嫉 妬(ジェラシー) (4)
その後、午後のミーティングが終わるまで、イザークは落ち着かないままだった。
アスランは知らぬ顔をしていたが、イザークはどうしても意識してしまう。
敢えて相手の顔を見ないようにしていたが、そこに相手が存在していると思うだけで、動揺がさざめく波のように胸の中を広がっていく。
動揺する胸を抑えるため、必死で目を閉じ、息を大きく吸い込んでみたりするのだが、どうしても冷静な状態には戻れない。
(・・・アスラン・・・)
その名を呟くたび、イザークの体は何かしら反応してしまう。
それが一体何を意味しているのか――それがよくわからず、彼は苛立ちを募らせるばかりだった。
自分の気持ちに整理がつかない。
俺は・・・こいつが嫌いなのか。それとも、そうじゃないのか・・・。
そんな単純な問いにすら、なかなか答えが見つからない。
イザークの胸は激しく動揺する。
茫漠たる不安が広がる。
(・・・俺はどうしちまったんだ・・・)
いつから・・・そもそも、どうしてこんな風になってしまったのか。
いつの間にか・・・アスランと自分の間の関係に、もはや取り返しのつかないような、何らかの・・・決定的な変化が生じてしまっていた。
――これは・・・一体何なんだ・・・?
イザークは必死で自分自身の心の中を冷静に戻そうと努めた。
このままでは、自分は本当におかしくなってしまう。
アスランのペースに振り回されて・・・。
イザークは唇を噛んだ。
苦い思いが胸の中に広がった。
ひどい奴だ・・・と思う。
にっこり微笑いながら、俺を傷つける。
イザークには、アスランがわからなかった。
アスランの意図が・・・。
彼の自分に向けられた思いが・・・。
(・・・おまえが好きだ・・・)
そう言いながら、瞳に宿る光から時に感じるあのぞくりとするような・・・あの恐ろしいほどの酷薄さ・・・あれはいったい何なのだろう。
さっきのレストルームでの光景が生々しく脳裏に甦った。
彼の喉に爪を立てたときの、あのアスランの表情。
・・・あのときのアスランは、明らかにどこか常軌を逸しているかのようだった。
あの、瞳(め)・・・。
思い出して、イザークはぞくりと身を震わせた。
――もしかしたら・・・
・・・あのまま・・・本当に、俺を殺すつもりだったのか・・・。
馬鹿な・・・と思いながらも、喉元にかかった指先のあの感触を思い出すと、そんなに簡単に笑って過ごすこともできない気がした。
あいつ・・・何を考えているんだ・・・。
気持ちが、わからない。
・・・怖い・・・?
あいつが・・・アスラン・ザラが・・・?
・・・それは認めたくない感情だったが、今や彼の中では、プライド云々という以上に自分の身が恐ろしい危険に晒されているのだという危機感の方が遥かに上回っていた。
本能的な恐怖心が彼の中でどんどん増幅し、イザークの頭はパニック状態だった。
とにかく、今日は早く部屋に帰って休みたい。
・・・彼は疲弊した頭でぼんやりとただそれだけを考えていた。
「・・・あっ・・・?」
部屋に帰った瞬間、イザークは変な顔をした。
「・・・どうしたんだよ、イザーク?」
制服を脱ぎかけていたディアッカが、振り返って不審気にイザークを見る。
「――ない・・・」
・・・さっきのミーティングで作成した作戦データを入れたディスクが・・・。
普通なら、滅多に起こらないような・・・まさに彼らしからぬミスだった。
イザークは忌々しげに顔をしかめた。
くそっ・・・やはり、作戦会議中にあのようなことをくだくだと考えていたせいだ。
これもみんな・・・あいつの・・・。
しかし、そんなことを言っても仕方がない。
結局は自分がぼんやりしていたからだ。
「おいおい、しっかりしてくれよ、イザーク」
ディアッカは呆れたように息を吐き出した。
さらに言いたい言葉を・・・ぐっと呑み込んだ。
・・・本当に最近のこいつはどうかしてやがる。・・・ったく。実戦も近いってのに・・・。大丈夫か?こんなんで・・・。
どうせ例のアスランとの一件が尾を引いているのだろうが・・・。
それにしても、こんなときに痴情沙汰か・・・?しかも、野郎同士で・・・。
・・・今日の訓練がきつかった分、疲労も濃かったせいだろう。
ディアッカの口調は自然と険のあるものになった。
「・・・忘れてきたっていっても、ロッカールームかミーティングルームかどっちかしかねーだろ?――さっさと取って来いよ」
その言い方がやや勘に障ったのだろう。
イザークの顔色が僅かに変化した。
「・・・わ、わかってるッ!!」
イザークはむっとした様子でそう言い返すと、怒ったように部屋を出て行った。
(・・・くそっ・・・ディアッカの奴・・・偉そうに・・・!!)
