The Deprived (2) 「ん……ふッ……あああ……ッ……!」 唇から洩れるその喘ぎ声が、自分自身の神経を刺戟してさらに快楽を高めた。 このままでは、早い段階で達してしまいそうだ。 (だめ……もう、これ以上……は……!) やめて……という言葉を出すにはあまりにも彼は快楽の海に溺れすぎていた。 この人は、どうして自分にこんなことをするのか。 気付いたときには、既にギルバート・デュランダルの体の下に裸体を晒されていた。 何がどうなっているのかわからぬまま、ただ羞恥に全身がかあっと熱くなった。 これまで幾度も同じような状況に陥ったことはあったが、まさか自分がずっと尊敬と憧れの眼差しで見つめてきた人物から、直接このような行為を受けるとは……。 「ぎ……ちょ……お……っ……!あっ、あなたは……な、何を……っ……?」 抗議の言葉は舌先でもつれた。 彼は相手の腕の下から逃れようと、本能的に体を捩った。 しかしそんな僅かな抵抗は、あっという間に相手の強い力に抑え込まれた。 「『議長』ではないよ」 耳元で相手がふっと笑うのが感じ取れた。甘い吐息。 公の場で見るあの常に冷静で理知的なギルバート・デュランダルからは到底想像もつかないような、もう一つの顔がそこにあった。 「――『ギル』だ」 そう訂正しながら、ゆっくりと舌が耳を舐めていく。ぴちゃりと淫靡な音が鼓膜をくすぐる。 「……あ……っ……!」 もがこうとすればするほど、相手の体の中に身を埋めていくような気がする。 奇妙なほどの現実からの遊離感。 この感覚。……覚えのある感覚だった。 苦い記憶だが、アスランにも同じことをされた。 薬を盛られたな、とすぐに彼は悟った。 体が言うことをきかず、その一方、肌の上を這う相手の指の動きには過敏すぎるほどに反応する。 単なる睡眠剤ではない。これは……。 媚薬か何かの類だろうか。そう思うと、気のせいか一層、体が激しく燃え立つかのようだった。 相手に触れられるたびに、こんなに過剰に反応するなんて……とにかく異常すぎる。 (……どうして、こんな……こと……っ……!) なおも抗議の声を上げようとしたとき、ぐいと両足を開かされて、彼は思わず出かかった言葉を全て呑み込んだ。驚きに眼が大きく見開かれる。 掴まれた陰茎の先端から既に先走る蜜がこぼれ出していた。 相手が自分のペニスを摺り上げると、その刺戟に彼は声も出せず、ただ全身をのけぞらせた。 ギルバートの巧妙なその指先のテクニックに、彼の自身は忽ち興奮し、勃起していく。 もはや理性の力で止められる段階ではなかった。 喉元から自ずと淫らな声が上がった。 ――ああ……ッ……! その一段と艶めいた声が、自ずとギルバート・デュランダルの腰の動きを速める。己自身の挿入を何度も繰り返す彼の呼吸はさすがに荒くなっていた。 しかし、何という蟲惑的な生き物か。『これ』は……。 彼は感嘆の眼を向けずにはおれなかった。 女性である彼の母親でもここまで欲望をそそることはなかった。 ふと彼は力を抜き、組み敷いた相手のその色の白い少女のような面を覗き込んだ。 汗ばんだ額から頬に纏いつく銀糸の髪をそっと払いのけながら、その両の瞳に視線を当てる。 エザリア・ジュールと同じ瞳の色…… いや、違う。 この青さは…… 一瞬、ギルバート・デュランダルは眩げに眼を細めた。 自ずと口元から吐息が洩れる。 (……彼は、美しい……) 率直な感想だった。 まともに見つめていられぬほど真っ直ぐな、射抜くようなその青の色が、ギルバートの瞳を閉じさせた。 (……美しすぎる) この美しさは、自分には相容れぬものであるのかもしれなかった。 ギルバートは皮肉な笑みを浮かべた。 誰なのだ。 この生き物に、所有の刻印を押した者は……。 彼はイザークの耳元にそっと息を吐いた。 「……きみの体はよく熟れているな……誰に仕込まれたんだね?」 