傷 あ と




 「・・・ねえ、ディアッカ」
 
その夜、寝台に寝転がって雑誌を読んでいたディアッカに、不意にニコルが声をかけた。
「・・・ん?――今、何か言った?」
 ディアッカは気のなさそうな様子で、機械的に問い返す。
 ニコルはディアッカの寝台の際まで近寄ると、改めて彼を上から覗き込んだ。
「・・・気に、なりませんか・・・?」
 その真剣な口調に、ディアッカはふと雑誌をめくる手を止め、初めて相手の顔を見上げた。
「・・・気になるって、何が・・・?」
「・・・のん気だなあ・・・自分のルームメイトのことなのに・・・」
「ああ・・・イザークか」
 ディアッカはようやく合点がいったとばかりに、目を大きく見開いた。
「・・・あれから、ずっとイザークの姿、見てないんですよ。もう丸一日過ぎてるっていうのに・・・いくら具合が悪いっていっても・・・何か、変じゃありませんか?アスランも何も言ってこないし・・・。いつまで部屋、替わったままなのかなあって・・・」
 心配そうなニコルの顔を見て、ディアッカは苦笑した。
「何だよ、二人で部屋にこもって、やーらしいことでもしてるってか・・・?大丈夫だろ!野郎二人で何してるってんだよ。イザークが女ならともかく・・・」
「・・・い、いえ、ぼくは別にそんなこと考えたわけじゃなくて・・・!」
 ニコルは忽ち顔を赤くすると、やや口ごもりながら弁明した。
「・・・ただ、あの二人って・・・とくにイザークなんかいつもアスランに絡んでばかりだったし・・・同じ部屋で、その・・・二人きりで・・・一体どんな会話を交わしてるのかな、とか・・・考えてたら、ちょっと気になって・・・」
「・・・だよなー。俺も最初はさあ・・・そう思ったけど。一瞬で部屋がぶっ壊れるんじゃねえか、なんてな」
 ディアッカは言いながら、雑誌を閉じて脇に放ると、うーんと伸びをするように身を起こした。
「・・・そうかアスランがイザークを縛りつけてSMプレイしてるってのはどうよ?」
 そう付け足すと、ディアッカはにやりと笑ってニコルを見上げた。
「ディ、ディアッカ!!」
 ニコルは戸惑いながらも、相手に非難の目を向けた。
「・・・冗談だよ、冗談!」
 ディアッカは肩をすくめると、寝台からはねるように飛び降りた。
 顔を紅潮させて立ちすくむニコルの肩を宥めるように軽く撫でると、彼はそのまま扉口へ向かった。
「・・・あ、ディアッカ?!」
 ニコルが慌てて振り返ったときには、ディアッカは開いた扉から外へ出ようとしているところだった。
「・・・んじゃー、ちょっと様子見てくるからさ!」
 ディアッカは肩越しに手を振ってそう言うと、さっさと出て行った。
 

(・・・まー確かにアスランの奴も時々わけわかんねーとこ、あるからなあ・・・)
 ディアッカは歩きながら、頭を振った。
 ・・・密室にふたりきり・・・か。
 男と女ならともかく・・・
 野郎二人で一体何をするっていうんだ・・・?
 確かにイザークは口さえ開かなきゃ、あれで結構美人顔だけどな。
 色白だし、顔のつくりが繊細だし・・・体格もどちらかというと細身だし・・・。
 男って感じがしないときが・・・あるかな。
 
うん・・・確かに・・・。
 
正直言うと、時々ハッと息を呑むくらいに美しい表情を傍からちらと覗き見たこともあった。
 
ミゲルがいつか冗談で、イザークをベッドに押し倒してやったらどんな顔するか、なんて言ってたことがあるが・・・。
 
ミゲルの部屋で猥談に花が咲いたときだ・・・。
 
ふとした拍子で飛び出したイザークの話題。
(・・・あいつ、ひょっとして、シャツ脱がしたら実は胸おっきかったりしてな・・・!)
(・・・んで、下にはついてねーってか?!)
 そんな卑猥な冗談に皆が笑いこけたこともあった。
 
