別 離(わかれ) (2)




「・・・そんな・・・っ・・・!」
 ガモフの艦橋でその知らせを聞いた瞬間、イザークは絶句した。
「・・・ミゲルが・・・?!」
 愕然と立ちすくむ彼のすぐ傍らで、ディアッカとニコルも息を呑む。
 さしもの皮肉屋のディアッカも、大分こたえたようだ。
「・・・畜生・・・まさか、ミゲルが――・・・」
 抑えようとしているにも関わらず、声が僅かに震えているのが感じ取れる。
「・・・・・・」
 ニコルは言葉を失くしたまま、そっと俯いた。潤みがちになる瞳を隠すかのように・・・。
(・・・ミゲルが・・・死ん・・・だ・・・?・・・)
 イザークは、目の前が一瞬暗くなったような気がした。
 ――嘘・・・だ・・・ッ・・・!
 心が、激しく拒絶する。
 信じられるか、そんな・・・
 そんな・・・馬鹿なこと・・・っ・・・!
 あいつが・・・あのミゲル・アイマンが・・・?!
 
ナチュラルなどに・・・落とされるなんて・・・!!
「・・・馬鹿な・・・っ・・・!」
 
不意にイザークは大きな声を上げた。
 全身がかあっと熱く燃え上がるかのようだった。
「な、何かの間違いだ!!・・・あいつに限ってまさか、そんな・・・そんなはず――・・・!!」
「イザーク・・・?」
 ニコルがその顔をイザークに向けた瞬間・・・その沈痛な表情が・・・今の知らせを現実のものとしてイザークに強く実感させた。
 イザークは苛立った。
「・・・おい、貴様らっ・・・!!」
 傍の二人の前に回りこむと、彼らの肩を掴み、乱暴に揺する。
「・・・簡単に信じるな、そんなこと!ミゲルが・・・あのミゲルがナチュラルなんかにやられてたまるかよっ・・・!!そんな馬鹿なこと、あるはずないッ!!」
 ――そうだ。何かの間違いに決まってる。
 どくん、どくん・・・
 
急に胸の動悸が激しくなる。
 ――そんなこと、あり得ない・・・!!
 そうだ・・・ミゲルは決してやられたりしない・・・
 ――ミゲルが死んだなんて・・・嘘だ・・・!
 彼は必死で自分自身に言い聞かせようとしていた。
 しかし・・・
 なぜだろう。
 この胸を覆う鉛のような重さは、何なんだ・・・?
 
さっきから・・・だんだん、ひどくなってくる・・・。
 
呼吸が・・・まるでできない。
 
ひどく息苦しい・・・。
 いきなり襲ってきたその奇妙なまでの窒息感に圧倒されそうになり、イザークは思わずよろめいた。
 
危ないところで何とか傍らの壁に手をついてふらつく体を支えた。
「おい、大丈夫か、イザーク?」
 横から顔を出したディアッカが彼の肩に手を触れた。
「・・・真っ青・・・だぜ」
 心配そうに小さな声で囁く。
 イザークはハッと顔を上げた。
 途端にディアッカの手を振り払う。
「だっ、大丈夫だっ・・・!」
 声が多少高すぎたかもしれない。
 同時にその声の微妙な震えも・・・
「とっ・・・とにかく、俺は信じない!絶対、信じないからなっ・・・!!」
 そう吐き捨てるように叫ぶと、イザークはくるっと彼らに背を向け、艦橋を足早に出て行った。
 
 
(・・・ミゲル・・・ミゲル・・・!!嘘だろう・・・?!おまえが・・・おまえが、そんな・・・!)
 イザークは高まる動悸で息苦しくなる胸を必死で抑えながら、早足で廊下を歩いていたが、途中でとうとう立ち止まらざるを得なくなった。
 壁に背をもたせ、軽く目を閉じると、彼は何とか呼吸を整えようとした。
 胸の漣がおさまらない。
(・・・ミゲル・・・)
(・・・ミゲル――好きだ・・・!)
 自分の中から溢れ出そうとするあの思いを・・・思いきりぶつけたあの夜。
 ミゲルの腕は優しく彼を受け容れてくれた。
 
