The Deprived (10) 銀色の光の糸が幾重にも交叉する。 きらきらと輝く残像を残しては消えていくそのイメージの連続が、脳裏に幾度となくフラッシュバックした……。 光の彼方からこちらを見つめてくるのは、あの澄んだ青い双眸。 あれは……何だろう。この世のものとも思えない。 不思議な生き物が覗き込んでくると、その美しい瞳に射抜かれ、忽ち動けなくなる。 魅入られたように……。どうにもならない。 完全に捉えられた。 おまえは、何者だ? 天使か。悪魔か。 いや……違う。 胸の下から確かに感じるのは、生きている人間の脈打つ鼓動とぬくもり。甘い息遣い。 あれは……。 (イザーク……) イザーク・ジュールだ。 ……ふと気付けば、イザークのことばかり考えていた。 ハイネはそんな自分に半分呆れながらも、かといってそれを馬鹿なことだと一蹴する気にもなれなかった。 本当に…… この両の手が、まだリアルに感じている。たまらなく愛しいあの感触。あいつの……イザークのあの肌の感触を。 なんて白くて柔らかい――弾力のある滑らかな肌触りであったことか。 予期していた以上に欲情を煽られた。 あいつは、男なのに……な。 考えると不思議だ。 自分にはそんな性向はなかった……はずだったのに。 乞われて仕方なく男と寝たことはあったが、それでも自分から積極的にこんなに相手に向かっていく、こんなセックスはかつて経験したこともなかった。 だが…… 理屈ではない。 本能に駆られるまま、体が勝手に動いてしまった。 これは、やはり相手があいつだったから……なのか。 (魔性の生き物だよ。あれは……) ギルの言葉が不意に耳元に甦ってきた。 ――魔物だ。 確実に捉えた男を狂わせる。 あいつには手を出さない方がよかったのだろうか。 このまま、そっとして……自分の感情が落ち着くまで、少し待っていればよかったのか。 俺は確実に冷静さを失っていた。 頭ではわかっていたはずなのに。 しかし…… どうしても止めることができなかったのだ。 自分の中で滾る雄としてのこの本能的な熱い欲望の渦に溺れてしまったが最後、もはや理性も何もあったものではない。 これまで同性に対してあんなに欲情したことはなかったし、まさかそういうことがあり得るとすら思わなかった。それが……。 イザーク…… こうしている今も、思い出すとまた心が熱くなる。 あの刺激と快感を求めて、体が自ずと疼いてくるようだ。 (……ったく、こりゃホントにビョーキだな、俺……) ハイネは笑った。 ビョーキというか、中毒症状とでもいうのかどうか。とにかく―― イザークに会いたくてたまらない。 ふと見るとデジタル時計は真夜中を指していた。 こんな時間に廊下を歩いていたら、本当に怪しまれそうだが……。 しかも、こういうのって、いわゆる『夜這い』……ってのになるんだっけ。 (くそっ!もう、いいや!) どう思われようが構うものか。 半ばやけくそのように、ベッドから起き上がる。 シャツの上にロングジャケットを羽織っただけの格好で、彼はそっと部屋から抜け出した。 しかし、廊下を進むにつれてどうも様子がおかしいことに気付いた。 階上の廊下に灯がついている。イザークのいる部屋に近づくと、ちょうどそこから男が出てくるところだった。 よく見知った顔だ。白衣は着ていないが……。 (……ドクター……!) それがわかった瞬間、彼は自分の姿を隠すのも忘れ、思わず駆け出した。 (何が……あった……?) 心臓が早鐘のように激しく打ちつける。 すれ違いざま、相手が驚いたような視線を送ったのに気付いたが、ハイネは気にしなかった。 彼は閉まったばかりのドアに手をかけた。ドアは施錠されておらず、簡単に開いた。 「イザークッ……!」 その名を叫びながら、部屋の中へ飛び込んだ。 途端に、目の前に佇む背の高い人影が彼の進路を阻んだ。 「おや、これは驚いた。こんな時間に、どうしたのかね……」 不意の闖入者にも、ギルバート・デュランダルの対応は至って冷静だった。まるで予期していたかのように。 「……よくわかったな。――それとも、単に人目を盗んで彼に会いにきただけなのかな。どちらにしろ、あまりきみらしくもない行動だな」 ギルバートは呆れたように苦笑した。 「あなたこそ、こんな時間にどうしてここにいるんですか?」 ハイネはすかさず応酬した。 自分の声に怒気がこもっているのがわかる。