しかし・・・あれも冗談かそうでないのか、わからなくなってしまうくらい、話しているうちにみんな、いつしか妙に興奮した口調になっていたっけか。
 
何だかだと言って、結局誰もがイザークのことをかなり意識していたということだろうか。
 
もっとも、そういう場にアスランがいることはなかったが・・・。
(・・・けど、思うことはおんなじってか・・・)
 そういえば、俺がイザークを医務室へ連れて行こうかと言ったとき、あいつ、えらく強く反対してやがったっけ・・・。
(・・・まさか・・・な・・・!)
 あり得ないって・・・そんなこと!
 ディアッカは我ながら、一瞬でも変なことを想像した自分を恥じ入った。
(・・・何考えてんだ・・・俺・・・!)
 そんな思考を必死で振り払いながら、誰もいない廊下を通り過ぎ、アスランの部屋へ向かう。
「・・・アスラン?いるか・・・?」
 ヴィジフォンのボタンを押し、声をかけるが答はなかった。
(・・・いないのか?)
 ディアッカは苛立った。
 しかし、扉はロックされておらず、触れただけで簡単に開いた。
 
そっと中へ入ると、薄暗い室内はしんと静まり返り、ひんやりとした空気が流れている。
 エアコンディショナーの温度が低すぎるのだ。
(・・・なんだよ。病人がいるなら、温度調節くらい気を配っとけよな・・・)
 ディアッカは肩をすくめると、エアコンの目盛りを触り、温度を上げた。
 ぶん、と耳障りな音がして、エアコンが回転し始める。
 それを確認してから、ようやくディアッカは寝台の方へ近寄った。
「・・・イザーク?」
 目を閉じたまま横になっているイザークを見た瞬間、彼はどきりとした。
 上半身も露わなまま、しどけなく寝ているその姿が・・・なぜか、彼には妖しいくらい艶かしく・・・エロティックに見えた。
 まるで・・・情事の後の女の眠る姿のような・・・そんな妙な艶がある。
(・・・バ、バカ・・・!何だって、そんなこと・・・!)
 ディアッカは頭を振った。
 
・・・相手はイザークだぞ・・・!
 
気色悪いこと、想像するんじゃねーって・・・!
 こんな風に感じるのも、さっきまで歩きながらさんざんくだらないことを考えていたせいかもしれない。
「・・・おい、イザーク!!」
 彼は妄想を振り払うように、声を高めて再度イザークに声をかけてみた。
 イザークはぴくりとも反応しない。
 昏々と眠るその姿に、ディアッカはふと不安を感じた。
 透けるような白い肌が、一段と白く、色を失っているように見える。
「おい、イザーク?!」
 彼は思わずイザークの体に手をかけた。
 暖かい。
 その感触と、微かに上下を繰り返す胸元を見て、ほっと安堵の息を吐く。
(・・・ったく。息してねーかと思ったぜ・・・)
 にしても・・・。
 よく眠っている。
 
・・・睡眠剤でも飲んだか?
 
ディアッカは苦笑した。
 
いつもは神経質なイザークは、夜になると不眠だの、眠れないだのとぼやいてばかりいるというのに・・・。
 
寝顔を見ていると、子供のようにあどけない表情をしている。
 
いつものあのがみがみとうるさく吠えつくイザークからは想像もできないくらいだ。
 
元々線が細く、色白の肌に綺麗な顔立ちをしているだけに、少年というより、まるで幼い少女のように見えた。
(・・・ま、寝てるときだけは、素直そうなんだけどねえ・・・こいつも)
 
しかし、よくもあれだけ嫌いまくってるアスランの部屋で、こんなにも無防備に眠っていられるもんだな。
 
ディアッカは呆れたようにイザークを見下ろした。
 
・・・狼がいたら、襲われちまうぞ――間違いなく。
 
そう思うと、またあの変な妄想が脳内を駆け巡り、ディアッカは僅かに眉根を寄せた。
 
ま、誰が狼かわかんねーけど・・・。
 
ザフトの中は狼だらけかもしんねーぜ。
 
なかなかこれで、無節操な集団だからなー、ココも・・・。
 ああ・・・ダメだ・・・。冗談にもならねー。
 ディアッカはふうと大きく息を吐いた。
(・・・くそっ・・・笑えねーぜ・・・)
 イザークの顔を見ているうちになぜか・・・心の奥底からぞくりと駆け上がるような異様な感触が彼を捉えた。
 心臓の鼓動が速まるのがわかった。
 それが何なのかわからないままに、彼はただその異様な感触を必死に拭い去ろうとした。
 とにかく・・・イザークを何とかしなければ、とそちらの方へ思考を集中させる。
 