――俺がいなくなっても、泣くんじゃねーぞ・・・!
 確かあのとき、彼はそう言った。
 ただの冗談。戯れ・・・深刻に受け止めるほどのこともなかったのかもしれない。
 でも、なぜかあのとき・・・妙に胸が波立った。
 ミゲルのあのどことなく寂しげな瞳の色・・・。
 どこか、彼が儚く見えて・・・。
 本当にこのまま手を離せば、どこか遠くへ行ってしまいそうな・・・そんな不吉な予感すら感じて・・・。
 ――嫌だ・・・!!
 そんなこと、言うな・・・!!
 思わず叩きつけるように、怒鳴り返したっけ・・・。
 急に、目の奥がじんと痛んだ。
(・・・駄目だ・・・)
 これまで抑えつけようとしてきたもの・・・
 必死でこらえようと自分の中で闘ってきたものが・・・
 脆くも崩れ去ろうとしている。
 ――泣くんじゃねえぞ・・・
 笑ってそう言ったミゲルの顔が浮かんだその瞬間、イザークの心の糸が不意にぷつりと切れたようだった。
(・・・駄目だ、俺・・・俺は・・・ッ・・・!)
 ――どうしたら、いい・・・?
 この胸を抉るような痛み・・・。
 
大切なものを・・・本当にかけがえのないものを失ってしまった――
 二度と取り返すことのかなわぬ・・・大切な、大切な存在だった。
 どうしたら、いいというのか。
 
この深い喪失感・・・
 こんな苦しみを抱いてこれからも何食わぬ顔をして、生きていかねばならないのか・・・。
 あいつのいないこの世界を・・・。
 これから、ずっと・・・?
 ただ、ひとり・・・
「・・・イザーク・・・!」
 不意に向こうの方から声をかけられ、イザークははっと目を開けた。
 ミゲ・・・ル・・・?
 一瞬目に入った金髪に思わず錯覚しそうになった。
「・・・ディアッカ・・・」
 伸ばしかけた手が宙で止まった。
 思わず小さな溜め息が洩れた。
 金髪に浅黒い肌・・・困惑した顔のディアッカが近づいてくる。
「・・・何してんだよ。こんなとこで・・・」
 イザークの様子を見て、彼は眉をひそめた。
 魂の抜けたような瞳・・・。
 いつもの氷のような鋭い透明感のある青が、すっかり精彩を失っている。
「・・・おまえ、ホントに大丈夫?」
 ディアッカがその肩に手を触れると、イザークは苦しげに俯いた。
 その顔を相手に覗かせまいとするかのように。
 ディアッカは軽く息を吐いた。
「・・・そりゃあ、俺だってショックだけど・・・泣いてるヒマねえーんだぜ、俺たち。――まだ、戦闘は続いてる。あの連合の艦を追っかけなきゃならないんだ。わかってんだろ!・・・しっかりしろよ」
 ディアッカの口調は厳しかった。
 ミゲルが死んだ・・・。
 確かにその衝撃は大きい。
 その前に死んだラスティも、ミゲルも彼にとっては気の置けない、本当に大切な友だった。
 ディアッカ自身もどうしてよいかわからぬほど、胸に空いた穴は大きい。
 そして、イザークが最近ミゲルとやけに親しくなっていたことも知っている。
 恐らくただの友である以上の・・・何か深い絆が生まれていたらしいことも――何とはなしに気付いていた。
 だから今のイザークの気持ちはわからぬでもない。
 だが・・・
 今、このように戦闘態勢に入っている中で、自分たちには仲間の死に涙をこぼしている余裕などないのだ。
 クルーゼ隊長の意向では、もうすぐあの奪ってきた新型MSで出撃しなければならないことは目に見えている。
 ひょっとすると自分たちも次の瞬間には同じ運命を辿ることになるかもしれないのだ。
 ゆっくりと友の死を悼んでいる場合ではないのだ。
 でなければ・・・自分たちも遠からず彼らの後を追うことになってしまうだろう。
 厳しいが、それが現実だ。
「・・・な、辛いけど今は死んだ奴のことは考えないようにしようぜ」
 その一言が、イザークの怒りを呼び覚ましたかのようだった。
 
