肌 (2) 違う・・・。 夢ではない。 この確かな肌のぬくもりが・・・ 夢であるはずがない。 これは―― 現実なんだ・・・。 本当に・・・本当に、今この腕の中に抱いているのは・・・ こんなにも―― 灼けるように・・・胸が熱い。 (・・・イザーク・・・!!) 銀色の髪が揺れるたび・・・ それはきらきらと目の前を舞う銀粉となって、彼の目を酔わせる。 ・・・アスランは、彼をひときわ強く抱き締めた。 どこにも逃げていかないように・・・。 腕の中に、今しっかりと触れているこの肌のぬくもりを決して逃さぬように・・・。 (――イザーク・・・) (俺、ほんとにおまえが――・・・) 心が、痛いくらい腕の中の彼を求めているのがわかる。 ・・・こんなにも・・・おまえが、愛しくて・・・。 ずっと・・・ずっと求めていたこの肌のぬくもり。 それが今、この手の中にある。 思いが・・・こんなにも熱く、身を焦がす。 ・・・ずっと求めていて・・・手に入れることができなかったおまえ。 苛立ちと焦燥に苛まれながら・・・ 残酷な衝動に駆られ・・・ ――あんな風に、おまえを傷つけてしまった・・・。 思い出すたび、苦い後悔の念が胸をよぎる。 どうしてなんだろうな・・・。 どこから、歯車が食い違ってしまったのか。 こんなに、好きなのに・・・。 こんなに、愛しく思っているのに・・・。 その一方で・・・ ――彼を壊してしまいたくなる自分。 彼を恐ろしく冷えた目で見つめるもう一人の自分がいた・・・。 突然、湧き上がるその衝動は、忽ちアスランの全身を捉え、どうにもできないくらい激しく残酷な欲望の嵐が胸の中を吹き荒れていくのだった。 ――何で・・・? ・・・何で、あんな酷いことをしてしまったんだろうな・・・。 自分の行為を悔やんだときには・・・既に遅かった。 イザークは彼の手の内からすり抜け・・・いつのまにか、ミゲルのものになってしまっていた。 苦い現実が、アスランを打ち据えた。 自業自得とはいえ・・・それを目の前に突きつけられるのは、やはり辛かった。 だから・・・わざと目をそむけた。 そして、自分の心の中から彼の存在を追い出してしまおうと・・・そう何度も試みた。 しかし、無駄だった。 何度追い払おうとしても・・・“彼”の存在は、消えることはなかった。 アスランの心のどこかに、いつも銀色の髪の少年の姿がちらついて―― そのイメージは、苛立つくらいにどこまでも執拗にまとわりつき、どうしても離れようとはしなかった。 ――どうしようもない・・・。 手に入らないものを求めてやまぬ心。 募る思いが、息苦しいほどに胸を締めつける日々。 しかし、彼はそんな思いを必死で抑えようとした。 ――好きだ。 ――愛してる。 そんな言葉を吐くだけの資格が、果たして今の自分にあるだろうか。 そう思うと忽ち彼は自信がなくなるのだった。 (ダメだ・・・) ――俺には、その資格がない。 アスランの胸を、暗い絶望が覆った。 ――もう、イザークを取り戻すことは、できないのかもしれない。 もう、二度とあの肌に触れることも・・・ ・・・彼は、半ば諦めかけていたのだった。 なのに、それが・・・ 今、こんな風に・・・再び、彼を抱き締めることができる日が来るとは、夢にも思っていなかった。 イザークが・・・こんな風に自分から彼の胸の中に飛び込んでくるなど・・・一体誰が想像できただろう。 まさに―― 夢のようだった。 (――本当・・・なんだよな・・・?) 本当に・・・俺の手の中にいるのは、おまえなんだよな・・・イザーク・・・。 アスランはさらに、強く、強く・・・彼を抱き締めずにはおれなかった。 「・・・アスラン・・・」 痛い・・・ いつしか、イザークの瞳が苦しげにそう訴えていた。 アスランはその瞬間、はっと我に返り、腕の力を緩めた。 「・・・ごめん・・・」 アスランは謝ると、相手のほんのりと赤らんだ頬にそっと唇を落とした。 相手がぴくりと反応するのを、いとしげに眺め、さらに唇を重ねる。 相手の舌を絡め取りながら、ゆっくりと時間をかけてキスをする。 歯肉のぬめりとした滑らかな感触が心地よくて、丹念に舐めるようになぞっていく。 流れ込んでくる相手の唾液すら、甘くとろけるようだった。 このまま、時間(とき)が止まってしまえばいい・・・。 彼は心の底からそう願わずにはいられなかった。 くちづけだけで、満足できるなら・・・。 それだけでも良かったのだ。 イザークがこんなに誘うような、艶のある瞳で見つめなければ・・・。 自分の理性は崩れることはないはず・・・ ・・・なのに――・・・ ――ああ・・・だめだ・・・! 