彼はそんな自分に内心驚いた。――ギルバートに対してこれまでこんな口調でものを言ったことがあっただろうか。 しかし、もはやそんなことには構っていられない。ギルバートへの物言いなど、今の彼にはどうでもよいことだった。彼の頭の中にあるのは、ただ一つ。 ――彼に、何かあったのか……? 「――イザークは……」 「彼なら大丈夫だよ。軽い発作を起こしただけだ。今薬で眠らせたところだから」 ギルバートが言うと、ハイネは眉を上げた。 「……発作……って……どういう――」 「わたしも驚いたよ。突然、ひどく苦しみだしたものでね。正直、慌てた」 ギルバートは大仰に肩をすくめた。その様子からは全く罪悪感の欠片も感じているようには見えない。 それを見ているうちに、ハイネは次第に激しい憤りが身を焦がしていくのを感じていた。 ――よくも、のうのうと……。 ガウンを軽く羽織ったその姿を見れば、彼がそれまで何をしていたかは明らかだ。 わかりきったことではあったが、それでもハイネは動じずにはいられなかった。 つまり……行為中に…… ショック症状を起こした、ということか。 かっと全身が怒りで熱くなる。 そんなことが……。 よほどのことがない限り、そんな……そんな風になるものか。 あんたって人は…… 思わず拳を握り締める。 ――どんなにあいつを苛めたんだよ、あんた……! 「……そんな風に睨まないでくれたまえ。わたしがすっかり悪者になってしまう」 怒りの眼差しを向けるハイネに、ギルバートは苦笑した。それがハイネの目をさらに険しくさせた。 「……違うのか?」 明らかに詰るような口調だった。 「……自分のせいじゃないと、そう言うのか。あなたは!」 怒りが爆発した。 ギルバート・デュランダルをこんな風に怒鳴りつけるなど……数日前の自分なら、想像もつかなかっただろう。 「……きみも、すっかり毒されてしまったようだな」 ギルバートは怒る様子も見せずに、むしろそんなハイネを呆れたように見た。そして、その奥で閃く微かな嘲りの色。 「イザークをきみに預けたのはわたしのミスだったな。今のきみは完全に冷静さを欠いている。そんなことではこの任務は任せられない。これ以上、きみには無理かな。やはりきみには、ここに残ってもらおうか」 最後の言葉にははっきりとした警告の響きが感じ取れた。それは問いかけではなく、命令に近かった。 ハイネはふっと笑った。我ながら、笑いが口の端で引きつるのがわかった。 ――何を今さらそんなこと…… 元々こうなるように仕向けたのは、他ならぬあなた自身だろうに。 「もう、遅いですよ。ギル」 そう短く吐き捨てるハイネの目が臆することなくギルバートを見返す。 そこに秘められた決意の色を―― その強い眼差しを、果たしてギルバートはどう受け止めたのか。外目からは推し量るべくもない。 相変わらず感情を表さない、そのけぶる瞳が無表情にハイネを映している。 「……そうか。なら、仕方ないな」 その言葉だけでは、是も非もわからなかった。 「きみの好きにするがいい。きみは『フェイス』だ。きみには自分自身の判断で意思決定し、行動する特権が与えられているのだからね。ただし……」 その瞳がちらりと危険な光を放つ。 「わかってはいるだろうが、個人的『感情』で行動するのは『フェイス』の特権外だ。……今、わたしの邪魔をすることだけは、許さない。もしこの計画に僅かでも支障をきたすようなことがあるなら、それがたとえきみであっても……わたしは容赦しないよ。いいね」 (脅しだな……) ぞくりと背筋を震わせながら、それでもハイネはギルバートの視線を挑むように受け止めた。 「わかってますよ。そんなこと」 今さら言われるまでもなく……。 あなたという人の恐ろしさを知らないわけじゃない。 あなたが容赦しないと言えば、それは本当に相手に対する最後通牒になる。 そして、あなたは誰に対しても、決して容赦はしない人間だ。 わかっているさ、そんなことは……。 ……イザークはふと瞳を開いた。 霞む視界の中に、今はよく知るその顔が見えた。 オレンジ色の髪が明るすぎる。じっと見ていられなかった。 「……ハイネ……」 呟くイザークの頬をその手がそっと撫でた。 覗き込む瞳の色。 もう間違えることはない。 ほんの少し明るい緑の色。それを見た瞬間、自然に心が安らいだ。 「……間違えずに俺の名前、呼べたな……」 よくできました、と言わんばかりににっこり微笑む。 