肌 (1)




 夢ではないかと・・・何度もそう思った。
 この腕の中にいる“彼”・・・。
 銀色のきらめく無数の糸に絡め取られるように・・・
 目の眩むような陶酔感がアスランの全身を覆っていた。
 
     *    *    *    *    *
 
 ――母の墓標の前で、彼と会った。
 そして・・・彼の肩に頭を乗せて・・・久し振りに彼の体に触れた。
 その痺れるような感覚が・・・アスランの頭を一瞬空白にした。
 全ての苦痛が・・・悲しみが・・・
 彼の中に鬱積していた負の感情が一気に噴出してきたようだった。
 疲労が、全身を覆った。
 そして・・・
 彼の意識は突然途切れた。
 電気のスイッチが突然ぷつりと切れたかのように・・・。
「・・・アスラン・・・?」
 息を呑む相手の、戸惑いがちに自分の名を呼ぶ声が微かに耳に入ったかのように思えたが、それも一瞬だった。
「・・・・・・」
 アスランは闇の中に沈んだ・・・。
 
 
 そして・・・
 気が付いたとき・・・彼は見知らぬ部屋のベッドの上に横たわっていた。
「・・・アスラン・・・気が付いたか・・・?」
 困惑したように覗き込むイザークの顔が目の前に飛び込んできた。
「・・・お・・・れは・・・?・・・」
 呆然と呟くアスランに、
「いきなり気を失ったんで、驚いたぞ・・・」
 イザークの声は怒ったように響いたが、その顔には心配げな表情が浮かんでいた。
「――ん・・・」
 ほんと、どうしちゃったんだろうな・・・と、アスランは自分の額を手の平で押さえた。
 余程、疲れていたのか・・・。
 あんな風にいきなり昏倒してしまうほど・・・?
 それも、自分が弱くなってしまった証拠だろうか・・・。
 そう思うと心が萎えた。
 ここのところ・・・自分は自分でなくなっている。
 それはよく自覚していた。
 動揺することが多かったせいかもしれない。
「・・・おまえをここまで運んでくるのは大変だったんだぞ、クソッ・・・!」
 不意にイザークがぶっきらぼうに言った。
 そのとき、初めてアスランは自分がどこにいるのかも知らないことに気付いた。
「・・・ここ・・・って・・・?」
「宿舎の俺の部屋だ!!」
 イザークが吼えるように答えた。
 ――それじゃあ・・・
 アスランは、驚いたようにイザークを見上げた。
「・・・イザーク、おまえが俺を・・・?」
「他に誰がいる?!」
 イザークは短く怒鳴ると、照れたようにそっぽを向いた。
 ――あのときの状況を考えると、そりゃあそうだろうが・・・
 ・・・それにしても・・・
(イザークが、気絶した自分を抱きかかえてここまで連れ帰ってくれたのか・・・?)
 アスランは不思議な気持ちになった。
 いつか、熱を出して倒れかけたイザークを抱いて自分の部屋まで連れて行ったときのことをふと思い起こす。
 嫌がるイザークを有無を言わせず、横抱きに抱えて運んだ。
 ・・・今度は、その逆だったというわけだ。
 アスランは内心苦笑した。
 ――構図としては、自分的にはあまり絵になるとはいえないようにも思えるが・・・。
 しかし気を失っていたとはいえ、一時だけでもイザークの腕に抱かれていたのかと思うと、妙に全身が熱くなった。
 それは、決して恥ずかしいというだけのことではない。
(イザーク・・・)
 アスランがいつか、彼にあんなことをしてしまってから・・・二人はまともに言葉を交わしたことがなかった。
 イザークがアスランにまともに話しかけたのは、ついこの間・・・戦場でのアスランの軽率な行動を責め立てたときが、初めてだったかもしれない。
 アスランは小さく息を吐いた。
 こうして・・・イザークのすぐ傍にいる自分・・・。
 こんなに近くにいるのに、心はなぜか遠い・・・。
 なぜなんだ・・・。
 いつも、近くて遠い。
 俺は・・・
 イザークを・・・こんなに・・・求めているのに・・・。
「・・・イザーク・・・」
 気付いたときには、アスランは自然にその名を呼んでいた。
「・・・なんだ?」
 イザークが再び顔を向ける。 透けるようなアイス・ブルーの瞳が銀の髪に何とよく映えていることか。
 眩しいくらいに・・・きらきらと目の前で輝きを放つ。
 アスランは目を細めた。
 いつか・・・
 いつか、この瞳が自分だけを映してくれる・・・そんな日が、果たして来るのかどうか・・・。
 そんなことを考えるたび、切ない思いが増していくようだった。
「・・・なんだと聞いている。言いたいことがあるなら、さっさと言え!」
 そんな風に荒っぽい言葉を投げつけながらも、アスランの様子を見るイザークの目は忽ち不審の色を浮かべた。
「・・・アスラン・・・?」
 それに呼応するかのように、突然アスランはイザークに腕を伸ばした。
 その手がイザークの腕を掴む。
「・・・イザーク・・・」
 アスランはそのままイザークの腕を強く引いた。
 虚を突かれたように、イザークはよろめき、ベッドの上に手を突いた。
「・・・なっ・・・何をする!!」