突き上げてくる激しい欲望の波に呑まれると同時に、アスランの抑止力はあっけなく崩れ去った。 「――イザーク・・・俺・・・」 唇が囁く。 「おまえを・・・放したく・・・ない・・・」 ――このまま、おまえを抱いてしまっても・・・いいだろうか・・・? 今・・・ほんの一瞬でいい。 おまえとこうして、肌を重ねていられるなら・・・ 俺は・・・たとえこのまま、おまえに殺されたって構わないだろう・・・。 唇が、相手の肌を這う。 舐めるように、その白いうなじを・・・ もどかしい手つきでシャツのボタンを外し、肌蹴た胸の間から鎖骨を縫い、胸の丘陵をさまよいながら・・・浮き立つ紅い乳房に吸いつく。 相手の荒くなる呼吸音・・・上下する、その心臓の鼓動がじかに感じられる。 喉から洩れるその小さな喘ぎ声が生々しく耳を刺し、さらに彼の全身の血を高ぶらせていくかのようだった。 「・・・あッ・・・アス・・・ラ・・・ン・・・ッ・・・!」 イザークが声を上げる。 止めろ・・・と言おうとしているのか、それとも単に彼の名を呼んだだけなのか・・・。 アスランにはわからなかった。 ただ・・・相手の体がもはや抗っていないことだけは確かだった。 「・・・イザーク・・・やさしくするから・・・」 アスランは低声でそっと囁いた。 その言葉は、荒い呼吸を続ける“彼”の耳に届いているだろうか? ただ・・・ (――もう、おまえを傷つけたくない・・・) 唇を僅かに離し、彼は目線を上に彷徨わせた。 イザークの表情を伺うように―― 「・・・俺、おまえを抱いて・・・いいか・・・?」 イザーク・・・? ほんとに・・・このまま、おまえを抱いてしまっても・・・? イザークは、身じろぎした。 彼の目に、困惑の色が宿っていた。 「・・・そ・・・んな・・・こと・・・っ・・・!」 そう言いかけて、彼はふと目をそらした。 「・・・そんなこと・・・聞くな・・・!」 蚊の鳴くような小さな声だった。 ・・・そんな質問に・・・誰が答えられる・・・?! イザークは唇を噛みしめた。 ――俺だって、わからないんだ・・・。 おまえに、抱かれたいのか・・・そうでないのか・・・。 ・・・もう二度と、貴様には触れたくない・・・! そんな風に思っていた。 憎しみと嫌悪だけが募り、いつか本当にこいつを殺してやるとさえ思ったこともある。 それなのに・・・ なぜなんだ。 俺は、何をやっている・・・? なぜ、俺はおまえを拒みきれないんだ・・・? イザークは同じ質問を執拗に繰り返す自分自身に呆れ返りながらも、やはり問いかけずにはおれなかった。 俺は・・・こいつを・・・? 彼の頭は混乱した。 彼のプライドはどこへ行ったのか・・・。 こんな風に、相手の体にしがみついて・・・唇を重ねて・・・。 こうして、さらには・・・女のように、相手のものを受け入れようとするのか・・・? これが、イザーク・ジュールの姿か・・・? イザークは固く目を閉じた。 アスラン・・・貴様は、なぜ俺をこんな風に貶める・・・?! 彼は相手を心底、憎もうとした。 怒りをぶつけようとした。 (・・・クソッ・・・アスラン・・・!!貴様は・・・一体俺の何だというんだ・・・?!貴様と言う奴は・・・ッ・・・どこまで俺を・・・!!) 今、彼を突き放して、ここから出て行けば・・・ それで、終わる。 そうすればいい。 何度も同じ屈辱を味あわずにすむ。 この間のことを思い出してみろ・・・!! イザークはそう自分に言い聞かせようとした。 彼は目を開き、氷のような瞳をアスランに向けた。 「・・・アス・・・ラン・・・ッ・・・!」 イザークは歯を喰いしばりながら、そう呼びかけた。 ――俺は・・・おまえになど・・・!! しかし、相手と目を合わせた瞬間・・・ 彼はなぜかその先の言葉を出せなくなった。 アスラン・・・ なんで、おまえ・・・そんな目をしている・・・? 悲しみと寂しさの入り混じった・・・ 翡翠の瞳が縋りつくように、彼を瞬きもせずじっと見つめている。 アスラン・・・ イザークの頭から全ての思考が抜け落ちていくかのようだった。 そして、彼の中に残ったのは・・・ ただ、優しくいとおしむように包み込んでくる、その相手の全身から伝わる肌のぬくもり・・・。 ――くそっ・・・どうしようもない・・・。 ――俺は・・・ イザークは再び瞼を閉じた。 その重ね合わせた肌のぬくもりだけを感じながら・・・ 彼は認めざるを得なかった。 ――今・・・ ――今は何だか・・・ おまえに抱かれているのが・・・そんなに嫌じゃない・・・。 (・・・抱いていいか、イザーク・・・?) 「いいさ・・・」 イザークは目を閉じたまま・・・呟くように答えた。 「・・・俺を抱け・・・アスラン・・・」 (Fin) |