自分に非があることは百も承知の上で、それでもイザークは内心ぶつぶつと恨み言を呟かずにはいられなかった。
確かに、作戦会議中ぼおっとしていた自分が悪い。
しかし・・・
仕方ないだろう・・・。
彼の足の運びがふと緩んだ。
アスランとの、昼間のあの一幕。そして、それまでの一連の出来事。
すべてをひっくるめて思い起こし・・・イザークの胸は突如、激しい興奮に沸き立った。
イザークは興奮した心を鎮めるように大きく息を吐き出した。
(・・・あんなことがあって・・・普通でいられるか・・・!!)
しかし、そんなことを今言っても仕方ない。
あくまでそれは彼のプライベートであって、ディアッカには所詮関係のないことなのだから。
イザークは軽く頭を振った。
再び速足になる。
(・・・とにかく、いつまでもこんなんじゃ、ダメだ。いい加減、頭を切り替えなければ・・・)
ヘリオポリス襲撃の日も近い。
こんな調子で、実戦に臨めるか。
・・・彼は自分自身を取り戻そうと、湧き上がる雑念を振り払おうとした。
ミーティング・ルームは、当然ながら人気もなく、照明に照らされた広い室内はやけに白く、一層寒々しく見えた。
(・・・確かこのへんだったよな・・・)
イザークは自分が座っていた周辺の床下に屈み込み、目指すものが落ちていないか視線をあちこちに彷徨わせた。
「・・・これ、探してる?」
不意に背後から声がかかり、イザークは飛び上がりそうになった。
驚いて振り返ると、扉口にアスランが佇んで、こちらをじっと見つめている。
その手に掲げているものを見て、イザークは思わずあっと声を上げた。
「・・・そ、それ・・・!!」
何で貴様がそれを持っている・・・?!
と言いたい言葉がなぜかすんなりと出てこなかった。
――その前に・・・なんで、こいつがここにいる・・・?
何となく、いやな予兆めいたものが頭の中を掠めていった。
イザークが緊張に微かに身を固めたのに対して、アスランの顔は至って穏やかだった。
「・・・こんな大切なもの、忘れていくなんて・・・どうかしてるんじゃないか、イザーク。おまえらしくないな」
そう言いながら、彼の空いた片手が壁際のロックキーを素早く叩きつけた。
電子音が響き、たちまち扉がロックされた。
イザークは息を呑んだ。
(・・・なっ・・・?!)
「・・・ア、アスラン、貴様・・・何のつもりだ・・・!!」
出てくる声が我知らず震える。
アスランは答えない。
ただ、彼はゆっくりとイザークに近づいてくる。
イザークは後退った。
アスランの顔から笑みが消えていた。
代わりにそこにあるのは・・・
どこか暗い翳りのある表情・・・。
それは、数時間前に見たレストルームでのアスランと全く同じだった。
彼の心の内にある何かが、強い危険信号を放っていた。
(・・・ダメだ・・・奴は・・・何か、おかしい・・・!)
逃げた方がいいかもしれない。
そんな本能的な警戒心が首をもたげた。
しかし、身を翻そうとするイザークの前にアスランが素早く立ち塞がった。
「・・・どうしたんだよ、イザーク。おまえの落し物、拾ってやったのに。・・・これ、要らないのか?」
アスランはそう言うと、手に握っているディスクをわざとらしく相手の目の前にかざして見せた。
そんなアスランのいかにも揶揄するような調子に、つい今しがたの警戒心も忘れて、イザークは忽ち憤りの色を表した。
「・・・貴様・・・っ・・・!」
イザークは怒りに駆られて、思わずその手をディスクの方へ伸ばした。
その瞬間――
「・・・・・!」
彼の伸ばした手が、宙でぴたりと止まった。
アスランの手が、彼の手首をしっかりと掴んでいたのだ。
(くっ・・・!)
振りほどこうとするが、相手の強い力がしっかりと彼の手を締めつけて放さない。
「・・・アスラン!!」
(・・・はな・・・せ・・・っ・・・!)