 イザークが抗議の声を上げるのも無視して、アスランは彼の手を掴んだまま、ゆっくりと身を起こした。
「・・・おまえの中には・・・ミゲルしかいないのか・・・?」
 アスランはイザークを真剣な眼差しで見据えると、そう問いかけた。
「・・・いっ、いきなり、何を・・・?!」
「俺は、真剣に聞いているんだ・・・イザーク・・・!」
 だから・・・おまえも、真剣に答えてくれ・・・。
 掴んだ手に自然に力が込もる。
「・・・つっ・・・!」
 イザークが顔を僅かにしかめた。
「・・・手を放せっ・・・アスラン・・・!」
「・・・答えろよ、イザーク・・・。本当に、おまえにはミゲルしかいないのか・・・?あいつは死んだ。・・・もう、どこにもいないのに・・・それでも、まだ、おまえ――・・・」
 イザークの顔が一瞬蒼白になったかのように見えた。
 掴んでいる腕を通して、彼の体が忽ち強張っていくのがわかった。
 その反応だけで、十分な答えを表しているように思われた。
 イザークから怒鳴りつけられることを予想していたのに・・・相手の口からはなぜか罵倒の言葉は洩れなかった。
 その代わりに・・・イザークは黙って視線を落とした。
 銀糸の髪が目の前を舞った。
「・・・おまえは・・・残酷な奴だな・・・」
 イザークの唇から、力のない言葉がこぼれた。
 その一言が、アスランの胸を刺した。
 アスランはその瞬間、馬鹿な質問をしたことを悔やんだ。
「・・・イザーク・・・」
 アスランが口を開こうとする前に、イザークが再び視線を上げた。
 激しい感情を映す、燃えるような光を放つ青い瞳が真っ直ぐに彼に挑みかかってくるかのようだ。
 アスランはその迫力に、圧された。
「・・・ミゲルがいなくなったから、今度はおまえの相手をしろとでも言うのか、貴様は・・・!!」
 アスラン・・・!!
 怒りとも、悲しみともつかぬ感情が激しく、イザークの身を焦がしていった。
 ・・・どうして・・・こうなってしまうのか・・・。
 イザークは、泣きたい気分だった。
 自分はアスランを・・・
 殺したいほど憎んでいるのか・・・
 それとも・・・それとも・・・?
 自分自身でもわからない、この複雑な感情をどう処理すればよいのか・・・。
 イザークはアスランの手を乱暴に振り払った。
「・・・おまえは、俺の顔を見たらセックスをしたい・・・ただ、それだけなのか?!」
 自分でもひどいことを言っていると思いながら・・・残酷な言葉が止まらなくなった。
「・・・だったら、何も俺とでなくたっていいだろう!!おまえのこと、大好きな――おまえと仲良しのあのニコルとでも乳繰り合っておけばいいだろうが。あいつなら、喜んでおまえに尻を向けてくれるさ!・・・二人でせいぜい楽しんでおけばいい・・・けど、俺は違う・・・!!・・・元々俺は貴様など、大嫌いなんだ・・・だから、これ以上おまえのお遊びに、俺を・・・俺を巻き込むな!!」
 言いながら、だんだん心が高ぶってきた。
 瞳が潤む。
 なぜだろう・・・。
 俺は怒っている・・・
 ・・・はずなのに・・・
 こんなにも、虚しくて・・・
 泣きたいくらい切なくて・・・胸がきりきりと痛む・・・
 この思いは・・・何なんだ・・・?
(・・・ミゲル・・・)
 おまえが今ここにいたら・・・教えてくれるだろうか・・・?
(どうしちまったんだ・・・俺は・・・?!)
 イザークは自分でもわからなかった。
 何で・・・
 アスラン・・・!!
 アスランの悲しそうな顔が、胸を衝く。
 何で、そんな顔する・・・?
 俺、ひどいこと言ったんだぞ・・・!!
 貴様をおもいきり、侮辱したんだぞ・・・!!
 何で、黙っている・・・?
 なぜ、何も言わない・・・?
 なぜ、怒った顔をしない・・・?
 この間のように・・・力ずくで、俺を押し倒して――
 そして・・・俺をめちゃくちゃに犯してみろ・・・!
 アスラン・・・!!
 涙が頬を伝っていくのが、感じられた。
(・・・なんで、俺、泣いているんだ・・・?)
 そう思った瞬間・・・自分が全宇宙で最も愚かしい生き物であるような気分になった。
「・・・俺は、貴様が・・・大・・・嫌い・・・なんだ・・・ッ・・・!」
 憎しみを込めて、吐き捨てるように言う。
 しかし、彼の思惑とは裏腹に、体は自然にアスランを求めていた。
「・・・知ってるよ・・・イザーク・・・」
 アカデミーで、初めて見たときから・・・
 イザークは、ずっと俺のこと、大嫌いだって言い続けてきたから・・・。
 ずっと・・・
 ずっと・・・
 それでも・・・俺は・・・
 アスランは、イザークの体を受け止めた。
 イザークの唇がアスランの唇の上に重ねられた。
 そっと・・・躊躇いがちに・・・
 しかし、もう逃げようとはしなかった・・・。

                                         
(To be continued...)


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