The Deprived (16)





 轟音と砂煙を立て、ザクファントムが発進する。
 それを目で追いながら、アスランは傍にいるギルバートに向かって、発進音に負けないくらい大きな声で叫んだ。
「議長っ!」
 すぐ向こうに置かれていた別の機体を指さして促す。
「……私にあのザクを使わせて下さい!」
 しかし、ギルバートの返事を待つ前に、その機体が光り、始動を始めた。
「……どうやら、先に気を利かした者がいるようだね」
 ギルバートはそう言うと、動き出した機体を眩しげに見つめた。
「あっ、あのっ……!あれはその、レイが……」
 後ろからシンが躊躇いがちに口を挟んだ。
 状況をよく飲み込めていない彼はただ戸惑った表情でアスランとギルバートを交互に見つめた。
「……なるほど。あれは、レイか」
 ギルバートは目を細めた。
「さすがだな。よく気のつく子だ。本当に……」
 呟くように動く唇がふと笑ったように見えた。
「……レイが……?」
 アスランは眉を上げた。しかし、問いを発する前に、彼はもう一機の機体へ素早く視線を走らせた。
「では、自分はあれを!」
「きみも、行くのか?」
 ギルバートはアスランを意味ありげに見た。
「……そんなに大切か。彼が……」
 嘲るような笑みがほんの一瞬その表情を掠めた。
 ――イザークが現れた途端、きみはまるで人が変わったかのようだ。そんな自分の変化をきみは自覚しているのだろうか。
 しかし彼はそれ以上何も言わなかった。
「……構わないよ。好きに使ってくれたまえ」
 ギルバートが答えると同時に、アスランは駆け出していた。
(そうだ。彼を……取り戻してくるがいい)
 ギルバートの眼はもはや笑っていなかった。
 
 
「追ってきやがったか……」
 コクピットの中でハイネは吐き捨てるように呟いた。
 予想していたこととはいえ、いざ現実に追っ手を迎えてみると、改めて身が竦むような威圧感を覚えた。
(いよいよ引き返せなくなってきたか……)
 今戻ったとしても、間違いなく軍規違反で処分されるだろう。いくら肌を合わせた相手とはいっても、そのようなことであのギルが温情をかけるはずもない。
 俺も……そしてこいつも、今度こそどうなるかわからない。
 彼はイザークの意識のない体を抱え直した。確かに伝わってくる、その抱く体のぬくもりと鼓動を実感することで、彼は僅かに勇気を取り戻した。
 取り敢えず、今は正面きっての戦闘は避けたいし、何とかいったん逃げ切りたい。
(そうさ……逃げ切ってやる……!)
 絶対に……。こいつと――
(アスラン……)
 イザークのあの一言が、彼の中の滾るような激しく熱い思いを一気に呼び起こした。
 アスランとこいつを繋ぐ鎖を今度こそ断ち切ってやる。
 イザーク。俺は、おまえを連れて行く。おまえを、誰にも渡すものか。
 彼は大きく息を吸い込んだ。
『……こえますか?……ハイネ・ヴェステンフルス……』
 回線から洩れてきた音声に、忽ち彼は我に返った。
 それは聞き覚えのある声だった。
『……聞こえているのなら、応答して下さい。ハイネ……』
「……レイ……!おまえか!」
 思わず叫んだ。
 レイ・ザ・バレル。
 そうか。当然だな。おまえは、今でもギルバートにとっては誰よりも忠実な子犬なのだから。
 冷笑が唇に浮かぶ。
 馬鹿だな、と彼は思った。――自分もその一人だったのではなかったか。ついさっきまでは。
『……直ちに帰投して下さい。このような無意味なことはやめて――』
「俺にとっては、意味があるんだよ。おまえには関係ない!」
 淡々と警告を発するレイの機械的な声をハイネの怒鳴り声が遮断した。
(……馬鹿なことは百も承知だ。けど、もう止められねーんだよ!)
 彼はイザークを見た。
 そうだ。誰が何と言おうとも……。
 俺はもう、こいつから離れられない。
『……ならば、撃ちます』
 レイの声が冷やかに響く。
 と同時に後ろから追ってくるザクが急速に速度を上げた。
「どうぞ、ご自由に!」
(こっちは、逃げるけどな!)