そう、きみを『所有』したものがいるだろう。 きみを肉体からその繊細な魂ごと、絡め取った幸運な人間が……。 それは、誰なのだ。 ――アスラン・ザラか……? それとも、かつてのきみの上官だった男―― あのラウ・ル・クルーゼ――か……? その名を吐き出した瞬間、微かに胸の奥が疼いた。 ラウ……か。 懐かしい響き。苦い痛みを伴って、甦る。 忘れよう……としても、所詮無理な話だった。 現にレイがいる。レイ自身は意識せずとも、彼の内に眠るあの遺伝子が……自ずと自分を呼ぶ。 ラウの分身がこの世に存在する限り、自分はやはり彼を思わずにはいられないのだ。 最初にあの冷たい仮面を引き剥がした瞬間……ぞくりと背筋に冷たいものが走り抜けていくのを感じたことを思い出す。 微かに身を震わせながらも、彼は相手からどうしても目が離せなかった。 戦慄……と同時に、一種得体の知れぬ興奮が胸の底から湧き上がってくるかのようだった。 今、自分が向かい合っているもの。これは、まさしく人類の業でしかない。 その業を全て背負わされているこの男を哀れとみるべきか。それとも、かつての偉大なる殉教者たちのように、人類の贖罪を引き受ける栄誉とその生の存在意義の大きさを羨むべきか。 (……きみは、何を見ているのかね?) 皮肉な言葉が、その歪んだ唇から洩れると、ギルバートは再び身震いした。しかし、その瞳は目の前の男から決して離れはしなかった。 (……きみは、わたしの何を見ている……?) ――きみは、わたしを通して、何を見ようとしているのだ……? ギルバートは、その問いに答えることができなかった。 自分でも、わからなかった。自分の見ているものが、本当は何なのか。自分の求めているものが、何なのかということが。 自分は狂っているのかもしれない。 そう思わずにおれないほどの刺激と興奮の渦に包まれながら、彼はただ目の前の男の全てを受け容れようとしていた。 彼は、男を抱擁した。全身にくちづけた。仮面の下に隠されていたその禁忌の部分も含めて、すべてくまなく……ラウ・ル・クルーゼの体の全てをいとおしむように、ゆっくりとその唇で愛撫を続けた。 自分は人類の業を、この腕の中に抱いている。 その感覚は胸を震わせるような、恐ろしい、しかし同時に不思議なまでに自己の存在意義を高めるような、一種の高揚感をも感じさせるものだった。 なぜ自分はこんな世界に足を踏み入れてしまったのだろう。情欲の波に溺れながら、彼はふと自問した。 しかし……もはや、逃れられなかった。 彼は……ラウ・ル・クルーゼを抱くことにひたすらに酔った。 相手の嘲りの響きを帯びた哄笑も聞こえぬ振りをして過ごし、ただ彼は己の満足するまで存分に、その『人類の罪』を抱くことに熱中した。 それが、自分にとってどれほどの意味を持っていたのか、いかに自分の根底に影響を与えていたのか、本当のところは彼自身にもよくわかってはいなかった。 彼は本能に突き動かされるままに……ラウ・ル・クルーゼとひとつに繋がり続けた。 しかしそれも……。 あの大戦で全ては終わり、過去のものとなった。もう二度と思い出すことはない。いや、思い出さぬようにしようと思っていたのだが……。 それでもやはり、自分の中にはまだ奴の存在がこんなにも強く残っているということか。 (記憶というものは、つくづく厄介なものだな……) ギルバートは苦笑した。 それは脳内だけには留まらぬ。 絡み合う四肢が、汗ばんだその触れ合う肌が、性感帯を刺激するこの一本一本の指の動きさえもが……克明にその全てを記憶するのだ。 今、この瞬間のイザーク・ジュールとの接触の全ても、恐らくは……。 ただ、ラウとの違いは、イザークにはさすがに自分にとってはラウほどの吸引力はないということか。 確かに彼は自分をこんなにも魅了するが、ただそれは運命的な力ではない。