子供をあやすようなその口調に、イザークははっと頬を赤らめた。 「……馬鹿……何を……」 顔をそむけようとするが、相手の指が顎を掴んだまま、離さない。やむなく、目線だけ落とした。 「……俺……どうなったんだ……?」 最後に見たのは、確かギルバート・デュランダルの酷薄なあの恐ろしい瞳の色だったように覚えているが。 呼吸が乱れ、急に息ができなくなった。 恐怖と戦慄が彼を凄まじい恐慌状態に陥らせた。 その後、突然のブラックアウトが襲い―― 彼の記憶はそこでぷつりと途絶えている。 気が付けば、なぜか目の前にこうして…… ――そういえば…… (――彼はもうここへは、来ない――) ふとギルバートに言われた言葉が甦った。 「……おまえ……もう、ここへは……来ないんじゃ……なかった……のか……?」 たどたどしい物言いに、イザークの純粋な戸惑いとひそかな悦びが見え隠れする。 「ああ?……何のことだ、そりゃあ?」 そう問い返してから、ハイネは意外そうに目を細めた。 「あれ、ひょっとして、おまえ……俺が今ここに来て嬉しい、なんて思ってる?」 素直な返事が返ってくることなどまずないだろうと予想しながらも、そう問いかけずにはいられなかった。 「じょッ……冗談じゃない!何馬鹿なこと……!」 案の定、慌てたようにぶっきらぼうに返されたその言葉に思わず微笑む。 ――ばーか。顔が赤いぞ。 言葉とは裏腹に、イザークの表情は見事に素直な反応を表していた。 ハイネは衝動的にイザークの頬にくちづけを落とした。 「うわっ……やっ、やめろ!」 ――調子に乗るな……! 今度こそハイネの手を顔から振り払うと、イザークはぷいと相手に背を向けた。 「か、勘違いするなよ!おっ、俺は何も……!」 「わかってるって。冗談だよ」 ハイネはくすくす笑いながら、そう言った。 (……ったく、可愛いな。やっぱ) ふと気付くと、沈黙が続いていた。 「おい、イザーク……?」 ハイネは少し不安になり、動かない背に手を置いた。 (まさか、またおかしくなっちまったんじゃ……?) そのとき、不意にイザークはむくりと起き上がった。 起こした上半身ごと、改めて驚いた顔のハイネに向け直すと、彼は真剣な表情でハイネを見つめた。 「……俺……どうなるのかな。――議長は……俺を――どうするつもりなのか……アスランに……」 その名が、ずきりとハイネに突き刺さる。 (またアスラン・ザラ……か) 今のハイネにとってはさながら天敵のような名だった。 ハイネの顔色が微妙に変化するのがわかると、彼は少し躊躇った。しかし、いったんこぼれだした言葉は止まらなかった。 「……アスランに、俺が何かしなければならないということなのか。俺にはわからない……わかりたくもない。俺は……地球になど、行きたくないんだ……。これ以上こんなわけのわからないことに巻き込まれたくない……俺は……」 ――怖いんだ。 そう言いたかった。 しかし最後に残った彼の意地とプライドが、最後の言葉を口に出すことを拒んだ。 代わりに彼は口を噤んだ。 ただ、目を伏せた。その不安に震える気持ちを読み取られぬように。 「けど、仕方ねーだろうな。ここまできて、今さらギルがおまえを離すわけもねーし。つまり、おまえは地球に行くしかねーってことさ」 ハイネは淡々とそう言った。 冷たいようだが、それが現実だ。 「おまえは……」 イザークは瞳を上げた。 ――来るのか。 一緒に……。 眼差しが、求めていた。 ハイネは微笑んだ。 「俺もついてくよ。心配すんな」 戸惑うイザークの頭をぐいっと引き寄せた。 引かれるまま、ハイネの胸に頭をもたせかけると、忽ち心地よい安堵感に包まれた。 そんな風に素直な反応をするイザークが、ハイネにはことさら愛しく思えた。 (……なあ。おまえ、わかってるか?) イザークを抱きながら、胸の内でそっと問いかける。 ――おまえが俺を、こんなに夢中にさせてるってことを、さ。 いっときだって、離れていられない。 何だかずっとおまえのことばかり、考えてるような気がする。 悪いが、俺はもう、おまえを誰にも渡さねーぜ。 ギルはもちろんだが…… そこで、ハイネは軽く息を吐いた。 未だ見ぬライバルの姿を思い描くように、瞳を閉じる。 おまえの思う、あいつ。 ――あの『アスラン・ザラ』にだって、さ。 (To be continued...) |