 ――そう簡単に落とされてたまるか。

 そう胸の内に呟きながら、操縦桿を握る。その瞬間、機体を衝撃が襲った。
(ちっ、さっそく撃ってきやがった……!)
 ハイネはスクリーンを見て舌打ちした。
 とにかく、まともにやり合うことは考えていない。パイロットがレイ・ザ・バレルでは、この状況ではどう考えてもこちらには不利だ。下手に応戦して足止めを食えばその間にさらに別の追撃機を迎える羽目になる。何とか振り切って逃げるしかない。
 ふと気付けば既に市街地を離れている。そのせいか相手は容赦なく攻撃の手を強めてきた。
 あまりにしつこい連射を受けて、遂にハイネは機体を反転させ、ビーム弾で応戦した。
 あっさりと交わす相手と、しばし激しい交戦が続く。
「くそっ……!いい加減に……!」
 ハイネは苛立ちながら、機体の速度を上げた。出力レバーを強く引き込む。
 コクピット内に凄まじい負荷がかかった。
 その衝撃に飲まれてハイネの手から一瞬力が抜けた。抱いていた体が浮き上がり、横へ転がり落ちていく。
 きつく側壁に頭をぶつけたその顔が苦痛に歪み、唇が僅かな呻きを洩らした。
「……う……っ……」
 一瞬で意識を戻したイザークは床から這い上がろうともがいた。
「イザークっ!」
 思わず手を伸ばしかけたところへ、強い一撃が機体を襲った。間一髪で両手を伸ばし、操縦席の背にしがみついたイザークを見てほっと息を吐いた。
「しっかり、掴まってろよ!」
そう怒鳴ると、ハイネは操縦桿を持つ手に神経を集中させた。
警告ランプが点滅し、サブスクリーンに損傷部の表示が出る。それを見て、動力機関の一部がエネルギー波に貫かれているのがわかった。決定的なダメージではないが、これ以上の飛行は無理だ。そして、後ろにはまだ執拗な追撃が迫っている。
「……やってくれるぜ……!」
 吐き捨てる言葉の中に愛機を傷つけられた呪詛の響きが込められていた。
「ハイネ……落ちるぞ!」
 後ろから、イザークが荒い息遣いとともに叫んだ。
「わかってる!……喋るな!舌噛んじまうぞ!」
 荒っぽくなるが、仕方がない。少しでも相手との距離を離したい。ハイネは出力をぎりぎりまで上げた。
「ほんと、手え離すなよ!死にたくなけりゃな!」
恐ろしいほどの加速に、操縦桿を握る手の筋肉が引き裂かれそうな痛みを感じる。しかし、彼は歯を喰いしばってその衝撃に耐え、ただひたすらに迫りくる地上の光景に目を据えつけていた。
 
 
 何とか丘の斜面に着陸すると、ハイネは大きく息を吐いた。
「おい!大丈夫か!」
すぐさま後ろを振り返った。一瞬見えぬ姿に焦りを感じたが、背の淵にかかる白い指先を見て、安堵する。すぐに下からのろのろと立ち上がるイザークの姿が目に入った。
「……ひどい操縦だな」
 あちこちにぶつけた体を痛そうにさすりながら、イザークはむっつりと呟いた。
「仕方ねえだろう!相手が悪い。これだけで済んだだけでも奇跡だ」
 ハイネはそう言うと、操縦席から立ち上がった。
「……さあ、出よう!すぐに奴らが来る」
 そう言っている間に、上空に光るものが見えた。
 レイの機体に間違いない。
 イザークの顔に不安げな表情がよぎった。
「……ここを出て、どうするつもりだ……?」
 モビルスーツを捨てて……。
「馬鹿!逃げるに決まってんだろ」
「……逃げ切れる――のか……?」
 イザークがそう言ったとき、ハイネは不意にイザークの腕を乱暴に引き掴んだ。
 顔と顔が近付いた。ハイネは睨みつけるように、イザークの瞳を覗き込んだ。
「――今さら弱気になるなよ!ジュール隊長」
 その嫌味たらしい言い方に、イザークはむっと眉を上げた。
「だっ、誰が弱気になど……!」
「なってるだろうが。誰が聞いても、弱気発言だってーの!」
 ――それとも、まだ何か変なもんに足引っ張られてんのか。さっきのように……。
 食い入るようにしばしその濁りのない青い瞳の色を見つめた後、彼は小さく息を吐いた。
(いつもの、イザークだ……)
「……なっ……何だっ……!」
 戸惑った顔のイザークに、ハイネはにやりと笑みをこぼした。
「いや、もうおさまったようだなと思ってさ」
「……って、何が……」
「覚えてねーのか?……ったく」
 発進する直前に起こったことを。
 アスランを見て、おまえはまた妙な発作を起こしたんだぞ。
 ――アスランを見て、おまえは……
 ハイネは軽く瞼を閉じた。
 あれは発作……というだけのことだったのか。本当に……?