・・・起こすのも悪いが、やっぱ、いつまでもここに置いておくのは良くない!
 ディアッカは本能的にそう感じとった。
 ここにいてイザークのこんな姿を見ていると、何だか自分まで変になりそうな気がした。
 
ディアッカはイザークの体を少し強く揺らした。
「おい、起きろよ、イザーク!」
「・・・ん・・・・?」
 イザークの瞼が微かに震えたかに見えた。
 彼は身じろぎした。
「・・・アス・・・ラ・・・ン・・・?」
「・・・アスランじゃねえ!――俺だよ、ディアッカ!」
 ディアッカが声を高めると、イザークはうるさそうにその手を振り払った。
「・・・やめ・・・ろ・・・アス・・・ラン・・・ッ・・・」
 ディアッカは眉をひそめた。
 うわごとであるとはいえ、その声の調子からは、どこかただならぬ響きが感じとれた。
 ・・・どうしたんだ、こいつ・・・?
「おいおい、しっかりしろよ。イザーク・・・!」
 ディアッカがさらにイザークの体に手を触れようとすると、イザークは目を閉じたまま、体を捩った。
「・・・さわ・・・るな・・・バカ・・・!」
 ディアッカは手を宙に浮かせたまま、呆然とそんなイザークを眺めていた。
「・・・人のいない間に勝手に部屋に入らないでほしいな」
 背後から不意に声が降ってきた。
 振り返ると、そこにアスランが立っていた。
 ディアッカは思わず鼻白んだ。
「・・・何だよ。いーだろ。イザークの様子を見にきただけなんだから」
 ディアッカはそう言うと、やや目を眇めてアスランを見た。
「・・・それより、おまえ、イザークに何したんだ?」
「何って・・・?」
 アスランの瞳が怒ったように一瞬閃いたかに見えた。
「いや、なんか、こいつ・・・ちょっと様子がヘンだからさ。いくら呼んでもなかなか起きねえし・・・おまえ、ひょっとして、睡眠剤でも飲ましたんじゃねーの?」
「してないさ、そんなこと」
 あっさりと答えるアスランをディアッカは鋭い視線で見つめた。
 ――ほんとかよ・・・。
 熱も引いたというのに、眠りが深すぎる。
 薬でも飲まされたのかと思ったが・・・。
 それだけじゃない・・・。
 ディアッカはじろりとアスランを睨みつける。
(・・・薬飲ませて・・・おまえ、こいつに何をした・・・?)
 考えたくなかったが・・・どうしても思わざるを得ない。
 もしかして・・・アスラン、おまえ・・・!
 しかし、ディアッカはそれ以上考えることができなかった。
 考えると、あまりにも・・・
 
それはあまりにも不快でおぞましい想像図となっていく。
「とにかく、イザークは連れて帰るからな」
 ディアッカが言うと、アスランはふっと笑った。
 その笑いは、あまり心地よいものではなかった。
 
ディアッカはむっとした。
「何だよ・・・何がおかしい・・・?」
「・・・いや、別に・・・いいよ。連れてってやってくれ。・・・どのみち、おまえに迎えに来てもらおうと思ってたところだったから・・・ただ――」
 アスランは一瞬言葉を止めて、からかうように相手を見た。
「――おまえがあんまりナイト気取りなもんだから・・・さ」
 その皮肉っぽい言い回しと冷やかな瞳を見て、ディアッカは驚いた。
「・・・どこが、ナイトだ。誰だってこんな姿見てたら、変に思うだろうが!」
 取り敢えず、そう言い返しながらも彼は内心動揺せずにはいられなかった。
(・・・おいおい、こいつって・・・こんなこと、さらりと言う奴だったっけか・・・?)
 同時にディアッカはそのアスランの瞳に、冗談とは思えないような暗い影が宿っているのに気付いて、ますます戸惑いを深めた。
(・・・なんだ・・・まさか・・・やっぱ、俺の想像・・・当たってんのかな・・・)
「それになあー、ナイトだったら、普通きれいなお姫さんに付き添うもんだろ。相手がイザークじゃあ、な・・・話にもなんねーだろーが!」
 ディアッカはわざと声を荒げて言った。
(・・・イザークがプリンセスになんてなるわけ――)
 しかし・・・
 今、眠るイザークの顔を見ると、あながちそうとも言い切れない気がするのだった。
 その表情があまりに艶っぽく・・・
 無防備な寝顔・・・
 
