惑 い




 虚空に色鮮やかな光が炸裂した。
「・・・帰還信号?」
 イザークはかっと眼を見開いた。
「・・・させるかよっ・・・!・・・こいつだけでもっ・・・!!」
 操縦桿を握る手に力がこもる。
(――ミゲル・・・!)
 こいつが、ミゲルのジンを・・・!!
 氷の瞳が憎悪の色を強めた。
 ストライクの進路を阻もうと、追いすがっていく。
『イザーク!撤退命令だぞ!!』
 すかさず通信回線からアスランの声が鋭く制した。
「うるさいっ!腰抜けがっ・・・!!」
 イザークは叩きつけるように言うと、その声を無視して機体を動かした。
 デュエルは両手にソードを振り上げながら、凄まじい勢いでストライクに突っ込んでいった。
 相手のパワーが切れたのがわかった。
(・・・もらったぞ!!)
 ストライク・・・!!
 イザークはソードを目の前の白い機体に向けた。
 ――とうとう・・・!!
 これでようやくこいつを・・・
 ミゲルを殺ったストライクとそのパイロットをこの手で・・・!!
 唇が緩んだ。
(ミゲル・・・ッ・・・!!)
『・・・イザーク――!!!』
 その瞬間、頭の奥底からアスランの叫ぶ声が聞こえたような気がした。
 気のせいか・・・と思ったとき。
「・・・・・・?!」
 ソードが・・・空を切った。
 手ごたえが全くない。
 そんな・・・!!
 ――そして・・・目の前のスクリーンに、彼は信じられぬ光景を見た。
「・・・アスラン・・・ッ・・・?!」
 ソードが相手に届く前のその一瞬の間隙を縫って、イージスがストライクを攫っていったのだ。
(・・・な・・・にっ・・・?!)

 コクピットの中でイザークはまさに凍りついた。
「・・・な、何のつもりだっ、アスラン・・・!!」
 我に返ると、怒りに満ちた目でスクリーンの前を行くイージスに向かって怒鳴りつける。
『この機体・・・捕獲する!!』
 アスランの、有無を言わさぬようなその決然とした声の響きに、イザークは混乱した。
「・・・なんだとっ・・・?!」
 ――捕獲・・・?!
 なぜ・・・?!
『・・・何を言ってる?!命令は撃破だぞ!!勝手なことをするな!!』
 ディアッカの厳しい声が割り込んできた。
 しかし、アスランは動じなかった。
『・・・捕獲できるものならその方がいい。撤退する!!』
 馬鹿な・・・っ・・・!!
 こいつは撃たねばならないのだ・・・。
 何としても、この・・・この俺の手で・・・っ・・・!!
 ・・・イザークの怒りが爆発した。
「・・・アスラン―――ッ!!!!」
 コクピットいっぱいに、自分自身の狂ったような叫びが満ちていく。
 ミゲルの顔が目の前をちらついた。
「・・・そいつを、放せ――!!」
 アスラン・・・っ!!!
 しかし、アスランはその悲鳴にも似た声を無視した。
 ストライクを捉えたまま、イージスは先頭を切って駆けた。
「・・・くそっ・・・あいつ・・・っ・・・!」
 イザークは暗い瞳で前を行くイージスの背を睨みつけているしかなかった。
 
 
 
・・・しかし、結局ストライクを捕獲することはできなかった。
 
捕獲もできず、撃ち落とすこともできず・・・
 
それどころか、デュエルは右腕を吹き飛ばされた。
「貴様っ!・・・どういうつもりだっ!!」
 帰還したアスランの胸ぐらをいきなり掴んで壁に叩きつけると、イザークは怒鳴った。
「おまえがあそこで余計な真似をしなければ・・・!!」
 イザークの顔が怒りで歪んでいる。
 