 そう思った瞬間、ハイネはその思考を振り払うように頭を軽く振った。
(わざわざ、思い出すほどのことでもねーか)
 そうだ。そんなことはどうでもいい。おまえは、今ここにいる。俺の傍に……。おまえは俺だけを見ていればいい。
「いいんだよ!おまえは何も心配しなくても!」
 ハイネはそう言うと、そのまま相手の唇にそっと自分の唇を重ねた。
 ふわりと柔らかな暖かい感触がイザークを包む。唇を重ねただけで、こんなにも心が安らぐのはなぜなのか。
 ハイネはすぐに唇を離すとにっこり微笑んだ。
「さあ、行こう」
 コクピットのハッチを開けると、二人は急いで外へ出た。
 
 
 既に日が落ち、ほんのりとした薄闇が周囲を包んでいた。丘の斜面をそのまま下ると、石だらけの平地を走った。しばらく行くと目の前に石像が立ち並ぶ崩れかけた大きな建物が聳えていた。人気のない荒地には不似合いな巨大な建築物に、イザークは目を瞠った。
「……これは……何だ?……」
 かなり古い建造物に見える。プラント育ちの彼にとっては初めて見る、地球上に残る気の遠くなるような過去の時代の遺物。
「……このあたりじゃあ、珍しくもないぜ。……こりゃあ、大昔の教会跡だな」
 ハイネがさっさと先を行くその後を慌ててイザークもついて入った。
 天井の高い石壁に覆われた広い堂内は土と埃にまみれており、彼らは噎せた空気を吸い込んでやや咳き込んだ。
 真正面の高い天井を仰ぎ見れば、古びた大きな石造りの十字架像が今にも落ちてきそうな角度でこちらを見下ろしていた。
 それを見ると何だかぞくりとした。気の遠くなるような遥か昔に建てられた時代の遺物が、今なおここに存在している。そして、それはまだひそかに呼吸を続けているような気がした。イザークはすぐ前でそれを見上げたまま、その場から動けなくなった。
「……こういうのが、まだ地球にはごろごろしてんだよ。不思議だろ?」
 ハイネもイザークの横で足を止めると、その巨大な石造りの礼拝堂全体を見渡して皮肉な笑みを浮かべた。
「……自分たちの手で壊しかけといてさ。こんなの、このままぶっ壊して綺麗にしちまえばいいのに、できねえんだな。何でか……」
 そう……その理由はわかっている。
 ――人は過去の記憶に縛られる生き物なのだ。
 愛も憎しみも何もかも飲み込んで、時は動いていく。それでも置いてきた記憶を消してしまうことはできない。たとえそれが、どんなに辛く悲しいものであっても。
「人間ってしようがねえな。……遺伝子を変えたって、所詮おんなじだ。人間が人間である以上、逃げられねーことがあるんだよな、どうしても……理屈じゃなくってさ。そういうところまでは、とても遺伝子操作じゃ追いつかない……」
「よく喋るな。こんなときに――」
 イザークは冷やかすように口を挟みかけたが、そのとき目に入ってきたハイネの寂しげな横顔に、思わず口を閉じた。
「おかしいか。俺がこんなこと言うの……」
「あ、いや……」
 イザークは困惑したように口ごもった。
(どうしたんだ、俺……)
 一瞬彼が遠くへ行ってしまうような錯覚に襲われた。
「ハイネ……」
 呼びかけたものの、イザークはその先を続けることができなかった。頭の中で、言葉が空回りする。この気持ちをどう伝えればよいのか。
 代わりに彼はハイネの腕に自分の手を添えた。
 その体に触れることによって、今、相手がそこに存在していることを確かめようとするかのように。
「何だよ、おまえ」
 ハイネは笑った。
「急にガキみたいな顔してさ」
「うるさい!」
 そう言い返しながらも、その通りだと思った。
 今の自分はこんなにも孤独で頼りなくて……募る寂しさを隠しきれない……。だからどうしようもないほど……今、『誰か』に傍にいて欲しいと思っている。手を伸ばせば届くところにいる誰か。ぬくもりを感じられる確かな存在を。