イザークは顔を上げると、ディアッカを睨みつけた。
「・・・うる・・・さい・・・ッ・・・!」
 イザークは肩に置かれたディアッカの手を振り払った。
「・・・おまえに、何がわかる・・・?!おまえに・・・ッ・・・!!」
 彼の手がいきなりディアッカの襟首を掴んだ。
 
青い瞳の奥で、激しい怒りの焔が燃え上がっているかのようだった。
「・・・イザーク・・・おまえ・・・」
 ディアッカはそんなイザークの激しい視線を受けて、戸惑った。
 しかし、相手のその悲痛な感情を肌で感じ取ると、途端に何とも言えぬ哀れみが胸に満ちた。
(・・・ほんとに、おまえ・・・あいつを・・・)
「・・・おまえ・・・そんなに、ミゲルが・・・好きだったのか・・・」
 ディアッカは低く呟いた。
 イザークの顔が歪んだように見えた。
「・・・俺は、何も・・・!!」
 言いかけて、彼は言葉に詰まった。
 ・・・ディアッカには、やはり言えない・・・。
 今の自分の狂ったようなこの思いを・・・。
 底のない穴をどこまでも落ち込んでいくようなこのどうしようもない虚無感と絶望感を・・・。
 全てぶちまけたいのに・・・なぜか、できなかった。
 イザークはそんなジレンマをただ憤りに変えるしかなかった。
 ディアッカにぶつけても仕方がないことはわかっている。
 だが、イザークには他にどうしようもなかった。
「・・・おまえになんか、わからない・・・!・・・おまえには・・・ッ・・・!」
 イザークは拳を相手の胸に何度もぶつけた。
 泣き叫ぶ子供のように、激した感情を目の前の友に、ただぶつけた。
「・・・イザーク・・・」
 ディアッカはしばらくイザークにされるがままになっていたが、やがてその体を掴んだ。
「・・・いい加減にしろ!悲しいのはおまえだけじゃねーんだ!!」
 俺だって・・・ニコルだって・・・
 みんな・・・みんな・・・!!
 そう言いかけて、ディアッカは口を噤んだ。
 イザークの瞳から今にも零れ落ちそうになっているものを見て・・・。
 それを必死でこらえようとしている彼の震える全身を掴んだ両の手に感じて・・・。
 彼は思わず息を呑んだ。
 あまりに繊細で、あまりにもかぼそく見える・・・今にも目の前の空間に溶け込んでしまいそうなその体・・・。
 彼もいなくなってしまうのではないかと・・・自分の掴んだ手の中から幻のように消えてしまうのではないかと・・・。
 
一瞬そんな錯覚にとらわれて・・・。
 この手をこのまま離してはいけないような気がした。
 彼がどこにも行かないように・・・。
(だめだ・・・!)
 ――行くな、イザーク・・・!!
 その手に力がこもる。
(・・・イザーク・・・!)
 彼はイザークの体を引き寄せると、強く抱き締めた。
 震える子供を宥めるように・・・力を込めて、抱擁する。
 ――ディアッカ・・・
 イザークは目を閉じた。
 彼はディアッカの逞しい腕の中に、そのまま身を任せた。
 その瞬間、涙が・・・頬を伝い落ちていくのを感じた。
 ずっとこらえていた、涙・・・。
 
――泣くんじゃねーぞ・・・
(ミゲル、すまない。――やっぱり俺、泣いてしまう・・・)
 いったんこぼれた涙は次から次へととめどなく流れ・・・彼の頬を滑り落ちていった。
 自分の震える体がおさまるまで・・・しばらく彼はディアッカに抱かれていた。
 
 
 どれくらいの間、そうしていたことだろう。
 さりげなく、ディアッカの手がイザークの頬に触れる。
 頬の涙をそっと拭ってやる。
 彼はイザークの顔を見つめた。
 泣き濡れたアイスブルーの瞳・・・その青を見ているうちに・・・
 彼はふと不思議な感覚にとらわれた。
 