虚しい抵抗を込めた目で睨みつけるイザークを見返すアスランの瞳は氷のような冷やかさを含んでいた。
「・・・イザーク・・・俺はおまえを放さない・・・絶対に・・・!」
アスランはそう言いながら、掴んだ手をぐいっと強く引いた。
思わず足元をとられてよろめくイザークを体ごと自分の手元に引き寄せる。
「・・・なっ・・・!!」
もがいて身を引き離そうとするイザークの腹部に、アスランの拳が一発入った。
「・・・・・・!」
イザークは衝撃に目を見開いた。
力が抜け、喘ぎながらその場に崩折れる。
が、その前にアスランの腕が彼の体を引き上げた。
顎を引き掴み、喘ぐその唇をもうひとつの唇が強引に塞ぐ。
まるで噛みつくような、激しい唇の合わせ方。
イザークの顔が微かに歪んだ。
絡み合う唾液がだらだらと口端から滴り落ちていく。
(・・・や・・・っ・・・・!)
イザークは弱々しくもがきながら、何とか必死に相手の唇から自分の唇を離した。
アスランは怒ったようにイザークを睨みつけた。
そむけようとする相手の顔を無理矢理自分の方へ向けさせると、彼の手が大きく宙を舞った。
あっ・・・と思った瞬間には、既にイザークは顔を思いきり平手で打たれ、頭から床に打ちつけられていた。
唇が切れ、生暖かい血のぬるぬるした感触が口内を満たしている。
ひどい衝撃に頭が眩み、一瞬目の前が真っ白になった。
「・・・う・・・」
頭を押さえながら何とか起き上がろうとするイザークの真上からアスランの体が一気に覆いかぶさってきた。
強い力で四肢を床に抑えつけられ、全く身動きが取れなくなった。
どのみち、既にもがくほどの気力も残っていなかったが・・・。
ぼやける視界の中・・・すぐ目の前にアスランの酷薄な顔が迫った。
相手の体の下に組み敷かれながら、これからされることを想像し、イザークの体は自ずと恐怖に震えた。
「・・・アス・・・ラン・・・やめ・・・ろ・・・・っ・・・!!」
イザークの絞り出すような声が、哀願めいた悲鳴を上げる。
(・・・お願い・・・だから・・・)
幼い子供に返ったかのように・・・イザークは自分の現在の立場を全てを忘れ、ただ恐怖から逃れたいばかりに、必死に相手に懇願の眼差しを送った。
しかし、アスランは顔色ひとつ変えなかった。
翡翠の瞳は、手の下に捉えた獲物を感情のこもらぬ表情で淡々と見つめるだけだった。
「・・・イザーク・・・悪いけど、俺は今、おまえをやさしく抱けないかもしれない・・・」
凍りつくような眼差し。
イザークを押さえつけるアスランの両手にさらに力が入る。
(・・・なんでだろうな・・・)
アスランは自分でもわからない激しいどろどろとした感情が湧き上がってくるのを感じていた。
俺は、こんなにこいつが好きなのに・・・。
好きで、好きで・・・どうしようもないくらい・・・
なのに・・・今、こいつを苦しませようとしている・・・
こいつを泣かせてやりたいと・・・
泣いて許しを請わせてやりたいくらい・・・
・・・こいつを無茶苦茶に壊してやりたいとさえ・・・思っている、そんな暗いどろどろとした欲望に胸を滾らせている自分がいる。
しかし、その暗い感情は今、あまりにも強く彼を支配していて・・・。
彼自身、その感情をもはや押しとどめることはできなくなっていた。
――殺してやりたいくらい・・・おまえを、愛している・・・。
・・・イザーク・・・おまえは何で、ここにいる・・・?
俺は、もう自分の気持ちをどうにもできない。
おまえのせいで・・・俺は・・・
アスランは荒々しく息を吐いた。
自制心のなくなった今・・・いくところまで、いくしかない。
イザークを抑えつける腕にさらに力がこもった。
「・・・俺は今、おまえを・・・本当に・・・ぼろぼろにしてやりたい気分だ・・・」
その酷薄な言葉に・・・イザークの心は芯から震えた。
(・・・こいつ・・・本気だ・・・)
冗談で言っているのではないということは、目を見ればわかる。
――こいつ、本当に・・・俺のことを・・・
床の冷たい感触が、一層彼の心を震わせる。
イザークの恐怖心は否が応にも高まらずにはおれなかった。
「・・・い・・・いや・・・だ・・・っ・・・!!」
(・・・放してくれ・・・アスラン・・・!!)
――頼むから・・・
何度も繰り返される哀願の言葉はいつしかその響きを失い、闇の中に虚しく溶け去っていく。
拷問のような・・・その狂ったような激しい愛撫に身を晒されている間、捉えられた獲物は体と心を苛むその恐るべき苦痛にただ喘ぎ、涙を流し続けるしかなかった。
(to
be continued...)
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