた。
「だ、第一、俺は男だ!・・・お、女と一緒にするなッ!」
剥きになるイザークを見て、ミゲルは笑った。
「・・・冗談だよ、冗談!――けど、ほんと、あんまり無理すんな。・・・泣きたいときは泣きゃあ、いいんだから。男だろうが女だろうが、おんなじだ。恥ずかしいことじゃない」
ミゲルはふっと目をそばめた。
(・・・こいつ・・・?)
イザークの唇が一瞬震えたように見えた。
「・・・わかったようなこと・・・言うな」
イザークは顔をそむけると、ぽつりと呟いた。
(・・・なんて――頼りない顔しやがる・・・)
その寂しげな横顔が、なぜかミゲルにはとても切なかった。
彼は敢えて明るく声を上げた。
「・・・よーっし、じゃあ、部屋へ帰る前に、よく眠れるよう、俺が特製のお茶を入れてやる!ちょっと待ってな」
イザークが返事をする前に、彼はさっさと用意を始めた。
そんなミゲルの背中を見つめながら、イザークは突然、全身の不安や緊張が一気にほぐれていくのを感じた。
――何でだろう・・・。
こんな風に感じられるのは・・・?
今まで、ミゲルに対してこんな風に感じたことはなかった。
ただ無神経で、やたら軽々しいだけの奴だと思っていたが・・・。
何だか今は、一緒にいることが・・・こうして話していることが、とても自然で心地よく感じられる。
こんな奴だったかな・・・?
それはイザークにとっては、意外な発見だった。
(・・・ほんとに・・・やさしく抱いてくれるんだろうか・・・)
いつしかそんなことすら考えている自分に気付いて・・・
イザークは、一瞬でもそんな風に思えた自分が不思議でたまらなかった。
だが、今、彼の気持ちは何だかとても落ち着いていた。
ミゲルと一緒にいることの、安らぎ・・・それはこの苦しかった数日間、ずっと彼が狂おしいほど求めていて、ようやく得られたものだったのかもしれない。
カップを手に持った瞬間、立ち昇る湯気から今まで嗅いだことのないような、いい香りが漂ってきた。
イザークは目を閉じて、その香りを味わうようにゆっくりと吸い込んだ。
ミゲルがこんなものを飲んでいるとは思わなかった。
イザークは、その香草の入ったお茶をおいしそうに飲んだ。
ほんのりと甘くてやさしい。
確かに、心が自然と和らぎ、落ち着いてくるような、不思議な香りだ
「・・・どうだ、いいだろう。・・・お袋が趣味で育ててる植物なんだ。ほんとは地球の風土の方が合うんだろうけどな。俺も小さい頃からずっとこれ飲まされてきたんだ。今じゃこれなしじゃ生きてけないってくらいさ。といっても中毒になるようなやばいもんじゃないから、安心しろ。・・・今夜はぐっと安眠できるぞ」
自慢げに言うミゲルを、イザークは不思議そうな目で見た。
(・・・ありがとう・・・って、言うべきなのか・・・)
しかし、照れくさくてとてもそんな言葉は言えそうにない。
イザークは結局黙って俯いたまま、残りのお茶を一気に飲み干した。
「・・・じゃあ、俺、行くから・・・」
そう言ってイザークは立ち上がると、カップを近くの机の上に置いた。
照れくささを振り払うように、すたすたと扉口まで歩き、扉を開ける。
出て行こうとするイザークの背に、ミゲルの手が触れた。
「・・・イザーク、待てよ!」
何だ、と振り返ったイザークの頬を、ミゲルの唇がそっと掠めていく。
一瞬・・・さっきの香草の甘い香りが彼の鼻腔をくすぐるように通り抜けていった。
「・・・ミ、ミゲル・・・?!」
「・・・いいだろ?これくらいお礼もらったって、さ?」
驚いて顔を赤らめるイザークに向かって、ミゲルは邪気のない笑みを投げかけた。
「・・・おやすみ、イザーク」
短い言葉を投げかけると、ミゲルは身を翻して素早く部屋の中へ消えた。
扉が閉まっても、イザークは早鐘のように鳴り響く心臓の鼓動を抑えながら、その場にしばらく佇んだままだった。
(今の・・・誰にも・・・見られてなかった・・・な?)
戸惑いながらも、どうしてこんなにも体が火照るのかと、彼は必死で身内を駆け巡る興奮を抑えようとした。
お陰で周りの風景もしばらくは一切目に入らなかった。
――たまたま通りかかったアスラン・ザラが足を止め、少し離れた場所から火のついたような激しい眼差しで彼を凝視していることにも、気付かないままに・・・。
(to
be continued...)
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