・・・何という屈辱か・・・。
 
自らの敗北をこんなにも痛感したことはなかった。
 
イザークは怒りと悔しさに身を震わせた。
 
ミゲルを撃った奴を・・・。
 
この手で必ず撃ち落としてやるとひそかに誓った。
 
ナチュラルなどにミゲルが殺られたなど・・・彼にとっては未だに認めたくない苦々しい事実だった。
 
それでも、彼は現実を直視せねばならなかった。
 
――ミゲルは、もうどこにもいない。
 
イザークにとっては、ストライクはただの敵というだけではなく、大切なものを奪われた憎むべき仇敵だ。
 あと一歩というところまで追い詰めておきながら・・・!
 イザークの胸は震えずにはおれない。
 確かに落とせていたはずなのに・・・!!
 それなのに・・・!!
 拳に入る力が一層強くなる。
 アスラン、貴様はなぜ・・・?!
 アスランと目を合わせると、不意にイザークは怒りの中にも物問いたげな視線を向けた。
 ――なぜなんだ・・・。
 なぜ、貴様はあのとき、ストライクを・・・!!
 なぜか、気になって仕方がなかった。
 アスランの様子は明らかにおかしい。
 どうしたんだ、アスラン・・・!
 なぜ、あのときストライクを俺からひっさらっていった・・・?
「・・・アスラン・・・!!」
 迫るイザークの視線を避けるように、アスランは苦しげに目をそらした。
 その表情が、イザークの胸に新たな疑問の波を投げかけた。
(・・・まさか・・・貴様・・・?)
 イザークはふと思った。
 ストライクのパイロット・・・か?
 おまえが気にしているのはストライクではなく・・・そこに乗っている誰かのことなのか・・・?
 いや、まさか、そんな・・・!
 イザークは激しく頭を振ってそんな思考を振り払った。
 そんなはずはない・・・。
 相手は『ナチュラル』ではないか・・・!!
 そんなはず・・・
 目眩がするかのようだった。
「・・・とんだ失態だよね。あんたの命令無視のお陰で・・・」
 そのとき、イザークの思考を打ち破るかのように、ディアッカの皮肉な言葉が投げつけられた。
 ディアッカの顔にはしかし、いつものようなあの人を馬鹿にするような笑みはない。
 引き結んだ唇に、冷えた視線がアスランをきつく睨みつけていた。
 彼自身も今回ばかりは、アスランの行動に対する苛立たしい思いを抑えきれない様子だった。
「・・・何とか言え、アスラン・・・!」
 イザークの空いた手が拳をつくり、相手に迫ろうとしたそのとき――
「・・・何やってるんですか!やめてください!!」
 ドアが開き、部屋へ入ってきたニコルがその光景を見た途端、驚いて駆け寄ってきた。
「こんなところで・・・!!」
 咎めるように見たニコルに、
「・・・4機でかかったんだぞ!!それで、仕留められなかった・・・。こんな屈辱・・・っ・・・!」
 イザークは叩きつけるように叫んだ。
「だからって、ここでアスランを責めても仕方ないでしょう!」
 ニコルのやさしい外見に似合わぬその強い声の響きが、イザークの高ぶった気持ちを一瞬にして抑え込んだ。
 ニコルはおっとりしているようで、かなり芯が強く、逞しい一面を持っている。
 その如才なさと細やかな配慮で、これまでもずっとイザークとアスランの間に立ち、さりげなく緩衝剤のような役目を果たしてきた。
 今回もその例に洩れない。
 ニコルの登場で、激したイザークの感情も行き場を失った。
 イザークはアスランを睨みつけていたが、やがて大きく息を吐くと、突き放すように手を離した。

 問いたいことを多く残しながら・・・やむなく彼はそんな思いを全て胸の中に押し込んでしまうと、アスランに背を向けた。
 今・・・このような気持ちで、何を話しても無駄だということは自分でよくわかっていた。
 彼はそのまま何も言わずに黙って部屋を出て行った。
 ディアッカもその後を追った。
 
 
「・・・おい、イザーク!」
 後ろから声をかけるディアッカに対しても、イザークは敢えて返答しなかった。
 速度を緩めず、振り返りもせず、どんどん歩いて行く。
「・・・待てったら!」
 ディアッカは追いかけて、イザークの肩に手を置いた。
 ぐいっと彼を引き止める。
「・・・気にすんな!・・・ストライクを撃てなかったのは、おまえの失敗じゃねーんだから!」
「・・・そんなこと・・・わかってる!」
 イザークはきっとディアッカを睨みつけると、荒々しく答えた。
 ディアッカはその勢いの強さに、思わず彼の肩に置いた手を引っ込めた。
 今、振り向けた彼の顔を見て、ディアッカはハッと胸を衝かれた。
 ・・・いつもの彼とはやはりどこか違って見える。
 どこがとはっきり言えないが――
 
・・・ただ怒っているだけではない。
 その表情の奥に隠れた、深い悲しみ。
 
胸を深く抉りとられたあとの、血の滲んだ傷跡が確かにその一瞬、垣間見えたような気がした。
 
未だに癒えぬ、その生々しい傷の痛みを想像し・・・
 
彼は思わずその場に硬直した。
 
今、何を言えばいいのか・・・
 
――かけるべき言葉が出てこなかった。
「・・・行けよ、ディアッカ・・・」
 イザークはディアッカから顔をそむけると、ぽつりと言った。
 自分には構うなと言わんばかりの素振り。
 ・・・それは婉曲的ではあるものの、明らかな拒絶だった。
「・・・わかったよ」
 ディアッカは仕方なく、イザークを一人残してその場を離れた。
 廊下を進むにつれて、重い溜め息が胸をついて出る。
 彼はそのとき、イザークが自分の入れない世界にいることを痛感していた。
 自分にはどうしてやることもできない。
 その苦しみを分かち合うことさえ・・・おそらく、彼は拒絶するだろう。
 ――おまえには、わからない・・・!
 いつかイザークに投げつけられた言葉が胸を刺した。
(・・・俺にはわからない――か・・・)
 そうなのかもしれない。
 あいつの悲しみ・・・傷の痛み・・・。
 今のあいつの思いの全てを共感することは・・・俺にはできないのだろう。
 わかってはいても・・・それが彼には辛かった。
 
