The Deprived (1) 「議長が……?」 ディアッカは呆気に取られた様子で、イザークに問い返した。 「……こんなときに、何でまた……?」 イザークがギルバート・デュランダルの私邸に呼び出されたと知った瞬間、ディアッカはおもむろに眉をしかめた。 確かに今、宇宙ではいわゆる膠着状態が続いていて、大規模な戦闘が起こるわけでもなく、連合との間には何の進展も見られない。しかし、裏を返せばいつ大きな戦いが起こるかもしれぬ危険性をも常に孕んでいる。 そんなときに、全く何で一個隊の隊長をわざわざ呼び出すか……。 それに―― なぜだろう。理由はわからないが、どことなく気に入らない。 ギルバート・デュランダル。 現プラント最高評議会議長。若くして人望厚く、政治家としてのその才腕は内外でも高い評価を浴びている。 前大戦時にあれだけ軍規違反を犯した自分たちが特に何のお咎めもなく、まだこのように軍服を着て、ザフト軍の一角にいられるのも、彼が議会で熱弁をふるったお陰だと聞く。でなければ、今頃は獄中か国外追放になっていたとろかもしれない。 無論その件については、彼には感謝している。そして彼が幾度となく公の場で主張してきた理念や信条に何ら反する気持ちもない。 デュランダル議長は、優れた政治家であり、プラントを導いていく指導者としては彼以上の人間はいないだろう。 今、彼がジュール隊の隊長を突然呼び出したとて、特にどうのこうの言うこともない筈だった。 ただし、それが『公』の召喚であったなら。 ――ジュール隊長に『内密に』『個人的な』話がある。 ……と、議長自らが直々に、ジュール隊長に個人回線でコンタクトを取ってきたのだ。 しかも、私邸に呼び出して。 そのため、わざわざイザークはスーツに着替えていた。今日はシックなダークグレーのスーツを着ている。 (あんまし、似合ってねーな) その姿にちらと視線を走らせて、ディアッカは苦笑した。 議長の前だからと、気を遣って地味なスーツを選んだらしいが、やはり彼には不似合いな色合いだった。 容貌が派手なだけに、バランスが悪くて違和感がある。せめてネクタイだけでも派手なのつけときゃいいのに。それともいつも見慣れている格好じゃないというだけか。 まあしかし、そんなことはたいした問題ではない。 問題は……。 ディアッカはうーんと頭をかいた。 (なんか、しっくりこねーんだよなあー) ――何だってわざわざ、呼び出すかなあ。 イザークに怒っても仕方ないが。それでも……。 ――呼び出されて、のこのこ出て行くんじゃねーよ。 ……理不尽ながら、そう一言言いたい気分にもなった。 プライベートでプラント最高評議会議長がザフト小隊の隊長を私邸に呼び出すなんて……色々な意味で、怪しい匂いがぷんぷんする。 少なくとも自分にはそう思えて仕方ない。 ――まさか、妙なことに巻き込まれたりしねーだろうな。 政争に巻き込まれることを心配する……というより、本当はいつかの……あのミネルヴァからヴォルテールに乗ってきたときの議長のイザークを見る眼つきがどうも目の奥に焼きついて離れないせいもあった。 あのとき……。 非常時でどたばたした中だったため、イザーク自身は気付いていなかったかもしれないが、自分にはすぐにわかった。 何かこう……あの目つきが……。 どうも気に入らない目でイザークを見てやがった。 これまでの経験から、あのような目で見る奴が取る行動は容易に想像がつく。 とは言っても相手は議長だ。軽はずみに部下に手を出すなど……まさかそんな……とは思うが。 実際にあのときは心配するようなことは何も起こらなかった。だから、あれ以来自分もすっかり忘れてしまっていたが。 しかし、今回は……。 「……なあ、イザーク」 思わずディアッカは声をかけた。 身繕いをしていたイザークが怪訝そうに振り返った。 「何だ?変な顔をして」 ディアッカはイザークの傍へ近づいた。いきなり腕を掴む。 「おい、ディアッカ?」 驚いた顔のイザークを前に、 「おまえ、気イ付けろよ!」 真剣な面持ちでそう注意するディアッカを、イザークは呆然と見つめた。 「気を付けろって……何に?」 「……ったく、鈍い奴だなー!いちいち、そんなこと言わせんなよ!」 ――察しろよ。いい加減……! ディアッカは舌打ちした。 イザークはいつもそうだ。自分がいかに人を魅きつけ、その欲望をそそる存在となっているのか、まるで自覚がない。 (今まであんだけ散々な目に会ってきておきながら、まだ学習してねーのかよ) ディアッカは軽く息を吐いた。 まあ、そういうところが、イザークのかわいげのある部分でもあるのだが。 しっかしなあー……これじゃあ、警戒心も何もあったもんじゃない。 