――その指がいつしか相手の唇の上をなぞっている。
 しかし、イザークは不意に顔をそむけた。
「イザーク・・・?」
 
イザークは微かに抗う意志を示すと、ディアッカからそっと身を離した。
 ディアッカもそれを無理に押しとどめようとはしなかった。
「すまない、ディアッカ・・・俺――・・・」
 イザークはディアッカから目をそむけたまま、そっと低声で呟いた。
 ――おまえを受け容れることは、俺にはできない・・・。
 俺は・・・。
 俺が求めているのは・・・
 おまえじゃ・・・ない・・・。
 彼は目を閉じ、壁に背をもたせた。
 ディアッカはふっと唇を緩めると、軽く溜め息を吐いた。
「・・・いいんだ、イザーク。俺が悪かった・・・」
 ――俺じゃ、ダメなんだよな・・・。おまえ・・・。
 ミゲルか・・・それとも・・・あいつか・・・?
 おまえの心にいるのは・・・俺じゃねーんだよな・・・。
 わかってるんだ、そんなことは・・・。
 ――いつからだったんだろう。
 ディアッカの目がふと遠くなる。
 ――こいつにこんな気持ち、抱き始めたのは・・・。
 絶対、そんなことになるはずないって思ってたのにな。
 思わず苦笑する。
 しかし、気付いたときには既にアスランとミゲルにおまえを攫われてしまっていた。
 でも、大切な友だちであることには変わりない・・・。
 そう・・・ミゲルやラスティのように・・・。

 もうこれ以上大切なものを失いたくはない。
 だから・・・死ぬんじゃねーぞ。

 俺もしぶとく生き残ってやるから。
 おまえも・・・おまえもな!イザーク・・・。
 ・・・寂しげな微笑を浮かべたままディアッカはイザークに背を向けると、ゆっくりと立ち去った。
 イザークはそのまましばらくその場を動かなかった。
 ディアッカはいい奴だ。
 幼い頃からずっと一緒にいて、いつも自分を見守ってくれていた。
 ・・・皮肉を言いながらも、自分を見る目が優しさに溢れていることも何とはなしに感じていた。
 ディアッカ、俺はおまえが好きだ。
 でも、その『好き』は――・・・
 
あいつに対する思いとは、やっぱり少し違う。
 ・・・今の自分には・・・
 イザークは軽く頭を振った。
 ・・・忘れるなんて、無理だ。
 どうしても、無理だ。
 あいつがもう二度と帰らないとわかっていても・・・。
 もう二度とあいつの腕に抱かれることもないってわかっていても・・・。
(・・・ミゲル・・・)
 すうーっと頬を涙が伝い落ちていく。
 ――おまえ、ひどい奴だな。
 
こんなに急に、俺を置いて行ってしまうなんて・・・。
 
サヨナラも言わずに――
(・・・ひどい奴だ、貴様は・・・ッ・・・!)
 再び滴の筋が幾筋も頬を伝い・・・
 イザークは瞳を開いた。
 目の前・・・廊下の反対側の船窓に・・・宇宙空間が広がっている。
 彼はゆっくりと歩いて、船窓に手をそっと押し当てた。
 透明な硝子の向こう・・・どこまでも広がる暗い空間の中に自分の姿が映っている。
 独り取り残され、どうしてよいかわからなくなってしまった・・・道に迷った迷子のような・・・その途方に暮れた表情を見た瞬間、イザークは込み上がってくる感情をもはや抑えることができなくなった。
 透明な硝子の表面を撫でるように・・・そっと滑っていた指が一点で止まると、硝子を引っ掻くように爪を立て・・・そして震える指先がやがて拳となり・・・
 気が付けば、彼は涙を流しながら硝子に拳を打ちつけていた。
 繰り返し、繰り返し・・・
 伝い落ちる涙を拭おうともせず・・・瞬きもせぬその凍りついた瞳をじっと宇宙空間に据えつけたまま・・・
 その向こうにいる何ものかに、訴えかけるかのように――
 彼は何度もただ、その動作を繰り返し続けるのだった・・・。

                                          ( Fin )


>>next