嫉 妬(ジェラシー) (3)




 アスランは、荒ぶる気持ちを必死で抑えながら、何とか部屋に帰り着いた。

 
しかし中に入った途端、激しい感情の波が一気に溢れ出し、どうにも止めようがなかった。
 
気付いたとき、彼は壁に拳を思いきり打ちつけていた。
(・・・イザーク・・・!!)
 切ないくらい、思いが溢れた。
 と同時に、耐え難いほどの苦痛が胸をぎりぎりと苛んだ。
 ・・・イザークと、ミゲルが・・・?
 ――まさか・・・?
 思い過ごしかもしれない。
 しかし、それではついさっき自分が見たものは・・・?
 あれは・・・何だったのか。
 
遠目からだったものの、確かにミゲルがイザークにキスしていたように・・・見えた。
 ミゲルの部屋の前で・・・。
 ということは、今までイザークはミゲルの部屋にいたということか?
 ラスティはさっきコモンルームで見かけた。
 
・・・つまり・・・あの部屋の中には、ミゲルとイザーク二人きりだったということだ。
 
二人だけで・・・どんな時間を過ごしていたのか・・・。
 
あの雰囲気は、どこか普通ではないようにも感じられた。
 
まさか・・・?
 ・・・次から次へと疑念が湧き上がる。
「・・・どうしたんですか、アスラン?」
 気が付くと、ニコルが心配そうに横から覗き込んでいた。
「・・・あ、いや、何でもない・・・」
 アスランは何とか気持ちを抑えると、相手に何も気取られぬよう無理に微笑んで見せた。
 しかしニコルはそんなアスランに、ますます不審気な視線を投げかけた。
 いつも冷静さを失わないアスランにしては珍しく、激しい感情の露出だった。
 
よほど、心を揺さぶるような何かがあったとしか思えない。
「・・・誰かとトラブルでもあったんですか・・・?――あ、ひょっとして、イザークと何か・・・?」
 ニコルのさりげない一言が、アスランの胸を軽く突いた。
 しかしアスランは表向きはにっこり笑って否定した。
「・・・心配させてすまない。でも、ほんとに何でもないんだ」
 そう言うと、ニコルの肩を安心させるように軽く叩いて、彼はその場を離れた。
 ニコルは誰にでも気配りのできる心やさしい少年だ。
 相手の気分を敏感に察知して、すぐに気遣いを示そうとする。
 しかし・・・
 今はそんな彼の親切心も、ただわずらわしいとしか感じられない。
 アスランは軽く吐息を吐く。
 今・・・傍に、あいつが・・・イザークがいれば・・・。
 ふと、そんな思いが頭を掠めた。
 ・・・この部屋で、イザークと二人きりで過ごせたあの時間。
 思い出すと、熱い想いが再び身を焦がすようだ。
 あの白く柔らかな肌に触れた感触が、まだ指先に生々しく残っている。
 イザークの吐息や、艶かしい喘ぎや、あの肌のぬくもりが・・・今、こんなにも恋しい。
 
――こんなにも、俺は・・・
 
――俺はあいつを・・・イザークを求めている。
 アスランは苦笑した。
 まったく・・・俺は、どうかしている。
 すっかりあいつに夢中になってしまっている。
 どうしてこんな風になってしまったのか・・・。
 
・・・それだけに、さっきの光景は彼には衝撃以外の何ものでもなかった。
(・・・誰にも渡したくない・・・!)
 
アスランは暗い思いが自らの胸の内を激しく渦巻くのを痛いくらいに感じていた。
 
その泥濘とした思いは、抑えようもないままに、ますます高まるばかりだった。
(・・・これは・・・『嫉妬』って奴か?)
 アスランはふと思った。
 俺は・・・嫉妬している・・・のか。
 ミゲルに・・・?
 それも、ある。
 だが、それだけではない。
 
・・・誰に嫉妬しているとか・・・そんな単純なものではないのだ。
 アスランは頭を抱えた。
 俺は・・・イザークが触れるすべてのものが・・・妬ましいのだ。
 この瞬間にも、彼がどんな姿で何をしているのか・・・想像しようとすると、途端に激しい感情の波に足元をすくわれそうになってしまう。
 ――なぜ、こんなにも・・・?
 アスランは苦しげにそっと息を吐き出した。
 ――イザーク・・・。
 光をこぼす銀糸の髪が目の前をちらついた。
(なぜ、おまえはこんなにも俺を苦しめる・・・?)
 