不意に危機感に襲われたディアッカは、思い切って口を開いた。 「あのなあ……はっきり言うけど、この間の議長のおまえを見る目ってさあ……何かこう……ちょっと変だったぜ。普通じゃねーってか、さあ……。だから、おまえもちっとは警戒して――」 「……なっ、何バカなこと言ってる!何であの議長がそんなこと……!」 イザークは忽ち顔色を変えた。 「ディアッカ!貴様ッ……議長に対して失礼だぞ!いいか、そういう下らんことは二度と言うな!」 言いながら、ほんのりと頬が赤らんでいる。 自分でもどこか思い当たる節があったのかもしれない。ひょっとしたら、この間のあのときも、俺の見ていないところで何かあったか……? ――などと少し意地悪なことを考えながら、ディアッカはイザークの反応をさりげなく観察した。 「……いや、俺は何も議長を侮辱してるつもりじゃねーけどさ。ただ……」 しかし、それから後の言葉は続かなかった。 少し言うのを憚られたのだ。 どんな理性を持った奴だって…… たとえそれが議長であっても、わかるものか。 おまえは……。 ディアッカは嘆息した。 ――おまえを見てると、誰もが妙な気を起こしやすくなる。 などと……まさか、そんなことを本人の前で言えるわけもない。 「……ああ、もういいや!んじゃあー、取り敢えず用が済んだらさっさと帰って来いよ!ジュール隊から離れていると本務に差し障るからって、はっきりそう言ってさ」 ――ああ、くそっ!ほんとは自分が一緒についていければ一番いいのに。 しかし、隊長自らの命令でそれは禁じられてしまった。 自分のいない間の隊の指揮を任せるということが主な理由だったが。 それは表面上の理由に過ぎない。 これまではいつも一緒に行動して何の差し障りもなかった筈だ。現にアスランの監視をする云々のときだって、一緒に行ったじゃないか。 (そういや、あのときも議長の命令だったよな、確か) そう思うとふと何か気になった。 いつも議長が絡んでくる、か。 何なんだろう、これは……。 とにかく今回のことはきっと、議長から言われてのことに違いない。 部下を連れずに一人で来るようにと念を押されたか。 ――ますます、怪しいな……。 自分のただの憶測にしか過ぎないのだからと自制しようとしながらも、なぜか笑って流すこともできなかった。 仕方がない。……取り敢えず、早く帰って来いと言って送り出すよりほかなかった。 何とはなしに胸の波立ちを抑えきれぬまま……。 複雑な気分で彼はイザークを見送った。 「……やあ、よく来たね」 ギルバート・デュランダルは、にこやかにイザークを迎え入れた。 ラフな格好とはいっても、光沢のあるシルクのシャツに細身のズボンを身に着けた彼の姿は、その挙措の上品さもあいまって貴族のような優雅さを引き出し、普段以上に美しく輝いて見えた。 ぎこちなく敬礼するイザークを片手で軽く制すると、 「そんな堅苦しい礼はいいよ。こちらへ来たまえ。きみが来るのを待っていたんだ」 邸内へ自ら招き入れる。 「はっ……で、では……」 「今日は非公式に呼んだのだから、半分プライベートのようなものだよ。そんなに固くなることはない。気を楽にしなさい」 そう言いながら、デュランダルは立ち止まるとイザークが近づくのを待って、改めて間近から相手を眺めた。 議長と目が合って、イザークの体に一瞬緊張が走った。 「……なにか……?」 じっと見つめられて、居心地悪くなり、思わずそう問いかける。 デュランダルはふっと笑みをこぼした。 「……いや、今日はまたえらく地味な格好だなと思ってね」 いきなり服装をチェックされて、イザークは真っ赤になりながら俯いた。 「あ、いえ……これはただ……」 何と返答してよいかわからず、しどろもどろになる。 デュランダルは今度は声を上げて笑った。 「はは、まともに返事しなくていいよ。からかって、すまなかった。――でも、きみにはもっと派手な色の方が似合うな」 彼はふっと目を細めると、不思議な目つきでイザークを見た。 そんな彼の思惑ありげな視線にイザークが気付いたかどうか。 「……取り敢えず、私の部屋へ案内するよ。そこで、話そう。『半分』プライベートと言ったが、もう半分はザフト軍、ジュール隊の隊長としての任務も含んでいるのだ。……実は折り入って、きみに頼みがあるのだよ。そのためにきみをこうしてわざわざ呼んだのだからね」 そんな風にやや真剣な口調に切り替えて話す議長の顔を、イザークは熱心な瞳で見つめていた。 ギルバート・デュランダル。自分に目をかけ、このように引き立ててくれたのは彼だ。その分、彼には無論恩義も感じているが、何よりイザークはその人物に心酔していた。 確かに彼は優れた指導者であり、敬意と崇拝の気持ちを抱かせずにはおれない。