その銀糸に縁取られた少女のような白い細面は・・・あまりに――
 
そう、あまりに――美しく見えて・・・。
(・・・おいおい、やめろよ・・・!)
 ディアッカは溜め息を吐いた。
 全く・・・俺までイカれちまったか・・・?
「・・・話にならない・・・かな・・・?」
 アスランの低い声がそう呟くのが聞こえたとき、ディアッカははっと我に返った。
 アスランが思いつめたような眼差しで、射るように寝台の上のイザークを見つめている。
「・・・俺なら、ナイトになってもいいんだけど・・・」
「・・・なっ・・・?」
 それを聞いて、ディアッカは思わず呆気にとられた。
(・・・こいつ・・・何を・・・?)
 ますますアスランが、わからなくなる。
「・・・イザークは、きれいだ・・・そう思うだろ、ディアッカ?」
 アスランはそう言うと、意味ありげにディアッカに視線を向ける。
 その瞳に、ディアッカはぞくりと震えた。
(・・・全く・・・なんて目で、見やがる・・・!)
 そこにあるものは・・・
 ・・・果てのない欲望・・・。
 望むものを手に入れたいと願う・・・。
 どろどろとした・・・暗い欲望の焔が燃え立っている・・・。
「・・・男にしておくのはもったいないくらい、か・・・」
 ディアッカは吐いた。
「けど、こいつは女じゃねーんだ。おまえの相手はできねーよ」
 吐き出す言葉が空虚に響いた。
 ・・・そんなことを言っても無駄なことはわかっていた。
 そう・・・
 ディアッカはそのとき、確信した。
 直感的に・・・
 
そう、ほぼ間違いないだろう。
 ――こいつ・・・
 
――本当に・・・ッ・・・?!
(・・・やっちまい・・・やがったんだ・・・!)
 ぞくぞくと体が芯から震える思いだった。
 ――イザークを・・・
 イザークを・・・自分のものにしちまいやがった・・・。
 マジに・・・
「・・・アスラン・・・おまえ・・・」
 ディアッカは、アスランを鋭い瞳で見返した。
(・・・イザークを・・・)
 しかし、彼はその続きを聞くことができなかった。
 あまりに・・・
 胸が詰まる・・・。
 イザークは・・・同意したのか?
 それとも・・・無理矢理・・・やらされちまったのか・・・?
 答えは・・・聞かない方がいいかもしれない。
 ただ・・・わけのわからぬ怒りが込み上がってきて、彼の胸を焦がした。
 それ以上、想像したくなかった。
 ディアッカは、黙ってイザークの方に近寄ると、そっとその体に触れた。
「・・・ほら、イザーク!・・・行くぞ!」
 う・・・ん・・・と、イザークの口から小さな声が漏れる。
 意識の戻りそうにないその体を、ディアッカはベッドの中から掛布ごと一気に持ち上げた。
(結構重いな、こいつ・・・)
 ディアッカは苦笑しながらも、一気にイザークを抱きかかえて扉口へと歩いた。
 もはや、一時たりとも・・・彼をこのままこの部屋に置いておく気にはなれなかった。
 ディアッカは振り返らず部屋を出た。
 痛いくらいに・・・その、突き刺さるような視線を背に感じながら・・・。
 そして、自らの内に沸々と湧き上がる怒りを胸に滾らせながら・・・
 彼は、ただ黙ってそこを離れた。 

                                          (Fin)


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