 
 
・・・アスランは、ニコルの気遣わしげな視線を背後に感じながら、ロッカールームを出た。
(すまない、ニコル・・・でも、俺は今――・・・)
 このような混乱した気分では、たとえ相手がニコルであっても、とても普通に会話を交わすような気分にはなれない。
 ――キラ・・・!
 あと一歩のところで・・・!
 彼は改めて苦渋に満ちた思いを噛みしめた。
 
・・・手の中からすり抜けていった友。
 
・・・なぜ・・・こんなことになってしまったのだろう・・・。
(キラ・・・俺はあいつを本当に撃たねばならなくなるのか・・・?)
 彼は思わずその胸の苦しさに耐えかねて、途中でふと立ち止まった。
 目を閉じると、壁に思いきり拳を打ちつける。
 友を逃してしまった自分のふがいなさと、逃げた友への憤りが交錯する。
 なぜ・・・誰もが自分から離れていってしまうのか・・・。
 失いたくないと思っていたものが、全てこの手の中から抜け落ちていく・・・。
 その恐ろしいほどの喪失感と絶望に打ちのめされて、彼は目眩がしそうな気分だった。
「・・・キラ・・・!」
 吐き出した言葉がはっきりとした音声となって廊下に響く。
「・・・それが奴の名か」
 冷えた声が問いかけた。
 我に返って目を開いたアスランの前を人影がよぎった。
 いつのまに現れたのか、すぐ先にイザークが立っていた。
 青い瞳が冷たい視線を放っている。
「・・・イザーク・・・」
 アスランは僅かに目を見開いた。
 イザークの視線が胸に突き刺さる。
 彼は何と答えてよいのかわからず、黙って相手を見返した。
「・・・貴様・・・やはり、ストライクのパイロットを知っているんだな」
 イザークの問いには容赦なく返答を迫る脅しめいた響きが含まれていた。
 その瞳には明らかな憎悪の光が閃いている。
「・・・答えろ、アスラン・・・!」
 ――だから、おまえはあのとき俺の邪魔をしたのか・・・?!
 おまえは、ミゲルを殺した奴を知っているのか・・・?
 おまえは、そいつとどういう関係なんだ・・・?
 ――問いが一気に噴き出してくるようだった。
 だが、言葉にならなかった。
 ただ、苛立ちが募った。
「・・・おまえには、関係ない・・・」
 アスランは一言言うと、顔をそむけた。
 イザークの顔が険しくなった。
「・・・関係ない?・・・ふざけるな!奴はミゲルを殺したんだぞ!!貴様・・・それがわかってるのか?!」
 思わず口を突いて出たその言葉に、アスランは暗い瞳を上げた。
「そんなことはわかってる!俺はミゲルのジンが落ちるところを目の前で見たんだ・・・!!」
「わかってるなら、答えろ!!・・・貴様、ミゲルを殺した奴を知っているのか?!だから、そいつを助けようとして、あのときあんな真似を・・・――どうなんだ?!」
 イザークとアスランの視線が激しくぶつかり・・・二人はしばし無言で睨み合った。
「・・・おまえに話す必要はない・・・!」
 アスランはそう言うと、イザークの傍をすり抜けようとした。
 その肩をイザークが掴んだ。
「アスランっ・・・!」
 凍りついたように、アスランはイザークと間近に向き合った。
 ――こんなに近くで体を触れ合わせたのは・・・久し振りだった。
 そう――あのとき・・・
 
突然湧き上がった暗い感情に支配されて、イザークを組み伏せた、あの夜以来・・・。
 
忘れようとしていた。
 忘れたふりをしていた。
 しかし・・・空白の心は、やはり彼を苦しめ続けた。
 キラと再会して・・・
 
そのキラが彼の目の前でミゲルを撃ち落としたあの瞬間・・・
 
アスランは、自分の暗い心にまさに天罰が下されたかのような感覚を抱いて、恐ろしさに震撼した。
(・・・アスラン・・・?)
 イザークはアスランのその苦悩に満ちた瞳を見て、戸惑った。
 何という孤独感。
 瞳の映しているその絶望の色の深さ。
 アスランの手がイザークの腕を掴んだとき・・・
 イザークは一瞬震えた。
 次にくるものを予感して・・・。
 自分がそれを怖れているのか・・・それとも望んでいるのか・・・
 彼にはわからなかった。
 しかし・・・。
 彼の腕を振り払うと、アスランの手はそのまま離れていった。
「・・・アスラン・・・」
 震える声が自然に唇からこぼれた。
 ――なぜだ・・・?
 イザークはいつのまにか、泣きそうになっている自分に気付いた。
 ――わからない・・・。
 なぜ、こんなに・・・悲しみが募るのか・・・?
 こんなにも切なく・・・胸が痛むほどに。
 去っていくアスランの背を、イザークはただ呆然と見送っていた。

                                     (Fin)

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