「大丈夫さ」
 ハイネが言った。まるでイザークの心の内を読み取ったかのように。
 その手が自分の手を握る。暖かく力強い手だった。
「なあーんか、手え握るなんて、女ともあんましやったことねーんだけどさ……いいよな、たまには」
「馬鹿……」
 放せよ、と言いたかったが、なぜか手を振り放す気にもなれなかった。
「イザーク……」
 ハイネが何か言おうとしたとき、こつりと何か別の足音が響いたようだった。
 かちっという鋼鉄の擦れる音。
 忽ち全身に電流が走った。
「イザーク、伏せろっ!」
 ハイネはイザークの体を一瞬で地面に突き飛ばした。
 同時に……イザークの目の前を白い光線が走り……
 赤い軍服が白い光をまともに浴び、宙を舞う。寸時に声もなく、どさっと床に崩れ落ちていく体。
「ハイネ――っ!」
 イザークは狂ったように叫び、駆け寄ろうとした。
 しかし――
「動くな!」
 忽ち鋭い声が、彼の動きを封じた。
 少し先の柱の陰から姿を現した、ザフトレッドの軍服に身を包んだ青年。金髪に青い瞳……一見少女とも見紛うようなその美しい面は、一片のぬくもりも感じさせぬ氷のような冷たい表情を湛えてこちらを射るように見つめている。
「……きっ……さま……っ……!」
 イザークの喉から怒りが迸る。
 ――ハイネを……よくも……っ……!
「……大丈夫。スタンガンだ。死んではいない」
 銃口を差し向けたまま、レイ・ザ・バレルは一歩ずつ近づいてくる。
「……でも、レベルを上げてもう一度撃てばどうなるかは……わからない」
 淡々とその口からこぼれる抑揚のない言葉には、見事なまでに何の感情もこもっていない。まるで機械人形が喋っているかのようだった。
 イザークはその場に凍りついたように蹲ったまま、近づいてくるその死天使のような姿をじっと見つめていた。
 すぐ傍まできたとき、レイは改めてイザークを見下ろした。その銃口は倒れて身動きしないハイネにぴたりと当てられている。
「……彼を撃たれたくなければ、私の言う通りにして下さい」
 急に語調が変わり、瞳が暗く翳った。言葉とは裏腹に、その奥に揺らめく感情の激しい焔に初めて気付き、イザークは驚きの目を向けた。
(なぜ……こいつはこんなに憎しみを込めた目で俺を見る……?)
 イザークは記憶をかき回したが、やはりこれまでに彼を見た覚えがなかった。
 なぜ……
 今、初めて相対した俺に……
「……何が……望みだ……?」
 彼は掠れた声で囁いた。
「俺に、何をしろと……」
「――さあ」
 レイは瞬きもせぬ瞳をイザークに振り向けたまま、乾いた声で答えた。
「……ただ、知りたいのです。あなたの体に刻みつけられたものを……この目で確かめたい」
 青い瞳の中で燃える妄執にも似た焔の片鱗。それを目にした途端、イザークの背に悪寒が走った。
(こいつ……)
 狂っているのか……?
「……脱いで下さい」
 その言葉にイザークは目を見開いた。
「な……に……?」
 耳を疑った。
 しかし、相手の瞳は真剣だった。
「脱げと言ったのですが。――聞こえなかったのですか?」
 闇の中でスタンガンの銃口の先端が、脅すようにちらちらと妖しく閃いた。
 レイ・ザ・バレルの青い瞳が、酷薄な光を瞬かせながら、挑むようにイザークを見る。
 ――ギルを誑かしたその淫靡な体を、今ここに……全て曝け出してみろ。
「――さあ、早く……私にあなたのその美しい肉体の全てを見せてもらいましょうか……ジュール隊長」
                                          (To be continued...)

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