運命の繋がり……それは、自分にとっても、彼にとっても、別のところにある。 自分にとって、ラウは……特別だった。 肉体的な繋がりという以上のものが、自分と彼との間には確かに存在していた。それは……他の誰とも分かち合えるものではない。 ふとその思考が、ギルバートの胸に影を差した。 求めても手に入らないもの。 既にどこか遠い彼方に去ってしまった、帰らぬもの。 それは、今、ここにいるイザーク・ジュールで補うことはできないのだ。 そんなことはわかりきったこと。ではあったが……。 それでも、自分はそれを求めてしまう。 そんな自分がひどく厭わしく思えて、急にギルバートは言いようのない虚しさに捉われた。 イザークの下半身から己自身を引き抜き、行為を突然止める。再び顔を上げて、その美しい濡れた瞳を見た。 呆気に取られたような顔。 茫然と視線が宙を漂っている。 それを見ながら、ギルバートは大声を上げて笑いそうになった。 (きみも、求めていたものを、得られないのだな。きみには、それがわかっているか。わたしでは、駄目なのだということが。きみには、きみの運命が待っている。全く別の場所に) こんなことをしていても、仕方がなかったのに。 それでもなぜか、こうせずにはいられなかった。 ギルバートは溜め息を吐いた。 これで幾度目だろう。行為中にこんなに溜め息ばかり吐くとは……。自分らしくもないが。 せっかく得られたと思った快感が、やるせない寂寥感に取って代わる。 そしてふとイザークの瞳を見た瞬間……ギルバートのその感覚はさらに強まった。 胸が痛む。空っぽの胸の中に満ちていくこの新たな孤独感。 ……違う。 ――あなたは、違う。 僅かな哀しみと非難の色を湛えたその青い瞳がはっきりと語っていた。 (……違う……) ――あなたの相手は、自分ではない。 明らかな否定と拒絶。 あまりに真っ直ぐなその哀れみを含んだ視線に耐えられず、ギルバートはふと目を伏せた。 常に冷静でいるはずの彼の心が微かに胸の奥で波立ち始めているのがわかる。 それは、自分の内面を見透かされたことに対する不条理なまでの怒りだった。 ――違う。 当然だ。 自分にとっては、『彼』だけが唯一の……。 そして、イザーク・ジュールは彼ではない。自分がイザークの気にする『誰か』ではないのと同じように。 (そんなことは、わかっている……!) 全て承知の上で、それでもこうしておまえを抱いているのではないか。そんなこと、わざわざ言われるまでもない。なのに―― 「……きみは、どうしてそんな瞳で他人(ひと)を見る?」 低く呟くギルバートの声には微かな苛立ちの響きが感じ取れた。 ――そんな瞳(め)で見られると…… 「……私に、何を望む?」 ――虐めて欲しいのか? さざめく感情の波が、徐々に高まっていく。 これは、何だ……? ギルバートは自問した。 自分は、なぜこんなにも不安定なのだ? 突然、目の前にいるこの美しい生き物が、たまらなく厭わしくなった。 彼の美しい肌に爪を立て、ぼろぼろに引き裂いてやりたいと思うほど……暗い怒りが彼の胸を覆っていた。 「……私は、何も――あ……ッ……!」 弱々しく答えを返そうとするイザークの唇に、荒々しく自らの唇を重ねる。 (許さない……) 私から、『彼』を奪ったものを……。 唇に吸いつきながら、掴んだ喉元に軽く爪を立てると、相手の体が痛みに一瞬ぴくんと痙攣するのが生々しく感じられた。 この冷酷さは何なのか。 自分は、たぶん、どこかで狂い始めているのだろう。 それがわかっていながら、止めようもないほどに、深くどこまでも侵蝕していくこの腐敗感。 どうしても、そのおぞましい行為を止めることができなかった。 そのようにして彼は、捉えた手の下で苦しさと歪んだ快楽に悲鳴を上げ続ける獲物を、いつまでも放そうとはしなかった。 (To be continued...) |