それは彼の理念、信条……というよりも、彼自身の人間性の魅力にもよるところが大きいだろう。 イザークも勿論、彼に魅了された者の例に洩れない。 あれこれ心配していたディアッカには悪いが、このように私邸にわざわざ招待されたということ自体も、自分だけに与えられた何か特別な名誉のような気がして、ひそかに喜びと誇りを感じていた。 (美しい方だな……本当に……) 間近で姿を見ると、その眩しさにさらに胸がときめいた。 この方が、今プラントを導いていこうとしている……それだけで、イザークは何となく安心できるような気がした。 何の疑念も抱くことなく、彼はただデュランダルの言葉に聞き入り、その後を従順についていった。 しかし―― 「……アスラン・ザラは、どうだった?」 突然切り出したデュランダルの言葉に、イザークは息を飲んだ。 「はあ……?」 まさか、いきなり彼の名前が出てくるとは思いもかけず、イザークは少し動揺した。 そういえば、前回も議長の計らいで、名目上は監視役と言いながら、あのように再会を果たすことができたのだった。 当然、デュランダルも彼らの関係はよく知っている筈だ。 しかし、こうして改めて問いかけられると、戸惑いを感じずにはいられなかった。 そんなイザークの様子を見て、デュランダルは僅かに目をそばめた。 「……きみとアスランは、どんな関係だったのかな?」 「え……?」 イザークは目を見開いた。 ――どんな関係……って……。 彼は己の耳を疑った。議長の口から出た言葉とも思えない。一体相手は何を聞こうとしているのだろう。 「……この間は、十分彼との時間を楽しめたんだろうね?」 動揺するイザークを満足げに眺める議長の瞳には、冗談とも本気ともつかぬ光が瞬いていた。 「あの、自分にはおっしゃる意味がよく……」 言いながら、イザークはさりげなく目の前のティーカップを持ち上げ、口元に運ぶ。 何も気付かなかった振りをして、話題を流したい気分だったが、なかなか動揺する心を静めることができない。 (なぜ、この人はこんなことを言う……?) これは、あまりにも――プライベートすぎる。 相手が議長でなければ、下らぬことを聞くな!と一喝したいような、かなり不躾な問いかけだっただろう。 「ホテルを二人で抜け出して、どこかで一晩過ごしてきたそうじゃないか」 なおもデュランダルの口からこぼれたその言葉に、イザークは思わずティーカップを取り落としそうになった。 危うく我に返って、何とかテーブルにカップを置くが、荒々しく置かれたカップは激しく揺れて周囲に水滴を飛ばした。 「……そ、それは……!」 少し咳き込みながら、必死で弁明の言葉を探すが、頭の中は真っ白で、何一つ適当な言葉を思いつくことができなかった。 「……そんなに慌てなくてもいい。何も恥ずかしがることじゃないよ。それに――」 デュランダルは悠然と笑みを浮かべてイザークを見た。 「……だからこそ、きみを今日ここへ呼んだのだから」 瞳が鋭い光を放った。 その瞳にまともに目を合わせたイザークは一瞬、たじろいだ。 ――なん……なんだ……この人は……? 一体何を言おうとしている? そのとき、なぜか体の芯から震えが走った。 (――気イ付けろよ) ディアッカの言葉が頭の奥で微かにこだました。 初めて……警戒心が芽生えた。 彼は、本能的に少し身を引いた。 「……わたしに、何をせよと……?」 しかし、デュランダルの瞳は彼を放さなかった。 「……つまり、きみを手に入れるということは、アスラン・ザラを手に入れるのと同義ということになる」 デュランダルのゆっくりと語るその口調はやけにまわりくどく、粘着質に響いた。 「……わたしに協力してくれるかな、ジュール隊長?」 その言葉が聞こえた後――ふと、議長の姿が目の前から消えたような錯覚にとらわれた。 「……申し訳ありませんが、そのようなことはわたしには――」 言葉が突然、途絶えた。音声が喉下でぷつりと消えた。 何だろう?何か、おかしい。 目の前が霞んだ。 (どうしたんだ……) イザークは身の危険を感じ、立ち上がろうとした。 しかし足元がもつれて体がついてこない。 「……………?」 どう……した……? 「――きみの体を少しだけ借りたいのだ」 暖かい吐息が、不意に首筋を撫でた。 びくんと全身が震えた。 相手の腕が、優しく、同時に有無を言わせぬような強い力で自分の体を抱こうとするのがわかった。 そして、それに抗えない自分自身も……。 「無論、協力してくれるだろうね。イザーク・ジュール……」 そして、まるで答えを吐かせぬかのように、彼の唇は突然見えない手で塞がれた。 (To be continued...) |