今夜はこのまま、悶々とした思いにとらわれて、容易に眠れそうになかった。
 

 
・・・翌日、イザークは集合時間に少し遅れた。
 慌てて入ってきたイザークが通り過ぎるとき、
「・・・昨夜のお茶が、効きすぎたか?」
 イザークの腕を引っ張って、ミゲルがこっそり茶々を入れた。
「・・・う、うるさい!」
 イザークは少し顔を赤らめながら、腕を引き放した。
 しかし、ミゲルに見せた顔は普段の彼にしては珍しく柔らかい表情のように見えた。
 すかさずそれを見ていたのは・・・
 刺すような視線を感じて、イザークはふと振り返った。
 忽ちアスランと目が合った。
 その鋭くけぶるような翡翠の瞳に射抜かれた瞬間、ぞくりと全身に冷たいものが走った。
(・・・アスラン・・・?)
 冷やかな、凍りつくようなその眼差し。
 ――何でそんな目で見るんだ・・・?
 イザークは落ち着かない気持ちで、逃げるように視線をまた元に戻した。
 なぜかわからないが・・・嫌な予感がした。
 

 ・・・そして、その予感は数刻後、見事に的中した。
 休憩時にレストルームに入ると同時に背後に人の気配を感じた。
 ハッと振り返る間もなく、アスランが後ろから突然彼の腕を掴み、イザークは入り口の横の壁に体を強く押しつけられた。
「・・・なっ・・・何をするッ・・・!」
 イザークはいきなりの乱暴にショックを受けながらも、何とか我に返って抗議の声を上げた。
 掴まれて壁に固定された両腕を振り解こうと、もがく。
 アスランの手にさらに力がこもり、イザークは痛みに思わず呻いた。
「・・・イザーク・・・聞きたいことがある」
 低い声で囁くアスランの目はこれまでに見せたことのないような暗い色を宿していた。
 イザークは息を呑んだ。
(・・・何だよ、こいつ・・・!!)
 一瞬、わけのわからぬ恐怖で全身が固まった。
「・・・昨夜・・・ミゲルの部屋にいたろう?」
 アスランの口調は淡々としていたが、その裏には明らかに怒りを滲ませた響きが感じとれた。
 
――ミゲル・・・?
 
イザークは一瞬目を瞠った。
 
昨夜・・・ミゲルの部屋にいたことを、何でこいつが知っているんだ・・・?
 しかし、そのとき、自分が部屋の前でしばらく立ちすくんでいた光景が不意に甦った。
 
あのとき・・・ひょっとしたら、どこかから見られていたのかもしれない。
「・・・それが・・・どうした?・・・俺が昨夜どこにいようとおまえには関係ないことだろうが・・・!」
 イザークは動揺する胸を抑えながら、敢えて傲慢に言い放った。
 挑戦的な眼差しで一瞬、強く目の前のアスランを睨みつける。
(・・・そうだ、なんで俺がいちいち、おまえにあれこれ言われなきゃならない・・・?!)
 突然、むらむらと怒りが込み上がってきた。
(・・・そうだ、俺はどうかしてる・・・!何だよ、このシチュエーションは・・・?!)
 アスランと自分との関係が、明らかに変化してしまったことに戸惑いを覚えながらも、彼は何とかその流れから抜け出そうと必死であがいていた。
「・・・何でもいいから、この手を放せ!!」
 しかし・・・アスランはイザークの腕を掴む力を緩めなかった。
「・・・俺の質問はまだ終わってない。質問に全部答えるまでは、放さない」
 アスランはそう言うと、イザークの体の上に自分の体を強く押し当てた。
「・・・答えろよ、イザーク。――昨夜、ミゲルと何をしていた?」
 
脅しを含むような声。
 
相手が何をしようとしているのか、想像がついた。
 
しかし、イザークは身を震わせながらも、必死で声を強く保った。
「・・・そんなこと、貴様に答える必要は・・・ない・・・!」
 アスランの瞳が鋭く閃いた。
「・・・こういうこと、してたんじゃないのか?」
 言うなり、相手の唇にすかさず自分の唇を押し当てようとする。
「・・・んっ・・・!!」
 体を捩り、接触しかけた唇から逃れたイザークはアスランに必死の形相で怒りをぶちまけた。
「・・・や、やめろったら、バカ!!こんな・・・公衆の場所で・・・!!」
「――じゃあ、プライベート・ルームなら、いいんだ?」
「そ、そういう問題じゃなく・・・んんっ・・・!!」
 わめき続けようとするイザークの口をすばやくアスランの唇が塞いだ。
 今度こそ逃れようもなく、アスランの舌がイザークの口内を蹂躙していく。
 しかし、今度はイザークもかなり抵抗した。
 アスランは相手がなかなか自分を受け入れないことに苛立ちを募らせた。
 ――どうしたんだ・・・イザーク・・・?
「・・・っつ・・・!」
 アスランは突然鋭い痛みを感じて、思わず唇を離した。
 ・・・舌先がじんとしびれていた。
 唾液に混じって、僅かに血の味がした。
 イザークが思いきり噛みついたようだ。
 同時に掴んでいた力が一瞬緩み、相手の両腕がだらりと抜け落ちた。
 すぐ目の前で、呼吸も荒く睨みつけるイザークの唇にも僅かながら血が滲んでいる。
 アスランは抑えようもなく、激しい憤りの感情が込み上がってくるのを感じた。
「・・・そういうこと、するんだ・・・?」
 アスランの瞳がかっと燃え上がったかのように見えた。
 と同時に彼の手が伸び、イザークの喉元を捉えた。
 その手に容赦ない力が入り・・・忽ちイザークは呼吸ができなくなった。
「・・・うっ・・・!・・・」
(・・・や・・・め・・・ろ・・・っ・・・!)
 苦痛が全身を支配する。
(こいつ・・・何・・・考えて・・・っ・・・!!)
 冗談だろう?・・・と思いながらも、霞む視界に入るアスランの表情はとても笑い事とは思えない深刻さを見せていた。
(・・・誰か・・・た・・・すけ・・・!)
 助けを呼ぶ声も出ない。
「おい、何やってんだ、おまえら?!」
 突然、レストルームの扉が開いたかと思うと、アスランの背後から声がかかった。
「・・・バカ、やめろ!!アスラン!!何やってる?!」
 イザークの喉にかけられたアスランの手が離れた。
 イザークは咳き込みながら、壁に背をもたせ、何とか倒れようとする体を支えた。
 我に返って前を見ると、アスランの腕を掴んでいるミゲルの姿が目に入った。
 アスランは蒼白な顔をして、その場に凍りついたように立ち竦んでいる。
 ミゲルもさすがに驚きを隠せない様子だった。
「・・・いったい、どうしちまったんだよ、おまえら!・・・冗談にしちゃあ、趣味が悪すぎるぜ」
 肩越しに視線を投げたアスランの表情を見て、ミゲルは困惑した。
 
・・・その顔に浮かぶあまりにも激しすぎる感情の色・・・。
 こんなアスラン・ザラを見たのは初めてだったかもしれない。
「・・・放せよ、ミゲル」
 アスランはぽつりとそう言った。
 その声に我に返ったミゲルは素直に手を放したが、それでもやはり訝るようにアスランとイザークを交互に見た。
「・・・ただの喧嘩・・・ってわけでもなさそーだが・・・?アスラン、おまえらしくねーな。何カッカしてんだよ」
 自分にその原因があるとは露とも知らず言うミゲルに、アスランは刺すような視線を向ける。
 その冷たい、氷のような表情を見て、ミゲルはさらに戸惑いを深めた。
(・・・なんだよ、こいつ・・・?なんて目で俺を見やがる・・・)
 体の奥の方が少しぞくりとするような感触。
 こういうの・・・身の毛がよだつ・・・って奴か?
 こりゃあ・・・マジに、冗談ごとじゃなさそうだ。
「――おまえには関係ない・・・」
 アスランはそう言うなり、ミゲルの方を見向きもせずに踵を返してレストルームを出て行った。
 呆然とそれを見送りながらも、ミゲルはすぐにイザークの方へ意識を戻した。
「おいおい、大丈夫か、イザーク・・・」
 うずくまるイザークに手を差し伸べる。
 イザークは言葉もなく、ただ黙ってその手につかまった。
 その暗いうち沈んだ様子に、ミゲルは再び不審を募らせる。
(・・・ったく・・・なーにやってんだよ、こいつらは・・・!)
 ただ、どうもただごとではないような気配がする。
 ミゲルはふとわけもなく不安が胸をよぎるのを感じた。
 さっきの・・・あの凍りつくようなアスランの瞳。
 あんなあいつの顔は初めて見たような気がする。
 どこか危険な・・・まるで野獣を思わせるような荒々しい色を映していた。
 何だろう、あれは・・・?
 憤り・・・?
 憎悪・・・?
 なんていうか・・・
 敢えて言葉にすれば・・・
 
――絶対に許さない・・・!――
 ・・・そう、そんな瞳だった。
 それが、何に・・・いや、誰に対してなのか・・・。
 イザークに対してか・・・?
 それともイザークに手を出そうって奴に対してか・・・?
 ――たとえば、俺みたいな。
 そう考えて、ミゲルは苦笑した。
 何だよ。それじゃあ、まるで安物のソープオペラみたいじゃないか。
 嫉妬・・・ってか?
 おいおい、やめてくれよ。そんな・・・。
 しかし、それにしても――
 
奴のあの興奮のしかた・・・。
 
ありゃあ、ほんと、重症だな。
(ほんと、大丈夫なのかよ、こいつら・・・)
 巻き込まれたくないと思いながらも、こんなイザークの打ちひしがれた姿を見ていると何となく気になって仕方がない。
 そして、自分の中のこのもやもやする思いも・・・整理がつかない。
 俺、ひょっとして・・・
 俺もこいつのこと、気にしてるってことは・・・?
(いやー、ダメだ、ダメだ!!それ以上、考えるな・・・ミゲル・アイマン!おまえまでおかしくなって、どうする?)
 ミゲルは強く頭を打ち振ると、ふうと軽く息を吐いた。


                                          (to be continued...)


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